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アスカノール

 地面を蹴る。

 その軌跡を残すように結晶体の粒子が宙を舞いシャンデリアのオレンジを反射させる。

 脳裏を過ぎるのは『賢者の天秤』から逃げたあの日。お母さんはあの日も「逃げて」と言っていた。後悔していた。あの時お母さんを置いて逃げたことを、何もできずに盲目的に背を向けてしまったことを。一緒にいればよかった。一緒に戦えばよかった。私にはそれだけの力があった。自覚はなくても確実に自分の中に存在していたのだ。だがもはやそれは過去になり、私を作る記憶となり、世界で当事者だけが知る歴史となった。

 だから私は同じ選択はしない。後悔はもう十分した。あとはそれを踏み台に進むだけ。


 アスカノールが絶叫する。まるで激痛に耐えかねて泣き叫ぶ子供のような声。

 それはシャンデリアを激しく揺らし、柱にヒビを入れる。

 プツンとアスカノール……アンクレイ・ジェニパーの意識が落ちる。ハージ・ジェルクが刻んだ錬金術による強制的な意識のシャットダウン。全ての攻撃が一瞬の天使。そしてすぐにアンクレイ・ジェニパーに残った少し理性ではなく。アスカノール本来の純粋な”機能”として再起動する。

 その様はまるで糸で操っているマリオネット。自立することのない胴体に職種が絡みつき強制的にその背筋を伸ばさせる。


 見る人が見ればその光景は実に官能的で、また他の人が見れば恐怖を覚え、また別の人が見れば忌避感を抱くだろ。

 言い表すなら人間が化け物に支配されていく光景を視覚的にわかりやすく表現されているようだ。吐き気を及ぼしても不思議ではない。


 アスカノールの左腕が破裂する。内部の骨が枝分かれ、膨張、急速に成長させたことにより、それを覆う筋肉や皮膚が耐えきれなかったのだ。血肉が降り注ぐ部屋の中を、枝分かれした骨が地面や壁に突き刺さり、また別れてはまた別の場所に刺さって、また枝分かれする。アリスを狙った攻撃ではなく。無秩序な攻撃。ゆえに防御をすることが難しい。アリスを狙っているかと思えば寸前の柱に刺さり、天井に刺さるかと思えばアリスに向かって枝分かれしてくる。

 ただ一つ言えるのは部屋の中は次第に枝分かれした骨で覆い尽くされその動きに制限されていくという事実だ。


 アリスはその小柄な体を生かし、骨の隙間を縫いながら走り続ける。しかし、急げば急ぐほどその進路を妨害するように枝分かれした骨がアリスの邪魔をする。次第に逃げる場所すら失い始め、避けることが難しくなり、錬金術で防御を強いられ始める。

 だが歩を止めては徐々に体力と気力を削られると思い、無理やり錬金術で骨を砕きながら前へと突き進む。

 不意に砕いた骨の断面が見えた。内側は人差し指ほどの太さの空洞になっており、まるで何かを通すこと前提で作られたパイプのように思えた。

 そしてその可能性に気付いた時、アリスは自らの過ちに気づく。


 「まさか……!」


 焦った思考は注意力を散漫にさせる。

 結晶体の粒子に隠れていた骨に気づくことができずに足が引っかかり、体勢を崩し前方へと倒れかける。一瞬、視界からアスカノールが消える。

 次に視線をあげ、アスカノールを視認した時、その右腕が骨へと接続されていた。

 耳をすませば何かを気体を送るような音が聞こえてくる。

 やはり予想は間違っていなかった。


 アスカノールは骨の中に爆発性の気体を入れ、それに着火、爆発させることで、私の排除と自尽の命令を同時に遂行するつもりだ。

 これだけ張り巡らされた骨全てに爆発性の気体が入るのならば、その威力は私を葬るどころか、この部屋自体、むしろこの遺跡の一部を消しとばし、崩落させかねない威力のはずだ。それにそれだけの威力の爆発であれば、砕け散った骨の威力はそうとなものになる。もし何の対策もせず全身にその破片を受けたのであれば、それこそ人体に致命的なものとなり得るだろう。

 それはアリスだけでなく、アスカノールに取っても同じなはずだ。


 まるで苦虫を噛み潰したような顔で、アリスは地面を蹴る。錬金術で無理矢理、骨を砕きながら前へと足を進める。

 その足跡には重力に反するようにいくつかの石柱が骨を破壊していく。

 おそらくすでにこんなことをしても無駄だろう。骨を破壊したところで空気中に気体が充満するだけだ。決して状況が好転するわけではない。だが何もしないで見ているよりはマシなはずだ。


 水素。それがアスカノールが使っている気体の正体だろう。可燃性のガスはいくつもあるものの、この場で簡単に用意できて錬金が容易なものならそれしかない。

 確かエンリお兄ちゃんも錬金術師との戦いで最も警戒すべき物質は、酸素、窒素、水素、硫酸、塩酸、王水、水銀、一酸化炭素、ニトログリセリンその他多数。最低でもこの九つは覚えておけと言っていた。理由はそれぞれあるが、酸素、窒素、水素の三つは空気中に多く存在しているためにその生成が容易だからだと話していたのを覚えている。


 これを教わったのは錬金術を勉強を初めてすぐのことだった。

 やはりエンリお兄ちゃんは最初から私が、錬金術を使ってハージ・ジェルクと対峙するつもりだったことに気づいていたのだろう。でなければわざわざ錬金術の勉強で錬金術師との戦いの際に注意する物質など教えるわけがない。


 アスカノールが周囲の酸素を集め水素を混ぜる。水素はそれ単体では決して爆発することはない。必ずそれを助ける存在が必要となる。その代表となる物質が酸素だ。

 そして酸素と混ざり合った水素の爆発、その威力は語るまでもないだろう。


 パチッ、そんな音が聞こえた気がした。

 右から左へと流れる白の光。雷光。雷電。アリスが使ったような大きなものではない。それは日常で起こり得る現象。だがそれは確かに水素を引火させるには十分すぎる熱源であり、爆発の引き金になり得る存在。


 『静電気』


 ありふれたものである。

 そしてそれを認識した時には視界は赤と白の光に包まれる。

 静電気により発火点に達した酸素と混ざり合った水素は、連鎖的に燃焼、膨大なエネルギーを無秩序に撒き散らす。

 熱風、蒸気、破裂音。

 気体の入れ物であったパイプ状の骨は砕け散ったのちに周囲に飛散。壁や天井、床を破壊した後、その熱に耐え切ることができずに灰と化す。柱もまた爆発によりへし折られ、砕かれた後蒸発する。それはこの部屋にあった全てに該当しており、天井から吊り下げられていたシャンデリアは見る影もないし、聖女を模ったステンドガラスも割れた後ドロドロに溶けて、蒸発している。

 唯一現像しているのは、アリスが骨を破壊するために使った石柱と結晶体の粒子のみである。


 部屋もまた球状に変形して入るものの形は保っている。それはこの遺跡の頑丈さとこれを設計した設計士の腕を示す良い証拠だろう。伊達に神話時代の遺跡ではない。おそらくかの時代であればこの程度の威力の攻撃は日常茶飯事だったのだろう。

 だがまあ、裏を返せば、部屋が壊れずその力が外に逃げることができなかったが故に、これだけの威力になったのだが、外にまで爆発が波及していたのなら、遺跡は爆発の威力に耐えきれないこととなり、崩落。その上に存在しているシルバルサの街もその形そのままに地中へと引き摺り込まれていたはずだ。


 爆発により発生した水蒸気が、瓦礫が崩れる音だけが支配する静寂の部屋の中を包む。


 「ここまでか……」


 どこかつまらなそうに呟かれた声。

 一つの人影が水蒸気の中から現れる。それはハージ・ジェルクその人である。

 肩のほこりを振り払いながら小さく咳を込む。水蒸気による何も見えない部屋の中を見渡しながら、瓦礫の上を歩いていく。


 「爆死なんて芸のない最後だったな」


 それはアリスに言っているのかアスカノールに言っているかはわからないが、その口調から不満げであることは感じ取れた。


 「結局、力を引き出せないなら意味ないよな……さて、『ルーゼルバッハの石』でも回収して、僕のそろそろ逃げようかな。もうここにもう用はないし」


 そんな風に言いながら地面の瓦礫を蹴る。ハージ・ジェルクは蹴った瓦礫の軌跡を視線で追う。部屋に充満した水蒸気を小さく揺れた。

 ゆらりゆらりと揺れる蒸気。徐々にその波紋を大きくなり、視界が開ける。


 晴れた水蒸気の先からそれは現れた。白く蕾のような存在。

 繭。最初に思い浮かんだ言葉はそれであった。

 白銀の糸により結い上げられている。そしてそれと同じものが少し離れた場所にもう一つある。


 ハージ・ジェルクは足を止めてその光景に驚愕し、その驚愕は次第に笑いへと変わる。


 「ふふふ、ははははははは、まだ面白いものが見れそうだ」


 踵を返し、二つの繭から再び距離を取る。近くの瓦礫に腰を下ろし、その結末を見届けようと傍観者へとなった。


 そして一つの白銀の繭が花開く。螺旋状に開き咲く糸の花はかくも美しく。見惚れてしまう。

 ここが先ほど大規模な爆発があったということすら忘れてしまいそうだ。

 

 <白銀糸>それは錬金術において最高峰の硬度としなやかさを持ち、その耐久性は自然の象徴とされている龍を5本の糸で拘束できるほどには強く。その鋭さは大気を裂き、雲さえも縫い止めることができるほどの細さだと言われている。かつて偉大なる五人の錬金術師の一人、ルーゼルバッハが好んで使ったと言われている糸である。

 しかし、その難易度故に受け継ぐことができる者が現れず、とうの昔に技術の継承が途絶え、今や伝承だけの存在となった幻の錬金術。

 現在現像する白銀糸はわずか数センチのものですら、とんでもない値段がつけられ、全てが白銀糸で作られた服の値段などは到底つけられないものとなっている。

 その幻の錬金術が再び現代に顕現する。


 どうやら僕は彼女を過小評価していたようだ。

 ハージ・ジェルクはそうアリスの評価を自分の中で改める。


 彼女は『ルーゼルバッハの石』に使われているだけの存在だと思っていた。『ルーゼルバッハの石』がアリスの意志を汲んでいるのも都合のいい宿主を殺させないためだと。だが違った。彼女は『ルーゼルバッハの石』の宿主ではなく継承者である。今はそう思う。

 アンクレイ博士が作り、育て、『ルーゼルバッハの石』が選び、認めた存在。

 その才能はこの世界に存在するどの錬金術よりも優れているかもしれない。それこそ僕やあの学者くんですら凌駕するほどの才能が。

 今思えば、『ルーゼルバッハの石』が宿主を殺したくないのであれば、あの時『世界変成の大錬金術』を発動させることはなかったはずだ。あれはアリスを自らの継承者だと認めてたが故に、その意思に則り発動したものだ。

 だが今までは確かに『ルーゼルバッハの石』の制御はできていなかった。いや、多分今もできていないのだろう。今、制御できているのはおそらく『ルーゼルバッハの石』の性能の一部だけ。でなければアスカノールとの戦いなど戦闘というのが烏滸がましいぐらいの圧倒的なもので終わっていたはずだ。

 しかし一部であろうとこの土壇場で『ルーゼルバッハの石』を制御するに至ったその胆力はやはり誉めざる得ない。『賢者の天秤』にいた時には考えられない成長だ。

 これはアリスが元々持っていたものなのか、それともあの学者くんたちのもとで得たものなのか。もしくはその両方なのか。僕にはわかりはしないが、今は彼女の成長を大いに喜ぶとしよう。相対すべき敵としてではなく一介の錬金術師として、新たな『ルーゼルバッハの石』の継承者の存在に、そして新たな才能の開花に。


 アリスが白銀糸を結い上げ、体の傷口を塞ぎ止血する。先ほどまであった傷跡がまるで嘘のように塞がっていく。

 口についた血を拭い、歩き出す。

 一歩、また一歩ともう一つの繭の方へと。


 あの時、私ができることは何もなかった。所詮私は、三日しか錬金術を勉強していない未熟者であれだけの爆発を防げるほどの実力は持ち合わせていなかった。仮にあの爆発に耐えうる物質を生成できたところで、その爆風を受けた壁を支えることができず自分を守るはずの壁に押しつぶされ、圧死していただろう。


 だから多分、今私が生きているのはちょっとした奇跡なのだ。

 この白銀糸は『ルーゼルバッハの石』からの手向けのようなものだ。決して私が一人で錬成できるようなものではない。それは私自身が一番わかっている。だからこれはちょっとした手助け。些細な贈り物。『ルーゼルバッハの石』があったからこそ錬成できたに過ぎない。努力により身を結んだ必然ではなく、『ルーゼルバッハの石』を持っていたことによる偶然なのだ。

 その能力の片鱗を見せてくれたからこそできた錬成に過ぎないのだ。


 結局、白銀糸が使えるようになった過程をダラダラと語ったが、それはつまらない過程を話しただけで、重要なのはこれから白銀糸を使えるようになったことで決まる結果である。

 その結果は今から私が決めるのだ。


 アリスが繭の前に立った。

 そして繭は散る。中から白銀糸で縛られたアスカノールが出てくる。

 アスカノールは体を変形させながら白銀糸を振り解こうとするも、白銀糸は決して千切れることはない。飛び道具で自害しようとしても、それが自らの体にあたるより先に白銀糸が掴み破壊する。


 「今、助けるから」


 そう言ってアリスはアスカノールの、いや、アンクレイ・ジャニパー、母親の頭に触れた。

 瞬間、始まるは前人未到の錬金術による脳神経の修復である。ハージ・ジェルクは生粋の錬金術師である。その彼が魔法や魔術を使って、思考能力等を奪うとは思えない。必ず錬金術を使ったはずだ。

 そして錬金術で奪われた思考能力たちはハージ・ジェルクによる行われた操作と逆操作を行うことで修復ができるはずである。もちろん、全てが修復可能とは思わない。あの男のことだから自分に都合のいいように脳機能を破壊しているところも少なからずあるだろう。


 だが、あの時、お母さんが私の名前を呼んだように、記憶領域は壊されていないようだ。これは不幸中の幸いだろう。流石に失われた記憶を取り戻すことはできない。『ルーゼルバッハの石』にできるのはあくまで、脳機能の修復であって、脳そのものの修復ではない。新たに植え付けられた記憶は結局は偽物の記憶だ。そんなのあまりにも悲しすぎるだろう。

 おそらく記憶領域を破壊しなかったのは、記憶能力を失くしたら何かと使い勝手が悪くなるからだろう。

 実に、あの男らしい判断だが、その合理さが今の私を助けて、アンクレイ・ジェニパーがアスカノールに完全に同化しなかった要因かもしれない。つまりあの男唯一の失態とも言い換えることができるだろう。


 「ぐ、がぁっ!!!」


 アリスが小さく呻く。

 まるで神経を逆撫でされるかのような痛みが両手を襲った。手に視線を落とすと、そこには無数の触手が両手に穴を開け、体内へと侵入してきているのがわかる。細かな触手が爪の間に侵入し、皮膚を食い破る。その結果、爪の下、血により赤く染まり、触手に穴を開けられた両手もまた、噴水のように血を噴き出している。

 血管を伝い、皮膚下で蠢いているのがわかる。

 脳の修復はアスカノールにとっては自らの存在の破壊に等しい。脳機能が完全に修復された時、アスカノールという錬金術によって生まれた存在は消え、アンクレイ・ジェニパーという本来の体の持ち主が表面に戻ってくるからだ。

 そりゃあ、抵抗もしてくるだろう。


 だがアリスも引かない。ここで引けば、母親を取り戻す機会は2度となくなると理解していたからだ。


 修復作業自体はうまくいっている。『ルーゼルバッハの石』が私の意思を汲んで補助してくれているのだ。あとはアスカノールとの根気比べ、私が修復し切るか、アスカノールが私を屈服させるか。その勝負だ。


 心臓が強く脈打つ。

 それは1回ずつ大きく強くなり、鼻血が垂れ、血涙が頬を伝う。

 そして心臓が脈打つたびに全身の痛覚神経を体外に引っ張り出されるような痛みがある。体内に侵入したアスカノールの触手がアリスの体を体内から破壊しようとしているのだ。

 触手が神経との接続を始める。触手の一本一本がアリスの神経と同じ役割になろうとしているのだ。もしそうなれば神経に直接痛みの情報を送ったり、運動神経に誤情報を送ることができるようになってしまう。そうなればアリスを殺すことはもちろん、体の一部であれば自由に操れるようになる可能性もあった。

 もちろんそのことはアリスも理解していた。だが、アリスは一切動じる様子はなく、逆にどこ安心したような表情を見せた。


 アリスの神経に接続しようとした触手が弾かれる。

 それは錬金術ゆえの対抗手段、錬金術師同士の戦闘において最も重要視される技術にして、ハージ・ジェルクとエンリがその戦闘で高いレベルの技術を披露した存在、錬金拮抗であった。


 この数日間、エンリから勉強したのは他でもない。この錬金拮抗を習得するためであった。これは本来、ハージ・ジェルクとの戦いに備えていたものである。錬金拮抗は錬金術師との戦闘において相手の攻撃を阻害するだけでなく、その攻撃のリズムを崩し、駆け引きを生むことができる。

 それにハージ・ジェルクと前回戦った時、分かったことが一つある。私は『ルーゼルバッハの石』で攻撃力こそは高いものの、決してバトルセンスがいいわけでもなく。とりわけ防御に関しての知識が少なかった。

 そのためリリアを守っていることが看破され、錬金拮抗により主導権を握られたあと、攻勢に転じたハージ・ジェルクを止めることができなかった。それはハージ・ジェルクの錬金術において絶対的な防御方法、錬金拮抗を持っていなかったためだ。


 私に攻撃はほんと彼の錬成した剣によって防御された。もしあの時、錬金拮抗を使えて、剣を錬成させていなければ、おそらくもう少しマシな戦いができていただろう。

 このように錬金術師にとって錬金拮抗は非常に重要な技術であり、その修得は最重要課題と言い換えても申し分なかった。実際、ぞんざいな知識で雑な錬金拮抗ではあるが、こうして自らの身を守る方法として大いに活躍してくれた。無理してでも修得してよかったと思う。


 神経の接続に失敗した触手たちは直接、アリスの体の破壊を開始する。血管に穴を開けたり、内臓を裂いたり、神経を引きちぎったりする。しかし、アリスが倒れることは決してない。『ルーゼルバッハの石』が損傷した部分から治していっているのだ。そのおかげで全身を筆舌しがたい激痛が襲うだけで、致命傷にならずに済んでいる。まあ、生き地獄のような状態だ。

 だが、その生き地獄な状態であっても、決して意識を失うことは許されない。もしここで私が意識を失えば、お母さんの脳の修復が止まり、アスカノールが再び破壊、次はハージ・ジェルクではなくアスカノールが自らにいらない部分を全て排除するだろう。

 よって、これが最初にして最後のチャンスであった。


 アスカノールはアリスが立っている場所に結晶を発生させ、両足を貫き骨を砕く。アリスは一瞬、体勢を崩しそうになるものの『ルーゼルバッハの石』がすぐさま、生えた結晶を砕き、足を再生したために崩れ落ちずに済む。

 それの光景を見たアスカノールが最後の抵抗と言わんばかりに、両手でアリスの頭を掴み、鉄柱を脳へと直接突き刺そうとしてくる。

 アリスはそれを錬金拮抗により止め、白銀糸ごと縛り固定する。


 絶叫。まるで消えたくないと駄々をこねる子供のような鳴き声にも似た声が部屋の中をこだました。そして次の瞬間、アスカノールを意識を手放し、地面へと崩れ落ちた。


 自分の体に侵入した触手は活動をやめる。アリスはそれを白銀糸で引き摺り出し、体内に残った触手は錬金術で消す。

 物音一つしない時間が少しの間流れる。一向に目を覚ます気配を見せないアンクレイ博士にアリスは少しの焦りを滲ませ、あまりにも静かな時間はアリスに無限に思える思考の時間を与えた。脳の修復はほぼ完璧に行なった。その状態は通常状態の脳と何ら遜色ないだろう。それに同時並行的にアスカノールの錬金陣もそのほとんどを無効化した。全てを無効化するには私の知識は浅く、傷の再生にも有用だったために一部の機能は残したが、大きな後遺症や問題を起こすようなことはしていないはず。少なからず意識が戻らないようなことはしていないはずだ。


 流れる時間。わずか十秒という時でさえ、永遠にも感じられる。

 風のない地下都市に一風。結晶体の粒子が静かに舞い上がる。

 そしてそれと同時にアンクレイ博士の意識が回復する。

 周囲をしばし見渡し、朧げな視界の中、アリスを見つけて呟く。


 「あ、アリス……よかった、無事で……ずっと、会いたかった」


 そうアンクレイ博士は言った。

 伸ばした手は異形のものと化していたが、そこには確かに人間の温もりがある。

 アリスはその手を取り、言う。


 「私も会いたかった、お母さん」


 そういうアリスの瞳には涙が浮かんでいた。

 そして聞こえてくるは拍手の音。感情のない手を叩くだけの音が大気を揺らす。音の方に視線を送るとそこには瓦礫の上を歩きながら歩み寄ってくるハージ・ジェルクがいた。


 「最初は嫌がらせのつもりだったけど、本当にいいものを見せてもらった。白銀糸に、脳の修復、親子の再会は涙無しには見られなかった。あまりにも劇的な展開で舞台を見ている気分だったよ。怒涛の展開とはこのことだね。息つく暇もない」

 「ジェルク……」

 「お久しぶりです、アンクレイ博士。いや、久しぶりというのもおかしいですね。まずはおはようございます。どうですか?怪物になった気分は?」

 「……そうだな。今すぐにでもあなたを殺したい気分」

 「うーん!あなたらしい答え。どうやら本当に戻って来たんですね。めんどくさい」

 「ふふふ、大丈夫、手は煩わせない。地獄に入り口まで送ってあげる」


 そう言ってアンクレイ博士は立ち上がり、その異形と化した右腕を大斧のように変形させ振り下ろす。しかしそれは地面を抉り砕いただけで、ハージ・ジェルクの1センチ横を通り過ぎただけであった。


 「あれ?アスカノールの力使えるんですね?」

 「ははは、地獄の淵に立ってタダで帰ってくるほど生ぬるい生き方はしてなくて」


 地面に刺さった大斧の側面から無数の剣が生成される。ハージ・ジェルクはその攻撃を床から壁を生成し無理やり軌道を逸らすことで、一歩も動かずに回避する。


 「そのまま踏み外してくれればよかったのに。勇気が出ないなら背中を押してあげてもよかったんですよ?」

 「あなたに背中を押されなくても、愛娘が手を引いてくれたから必要ない」

 「そうですか。それじゃあ、次はしっかり地獄に押し込んであげます」

 「あなたこそ、そろそろこの世には飽きたんじゃない?」


 瞬間、二人の錬金術師が激突する。

 かたや異常な才能を持ちし天才。かたや異形と化しし天才。二人の天才の激闘は必至であった。

 アンクレイ博士が自らの腕を変形、パイプ状の触手にして伸ばす。ハージ・ジェルクはそれを壁で防ぎ、詰り取るようにして壁ごと触手を地面へと引き摺り込む。そして天井を落とし触手を引きちぎろうとするも、アンクレイ博士はパイプ状にした触手から大量の空気を放出。その膨張による爆発で触手を回収、異形ではなく人間の腕へと戻す。

 地面へと落下した天井が結晶体の粒子を大気中に舞う。二人の間に降り積もる。


 その結晶体が止んだ頃、ハージ・ジェルクは剣を二本生成、そのうち一本を投擲、アンクレイ博士はそれを避け、後ろの壁に突き刺さる。そして錬金されるは常温において唯一の液体の金属、水銀。高い毒性と錬金術において対処しにくいという特性を併せ持つ。

 その水銀がアンクレイ博士を覆うように後ろから襲いかかる。そして正面からはいつの間にかもう一本剣を錬成し、二本持ちに戻っているハージ・ジェルクが距離を詰めて来ている。

 剣を地面に走らせ、振り上げてと共に、削れた破片を錬金、鋭い岩石へと錬成する。


 アンクレイ博士は錬成された鋭い岩石を錬金拮抗により、その脅威を排除、同時に振り上げられた剣を右手の一部を背中に生えている結晶体を利用し硬化、受け止める。ハージ・ジェルクはすぐに半歩距離を詰め、相手が間合いを取る隙も与えずに、左手で持った剣をその腹部へと押し当てる。しかしその攻撃は皮膚の結晶体による効果によって剣の腹を滑らせ、回避される。


 そしてハージ・ジェルクの攻撃を回避されたと同時に、水銀がドリル状になってアンクレイ博士の背中へと迫る。

 錬金術において水銀は数ある錬成の中でも錬金術師特攻の異名を持つほどには対処が難しい。いかなる攻撃を加えても液体という性質上すぐに再生し、その上、強い毒性を持ち、気化しやすい。人体に害悪で、中毒症状も起こすことがある。さらに水銀を使う錬金術からすれば、液体ゆえにその形の変形が容易く、攻撃性能も高い。液体ゆえに少しでも体内に入ればやりたい放題できる。唯一の救いといえば、液体金属である水銀は普通の金属や物体とは違くその操作が難しいことだろう。おかげで水銀を錬成、使いこなせる錬金術師はそう多くない。

 だがまあ、不幸にも、今、目の前にいるのはその扱いが難しい水銀を使いこなせるタイプの錬金術師だ。


 アンクレイ博士は咄嗟に水銀を生成する。水銀の対処で広く知られている方法は三つ、一つは吸収性の高い素材で水銀を吸い取ってしまう方法。二つ目は他の物質と反応させて固形化させる方法。そして三つ目の方法が液体金属という特性を利用した方法だ。


 水銀は何度も繰り返すように常温において唯一の液体金属であり、その性質は極めて特異的であり、興味深いものである。そして、二つの水銀がぶつかったさい、水の入ったコップに新しい水を追加してもすぐに混ざり合うように分子間力により、水銀同士もまた混ざり合い、本来、思い描いていた形を失い、相殺される。

 これはどんな錬金術師でも起こり得る現象であり、防ぎようがない。

 だからこそハージ・ジェルクはある対策を取る。


 二つの水銀がぶつかる瞬間、ハージ・ジェルクは自らの水銀を鉄へと再錬成、これにより水銀同士が混ざり合うという現象を避ける。

 ハージ・ジェルクが再練成したドリル状の鉄はアンクレイ博士が練成した水銀を最も容易く掻き分け、その体に突きつける。

 アンクレイ博士は、防御しようにもハージ・ジェルクの剣による攻撃で意識を一瞬逸らされたことによる隙と自分で生成した水銀により視界が遮られたことによる認識の遅れにより、防御が間に合わない。


 もはや攻撃を受けるしかないと悟ったアンクレイ博士は覚悟を決め、体ダメージが最小限になるように体を捻る。多少の傷なら再生能力の高い今状態ならたちまち傷は消えてなくなるだろう。

 いつの間にかハージ・ジェルクもまた追撃の構えに入っている。ドリル状の鉄が当たると確信してやまない様子だ。


 ドリル状の鉄がアンクレイ博士の体に触れた瞬間、瓦解する。まるで砂状の城が崩れ落ちるが如く、風に吹かれるわけでも波にさらわれるわけでもなく触れただけで塵と変わったのだ。

 異常な現象。異常な結果。異常な状況。

 二人の思考は一瞬、混乱極める。


 不意に光に反射した白銀の糸が見えた。

 瞬時に理解するこれがアリスによるものだと。二人の視線が一瞬アリスへと注がれる。

 その白く細い腕には白銀糸が巻かれ、その装いはまるで白いドレスを着た儚げな少女である。戦場に立つ天使、とでもいうべきだろうか。ただただ美しく、ただただ綺麗で、あまりにも神秘的だ。


 白銀糸がハージ・ジェルクの腕を貫き地面へと繋がる。


 「私も戦う」


 アリスはそう短く力強く言って見せた。

 その言葉にアンクレイ博士は何も言わない。ただ一瞥して小さくほくそ笑み、ハージ・ジェルク方へと向き直った。

 異形とかした左腕を人間のものへと戻し、逆骨格となっていた足も人間のものへと治す。背中に生えた結晶体をまるで服のように身に纏って、袖の一部を結晶体を射出できるように変えた。


 「よかったですね、アンクレイ博士。今回一人じゃないみたいですよ?」

 「そうね、今回は二人みたい」

 「親子揃って、無謀ですね。二人とも僕に負けてるのに」


 三人の睨み合い。始まりはハージ・ジェルクの腕の切断からであった。

 白銀糸の切断は不可能と早々に判断し、肘からした切除し、地面と繋がられた腕の部分を排除する。

 腕を一本失った隙に、二人は攻勢を始める。

 アンクレイ博士が服の袖から結晶体を射出、同時にハージ・ジェルクの残された右腕を切断しようと、地面から天井へと壁を伸ばし、アリスがその足を絡めとる。横へと逃れようとするも、白銀糸よって思うように動けず、攻撃が当たる寸前で身を捩らせ、回避する。


 そして攻撃を避けられた瞬間、アリスが白銀糸でハージ・ジェルクの絡め取った左足を粉砕、同時に地面から返のついた細い棒を生成、切断された左腕へと突き刺し、肩まで貫通させる。そして、その棒を地面へと引き戻すことによってハージ・ジェルクを無理やり地面へと体勢を崩させる。

 ハージ・ジェルクは小さく驚愕の声を漏らし、その左腕の傷口を地面へと付ける。腕を引き抜こうと引っ張るも返がついているために簡単には抜けない。そのため腕を裂こうとした瞬間、地面が隆起し、半月を描くように巨大な刃がハージ・ジェルクを狙う。


 咄嗟に引き抜けない左腕を軸に体を回転させ、一撃目を避ける。二撃、三撃目は錬金拮抗により潰す。

 次の瞬間、頭に脳に響くほどの強打がハージ・ジェルクの側頭部に直撃する。アンクレイ博士が錬成した柱がクリンヒットしたのだ。どうやら巨大な刃はブラフだったようだ。本命はこの柱だったのだろう。

 抜け目ない。

 無意識に歯を噛み締める。


 石柱が頭に当たったと同時にハージ・ジェルクは自らの左腕を引き裂き撃ち込まれた返付きの棒を引き摺り出す。そして折れた足は白銀糸が巻き付いているため切断、錬金術で治す。先ほど切断した左手も立ち上がると同時に地面の物質を錬成して治す。

 そんなハージ・ジェルクを逃さないと言いたげにアリスの白銀糸が飛んでくる。

 それをいつの間にか手放していた剣の代わりに、横に複数の突起が存在している棒を生成、それにくるくると白銀糸を巻き付けて、適当に生成した金槌で地面へと打ち込む。

 甲高い音が部屋の中を反響し、その鼓膜を揺らす。


 白銀糸も所詮は糸、絡まれば切断や焼き切ったりできない分、普通の糸よりも厄介である。

 おそらく今のアリスなら一瞬で白銀糸を錬金術で解き、再錬成をするなど容易いことだろうが、たかが数秒でも今は立て直す時間が欲しかった。

 アリスは絡まらずに残った白銀糸を操り、その足を3枚に切断しようとするも錬金術で軌道をずらされ、靴底を軽く撫でるだけで終わってしまう。そしてそんなアリスに合わせるようにアンクレイ博士がハージ・ジェルク周辺の地面を軟化、突如として安定した地盤を失ったハージ・ジェルクは沈み込むようにしてその体を背中から体勢を崩す。

 その間に、遊びを持たせ地面に仕込んであった白銀糸を思いっきり引っ張る。引っ張られた糸は遊びを奪われピンと張り詰める。そしてその時に発揮される白銀糸の鋭さはたとえ、挟んでいたのが山であったとしてもまるで豆腐を切るかのごとく簡単に切り裂くだろう。


 体勢を崩したハージ・ジェルク避けることはできない。防御しようにも用意した壁すらもその体と一緒に切断されることになるだろう。

 だからこそ、ハージ・ジェルクは体勢を崩す要因となった地面の軟化をより早く、より強く、より柔らかく、自分の体を預け、沈み込むように進めた。

 その結果、白銀糸はハージ・ジェルクの上スレスレを通り、前髪を軽く切られるだけで済んだ。


 そしてアリスが絡まった白銀糸を解くために再錬金を試みる。

 それこそハージ・ジェルクが待ち望んでいた立て直しの時間である。

 ハージ・ジェルクは軟化した地面にめり込んでいく体を無理やり錬金術で引っ張り出す。

 しかしアリスたちも立て直しをしたいのは十分に理解している。ゆえにアンクレイ博士は軟化した地面を鉄へと錬成、ハージ・ジェルクの腕ごと硬化させる。ハージ・ジェルクは錬金術で自らの腕を切り落とそうとするも、アンクレイ博士の錬金拮抗によって止められる。


 「今、多分、僕、めちゃくちゃ変な格好してるよね?」


 ハージ・ジェルクはそんなことを言いながら薄ら笑いを浮かべ、両腕を自らの足で直接蹴って折る。そして砕けた骨でズタズタになった筋肉と皮膚を引きちぎり、起き上がる。

 アンクレイ博士は咄嗟に袖から結晶体を射出、腹部に綺麗な風穴を開ける。ハージ・ジェルクは一瞬、よろけるものの地面に崩れ落ちるようなことはない。そしてその頃にはアリスもまた白銀糸の再錬成を終了し、ハージ・ジェルクを狙う。


 アリスはハージ・ジェルクを中心に円形状高さ3メートル、半径5メートルほどの地面を陥没させ、両端から溶岩を噴出。その足場を埋めるように流し込む。ハージ・ジェルクは地面を錬成し上へと逃れようとするも白銀糸を直径10メートルほどのハンマーのような形に変え叩き落とす。攻撃自体は折れた腕でガードされるも、再び地面へと落とされた。

 今や溶岩はハージ・ジェルクの足元にまでじわじわと迫ってきている。粘度が高いために今すぐ、当たることはないが、それも時間の問題であった。


 ハージ・ジェルクは腕を再び錬成、体に開けられた風穴を修復し、陥没した地面の端を自分の元へと引き寄せ、溶岩を引き寄せた地面の中に閉じ込めると同時に上へと上がるスロープを作ってみせる。

 それを駆け上がるハージ・ジェルク。アリスが足首を白銀糸で切断。ついでに足の甲を錬金術で潰す。一瞬前に崩れ落ちそうになるものの、すぐさま錬金術で再生、地面の前で戻ってくる。そして自らの鼓膜を破壊した。

 その予想外の行動に二人は首を傾げ、同時に警戒する。

 

 次の瞬間、部屋の中に響き渡る大音量。破裂音にも似た内臓を深く、深く揺らす低音。そして人為的にならされる人間の可聴領域ギリギリの高音が響き渡る。

 絶叫したくなるような不快な二つの音、二人は咄嗟に耳を塞いで、その音から逃れるように身を捩らせる。しかしその大音量は二人の体を最も容易く支配し、行動を制限する。


 人間は大きな音や不快な音に当てられると、どうにかその音から逃れようと行動する。これはおそらく音による強いストレスから逃れるために持った人間が持ち合わせる本能の一つなのだろう。どうにかその場所から離れようとしたり、音が鳴る原因を排除しようとしたり。耐え難い音は思考を阻害し、行動を制限する。


 もちろんアンクレイ博士もアリスもその本能から逃れることはできない。ただハージ・ジェルクだけは違う。彼は唯一こうなることを知っていた。ゆえにその鼓膜を自ら破った。いくら敵に勝つためとはいえ、自らを傷つける行為は、当然並の精神力でできる行為ではない。

 しかしハージ・ジェルクは、自傷行為を行えるだけの勇気と狂気、精神力を持ち合わせていた。

 だからこその作戦だったのだろう。


 音の聞こえないハージ・ジェルクは一本の剣を、握り、疾走する。

 大気が揺れるその中を風よりも早く。


 アンクレイ博士に刺突。咄嗟に体を捻り、回避するもその結晶体の服を切り裂く。

 耳から手を離すことは実に簡単なことだ。だがそれは大音量の中に何の防御も持たない鼓膜を晒すということだ。圧倒的ストレスの中に自らを晒すということだ。その所業はまるでサメが入った水槽に生肉を抱き抱えて飛び込むような行為である。

 そんな行動を嬉々として、嫌々であっても動ける人間は少ない。


 ハージ・ジェルクがその剣を避け続けるアンクレイ博士に嫌気が刺したのか、その剣を足に突き刺し、そのまま地面まで貫く。深々と太ももから地面にまで貫いたその剣は錬金され、横に無数の棒を生成する。これにより剣を簡単に抜くことはできなくなった。つまり、移動を制限され、その場で身を捩る等の行動だけでハージ・ジェルクの攻撃を避け続けなければいけないことを示していた。

 徐々に削られる体力と精神力。音は未だに鳴り止まない。

 アンクレイ博士が使えない手の代わりに足を変形させて、固定された右足の甲の骨を爪のように錬成、ハージ・ジェルクの腕を貫き、左足でハージ・ジェルクの腹を蹴り、触れたと同時に内部に鍵フックのような無数の棘を差し込み、足を曲げて引き寄せる。


 そしてそのままもう一度右足の甲の骨を錬成、変形させ、その胴体を滅多刺し、避けれないようにしてから、肘から結晶体を射出、ハージ・ジェルクの両肩を抉り、そのまま左足を地面へと引っ張り下ろした。


 ザクザクザク、というべきか。バリバリバリ、というべきか。ドバドバ、というべきか。胴体がズタズタに引き裂かれ、その傷口から大量の血液と内臓、肉片が溢れ出る。もし耐性を持たない人がこの光景を見たのなら一発で卒倒、倒れるだろう。

 ハージ・ジェルクは血を吐きながら、どこか苦しそうな呼吸で言う。


 「良くもまあ、これだけ、アスカノールの、力を、使い、こなせる」


 だがその声は大きな音にかき消されアンクレイ博士には聞こえない。

 後ろに倒れるように自らに刺さった骨を引き抜き、胴体の傷を同時に癒していく。しかしそれをアンクレイ博士はよしとしない。

 太ももに刺さった剣を砕き破壊し、右足をフック状に変形させ、ハージ・ジェルクの左ふくらはぎに引っ掛け、大きく体勢を崩す。地面に背中をついたハージ・ジェルクを踏みつけるように剣山のようにいくつもの刃をつけた足に錬成、振り下ろし、せっかく再生した体を再び串刺しに、そしてそれと同時にアリスが白銀糸で大気を叩いた。


 いや、叩いたというよりも薙いだというべきか。

 音、それはとどのつまり物体による波である。ゆえに気体や液体といったものがなければ鼓膜へと伝達されることはない。ハージ・ジェルクが起こしているこの音は、錬金術により、物体を振動させ、人為的に波を発生、それを長期的に行なっている。

 ゆえにこの波を乱すもしくは真空状態になれば、この不快な大音量が鼓膜に入ることは無くなり、音の原点、つまり波の発生源を取り除くことができたのなら、音は完全に止まるだろう。

 そしてアリスが音の発生源を薙いだことにより、静寂の時が訪れる。


 耳鳴りがひどい中、ハージ・ジェルクが口を開く。


 「あまり、人の体を貫くものじゃないよ?」

 「そうね。私もそう思うわ」

 「なら足退かしてよ。いい加減重くて」


 いつの間にか鼓膜を治していたのかハージ・ジェルクは普通に受け答えしてくる。

 そしてその言葉にアンクレイ博士は一層、腹にかかる力を強くする。


 「おぉ、さらに重くなった。このままだと内臓が漏れそうなんだけど?」

 「そう。それは大変ね。足が汚れるわ」

 「ああ、あんたはそういう人だったね。やっぱり、あなたのこと好きになれそうにない」

 「気が合うわね。私もよ」


 アンクレイ博士はそう言いながらハージ・ジェルクの腹に突き刺した足を捻る。

 いつの間にかあたりは血の海と化している。それでもなお、彼が失血死しないのはおそらく錬金術か何かで失った血を補っているのだろう。

 アリスがハージ・ジェルクの四肢を縛り、天井と地面に固定。アンクレイ博士が足を抜き、アリスが宙に拘束する。


 「あいにく僕にこういった類の趣味はないんだけどな……というか、アリス、君、人を宙に吊るすの好きだね。僕の弟子たちにも同じようなことしてたよね?」

 「……うるさい」

 「嫌われちゃった。いや元から?」


 口が減らないハージ・ジェルクをよそにアリスがアンクレイ博士に抱きついた。


 「会いたかった。ずっと」

 「心配かけてごめん、アリス。助けてくれて、ありがとう」


 三十秒ほどだろうか。二人は相手の無事を確認するかの如く抱き合い続ける。その様はまるで宗教画のように美しい。

 そして感動の再会もひとしおにアンクレイ博士はどこか名残惜しそうなアリスを引き剥がし、今後についての話題を語り始める。


 「さて、これからどうしようか」

 「私はまだやることがある」

 「やること?」

 「うん、リリアお姉ちゃんを助けないと」

 「リリアお姉ちゃん?」

 「うん、長い黒髪の綺麗な人。お母さんも会ったことある……はず」


 アリスがどこか濁したような言い方をしたのが、アンクレイ博士がリリアと会ったのは理性と思考力を奪われたアスカノールの時だったからだろう。


 「確か……私がアスカノールの時に刺しちゃった子!?」

 「うん」

 「ということはあの子生きてるのね!」

 「うん、リリアお姉ちゃん以外のみんなも、生きてるよ」

 「よかった……後で謝りに行かないと」


 そう胸を撫で下ろすアンクレイ博士。

 当時は錬金術によりアスカノールとして思考も理性も奪われていたのだから、彼女が謝る必要性は特にないのだが、それでも謝ろうとするところが彼女の生真面目な性格を顕著に表しているだろう。


 不意にハージ・ジェルクが話し始める。


 「さて、親子睦まじく話しているところ悪いけど、そろそろこの感動劇も閉幕の時間だ。あと少しで次の役者がやってくる」


 その言葉に何とも言えない不気味で嫌な感覚を感じる。


 「アリス、僕は言ったよな?倒すではなく殺せと。そうしないと僕と君の実力は埋まらないって。それは白銀糸を錬成し、『ルーゼルバッハの石』の能力の一部を御するようになった今でも変わらない。その実力差は悲しいほどだ。だから、やっぱり、君は僕を殺すべきだ。殺すべきだったんだよ。大切なものを守りたいなら」

 「一体、何の話……?」

 「負け犬ほど良く吠えるって言うわよ、ジェルク」

 「確かに。なら二人ともよく吠えてくれよ?」


 次の瞬間、ハージ・ジェルクを拘束していた白銀糸が切断される。

 この異常性を瞬時に理解したのはアンクレイ博士ではなく、白銀糸の操り手であるアリス本人であった。

 白銀糸は本来切断は愚か、その繊維一つすら切ることすらできない。そういう物質で構成された存在なのだ。特殊な工程を踏むものの切断も加工もできるミスリル、オリハルコン、ヒヒイロカネ、キルライユ、メルトライラなどとは次元が違う。

 もし切断できるとしたらそれは白銀糸を使っている錬金術師本人が錬金術を用いて、二つに分けるぐらいだ。そう切断ではなく分離させるのである。


 「一体、どうやって……!?」


 アリスは明らかに動揺し、頬に冷や汗を流しながら驚く。

 それに対しハージ・ジェルクは、それを誇示するわけでもなく自慢するわけでもなくまるでそれがさも当然のように、何気なくアリスのその質問に短な一つの言葉で返した。


 「才能」


 その言葉が全てであった。

 ハージ・ジェルクという異常の天才を示すにはそれ以上の言葉はない。白銀糸を切断できたのにもそれが最も適切な答えであった。

 あれは技術や熟練度、経験値や実力でたどり着ける境地ではない。才能という特異性を持っているがためにできることである。


 ハージ・ジェルクが歩いた。走るでも止まるでもなく、歩く。まるで自らの隙をわざと晒すかの如く、悠然と冬の湖で白鳥が佇むように焦りも驕りもなくただただアリスの方へと向けて歩き出したのだ。

 瞬間、二人の思考が同時に動く始める。動揺からの解放。

 アンクレイ博士が自らの右腕を二股に分け、ハージ・ジェルクの体をがっしりと掴む。骨が歪んでいく音が聞こえる。アリスもまたハージ・ジェルクの頭部を狙って5メートル四方の鉄でできた立方体を投擲、その重量は人間を殺すには十分すぎる殺意を纏っている。


 地面が隆起、自らの右腕の下で錬金術を使うのが見えたアンクレイ博士は咄嗟に錬金拮抗で、その妨害を行おうとする。しかし、ハージ・ジェルクはわざと自ら錬金拮抗を起こし、アンクレイ博士に自分で地面を錬成させる。錬金拮抗が起こるタイミングを人為的にずらしたのだ。

 そしてその瞬間、ハージ・ジェルクはアンクレイ博士が自ら錬成した地面を錬金術で大剣を生成。下から上へ射出する。


 アンクレイ博士の右腕は大剣により斬られるというよりは叩き折られる。筋肉や骨が本来存在しない可動域方向へと曲がり、まるで穴の空いたワインの樽のように血が溢れ出ている。放置しておけば失血死しかねない量の血である。


 そして自らの顔面目がけ飛んでくる鉄の立方体は、それが頭に直撃する前にいつの間にか生成していた剣を振る。技はない。

 ただただその切れ味に任せ切り伏せているだけのことである。

 両断された鉄の立方体はハージ・ジェルクの頬を掠め飛んでいく。地面にぶつかったその鉄塊は重苦しい音を上げた。


 アリスが白銀糸を纏め上げ、錬金術でその先端につけた刃を振るう。直径5センチほどのナイフである。

 ハージ・ジェルクが錬成する剣ほどではないが、その切れ味は岩をも削り落とすだろう。つまり、人に向かって振るうものではない。だが、目の前にいるモノにはこれを振るうほどのことをしなければ勝てないと悟った。

 いや、今更悟ったところで、もう遅いだろう。もっと早くから気づくべきであった。


 白銀糸の先端のナイフが山形に動く。刃の角度が変わったり、その軌道が不規則に、本来の物理法則ではあり得ない動きをしているのは、アリスが錬金術によりその向かう先を細かく調整しているためだ。

 12本のナイフがついた白銀糸を操り、一秒間に27回のフェイントと54回の攻撃。その他ナイフをついていない白銀糸を使って、ハージ・ジェルクを攻撃するも、傷の一つは愚か、触れることすらままならない。


 剣で白銀糸を巻き取っては地面に突き刺し、使えなくし、新たな剣を錬成してすぐさままた白銀糸を巻き取る。それを何度も何度も何度も、繰り返し、じわじわとじわじわと、近づいてくる。

 それに合わせてアリスもまた後ろへと後退していく。それが意味するところは徐々に逃げ場を失っていっているという事実であった。


 アンクレイ博士が地面を掠めるようにハージ・ジェルクの足を薙ぐ。それを彼は柱を直撃させ、足を潰し防ぐ。アンクレイ博士は苦悶の声をこぼし、眉間に皺を寄せるもののまるで予想通りとでも言いたげな表情で、再生した右腕でハージ・ジェルクの右足首を掴み。アスカノールの能力である魔獣の能力を使える力で、『オスペル』と呼ばれる特殊筋肉を生成、自らにしようすることでわずか20センチという超小柄でありながら龍とも力比べをすれば負けないと言われる魔獣の力を使う。


 再生した時に右腕の中にオスぺルの特殊筋肉を埋め込んでいたのだろう。まるで全力でハンマーを奮って割った胡桃よ如く砕け散る。ハージ・ジェルクの体勢が大きく崩れる。

 それを好機と見たアリスがナイフ付きの白銀糸を地面を切断しながら6本を振り上げ、4本を薙ぎ、2本を振り下ろす。振るわれたナイフたちは白銀糸により補強され、ひと回り大きく、そして切れ味も良くなっている。他の白銀糸もまた結い上げ、ハージ・ジェルクを逃さないよう、吹雪のように四方から逃れようのない速さと鋭さで迫る。

 どれか一本一つでも攻撃があたれば、白銀糸はハージ・ジェルクを2度と決して逃さないだろう。そして当たれば他の攻撃もまた必中となる。敵へと当たった白銀糸はそれを中心に全ての白銀糸が収束させる。それはつまり、その間に何があろうと中心の白銀糸へ集まるということだ。その結末を想像するのは実に容易だろう。


 そしてアンクレイ博士もまた潰れた自らの足を引きちぎって、振る。鮮血が放物線を描きながら足を再生、体勢を崩したハージ・ジェルクの顔面に直撃、体を大きく後ろへとのけ反らせる。

 大量の白銀糸がハージ・ジェルクの体を貫き、ナイフ付きの白銀糸が大きくその体を切り裂く。


 アンクレイ博士がその手を剣に変形、心臓目がけて放つは、体重を乗せての全力の一撃。

 もはや白銀糸での拘束が不可能とわかった今、この場で彼を捕縛するのは事実上の不可能となった。彼の実力であれば、どれだけ私たちが思考を巡らせたところで意識があるのなら確実に拘束から逃れるだろう。

 となれば選べる選択は一つしかない。


 不意にアリスの声が聞こえた。

 その声にアンクレイ博士は思考の海から引っ張り上げられ、現実世界に意識が移る。そしてその時に見た景色はーー


 不敵に微笑んだハージ・ジェルクの顔だった。


 「お母さん!」


 心臓を狙ったはずの一撃は横に寄せ、ちょうど肺と心臓の間を貫く。

 アンクレイ博士は剣へと変形させた手を引き抜こうと抉るようにして手に力を入れる。しかし手はハージ・ジェルクの胸に刺さったまま、抜けることはなかった。

 錬金術による合体。アンクレイ博士の腕と自らの体を彼は意図的に繋げたのだ。


 アリスがナイフのついた白銀糸を操り、アンクレイ博士の腕を切り落とそうとする。それをハージ・ジェルクは飛んできた白銀糸のナイフの部分を掴み取り、アリスの方へと投擲。

 予想外の事態に思考が遅れたアリスは飛んできたナイフを避けきれず、左目に深々と突き刺さる。赤く染まった一瞬の視界の後、左目の視力が失われる。そして襲ってくるは激しい痛み。その痛みは悲鳴となって響き渡る。


 アンクレイ博士が叫ぶ。


 「アリス!?」


 アリスの元に駆け寄ろうと、手を抜こうとするもやはり抜けない、そしてハージ・ジェルクが不敵に微笑み言葉を紡ぐ。


 「アンクレイ博士、自分の心配をしたらどうですか?」

 「何を!?」

 「試してみましょうか。僕が彼と戦えるかどうかを!」


 その言葉が鼓膜を揺らした瞬間、不意に味わう無重力。足場が消え、物理法則に従い下へと落ちていく。そして落ちていく先は、無数の牙を揃えた怪物のごとき口の中。それはハージ・ジェルクが作り出したものであり、そこに命はない。ただ、そんなことを感じさせることもないほど、それは恐怖を煽り、まるで本当にその怪物がいるかのようにすら感じる。


 そしてその怪物はまるで、待ち侘びた餌がやっときたかのようにその口にアンクレイ博士とハージ・ジェルクが入ってくるのを大口を開けて待っているように感じた。


 アンクレイ博士は咄嗟に自由に動かせる左手を上へと伸ばし、その縁を掴もうとする。しかしそれをハージ・ジェルクは掴み引っ張る。背中から結晶体を伸ばしその側面に突き刺そうとするが、まるで粉砕機の如く回転し続けている側面にそれを固定する場所はない。

 明らかな殺意の塊であった。


 口が閉じられる。暗黒。黒。光のなき世界。閉ざされた狭き殺意。

 暗闇は恐怖を増幅させ、静寂は不安を駆り立てる。

 しかしそんな静寂ゆえにハージ・ジェルクのその言葉がよく聞こえた。


 「楽しみに待っていてください。愛娘に助けてもらえるのを」


 次の瞬間、始まる地獄のような時間。一秒が一分にも1時間にも感じる有限たる無限の時間。


 体が切られ、削られ、削がれ、抉られ、折られ、殴られ、蹴られ、擦られ、貫かれ、食われ、縛られ、毒され、砕かれ、繋がれ、潰され、握られ、裂かれ、溶かされ、曲げられ、剥がされ、分解され、結合され、融合され、破壊され、再生され、スライスされ、擦り下ろされ、鮮血が舞う。


 なまじ再生能力が高いがために失神すら許されない。アスカノールの力を有している弊害だ。

 視界が奪われているために、その痛みだけに集中してしまう。まるで本当に食われているかのような気分だ。

 傷を数えるだけ無駄。数えた側からすぐに増える。

 失った血を考えるだけ無駄。すぐにさらに失う。

 声を上げようと無駄。いくら絶叫してもこの苦しみと苦痛からは逃れられない。


 腕が裂かれ、筋肉、神経、血管、皮膚、肉に分解される。神経を直接逆撫でされるのは苦痛や不快を超えて、決して言葉にできない激痛である。それもそのはず、痛みそのものを司る部分を掴まれているのだ。痛くないはずがない。

 足から徐々に徐々に削られていく。何で削られているのか。最初は微かな痛みが次第に血が滲み出し、不快感を纏った痛みへと変わる。

 太ももからは直接、毒が注入される。吐き気、痛み、胸焼け、そしてありとあらゆる感覚に敏感になる。それが意味するところは全ての痛み、不快感、感情に常人以上に認識、理解してしまうのだ。まるで痛みや不快感、感情の標本を自らの体で試されている気分である。

 胴体は純粋に殴られる。重く響く痛み、体に痛みが走るたびに肺から無理やり空気を吐き出されるのがわかる。

 まるで全身が咀嚼されているかのような感覚だ。


 結晶体を生成し、周囲を無差別に破壊するも何かにぶつかり瓦解する音こそ聞こえど、アンクレイ博士への攻撃が止むことはない。それは錬金術を使っても腕を振るって薙いでも同じである。


 そしていくほどの時間が経った時、天井が破壊され、淡い光が差し込む。白銀の糸が全てを破壊しながら、アンクレイ博士の腕を掴み、引き上げる。

 それがアリスが操っているものと理解するのには痛みで鈍った頭でも時間はかからなかった。しかし引き上げている間も、怪物はアンクレイ博士への攻撃をやめない。まるで逃さないと言いたげに再生した右足を掴み下へと引き摺り込もうとする。

 アンクレイ博士はどうにか力を振り絞り、自分の足を掴んでてるアームのようなものを砕き破壊する。


 そしてその体が半分ほど怪物から顔を出す。


 「大丈夫、お母さん!!」


 アリスがそんな心配そうな声と表情で引き上げながら、駆け寄ってくる。その左目から血が垂れているもののすでにナイフは抜かれており、本人も落ち着いた様子であった。

 アンクレイ博士はそれに答えるように、潰された喉の代わりに優しく微笑んだ。


 バツン。そんな音が聞こえた気がした。


 「え?」


 気が抜けたそんな素っ頓狂な声をアリスは漏らした。

 理解できなかった。今、目の前で起きた事象に。

 喰われた。アンクレイ博士の下半身、腰から下が食いちぎられたのだ。少なからず、彼女にはそう表現するしかなった。

 アリスは無意識のうちに、そして引き込まれるようにアンクレイ博士に走り寄り、抱き抱える。


 そしてそれと同時にまるで世界の時間が逆再生されているかのように一箇所に霧が集まり出す。それは次第に人の形となって、一人の男となる。アンクレイ博士とともに怪物の中へと落ちていったハージ・ジェルクその人であった。

 そしてそれはエンリと初めて戦った時に見せた人体の気体化である。自らの体を霧へと変化させ、一切のダメージを受けず、あの怪物から脱出してきたのである。


 「どうだった?僕の気体化は?」

 「……」

 「あの学者くんに会ってから、練習した甲斐があったよ。おかげ君にそんな顔をさせることができる」


 そう言ってハージ・ジェルクは愉快そうにアリスの方を見た。

 その形相は怒り、悲しみ、後悔、苦しみ、殺意に染まり、手を強く握り込みすぎているのか、爪が皮膚を貫通し、穴を開け、血を流す。

 

 「やっぱり試すなら、実践で使わないと意味ないな。それはそうとどうやらお別れの時間が来たみたいだね」

 「は?何を言って……!」


 アリスはそういって視線を落とす。

 そこには傷口が大量の血を吹き出すアンクレイ博士の姿があった。

 下半身が再生するを待てるほどの血の量ではない。明らかに今すぐ治療が必要な傷である。

 アリスもまたアンクレイ博士の下半身の再生を助けようとするも、錬金術による1からの人体の錬成は非常に難易度が高く。そもそも錬成すべき人間の体を隅々まで知っていなければいけない。そのため『ルーゼルバッハの石』でも錬成は難しいのである。

 つまり、今、アリスにできることは何もないのである。


 それと同時に天井が砕け、埃が舞う。そして埃の先に一つの人影が映った。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

ブクマや感想、評価などよろしくお願いします。

作者の完全に趣味な小説にブクマが100人もありがとうございます。

これからも暇な時にでも見てください。


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