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賑やかな夜

 時刻は夜7時を過ぎた頃。普段であれば煌びやかで賑やかな街道沿いとは裏腹に静かでどこか落ち着いた雰囲気を持つ閑静な路地裏は、今日に限ってはいつもとは違いどこか楽しげな声が響いていた。


 「アリスさん!ちゃんと髪乾かしましょ!」

 「やだ……助けてリリアお姉ちゃん、セレンが私をいじめる……」


 透き通るような白い肌に、純白で白銀の雪を思わせる白の髪。淡白な表情に、華奢な体、その整った顔立ちはどこか人工的で、ひどく美しい。かつての著名な彫刻家たちが清純さと美しさ、純粋さを表現するとしたら彼女のような姿になるだろう。それほどのまでに彼女は美しく、愛らしく、恐怖を覚えるほど芸術的だ。


 そしてそんな少女が濡れた髪と水滴が滴る体をそのままに、一糸纏わぬ姿で現れる。

 その背後では慌てたようにバスタオルを強く握りしめ、少女を追いかけるこれまた年若い少女の姿があった。


 アリスのそんな声に厨房の方から顔を覗かしたリリアにとててて、と近づきぎゅっと抱きついて、その顔をリリアのエプロンに埋める。

 その姿はどこか母親に甘える子供のようで微笑ましい。

 そしてリリアもそんなアリスを決して引き剥がそうとはせずに、優しい母性溢れる笑顔で眺め、腰を落とす。


 「アリス、しっかり乾かさないと風邪ひいちゃうよ?」

 「だって、セレン髪拭くの長いんだもん」

 「いや、だってそんな綺麗な髪なんだものしっかりお手入れしないと損よ。というかなんで、リリアさんはお姉ちゃん付けで私は呼び捨てなの!?」

 「リリアお姉ちゃんはお姉ちゃんだけど、セレンはセレンだから」

 「どういうこと!?」


 二人のやりとりはどこか仲のいい姉妹のようだ。

 リアナは腰を落とし、アリスと目線を合わせて言う。


 「確かに髪を乾かすのは大変よね……そうだ。しっかり髪を乾かしてきたら、一緒に料理を作りましょ?作ったことある?」


 首を振るアリス。


 「何を作るの?」

 「そうね……パスタやスープ、チキンにサラダ。今日は人が多いから、手伝ってくる人が欲しかったの」

 「私にもできるかな?」

 「ええ、もちろん!でも、その前に先に髪を乾かしてからね?」

 「はい」


 セレンはリリアの言葉を素直に受け入れたアリスを見て心の中で酷く感心する。どうやら、随分と子供の扱いに長けているようだ。

 その上、突然、テロリストに狙われている正体不明の少女を受け入れてくれと言って二つ返事で、受け入れてくれる人間はそう多くないだろう。むしろほとんどの人物は彼女を忌避して距離を置くなり、遠ざけたりするものだ。

 父親であるヨラルさんが受け入れたからと言ってそう簡単に受け入れれるものでもないだろうに。

 随分と優しい人だ。エンリがここにくる前に彼女のことを料理が美味しい聖女のような人だと評していた。その理由が今ならわかる気がする。


 セレンたちが風呂場で戻っていくのと入れ違いにロビーの扉の開く音がした。


 「ありがとう、ヨラル。アリスを受け入れてくれ」

 「何、子供一人保護するぐらいわけないさ。それにハンからのお願いだしな」

 「それにしてもエンリ、君が普段どんな生活を送っているのか、非常に気になるよ」

 「普通だよ、普通」

 「いやいや、普通を名乗るには少しおもしろすぎるよ。一体、どんなふうに過ごしてたら、賢者の天秤なんていう、名の知れた組織から逃げてきた子供を保護して、その上、その組織の幹部と一線交えるなんていう、刺激的な日常を送れるんだ」

 「どう?ならキリヤも一日一緒に過ごしてみるか?もしかしたら、今日みたいな出来事に会えるかもよ?」

 「ははは、遠慮しておくよ。僕は今の生活に満足してるからね」

 「そうか、そいつは残念」


 そんな風に三人が宿の中へ入ってくる。

 楽しげに会話をする三人のその雰囲気こそ、落ち着いているものの、その話の内容は随分と物騒である。


 「三人とも、おかえり」


 三人に気づいたリリアがそう挨拶するとエンリ達が「ただいま」と返すと、そのままの流れで近くの席に座り込む。

 その様子はどこか気が抜けたようにも感じる。少なからず、エンリは他の二人に比べだいぶ疲れている印象だ。まあ、数日前の戦闘時の後遺症の完治していない上での、あの激しい戦闘だ。消耗しない方がおかしいだろう。


 今振り返ると、山を降りてから本当に予定が過密だ。

 今まで山の中で研究をしながらのほほんと過ごしていた俺が、これだけのハードスケジュールについていけていることに、そろそろ誰か褒めくれてもいいと思う。少なからず、山の中にいた時よりも、濃い日常を過ごしていることは確かだ。


 「あれ?アリスは?」


 エンリがふと気づく。宿を出て行く前には確かに、この場所でジュースを飲みながら、セレンに質問責めにされているアリスの姿があった。

 しかし今となっては、アリスは愚か、セレンの姿も見ることはできない。


 「二人なら今、お風呂場で髪を乾かしてるわ。多分、あと少しで出てくるんじゃないかしら」

 「なるほどね」


 よくよく耳を凝らせばお風呂場の方から、ドライヤーのような音が聞こえてくる。それにアリスは出会った時、あれだけ汚れていたんだ。汚れを落とそうと、誰かが風呂に入れるのは必然であった。

 そんなことを考えながらテーブルの上でだらけていると、リリアが気を利かせ、三人の元に冷えたお茶を持ってきてくる。


 「疲れたでしょ?あと少しでご飯ができるから三人はここで休んでて」

 「ありがとう、リリア」

 「ありがとう」

 「悪いな、リリア」


 三人はそんな風にお礼の言葉を言うと、その疲れて乾き切った喉にお茶を流し込んだ。

 昼間の肌を焼くような日光は夜になるその鳴りを顰めたものの。今となっては、初夏特有のじめじめとした湿度の高い空気が身体中を舐め回すかのようにまとわりついてくる。

 その空気のせいで、体感的には昼も夜もその温度に大差ないものとなっていた。


 「あ、エンリお兄ちゃん、おかえり」


 そんな声が聞こえ、エンリは無意識に声の方へ視線を向ける。

 そこには白雪のような透き通った純白の髪。その白い肌には赤の瞳が映える。白のワンピースを着た少女はどこか絵画の一つや二つにでもなりそうなほどの芸術を体現したかのような美しさである。しかし同時にその整いすぎた美しさが、どこか自然の摂理に反したもののように見えて、恐怖すら感じてしまう。


 「ただいま、アリス」


 そう答えるエンリのもとでヨラルがどこか懐かしそうにアリスのきているその服を眺める。


 「それ昔のリリアの服か……」

 「さっき綺麗にしまってあったのを持ってきたの。サイズもちょうどだったよかったし、何より似合うでしょ?」

 「ああ、そうだな」


 その服はまるで狙い澄ましたかのようにアリスの体に合っており、まるでこうなることが必然とでも言いたげ物言いさえも感じる。そしてしばしリリアはその服を着るアリスを眺めたあと、言う。


 「それじゃあ、アリス、約束通り、一緒に料理やろうか」

 「うん、やる……」


 リリアはアリスを連れて厨房の方へ向かう。そしてそれと同時に、入れ違いになるように奥の方からセレンが顔を出す。


 「あれ、エンリさんたち、戻ってきていたんですね?」

 「ああ、ついさっきな」


 そこにいるセレンの格好は先ほどまでの軍服に鎧姿ではなく、ラフで可愛らしい部屋着だ。その上、前髪をピンで止めているせいか、その雰囲気は今までのものとは随分と変わって見える。

 そしてそんなセレンが、その服装とは場違いな厳かで丁寧なその口調で言った。


 「ヨラルさん、今回は軍への協力ありがとうございます」

 「何、旧友の頼みだ。これぐらいなんてことないよ」

 「ですが、本当なら皆様を巻き込まないで済んだ方法があったかもしれないですから」


 エンリはそんなこと言っているセレンを見ながら、コップに入ったお茶を飲み切る。


 他の方法。確かに他の方法もあったのかもしれない。だが、そんなことを考える暇はなかった。いや正確には選択する余地がなかったと言ったほうがいいかもしれない。

 少なからず、あの時俺にできることは何一つしてなかっただろう。


 そんなことを思いながら、飲み切ったコップの中を眺め、セレンのどこか困ったような不安げな、その申し訳なさそうな表情を見ていた。


ーーーーー


 時間は遡ること数時間前、ハージ・ジェルクとの戦いを終えたすぐのことだった。

 周りには激しい戦いの痕跡が生々しく残っている。まるで一つの災害が通り過ぎたかのような光景だ。ハージ・ジェルクの放った荷電粒子砲は周囲の建物をことごとく破壊し、地面は根元から剥がされたような状況になってしまっている。


 今回の戦闘において唯一幸いなことがあったといえば、一般人の中に死傷者が出なかったことだろう。

 あれだけ派手に戦い、最後には荷電粒子砲が放たれたというのに随分な奇跡だ。


 エンリは手に持ったトランクケースについた埃を払う。

 その胸の内は非常に思う。まるで体の中に鉛でもいれられたかのような気分だ。


 「さて、エンリさん」

 「はい……」

 「事情聴取の時間です」


 セレンが粛々と言う。

 先ほどまで手に握られていた剣こそ鞘に収められているものの、どこか警戒心と疑心に満ち溢れた瞳がエンリに降り注がれる。これから始まるのは事情聴取とは名ばかりの尋問。

 少なからず、今の俺は憲兵にとって国際指名手配犯であるジェルク・ヒュードと深く関わった重要人物、その上、今回のハージ・ジェルクとの戦闘の関係者でこうなって事情を詳しくする人物の一だ。そんな人間をそう簡単に宿へ帰してくれるとは思ってはいない。


 視線を横へ向けるとそこには、少し離れた場所で憲兵が設営した仮設テントの下、アリスとリアナがココアを飲んでいる。

 できることなら俺もそっち側に混ざりたい。しかし、今のアリスには誰か一人、そばに入れる人間が必要だろう。そばに居て安心できるような誰かが。

 そして俺ではなくリアナの方が適任だ。


 彼女はどこか強気で自分勝手なところもあるが、面倒見が良く、些細な変化や違和感にも気づく。現にアリスがお腹を鳴らした時も、その食事の席に率先して招き入れたのはリアナだし、アリスが裸足であったことにも俺より早く気づいていた。

 そんな彼女なら、アリスのそばにいれば嫌でも世話を焼くだろうし、感情をあまり前に出さないアリスの些細な変化にもすぐに気づいて対応してくれるだろう。


 そんなことを考えながら、リアナたちの方を眺めていると、アリスが手を振ってくれる。

 それに応えるようにエンリは小さく手を振る。

 そして手を振りかえしてもらったことが嬉しかったのか、アリスはどこか楽しそうに肩を揺らす。そして隣にいるリアナに話しかける。

 その内容は聞き取ることはできないが、どこかリアナがアリスの提案を拒んでいるように見える。


 しかしどうやら、リアナ特有の甘さが出たようで諦めたような、どこか恥ずかしげな表情をして、頬を赤く視線を背けるようにして、エンリに向けて小さく手を振る。

 その視線はあらぬ方向へ向けられていて、その恥ずかしさを誤魔化すようにココアは飲んだままだ。

 その隣ではアリスもまた手を振っている。

 その光景は、どこかアリスとリアナが親子のように見えて微笑ましい気持ちになる。

 エンリもまたどこか嬉しそうな表情を浮かべ笑顔で手を振りかえした。


 「随分と仲がいいんですね?」


 セレンが手に持った書類に何かを書き込みながらそうエンリに言う。


 「まさかエンリさんとリアナが友人同士とは思ってませんでした」


 どうだろう?俺とリアナの関係は友人と言っていいものなのだろうか?今日だって、結局のところ先日、彼女を助けた時のお礼に食事を奢ってもらっていただけだ。いやまあ、その食事も食べる前に全て、ハージ・ジェルクたちの手によって無くなってしまったわけなのだが。

 今の所詮は、アリスという一人の少女の存在によって支えられている関係には変わりない。そんな関係のことを友人などという名で呼んでも良いものなのだろうか?

 側から見れば今の関係は友人関係とさほど差異のないものようだが。


 「まず聞きたいんですけど、なんでジェルク・ヒュードとエンリさんが戦っていんですか?」

 「あー、なんて言えばいいんだろう?一言で言えば、人助けかな?」

 「人助け?」

 「人助け」

 「え?人助けで、ジェルク・ヒュードとかいう、危険人物と対峙してたんですか?無謀すぎません?せめて、しっかり憲兵を呼びましょ?」


 ふむ言われてみれば、国際指名手配されている危険人物と大立ち回りする必要性があったかどうかというと疑問だ。最初からさっさと、アリスを小脇に抱えて逃げてもよかったかもしれない。

 だがまあ、あの熟練の錬金術師から逃げれるかどうかとかなり難しいだろう。もし俺たちが逃げていれば、無理にでもアリスを回収しようと、あの荷電粒子砲を撃ち放っていたかもしれない。そうなればなんの用意もしてなかった、俺たちはもちろん、街そのものが消し炭になっていてもおかしくなかった。

 結局のところ結果論にはなるが、無駄に被害を広げることなく、この場だけで収めた考えれば、今回の行動は別に間違いではないだろう。


 「なるほど……リアナと一緒にいるあの少女がその人助けの相手ですか?」

 「御明察」

 「あの子一体何者なんですか。確か、ジェルク・ヒュードに200番って呼ばれてましたね?」

 「名前はアリス。賢者の天秤から逃げ出してきた……人間だよ」


 エンリは一瞬、言い淀みそう言った。

 周りには大勢の人がいる。それは軍人から一般人まで多くの人間がいるのだ。


 「賢者の天秤から逃げ出した!?」

 「なんでも、実験体だったらしい」

 「実験体!?要保護対象じゃないですか!?なんでもっと早く行ってくれないんですか!?」

 「聞かれなかったから」

 「そうですけど!?というか、賢者の天秤が人間を実験動物にしてるっていう噂は本当だったんですね。一体、どれだけ罪を重ねれば気が済むんですかね……」


 ここまで事情聴取されていてふと疑問に思う。一体、なぜ、俺はセレンに話を聞かれているのだろう。

 いやもちろんこの国の兵士であるセレンに話を聞かれること自体は別に問題ではないのだが。問題はなぜセレンなのかと言うことだ。

 周りを見渡せば、セレンよりも軍歴も歳も上の人物が何人もいる。おそらくその中にはセレンよりも階級の高い人間も一人や二人はいるだろう。少なからず、門の受付をやっているような新兵よりもふさわしい人物がいるはずだ。


 しかし、なぜ国際指名手配されているような重要人物につながるような人間の情報を持っている俺への聴取をそんな新兵に任せているのか不思議でならない。

 そしてその疑問は好奇心を動力源に、ふと口からこぼれる。


 「一つ質問してもいい?」

 「なんですか?」

 「なんでセレンが俺たちの聴取を?」

 「質問の意図がわかりません。軍の人間なんだから聴取を取るのは当たり前でしょ?それとも私に話を聞かれるのが不服ですか?」

 「いやそうことじゃなくて、憲兵の新人より国際指名手配犯の情報を持っている相手なら特別な対策部隊がいてもおかしくないから、なんでセレンが聴取とってるのか不思議だっただけ」


 ふとセレンが手に持ったペンが動きを止める。

 先ほどまでの心地よい音がなくなり、まるで周りも気を計らったようにピタッと音が止む。

 静寂だ。不安になるほどの静寂である。


 「新人……?私が?憲兵の?」


 おっと、どうにも雲行きが怪しそうだ。

 そしてセレンが頬を膨らませ言う。


 「私は憲兵でもなければ、新人でもありません!!」


 その言葉にエンリは目を見開いて驚く。

 そしてしばし混乱したような思考が纏まっていない口調で、


 「え、いや、でも街の門のところで俺の受付してたよね?不慣れな感じで」

 「人手不足だからハンさんに手伝わされていたんですよ!」

 「じゃあ、俺を牢屋から出してくれた時いたのは?あれ憲兵の仕事でしょ?」

 「エンリさんを担当した人間だったのと、他の子が液体魔力とかヒュドラの牙を持ってるあなたに怖がって近づきたがらなかったので、私が行ったんですよ!」


 エンリは小さく深呼吸する。

 今思えば、セレンを憲兵の新兵だと思っていたのは、最初に出会った時あの門で受付をしていたからだ。あの何処か緊張した雰囲気と、他の門番とは違うこわばった表情がまだ慣れていない新兵を彷彿とさせたからだ。

 だが、あれがもし、突然ハンに頼まれ、やったこともない門番として受付の仕事をしていたのだとしたら、そのこわばった表情も納得ができる。


 それに俺はあくまでセレンのことを憲兵の新兵だと思い込んでいただけで、ただ一度たりともセレンの口から憲兵や新兵などという言葉は聞いていない。


 「いいですか、エンリさん。これでも私は軍では優秀なんですよ!」

 「そうなの?」

 「そうですよ!」


 そういってセレンは胸を張るように軍服につけられた紋章を見せつけてくる。

 それはこの国の軍において少尉の階級を示すエンブレムであり、彼女の年齢から見てもその階級に席をいていると言うことは相当の実力者であることが窺えた。

 そういえば、先ほどのハージ・ジェルクとの戦闘においても物怖じするどころか、率先して前線に出てきて対峙していた。それに彼女が先ほど見せたあの攻撃は、魔術の中でも高等魔術に分類される座標魔術。空間を<x,y,z>の座標軸として考え、術者が指定した場所へ、斬撃や物体、時には現象すらを移動させることができる魔術の一つだ。


 その難易度からこの世界において、魔術師は星の数ほどいるものの、この魔術を行使できる魔術師はそう多くいまい。

 というか、普通は軍のエンブレムを見せられたところでその階級を判断などできないだろう。まさか家で嫌々学ばされていた軍の知識がこんな形で生かされるとは思わなかった。


 「って!こんな話をしてる場合じゃないです!早く、アリスさんの保護要請をしないと」


 そういってセレンは軍服の下から取り出した小型の魔導具を耳に当て、エンリから少し距離をとる。


 エンリはそんな様子を眺めながら、セレンの手に握られた魔導具を眺め見る。

 初めて見る魔導具だ。俺が山に篭る前に存在していなかった物である。一体どんな仕組みなのだろう。声や思念を送る魔術や魔法はいくつか思いつくがそれとはまた別の技術を使っているのだろうか。

 後でセレンに頼んで、少し見せてもらおう。


 「エンリお兄ちゃん、これ」


 ふと横を見るとそこにはアリスが暖かいココアを持って立っていた。


 「欲しそうにこっちを見ていたから……」

 「ありがとう」


 そういってエンリはココアを受け取る。

 正直な話、この炎天下の中、これだけ熱々のココアを飲むのは軽い苦行だが、わざわざアリスが持ってきてくれなかったものを飲まないのはちょっと良心が痛む。

 エンリは受け取ったココアをググッと飲み干し、その熱に顔を顰めそうになるものの、余計な心配はかけまいと、平然を装う。


 「どうだった?美味しかった?」

 「あ、ああ、美味かったよ」

 「本当?ならもう一杯、持ってくるね」


 アリスはそういうと、テトテトと返事を聞かずに戻っていく。エンリは少し離れたところにいるアリスに「次は冷たいココアをお願いしたいな」というも、その声は周りの喧騒に揉まれ潰され、消え失せる。

 この調子ではもう一杯、熱々のココアを飲むことになるだろう。


 「はい、はい……わかりました」


 そんなことをしているとセレンがやることを一通り終え、エンリの元へ戻ってくる。


 「エンリさん、アリスさんの保護要請、問題なく通りそうです」

 「オッケー、どこで保護するの?やっぱり軍の施設?」

 「そうですね。『賢者の天秤』がアリスさんを狙っているなら、それなりの警備も必要ですし、そうなるでしょうね」

 「そっか……セレン、一つ頼みたいことがあるんだけど」

 「なんですか?」

 「アンクレイ・ジェニバーという人物についての情報が欲しい。できれば、今どこにいるのかを知りたい」

 「アンクレイ・ジェニバー?確か、アンクレイ・ジェニバーって……」


 エンリはセレンが次の言葉を言う前に、声を発する。


 「彼女はアリスの母親なんだ。アリスを逃すのを手伝ってくれたらしい」

 「え?アリスさんの母親……?」

 「アリスは彼女にこの街に行くよう言われたらしい。この街なら『賢者の天秤』も下手に行動できないって……」

 「待ってください!情報が多すぎます!アリスさんは実験動物にされていて、そのアンクレイって女性に助けてもらったんですよね?それに彼女は……まさか……!」


 セレンはどこか信じられないような表情と共に恐怖にも似た感情を見せる。

 しかし自分の頭に生まれたその疑念を払拭するように、どこかそうあって欲しいと願うように言う。


 「いや、待ってください!そんなことありえません!そんなこと今の技術では不可能です!」


 どうやら、セレンが行き着いた答えは俺とそう遠くないもののようだ。


 「だって、それじゃあ、彼女は人間じゃ……!」

 「セレン!」


 エンリはセレンのその言葉の先を止めるように叫んだ。

 セレンもまた自分が言おうとしたその言葉の残酷さに気づいたように両手で自分の口を塞ぐ。

 そして周りを見渡す。

 そこには先ほどまでと同じように働いている軍人や事情を聞かれている一般人がいるだけで、セレンのその言葉を聞かれた様子はなかった。


 「すいません」

 「大丈夫だ。信じられないのもわかる。俺も半信半疑なんだ」

 「……エンリさんはなんでこの事実に気付いたんですか?」

 「俺は彼女の書いた本を持ってたし、それに彼女は有名人だったから悲劇の天才錬金術師として」


 二人は沈黙する。

 そしてその沈黙を破るようにエンリの後ろからアリスがひょこっと顔を出す。


 「どうしたの、エンリお兄ちゃん?」

 「うん?いや、なんでもないよ。少し、セレンとどっちの方が長く息を止められるか勝負していただけだ」

 「そうなの?」

 「え!?そ、そうです!!そうなんですよ!エンリさんがどうしても息止め勝負したいっていってたから、一緒にやってあげていたんです」


 随分と雑な言い訳だ。自分でもどうかとおもう。

 あまりにも雑な言い訳をしすぎたせいで、セレンが動揺している。どうやら彼女はあまり嘘が得意なタイプの人間ではないようだ。


 「それでどっちが勝ったの?」

 「もちろん俺だな。勝負にもならなかったよ」

 「そうなんだ……はい、これココア。兵士さんに頼んで、さっきより熱々なのを入れてもらったから美味しいよ」

 「あ、ありがとう」


 受け取ったコップは先ほどのココアとは尋常にならないほど熱を帯びている。下手すれば火傷してしまいそうだ。アリスにとっては粋な心遣いなのかもしれないが、その心遣いがエンリの喉と体力を確実に着実に奪っていく。


 「どう、ココア?美味しい?」

 「う、うん、美味しい……とても美味しいよ」


 その声には覇気がなくどこか弱々しい。

 隣ではセレンがどこか哀れみの目でこちらを見ながら、近くの兵士からもらった配給の冷たいお茶を飲む。

 なんと言う当てつけだろう。この真夏のような日差しの中熱々のココアを飲む人間の前で、冷たいお茶を飲むなんて。しかしやはり、アリスに悲しい顔をさせたくないのでそんなことは口が裂けても言えない。


 「アリス、どう?エンリ、ココア喜んでくれた?」

 「うん、喜んでたよ」


 そういってリアナが3人の元へやってくる。

 どうやらことの全ての元凶は彼女だったらしい。一体、なんの嫌がらせか。随分なことをやってくれる。

 ふとセレンの小型無線機が鳴る。


 「もしもし、セレン・リオキルです。……なるほど、了解しました」


 セレンはそういうと無線を切り、上着の内ポケットへしまいこむ。


 「申請通ったって」

 「随分と、仕事が早いんだな?」

 「私の部下は有能だからね」


 そうどこか自慢げに鼻を鳴らす。


 「申請ってなんの話?」

 「うん?あ、そっか、リアナたちにはまだ話してなかったね。先に話しておかないと」


 そういってセレンは一度咳払いをし口を開く。


 「エンリさんから話を聞いた限り、アリスさんの安全や状況を考えたら軍で保護した方がよさそうだったから、色々、準備してもらったの。まさか『賢者の天秤』に狙われている子を放置はできないでしょ?また次、襲われる可能性もないわけじゃないわけだし」

 「まあ、確かに。私たちが個人的に保護するよりも軍で守ってもらったほうが安全だろうけど……」


 リアナはそこまで言って、視線を落とす。

 そこにはリアナの後ろでどこか怯えたように隠れるアリスの姿があった。今のアリスからは先ほどまでのどこか明るい様子とは打って変わって真逆の印象すら受ける。

 セレンは腰を落とし、アリスにその視線を合わせ、


 「えっと、アリスさん?お姉ちゃんと一緒に安全な場所に行かない?」


 随分と下手な誘い文句だ。まるで不審者のような物言いにも感じてしまう。

 しかしそんな謳い文句にもアリスはどこか緊張したような口調で口を開く。


 「私は、まだお母さんを見つけないといけないし、それに……リアナお姉ちゃんとエンリお兄ちゃんから離れたくない……」


 そう言ってアリスはリアナとエンリを引き寄せ、二人に抱きつく。


 「だそうだ。さて、どうする?」

 「どうするって聞かれても困ります……」

 「できれば私もアリスと離れたくはないかな。歳の離れた妹ができた感じだし。それにここまで心を開いてくれたんだから、それを無碍にはしたくないかな」

 「うーん……」


 セレンは唸り悩む。彼女もまたアリスの状況を知っているせいで、ノーとは言いにくいのだろう。研究所で実験体にされていた少女が、この街から出たくない。ましてや俺やリアナから離れたくないと言っている。

 普段ならどうにか説得して保護をしていたのだろうが、セレンはもう一つの可能性を知ってしまっている。そのことが余計にセレンを悩ませるのだ。

 もしその可能性が真実であるのならば、今、心の開いているリアナやエンリから引き剥がすのは酷な上に、その結果が最悪の状況を招かない保証はない。


 おそらく見知らぬ人の中で心を開ける人間もいない状況は小さな少女にとっては随分と精神的に辛いだろう。そのこともわかってしまうからこそ、悩んでしまう。


 しばらくの思案の後、セレンは嘆息し、その上着から小型無線機を取り出す。


 「ちょっと待っててください。ハンさんに相談してみます」


 セレンは手慣れた手つきで、ハンへ連絡する。


 「もしもし、ハンさん。少し相談があるんですが?え?違います!恋愛相談ではありません!……本当ですよ、もう……ええ、それで相談というのが、さっき保護を申し出た女の子がエンリさんたちと離れたくなって言っていて、それでできれば私も彼女の意見を尊重してあげたくて……はい、そうです。それで何かいい案ありますか?」


 会話の内容を聞いている限り、どうやらハンも今回の件は把握しているようだ。いやまあ、休みの日でもこれだけの大ごとなら連絡の一本や二本が言ってもおかしくはないだろう。


 「え!?本当ですか!?はい、はい……え?それってありなんですか?……いや、でもそれだと彼らを危険に晒すことになりますよ?私がですか?……確かにそうですけど……え?あの伝説の!?……いや、そうですけどこれとそれとは別問題です!……他にいい案ないんですか?……えぇ……え?エンリさんに変わればいいんですか?別にいいですけど。……エンリさん、ちょっといいですか?」

 「何に?」

 「ハンさんが話したいらしいです」


 そう言ってセレンはエンリにその無線用の魔導具を渡す。

 しかし残念ながらエンリはこの魔導具を使用方法を知らないのだ。首を傾げながらセレンに聞く。


 「これって、どうやって使えばいいの?」

 「ああ、これはこの部分を耳に当てて、ここに話しかければ相手と会話できますよ」

 「あー、なるほど……話しかけれるのはどこか式神に仕組みが似てるな。……もしもし?聞こえてますか?」

 『エンリ、さっきぶりだな?』

 「確かに、言われみればさっきあったばっかだったな」

 『お前、一体、この数時間の間に何があったんだよ。なんでもジェルク・ヒュードと一線交えたとか』


 どこか呆れた様子のハン。

 すごいなこの魔導具、ここまで相手に負担をかけないで遠くの人間と会話できるなんて。魔法や魔術の通話魔法たちは基本、思念を送ったり、音を直接、頭に送ることが多いから、受け取り手の負担がでかいんだよな。

 そんなことを一人考えるエンリ。


 『まあ、雑談は置いておいて、本題に行こうか。セレンから聞いた話だと、その女の子がお前と離れたくないんだろ?』

 「まあ、そんな感じかな?」


 厳密にはもう少し違うのだが、別にこの話において全てが当たっている必要はないだろう。


 『ならいい方法がある』

 「その方法って?」

 『ヨラルの宿で保護する」

 「は?」

 『あそこならお前と離れないで済むし、こっちとしても液体魔力を持っているような危険人物と保護対象を同時に監視ができて、警備しやすい。それにあそこなら人が少ないから怪しい奴がいればすぐに発見ができる』

 「いや、俺はそれでもいいけど、それだとヨラルたちに迷惑がかかるんじゃ?それに警備をするって言ってもあそこら辺は道が狭いから兵を配置しにくいんじゃ」

 『ははは、それなら大丈夫だよ。ヨラル、昔からこういうのをほっとけないタチだから。警備に関してもセレンを宿に泊まらせればいい。外を千の兵士で守るよりも頼りになるよ。それにヨラルもいれば、ジェルク・ヒュードと戦ったお前もいる。十分すぎる戦力だろ?』


 確かに言われてみれば、元軍人と現軍人のヨラルとセレンがいて、そのうちセレンは『賢者の天秤』と戦うために組織された特殊部隊の一員だ。

 その他にも外を監視、警戒するための兵士も少なかず配置されるだろう。そうなれば不特定多数が出入りする軍の施設よりも、人がそうそうくることのないあの路地裏の宿なら、簡単に敵の姿を見つけることができるかもしれない。


 少なからず敵が見つけやすいという利点については軍の施設よりも優れているかもしれない。

 そもそもハージ・ジェルクたちが今すぐにアリスを奪い返しにくるとは到底思えない。彼らが何を企んでいるかはわからないが、少なからず、今日や明日には来ないはずだ。

 それに今回のことで『賢者の天秤』がこの街に潜伏し、アリスを狙っていることが露呈した。そのせいで彼らの行動は相当制限されるはず。そうなれば今日のように正面切って、アリスを奪還することは難しいだろう。


 「まあ、一理ある……」

 『だろう?それじゃあ、ヨラルには俺から連絡しとくから』

 「え、ちょ、待っ……切られた」

 「ハンさんはなんて言ってましたか?」

 「ヨラルにはハンが連絡してくれるって」


 エンリはセレンに魔導具を返しながら、そう返す。

 だがまあ、アリスの秘密がバレづらくなったという点においては今回の話も悪い話ばかりでもないだろう。


 こうしてアリスはあの路地裏に存在する古びた宿『路地裏宿』にて保護されることとなったのだった。

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