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狭い世間<錬金術師>

 痛いほどに響き渡る鈍く低い音。

 トランクケースで思いっきり殴られるなどという予想外の攻撃にローブの人影は防御することも受け身を取ることもままならずに、横に吹き飛ぶ。

 体を一度、二度、三度と転がし、錬金術で作り出した壁によって受け止められる。

 派手に吹き飛んだせいか顔を覆っていた部分のローブが剥げた。

 そしてその顔に声を上げたのはリアナであった。


 「その顔、ジェルク・ヒュード!?」


 ローブの人影の顔は目から下が頬まで切り裂かれ、左目は十字に焼かれた後がある。

 そのせいか彼の目は潰れ、上と下の瞼がくっついている。


 ジェルク・ヒュード。希代の天才にして純粋なる殺戮者。錬金術至上主義の過激派『賢者の天秤』と呼ばれる組織の実力者であり、世界中で指名手配されている危険人物である。

 今までに殺した魔法使いの数は確認されているだけでも三百人以上、魔術師は二百人を超え、彼が計画したとされるテロでの死傷の数は五百人を優に超えていた。

 彼は自らの行いを正義だと、錬金術こそ至高だとし、特に疑問も抱かず行動しているが、その心は根っからの悪であり、他人が傷つこうが同じ錬金術師が死のうが、彼にとってはつまらない日常であり、瑣末な問題だ。

 その上、いつからか人を殺すことに悦を見出した狂人でもある。


 「ジェルク・ヒュード……懐かしい名だ。そして今となっては未熟で苦い思いを思い出させる忌々しい名前でもある……」


 ジェルクは先ほどエンリから受けたダメージをものともしてないのか、特に何かに捕まることもなくスッと立ち上がる。

 そしてリアナの方を指差して、語る。


 「いいか、魔導具使いの女。今の僕はジェルク・ヒュードではない!ハージだ。今はハージ・ジェルクと呼ばれている」


 その言葉を聞いてエンリは言い得て妙だなと一人納得する。

 ハージ、それは古い言葉で錬金術師、それも他の錬金術師へ指南する立場の者に与えられ、一部のものだけが名乗れる大錬金術師を示す言葉であった。

 実際、この男の錬金術の腕は本物で、おそらく彼の横に並び立つ人間はそう多くはないだろう。

 そのため大錬金術師を示すハージを名乗るのも不思議ではなかった。


 ハージ・ジェルクが腕を振った。

 飛び出るは無数の剣。それらが宙を舞い飛翔する。狙いはエンリ。扇状に広がるその剣を避けることは難しいだろう。それにこのまま行けば、後方にいるリアナたちにも傷がつくだろう。

 エンリは地面を叩くように弾き、土でできた壁を生成する。その壁はまるで生き物のように隆起し、軽々と飛んできた無数の剣を全て、飲み込んだ。


 「錬金術!魔法使いが忌々しい!」


 一度殴られたせいで頭が冷めてしまったのか、先ほどのように激昂して襲ってくる様子はない。

 しかし、彼の腕前からして冷静になられるのは少しまずい。

 ふと自分の周りを見渡すと三人のローブ姿の人影に囲まれているのに気づいた。

 彼らの手には欠けた六芒星の錬金陣が描かれている。そしてその錬金陣が何を起こすためのものかもすぐに理解した。

 三人のローブ姿の人影の手の甲に存在する欠けた六芒星が輝き出した。


 「見せてあげますよ。ハージであるこの僕が編み出した新たなる錬金術を!」


 パン!と弾ける音がした。

 ふと音がした方を見ると腕の表面が弾け、鮮血が流れ出ている。その光景にエンリはわずかに苦笑するばかりだ。

 それは大気中の酸素や窒素などの物質を操り、錬金する錬金術の中でも難易度が高いとされる技。その理由は一人で使うには身体にかかる負荷が大きすぎるためだ。


 もちろん並大抵ではない才能の持ち主ならこの錬金術を一人で使うなど容易だろう。しかし基本的に人は大気中の酸素濃度や窒素濃度などを演算できるようにはできていない。

 他の錬金術ならいざ知らず、この錬金術はその場で何度も大気中に存在する酸素濃度などを演算しなければいけないのだ。そんなことを一人で行えば、脳への負荷は多大なるものだろう。


 しかしどうやらハージ・ジェルクはその欠点を錬金術の発動者を一人ではなく複数人で行うことでこの錬金術の使用を可能としたらしい。

 そしてハージ・ジェルクはその錬金術をさらに発展させ、体の中を流れる血液内に存在する酸素を錬金し、破壊し、弾けさせるということに至ったらしい。


 エンリはその錬金術を相殺しようと体を動かそうとした時、手足が痺れ、うまく動かせないことに気づいた。

 それと同時に感じる息苦しさ。そして目の前にいる薄ら笑いを浮かべるハージ・ジェルクの顔。彼の手には三人のローブの人影とは違う錬金陣が描かれ、輝いていた。


 「どうだ?苦しいか?驚いただろ?これが本物の錬金術だ。学者風情が完成された錬金術を愚弄するなど、愚かなことだとわかったか?」


 ハージ・ジェルクは大気中の酸素濃度を変化させたのだ。

 人間にとって酸素は生きるに不可欠なもの。しかしそれは主に大気中に存在する酸素と窒素たちがバランスを取り合っているから、人間にとって無害なのであって、その均衡がどちらかに偏って仕舞えば、人にとって有害になるのは明白であった。

 しかし、一人で大気中の酸素濃度を調整し続けるとは流石はハージを名乗る錬金術師だ。素直に尊敬に値する。


 パンッとどこかの血管の酸素が弾ける音が聞こえた。

 そしてその音は加速度的に増えていっている。

 おそらく奴らはこのまま俺をなぶり殺しにするつもりなのだろう。


 しかしそうやすやすとこの命を明け渡すほど生半可な人生は歩んできていいない。この程度の死地、すでに何度も乗り越えてきている。

 風が吹く。

 暑い日差しの中を通り過ぎる冷たく気持ちのいい風だ。そしてその風が魔力を帯びた風だと気づいた人間は何人いたか。


 並の錬金術師なら、この風で大気中の空気が乱されそれに対応できずに、錬金術で変化した大気の成分濃度を維持できずに流されていただろう。

 実際、ハージ・ジェルクの弟子と思われる三人のローブ姿は発動していた錬金術を維持できずに、エンリの体から酸素が弾ける音が止まった。だがハージ・ジェルクだけは、その大気濃度を維持し続けた。


 だからこそ、それが起きたのは決してハージ・ジェルクに落ち度はない。彼は自ら持てる力を持ってして、油断せずに一瞬も気を緩めずに、目の前にいる敵の周りの空気を奪い続けたのだから。

 だが天才にして賢者の天秤の実力者、そして殺戮者の異名を持つ、ハージ・ジェルクの唯一の誤算はその場にもう一人、天才がいたことだ。


 エンリが止めていた息を吐き出し、新鮮な空気を吸い込んだ。

 それはエンリの周りの空気が正常な状態に戻ったことを示していた。

 ハージ・ジェルクが小さくうめく。


 「そうか、あの風は君が作り出したものか……小賢しい真似をしてくれる」

 「御明察、流石はハージを冠する錬金術師」


 冷たい風。そんな風が地面を流れた。

 そしてその風が一瞬にして決定的な隙を作り出した。

 本来、ハージ・ジェルクほどの実力者であれば、風で辺りの空気を乱したところで、付け入る隙を作り出すこともできずに、即時、対応されるのが関の山。


 しかし、もしその吹き込む風が秋や冬ほどに冷えていたら、今日の異常なまでに強い太陽の光で熱された地面と、冷たい風により冷やされた空気の間には、間違いなく温度差による綻びが生じる。

 そして魔法ではない自然法則に則った風が生まれる。

 もしその風が一瞬のもので、知覚できないものであったとしても、その風が生まれた一瞬、ハージ・ジェルクの計算が狂った。

 そしてそれはエンリにとっては十分すぎる隙であった。


 錬金拮抗。それは二人以上の錬金術師が、同じ物質を別のものへ変換させようとした場合に起こる現象。本来、そう起こることのない極めて珍しい事象なのだが、今回のように一つの物質を変化させる場合、その主導権の取り合いとなり、必然的に錬金拮抗が起こり得る。


 そして錬金拮抗が起こった場合、両者の錬金術が相殺しあい、発動するはずだったその錬金術が無効化される。

 そしてもしその錬金拮抗を人為的に起こすことができたら、それは錬金術師にとって、自らの錬金術を無効化される最悪の敵となるだろう。

 しかし錬金拮抗は錬金術が発動する時にまた別の錬金術師が錬金術を発動することで起こる事象だ。すでに発動した錬金術にはその効力を持たない。


 だがエンリが呼び込んだ冷たい風により生まれた自然界の法則により生まれた知覚できないほどの小さな風、そこに生まれた綻びは一瞬、ほんの刹那、須臾の時間、ハージ・ジェルクの演算から外れた。

 そしてハージ・ジェルクはすぐさまその演算の外れたその場所を再び錬金術で、周りと同じ大気濃度へと戻す。すでにそこはエンリが錬金術を発動しているとしらずに。


 そして起きるは二つの錬金術が一つの物質を別の物質へと変えようとする矛盾。錬金拮抗の条件が満たされる。

 発動した錬金術はその能力を無効化され、元の正しい大気濃度へと自然に戻る。


 瞬間、地面から鉄でできた鎖状のものがエンリの体を縛り付ける。

 ふと横を目にすると、そこには先ほどの三人のローブ姿の男たちがいた。どうやら彼らがこの鎖を錬成したらしい。

 そして次の瞬間、無数に現れるは刃渡り50cmの長槍。

 それらが高速でエンリに迫る。


 普段なら簡単に避けれる攻撃だが、今は手足を拘束され、軽い酸欠状態になったことによるその後遺症は未だ回復していない。決して避けれない速度ではないが、後ろには騒ぎを聞きつけやってきた一般人で溢れかえっている。もしこの攻撃を避ければ、後ろにいる人々を無尽蔵にその命を落とすだろう。


 エンリは手に持ったトランクケースを盾に長槍を防ぐと、自らの体に身体強化の魔術をかけ、手足を拘束するその鎖を力任せにひく抜く。


 「何!?」


 三人のローブ姿の男のうちの一人がそう叫んだ。

 錬金術で作られたその鎖は、自然界に存在する鉄で作られたものと全く同じであり、鎖といえど、その長さは7メートルほどであり、重量は相当なもののはずだ。

 しかしも地面と融合していたはずの、その鎖を引き抜いたのだ。驚くの致し方あるまい。


 そして引き抜いたその鎖を回転させ、横薙ぎに振るった。

 風切り音ともに、回転速度を増し、その威力を倍増させた鎖が、周囲にいる三人のローブ姿の男を一掃する。

 男たちは各々自らの身を守るため、錬金術で壁を作るも、質量の暴力により、その壁は容易く砕かれる。


 メキメキという嫌な音と共に男たちの体が宙を舞う。

 男たちは錬金術で壁を作り、それを踏み場に空中で見事に受け身を取ってみる。そして再びエンリの方を見た時、そこにはすでに彼の者の姿はなかった。


 「少し痛いぞ」


 そんな声とともに振り下ろされるトランクケース。

 エンリの後ろには先ほど、彼を拘束していた鎖が見える。

 エンリは、その鎖を投擲し、その先を空間魔法で固定することで、簡易的な足場としてその上を走ってきたのだ。


 そしてそれを足場にしたことにより空中とは思えないほどの威力で殴られる。それも身体強化された状態でだ。

 咄嗟に腕でガードするも、足場のない空中では踏ん張ることもできずに、その身に余る加速度を感じながら、地面へと激突する。

 その衝撃で男は、肺に溜まった全ての空気を吐き出す。地面へと衝突した勢いで肺を無理矢理に押されたのだ。


 まるで内臓をごちゃ混ぜにさせられた気分だ。

 吐き気とも言い難い気持ち悪さが、身体中に広がる。

 息を吸おうとするも、まるで呼吸することを邪魔されているみたいに、息がしづらい。

 そのせいか先ほど、激突した時に舞った砂埃がその口に入ってくることばかり、気になってしまう。


 そして視界を埋め尽くすは眩い光量。降りてくるは天を赤く染め上げるほどに燃え上がる竜の姿であった。


 非緋『塵芥灰塵』

 それは落雷の如き轟音と共に、大気が焼き付き熱波が周囲の温度を倍々に上げていく。燃ゆ燃ゆ。巻き上がった砂埃が瞬時に炭となり、灰となりその形を崩し、風にその体を乗せていく。

 そんな攻撃を生身の人間が喰らえば、どうなるかは容易に想像できるだろう。


 そしてその攻撃が地面に横たわる男にぶつかる瞬間、炎の竜はその体を穿たれる。空気中にその炎の波を波及させながら消滅する。

 炎の竜を刺殺したのは銀の色を有する地面から突き出す巨大な槍である。その構造から槍というよりも地面から突き出た地形といった方が正しいかもしれない。


 男がその場から勢いよく立ち上がり、少し離れたハージ・ジェルクの横につける。


 「申し訳ございません、先生。仕留めることができませんでした」

 「うん、そうみたいだね。だけど十分だよ。あとはこちらで処理する。どうも君たちには少し手の余る相手みたいだし。代わりに、魔導具使いの方の二人を手伝ってきなさい」


 その言葉にエンリはリアナの方を向き直るとそこには二人の錬金術師を相手にアリスを守っている姿があった。

 アリスを背負って錬金術で作られた隆起した槍のような攻撃を弾き、砕き、交わしていく。その動くに危なげなく安心して見ていられる。反撃をしないのは体力の温存のための時間稼ぎに徹しているからだろう。

 彼女の動きからまだ余裕がある。おそらく三人の錬金術師が戦闘に加わったくらいで彼女の優位は変わりないだろう。


 エンリはハージ・ジェルクの方を眺めみた。


 「さて、戦う前に質問したいんだけどいいかな?」


 エンリは不思議なほど自然でまるでここが戦場の最中にいることすら忘れてしまったかのように話しかける。

 ハージ・ジェルクも最初は顔を歪ませ嫌な表情をするも、すぐに多くの魔法使いや魔術師を殺してきた、大量殺人犯とは思えないほどの優しく敵意を感じさせない表情で、「いいでしょう」と答えた。


 それはおそらくエンリが先ほどの戦闘で、ハージ・ジェルクにとって会話を交わすに値する存在だと認められたためだ。

 いかに魔法使いを憎もうとも、いかに錬金術を崇高なものと崇めようとも強敵への敬意を払うことを忘れたわけではない。凡夫の一であれば、取るに足らぬ相手であったが、才を持ちし強敵と会えることはごく稀だ。

 そしてそんなものに敬意を払うのは至極当然。

 それは錬金術師として多くの命を奪ってきたハージ・ジェルクの誇りであり、矜持であった。


 「聞きたいんだけど、なんで、アリスを狙うの?」

 「そうですね、彼女が特別なため……と言いたいところですが、あなたは魔法使いにしては聡明だ。もう気づいているんでしょ?その道具の正体に」


 エンリは押し黙った。


 「そうだね。一つヒントを教えるならその道具はあなたが思っているよりも我々にとって大切なものだ。それこそ、こうして公に姿を現し、見知らぬ学者と魔導具使いと戦う程度には」

 「なるほど……アリスの正体はわかった。だがやっぱり、賢者の天秤という組織がアリスを狙う理由がわからない」

 「そう、でもおそらくその方がいいよ。その方があなたのため、世のため、僕たちのためになる……さて、お話は終わりです。あとは殺し合うだけ」


 ハージ・ジェルクが錬金術で二本の剣を剣を錬金した。

 片方が黒の短剣、片方が白銀の直剣、その切れ味は凄まじく風に流され飛んできた枯れ葉がその刃先に触れた瞬間真っ二つに切断される。

 おそらくその刃に触れた瞬間、力を入れずとも重力によって体に切り裂き、その形を両断するだろう。

 エンリは息をのみ、トランクケースを持つ手に力を入れる。


 二人の間を流れるのは一瞬を永遠の時と見間違うほどの刺激的で甘美な緊張の時間。相手の実力を測りきれぬ故の沈黙の時間。

 手の内もわからず、相手の行動も読めないとなれば、迂闊に動けないのもわかるだろう。


 そして時は来る。

 両者ともに動き出す。

 エンリが走り出すと同時にハージ・ジェルクの錬金術による超加速。地面を錬成しその加速力で間合いを詰める錬金術師のおはこである。

 二人の距離が一瞬にして30センチほどになる。

 エンリが地面を弾くように錬金術により岩壁を作り出す。ハージ・ジェルクはそれを見越したように自分の前に剣を立て、縦に両断する。岩壁は豆腐の如く両断され、無惨に横たわる。


 聞こえるは風切り音。目の前に迫るはトランクケース。

 エンリは岩壁が意味をなさないことなどとうに理解していた。あれほどの切れ味の剣ならば一瞬にして切り裂くことも、だからこその攻撃。

 一回転させ体をねじるように叩きつけられるそのトランクケースは他のものにはない破壊力がある。


 しかしそれが読めぬほどハージ・ジェルクも甘くない。地面に白銀の直剣を突き刺しスピードを殺し、迫り来るトランクケースを黒の短剣で両断する……はずだった。

 岩さえも簡単に切り裂くその短剣は最も容易く弾かれ、両断できると思っていたがゆえに、力を入れなかったのが仇となり、単純な力で腕を押される感覚があった。


 ハージ・ジェルクは体を反らせ、トランクケースの下をノートの上をなぞる万年筆のような動きで滑走する黒の短剣を軽く押し上げ、その軌道をずらす。

 横へのエネルギーが大きい分、上下への力に弱いせいかトランクケースは簡単に上へ上がり、その鼻先を掠めていく。


 そして生まれた決定的な隙にハージ・ジェルクはその左手に握った地面に突き刺したままの白銀の直剣をレールの上を走らす滑車の如き滑らかさで動かす。

 地面がまるでクリームのように切られ、加速された白銀の直剣が再び、大気へと触れる、と同時にエンリの右足側の足場を崩す。

 直径30センチほどの円柱の穴が深さ10センチほどで出来上がる。

 そしてそれはエンリが気を取られ体勢を崩すには十分すぎる攻撃だ。


 エンリはハージ・ジェルクの攻撃を回避するために、自分の前の地面を錬金術で鉄へと錬成し突き出す。しかしハージ・ジェルクはそれを避けることなく同じく錬金術で鉄柱を錬金し相殺させる。

 再び錬金術で自分の前に鉄柱の錬金を試みるもハージ・ジェルクによる妨害もとい人為的に錬金拮抗を作られ阻止される。


 迫り来るその白銀の直剣をその視線の先へ見据える。

 瞬間、冷気が周囲を包み込む。それは空気中の水分を凍らし、白の靄が幻想的な光景を作り出す。どう見ても肌を焼き、鉄板を持ってくれば太陽光によって料理ができそうな日に起こる光景ではなかった。それにゆえにハージ・ジェルクがその光景が今戦っている男の手で作られていることに気づいた。


 白銀の直剣がエンリの肌に触れる寸前、ハージ・ジェルクは今までにない嫌な予感を感じ、白銀の直剣から手を離し、一歩遠のく。

 次の瞬間、瞬きの隙もない合間に先程まで握られていた白銀の直剣が氷づく。おそらく今もあの剣から手を離していなかったら、この体はその芯までその氷で凍らされていただろう。


 地面に触れ、新しい白銀の直剣を生成する。それと同時に氷漬けとなった初代白銀の直剣が破裂したかのように砕け散る。

 その破片は高速の弾丸となって、周囲の氷を破壊しながらエンリへと襲う。エンリはその破片が四方に広がる前に空間魔法で無理矢理、威力を維持したまま集め、ハージ・ジェルクへの弾き返す。

 そしてその破片たちはエンリの魔法によりさらに加速される。


 風魔法『疾くあれ』


 疾風の輪の中を破片が通る。その速度は常人が目で追える速度を超えている。ハージ・ジェルクとの距離はおよそ10メートル程度、音速間近の破片たちは一瞬にしてハージ・ジェルクの前に迫る。

 散弾のように迫るその破片たちをハージ・ジェルクは予感と予想により寸前のところで石壁を作り出す。しかしその石壁たちは散弾のような破片たちの速度と威力を少し殺した程度で、崩壊し、砕かれ、その威力を完全に殺し切ることができずに貫通する。


 ハージ・ジェルクは苦虫を噛んだように表情を歪ませる。

 しかし石壁により速度が落ちたおかげで人の動体視力でその先を見る程度にはなった。両手に握った剣で迫るくる破片たちを砕き、両断し、たたき落とす。

 いくつかの破片が体を掠めていったが、致命傷ではない。継続戦闘は可能である。


 最後の破片を叩き落とそうとしたその時、ジャラジャラという、金属音が聞こえた。

 その音が聞こえた方へ自然と視線が吸い寄せられ、横目でその正体を覗く。

 そしてその正体に気づくと同時に両手両足を絡め取られ、地面へと吸い寄せられる。


 それはまるで意志を持ち命を持った生物のように体に絡みつき、獲物を弱らせ捕食する狡猾な蛇のように、体を縛り付ける黒みがかった鎖であった。

 両手両足を縛られ、完全に身動きが取れなくなったハージ・ジェルクに先程、落とし切らなかった最後の破片がその額を目掛けて飛翔する。


 ハージ・ジェルクは寸前へと迫ったその攻撃を錬金術で創造した岩の柱によって無理矢理打ち上げ、弾き飛ばす。


 視界が歪む。それはまるで外に干していた布団が風に靡き不規則に揺れ動くその光景あるいは荒れ狂う海が渦巻き逆巻くその光景に似ている。

 そしてハージ・ジェルクは気づく。それが自分の視界がおかしくなったのではなく世界が、空間がおかしくなったことに。


 空間魔法『空間渦巻の終局点<放出>』


 エンリの宣言と共にハージ・ジェルクの頭上に落ちるは無限の質量と体積を持った空間である。

 そしてその空間がまるで点を打つように狙いを済ましてハージ・ジェルクへと放出される。

 空間などという不可視のものでも無限の質量と体積を持ったエンリの空間であれば圧縮されたその歪みのせいで周辺の空間と齟齬が起き、視認が可能となる。

 しかし視認ができるだけだ。避けれるかはその人間の身体能力にかかっている。


 視界の歪みと手足の拘束により反応が遅れたハージ・ジェルクはその攻撃を右腕に喰らう。次の瞬間、その空間に当たった右腕が音もなく骨はもちろん筋肉繊維、血管、神経、その他全てが砕け、折れ曲がり、当たったその部分だけが完全に破壊された。


 「冗談でしょ!?」


 そんな声と共にハージ・ジェルクが横へと飛び退く。次点の攻撃は横に飛び回避する。先ほどまでいた場所には無限の質量を持つ空間によって超圧縮された石畳だけが残っている。

 あまりの攻撃力に流石に笑いが止まらない。ここまでの実力の相手とは想像もしなかった。

 今まで見たどんな魔法使いや魔術師たちよりも秀でている。見たことのない魔法を操り、何人もの人間を殺して僕が殺せず、なぜか切れないトランクケースを持っている人間が学者などと名乗るな、と心の底から思う。


 空から降り注ぐ無限の質量と体積を持つ空間が次第にハージ・ジェルクの行動を制限し、逃げ場を奪っていく。

 この男と戦うにはあまりにも準備不足だ。一度撤退をしなければ。

 そう思い、逃げる隙を作るため学者を名乗った男の方を振り返った時、そこには誰もいなかった。いるのは阿鼻叫喚の野次馬と、弟子たちと戦っている魔導具使いの女、それと奪還対象である200番だけ。男の姿にはどこにもない。そのことにゾッと背中が冷たくなっていくのを感じた。


 そして感じた気配に体を固くして、自分の裏側を覗いた。

 そこにいたのはあの男だ。黒い髪に油断のない表情でこちらを見透かすように覗いている男である。


 エンリは先ほどの攻撃で破壊した右腕を掴み、右腕をその心臓部へ当てる。触れれば散ってしまう儚き花に触れるように優しく自然と。

 撃ち抜くは魔力の波動。心の臓を打つその攻撃は魔法使いの多くが護身術として習得し、多くの国の軍隊などが導入している攻撃方法。


 ーー波魔ーー


 つい先日、凶暴化したヨラルを鎮圧した時に使ったものと同じ攻撃である。

 常人であれば心臓を揺らされ、呼吸困難を引き起こし、すぐさま戦闘不能になる。魔法や魔術を使わない純粋なハージ・ジェルクからすれば体を強化しこの攻撃から逃れる術はない。

 だからこそその光景を目にしてエンリは驚愕した。


 「冗談だろ……」


 次にそういうのはエンリの番だった。

 そこにいたのは体の一部を気体化して攻撃を逃れるハージ・ジェルクの姿があった。


 肉体の気体化。それは錬金術においては禁忌とされているものの一つである。その理由は至極単純、肉体の気体化など普通の錬金術師にとってはただの自殺行為でしかないためだ。

 実際問題、肉体の気体化自体は難しくない。ある程度錬金術に触れていれば十分に行うことができる。問題は気体から再び固体である肉体へと戻す時だ。


 この時、並の錬金術師であれば気体という物質の性質上、簡単に風に流され、大気内を漂うこととなる自分の肉体であったその気体たちを再び機能する肉体として戻すことができずに、死に至る。最悪、その辺にある物質から自分の肉体となるものを錬成してもいいのだが、そんなことが咄嗟にできる人間などこの世に存在しないだろう。


 だからこそこの行為は禁忌とされ、多くの錬金術師はその方法ややり方を知っていても実践しないのだ。

 しかしハージ・ジェルクは違った。彼にはこのままでは確実に目の前にいる自称学者の男に捕まるだろうという予感があった。

 だからこそ、この行動に出た。それは自分の並々ならぬ錬金術師としての腕への自信と相当の覚悟と度胸があってのことだ。


 「僕はまだ捕まれないんだよ、学者くん」


 そう無邪気に笑ったハージ・ジェルクの顔はどこか楽しいそうである。次の瞬間、破壊したはずの右腕が再生される。いや正確には破壊された骨や筋肉繊維などを錬金術で再生したというべきか。

 そしてその右腕で近くの壁に触れ、黒い短剣を生成、エンリの脇腹めがけ、突き刺す。


 エンリはその攻撃を紙一重で避け、後方へと飛び退いた。

 二人は再び睨み合う。正確には相手の隙を窺っているのだろう。

 ハージ・ジェルクが不意に声を上げた。


 「さて、第二ラウンドと行こうか?」


 仕切り直しとなった今、逃げるにしても相応の隙が必要となる。


 「第二ラウンドじゃなく、最終ラウンドですよ」


 そんなどこか柔らかい女性の声が聞こえてきた。

 ハージ・ジェルクが後ろへと飛ぶ。次の瞬間、先ほどまで彼がいた場所に剣で切り裂いたような傷跡がついた。

 そこいたのは黒のショートカットの少女であった。

 エンリにはその少女に見覚えがあった。

 セレン・リオキル。それが彼女の名前であった。

 それは門番で出会い、この街で初めて知り合いになったと言っても過言ではない少女である。後ろには他にも何人かの憲兵が存在している。


 「で、なんでエンリさん、あなたがこんな場所でジェルク・ヒュードと何どんぱちしてるんですか?内容次第では牢屋に逆戻りですよ?」

 「色々事情があってね。それに周りには被害が出ないよう努力したつもりだ」

 「そうですか?憲兵にはトランクケースを持った男が魔法を使って街中で暴れてるって来てますけど?」

 「とんだ誤解だな」

 「まあ状況を見た感じ、どうやら本当に誤解のようですね」


 セレンはそういうと今までにないような真剣な眼差しで前へ向き直り、ハージ・ジェルクの方を向き直る。


 「ジェルク・ヒュード、あなたには各国から殺人罪とテロ関与等の容疑で国際指名手配されています。大人しく投降し、指示に従ってください」

 「投降しない言ったら?」

 「少し痛い目に遭ってもらいます」

 「そういうよな……二対一か。俄然こちらが不利だな。君たちと正面からやりあうには戦力も準備も状況も時期でもない。ここは一度仕切り直しかな?」

 「そう簡単に逃すと思ってるんですか?」

 「いや?だから切り札を使う」

 「まさか!?」

 「弟子たち、今回はここまでだ!200番の回収は断念する!各自セーフキャンプに戻ってくれ。それじゃあ、学者くん、またどこかで」

 「ああ、またどこかで……」


 エンリの言葉を聞くとハージ・ジェルクの手の中が輝いた。

 青白い光が甲高い音ともに発せられる。周囲の温度は急激に上昇し、今なおその温度を指数関数的に上昇していく。

 多くのものがハージ・ジェルクの手の中で何が起きているのか理解できなかっただろう。理解できたのはせいぜい事前情報をしていたセレンたち憲兵とハージ・ジェルクを知っていたリアナ、彼が所属した組織から逃げ出してきたアリス、そして錬金術において卓越した知識と実力を持つエンリの限られた人間だけだろう。


 それは魔法でも魔術でも決して作ることのできない正真正銘、原子構造を操り、粒子を操作できる錬金術だけが使うことのできる破壊的、殺戮的、絶対的兵器。

 電荷を帯びた粒子を亜光速まで加速させ打ち出す錬金術師の中でも歴代でたった十人だけが扱うことのできた錬金術の最終兵器。


ーー<荷電粒子砲>ーー


 その十一人目の使用者こそ天才として名高い希代の錬金術師ハージ・ジェルクである。


 「ああ、任務失敗して、こりゃあ帰ったらランクラットに怒られるな。ここ最近、任務は失敗続き。前回、国の研究所から薬奪った時も、帰りに誰かに襲撃に遭ってサンプルを一つ失くすし、本当についてない」


 そんなぼやきは荷電粒子砲の音によりかき消され誰にも届かない。


 音が止む。一瞬の静寂。


 「それじゃあ、バイバイ」


 その言葉と共にセレンがその剣を振るも、ハージ・ジェルクはそれを後方に避け、その手に持った殺戮の権化を解放する。

 解き放たれた圧倒的熱量を持った荷電粒子砲は、思考する間も無く亜音速の攻撃は辺りを蹂躙するだろう。

 触れた全ての物質の原子を破壊し、消滅させ、周囲のものは一瞬の融解・沸騰させる攻撃をなんの準備もなく防げる術などあるはずもない。この場においてただ一人を除いては。


 空間魔法『空間渦巻の終局点<吸収>』


 流石のエンリといえども、さすがに亜光速まで加速したものを見切り、その速度よりも早く行動し、荷電粒子砲を阻止することは不可能である。

 しかし攻撃をあらかじめ予想し、防御策を講じておくことは可能だ。


 空間魔法『空間渦巻の終局点<吸収>』はその名の通り、無限の質量と無限の体積をもつ空間の中にありとあらゆるものを吸収する魔法だ。空間魔法『空間渦巻の終局点<放出>』とはついに存在する相対する魔法でもある。

 そして渦を巻くように歪められた空間は光の速度にまで加速されたものさえも簡単に捻じ曲げる。


 放たれた荷電粒子はその速度が仇となり、飲み込まれるように一瞬にして無限の質量と無限の体積を持つ空間の中に吸収され、空間の歪みごと消えてる。

 そして始まるはハージ・ジェルクが残した荷電粒子砲の副産物。光の速度に追いつけなかった熱波と轟音が襲い来る。

 激しい破壊の衝撃が辺りを走る。結界を張り、衝撃の緩和をしたものも、急拵えの結界では錬金術の最終兵器と言われる荷電粒子砲の残した衝撃を完全に抑え込むことはできずに、その衝撃が貫通する。

 副産物でこれだけの破壊力があるのなら荷電粒子砲本体の攻撃を結界で受けていたなら、その衝撃を吸収しきれずに突破され、ここら一帯は破壊されていたかもしれない。


 エンリを含めたここの近くにいた人間全てが地面へ這いつくばり、荒れ狂う爆風に飛ばないようにしがみつく。

 エンリは魔法たちを駆使して、その衝撃たちが街の外へ逃げるようにする。セレンたち憲兵も飛んできた障害物が市民に当たらないように魔法や魔術などを使い破壊したり、弾き飛ばしたりしている。

 そして10秒ほどして災害のごとき荷電粒子砲が残した副産物は全て落ち着いた。


 起き上がり、先ほどまでハージ・ジェルクがいた場所を眺めてもそこにはすでに誰もおらず、周囲を見渡してもその姿を確認できない。弟子たちの姿も無くなっていることからすでに逃げた後だろう。

 エンリは地面でアリスを庇うように伏せていたリアナを見つけ、駆け寄る。


 「大丈夫か?」

 「ええ、お陰様で。あなたこそ大丈夫?だいぶ大技、連発してたようだけど」

 「これぐらいなんともないよ。アリスも大丈夫だった?」

 「うん、リアナお姉ちゃんが守ってくれたから」

 「そうか、それならよかった」


 とりあえず、アリスをハージ・ジェルクたちの魔の手から守れただけでよかったとしよう。見た感じ幸いにも怪我人や建物が崩れていたりしているものの死者は出ていないようだった。

 どうやら結界で少しでも威力を殺すことができたのが効いたらしい。


 「あれ?リアナ?」

 「うん?セレン?どうしたのこんな場所で」

 「通報を受けて、憲兵の仕事にきたの。……あれ?もしかして通報の中にあった魔導具使いってリアナのこと?なんかいくつかの通報の中に女の子を守って戦ってる魔導具使いがいるってあったけど……」


 セレンはそういうとリアナの横にピタッとくっつているアリスの方に視線を向ける。アリスはその視線から隠れるようにリアナの後ろに隠れる。

 しかしなんで同じ理由で戦っているのに俺とリアナでここまで通報の内容に差があるのだろうか?

 そんな疑問が一瞬、頭に浮かぶもエリンにはそれ以上に気になっていることがあった。


 「あー、話の間に入って悪いんだけど?二人とも知り合い?」


 二人は一瞬、顔を見合わせ、先ほどまで緊張していた表情を解して言う。


 「友達なのよ、私たち」

 「よく一緒に週末は買い物に行ったりしてるんです」

 「そうか……」


 ヨラルとハン、リアナとセレン、リリアとキリヤと言い、どうも俺が思っているよりも世間というものは狭いものらしい。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

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