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長い一日<星空>

 疲れた。その一言に限るだろう。

 まさか正体不明を倒した後、助けた少女……リアナにあれほど質問攻めにされるとは思わなかった。

 まあ彼女には彼女の事情があるのは重々承知だ。冒険者ギルドで言い争っていた時に彼女は今回の件をギルドの依頼で動いている口ぶりだった。

 ならもちろんギルドに報告書をあげないといけないだろうし、その中で今回の事件の原因である正体不明のことを知らないといけないのはわかっている。それに手を助けてた俺の素性を知らないといけない理由もわかる。


 だけどそれでもだ。まさかあそこまでリアナが探求家だとは思わなかった。

 彼女は俺の素性の聞いて手早くそれをメモすると、すぐさま俺の使った境界術やこの世界について聞いた。あまりの質問攻めに適当にあしらい逃げ出した。

 もはやあれは恐怖に似た別種の感情だ。狂乱や狂気の域に踏み込んでいるのではないだろうか?

 まあそう言うこともあって俺は一人、洞窟の出口に向かっていた。


 リアナは不服そうに口を曲げていたがこれ以上はこっちが大変だ。この場で全てを説明できるほど俺の頭は文学に秀でてないし語彙力も貧弱だ。

 だからこそ彼女が報告書を書くためにあの洞窟に残ると行った時は少し安心した。

 正体不明の脅威は去ってあの洞窟も本来の静かさを取り戻しただろう。ならあの少女一人でもなんら問題はないだろう。


 外はすでに陽が落ちかけており山の先には欠けた太陽が見えている。

 夜の帷はすぐそこまで降りてきている。東からは藍色の夜空が広がり始め西は暁の色に染まっている。日の入りまであと十数分だろう。


 エンリは街への帰路へつき歩いていた。

 古びた街灯にも光が灯っている。

 街へ入る城門を越えテクテクとギルドへと向かった。


 ギルドの建物内は昼とは違った喧騒に包まれていた。

 どこを見ても酒を片手にはしゃぎまくる冒険者たちで溢れ、席へ酒を運ぶ店員たちはあちらこちらへ飛び回っている。

 テーブルの上には肉や魚、パスタにグラタン、酒のつまみになりそうなものからそうでないものまで色とりどりだ。どれも昼間では見なかった料理たちだ。

 これでは冒険者ギルドではなく完全に酒場だなと苦笑する。まあ実際問題、この時間になれば酒場として運用したほうが収入が大きくなるかもしれない。


 そしてエンリはそんな人を横目にカウンターに向かって歩いて行く。

 カウンターには一人の少女。赤紫の癖っ毛の眼鏡女子だ。昼にもいた受付嬢である。

 彼女は少し不貞腐れた表情でカウンターに頬杖をついてる。

 その状況は聞かなくてもわかる程度には自分が不機嫌であることを隠していなかった。


 それに気づきエンリは他の受付嬢のところへ行こうとするも残念ながら他の受付嬢は他の冒険者の案内に追われている。というか少女のところだけなぜか誰もいない。他のところには何人もの人間が並んでいるのに。

 今思えば昼間も彼女の場所には人がいなかった気がする。

 できれば自分も他の受付嬢に任務の結果報告を行いたかったが、今日は早く帰って眠りにつきたい。

 明日になれば動けなくなるほどの激痛が体を襲うんだ。無駄だとわかっていても少しでも体を休めたい。


 「あー、任務の結果報告に来たんですけど……問題ないかな……?」

 「……問題ないですよ。少し待っててください」


 ホッと心を撫で下ろす。

 エンリはトランクケースの中から適当に取ってきた薬草を取り出し、カウンターの上に置いた。

 少女は眼鏡を外し、受付嬢の制服の胸ポケットから片眼鏡を取り出す。そしてそれを装着して薬草の鑑定に入った。


 しかしなぜ彼女はあれほどまでに不機嫌なのだろう?今日の昼に知り合ったばかりのほぼ他人同然の相手だが、嗜虐的言動をする以外は仕事をそつなくこなすといった印象がある。あまり失敗をするようなタイプにも見えない。

 ならやはりなぜ彼女は今にでも誰かを睨み殺しそうな視線を送っているのだろう。


 そんなことを考えながら待っていると少女が鬱屈とした表情のまま口を開く。


 「全部本物ですね……少し数は多いですけどまあ問題ないです。複数の任務をクリアしたと言うことにして少し報酬上乗せしておきますね。この任務はギルドが出してる常任任務なので」


 やはりこの受付嬢は優秀だ。何を言わずとも冒険者にとって有益になるように行動してくれる。優れた受付嬢と言えるだろう。


 「まあ薬草取りに行くだけに時間がかかりすぎな気もしますが、道草でも食っていたんですか?」


 前言撤回、優れた受付嬢ではあるがそれ故にあのSっ気が惜しい。溢れ出る嗜虐心を抑えられていない。あれさえなければ非の打ち所がないのに。いやもしかしたら一部の人間からすればその要素こそ大事なのか?自分の知らないところでは人気があるのかもしれない。

 そんな馬鹿なことも考える。


 受付嬢はカウンターの上に何枚かの硬貨を置いて渡してくれる。

 ざっと計算してもその金額は2万ほどあるだろう。薬草取りの相場はおおよそ八千。それだけでも一人分の夕食を賄うには十分だが、そこから一万以上上乗せされているのは嬉しい誤算だ。


 エンリはカウンターの上に置いてある硬貨を手に取るとすぐに踵を返し受付嬢に背を向けた。

 「それじゃあ、ありがとうございました」とその場を去ろうとした時、エンリは眼鏡女子の受付嬢に呼び止められた。

 しばしその場で硬直する。この後の展開は簡単に想像できた。

 二度ほど深呼吸をしてゆっくりと振り向く。


 「なんですか?」

 「後学のために少しお聞きしたのですが、エンリさんって巨乳派ですか?それとも貧乳派?」


 再び二回ほど素早く深呼吸をする。

 何かの冗談かと受付嬢の目を見るもその瞳は至って真剣でこちらをのぞいている。

 つまりこの質問は彼女が本気で聞いている質問。

 なぜ!?なぜ、今ここで!?会って間もない男にそんな質問をする!?そんな疑問がエンリの頭を過ぎる。

 公衆の面前でその質問に答えるのは酒が入っていたとしてもきつい。

 この受付嬢には常識がないのかそれとも羞恥心がないのだろう。


 「あー、別に俺はどっちでもいいと思うますよ?最終的にはその人の個性なんで本当に好きな人なら気にならないんじゃないですか?」


 エンリは適当な言葉でお茶を濁した。

 受付嬢はその言葉にパッと表情を明るくした。


 「ですよね。やっぱり大事なのは胸の大きさより、愛の大きさですよね?さっき休憩中に後輩から自分の胸を罵られまして。いやまあ罵られたというかは着替え中にその胸囲の格差に勝手に慄いたといいますか……あれはもはや凶器です」


 そういうと受付嬢はその慎ましい自分の胸に視線を送った。

 どうやらこれが彼女が不機嫌であった理由らしい。

 彼女は言葉を続ける。


 「まさか彼女の胸があれほど育っているとは思っていませんでした……屈辱です。絶対彼氏に毎晩胸揉みしだかれてますよ。私の方が年上なのに……なぜこんなにつるぺたん。毎晩マッサージしてるのに……どう思いますか?エンリさん」

 「どうと言われても……」


 一体、なんと言えばいい。どんな言葉がこの状況下で最善なんだ。

 そんな思案もついには答えを出せなかった。


 「やっぱり遺伝かな……」


 受付嬢はその言葉を最後に再び俯く。

 エンリはその隙にこれ以上話を振られないように気配を殺して足音を立てないようにその場から立ち去った。


ーーーーー


 空は完全に闇に包まれ街灯たちがその街を照らしている。

 気を抜けば人波に流されてしまいそうなほどごった返す夜のシルバルサは家族連れや恋人、友人同士などで溢れている。

 初夏といえどいまだに春の名残を残した夜は少し肌寒く感じる時もある。今日はどちらかといえばその肌寒く感じる日だ。


 さてさて今日の夕食はどうするべきか。全ての機材を調達するには心もとないが今日明日の夕食を心配しなくてもいいほどのお金が手に入った。

 宿に戻っても今日はリリアはキリヤとデート中、となると夕食を用意するのは宿主であるヨラルだろう。

 彼は気さくで頼り甲斐のある気のいい男ではあるがどうもその料理の上では壊滅的だ。


 先日宿の修理に手伝っている時、リリアが外出中だったため、俺とキリヤ、そしてヨラルの三人で食事をとったのだが、その時料理を作ったのがヨラルだった。

 そしてその腕前は見るも無惨なもので、肉が炭に、サラダがスムージーに、スープが泥水となって出てきた時には驚いた。


 俺も料理には無頓着な方だがあれだけ高レベルな失敗はどうも並大抵の才能では難しい。

 夕食自体はどこかの店で適当に食べてヨラルが作ったケーキは食後のデザートとして宿に戻ってから貰おう。

 エンリはそう心に決めて辺りを探索し始めた。


 海鮮に肉、野菜にパン、どこの店も美味しそうだができれば少しでも活力がつくものがいい。

 どうせ明日は一日寝たきりだ。ここらで英気を養うのもいいだろう。となると肉だな。美味い肉がいい。

 エンリはいつの日かトランクケースにしまっていた観光用のチラシを取り出し、その中に視線を落とした。

 肉料理をメインに料理を出す店は多いがこの周辺でなおかつ夕食にちょうどいい店となるとその数は絞られる。

 ざっと3ブロックといったところか。少し宿を過ぎるが多少は誤差だろう。


 二、三分ほど人混みに揉まれ目的の店の近くまでやってきた。

 ここらはシルバルサの中で最も大きい繁華街であり、そのためメインストリート外れた道であるにもかかわらず、その道幅は大きく取られており、ここの賑やかさといったら王都と比べても遜色ないほどだ。

 目的の店まで数十メートルといったところだろう。


 ドン!という衝撃が体に響いた。予想外の衝撃に体がよろめき動きが止まる。

 視線を落とすとそこには小さな10歳程度の少女が尻もちをついている。白い髪に淡白なほど薄いその表情。整った顔立ちは嫌というほど人工的で、それはもはや彫刻のようで芸術的だ。


 「大丈夫?」


 エンリはそんな言葉と共に手を差し伸べる。

 しかし少女はその手を取ることはせず、自らの足で立ち上がる。

 服についた埃を払い頭を下げる。

 彼女は服とはいうには心もとない厚手の布でできたポンチョ一枚だけをきた服装だった。その姿どこか患者服に似ており、彼女がどこかの病院から抜け出してきた病人なのではないだろうか。そんな考えを一瞬思う。

 その呼吸は乱れておりここまで走ってきたことが窺える。


 「ごめんなさい。よそ見してた」


 少女はそう言い残し再び頭を下げて人混みを縫うように走り出す。

 チリン、そんな音とともに彼女のポンチョのポケットから何かが落ちる。エンリはそれに気づき、地面に落ちる前にキャッチする。それは銀でできたネックレスだ。そこについてるのは幾重の輪が重なってできている模様。天球儀のようなものだ。


 「これ落としたよ!」


 エンリがその叫ぶも少女の姿はすでになく。その声も有象無象の喧騒に飲み込まれてきた。彼女の小さな体をこの動き続ける人混みの中から探し当てるのは砂漠に落ちた一本の針を探すように難しいだろう。

 エンリはしばしそのネックレスを見つめ、いつか返せる機会があるかもしれないとそれを服のポケットにしまい込んだ。


 そしてそれと同時に遠くから声が聞こえた。他の喧騒とは毛色の違う騒ぎ声だ。

 次の瞬間、全身を震わせるような気を抜いたら後方へ激しく吹き飛ばされそうな強大で膨大な霊力をその身に浴びた。

 無意識のうちにトランクケースを持った腕に力が入る。

 これだけの霊力、並大抵の相手ではない。神話の時代の神々が地上に顕現したのかそれとも古くに眠りについた天使が目を覚めたか、わからないがその霊力の量は通常のものとは質も量も違っていた。


 街中での霊力の放出、敵だろうか。

 だが人波の奥から聞こえる喧騒以外に違いは感じられない。騒がしいがそれは命の危機を感じているようなものではなかった。

 周りの人間も霊力に気づいていないようだ。


 エンリは人の間を縫うように前へ前へと強引に進んでいく。

 一刻も早くこの異常なまでの霊力の正体を知りたかった。

 街全体を包む霊力は依然として消えないどころか、その量を増して行っている。

 この霊力が人為的かそれとも故意的行為かはわからないが、これだけの霊力を放置していては耐性のない人間に影響を及ぼすだろう。

 霊力はいわば神や天使の神気だ。少量であれば普通の人間にとっても身体能力の向上や再生力の向上など様々な恩恵を与えるものだが。許容量を越えればそれは立派な毒だ。

 むしろ自覚できなままに体を侵されるという点においては霊力の方が凶悪かもしれない。


 少し先に人だかりになっているところを見つける。その中心には他とは比べ物にならない霊力があった。

 しかしその中心は何十人という人間が円を作っているせいで見えない。


 外へ広がった霊力の一部が壁にぶつかった波飛沫のように反響、押し戻されるように中心へと戻ってくる。

 そしてその反動にエンリの心臓を打つ。締め付けられるような痛みと呼吸がしづらくなる。

 天から地上へと一筋の光が落ちる。それは霊力を認識できるエンリだから見られた光景。淡い緑と青の光がまるで天使が降臨する時に現れる後光のようにそれは地上を照らす。

 そしてその光の先は円の中心だ。

 あまりにも高い霊力がそれを形作っている。


 エンリは割って入るように円の中心へと向かう。

 そしてそれを見た瞬間息を飲む。円の中心にいたのが予想外の人物だったからだ。

 そこにいたのはキリアとリリアの二人であった。


 リリアの背中からは服を突き破り天使を思わせる純白の羽が三本。悪魔を思わせる漆黒の羽が三本。合計六本の翼が生えていた。

 その光景は神懸り的景色と言えるだろう。

 リリアの顔からは人間らしい表情は抜け、地面に横たわっている。それはいつになく神秘的な印象を受ける。

 もし名だたる画家がこの光景を絵に描いたのならそれは間違いなくその画家にとっての最高傑作になること違いないだろう。


 「キリヤ!」


 エンリはそう呼んで、二人の元に駆け寄ると、リリアを挟むようにキリヤの反対側に腰を下ろす。

 その光景にキリヤは少し胸を撫で下ろしたように表情を砕いた。

 しかしまだその顔には緊張か不安かわからないが青白く染まり、冷や汗を多く流している。

 テロリストに協力を迫られてもその首に薬を刺すような男がこれほどまでに狼狽えて見るのを見るに事は突然起こったのだろう。


 「何が起きた?」

 「おそらく暴走だ。リリアの体質が暴走したんだ」

 「体質?不完全放出魔力阻害のことか?」

 「いや違う。多分もう一つの方だ……」


 キリヤがバックの中からいくつかの薬を取り出す。

 エンリも同じくトランクケースを開き、何か使えるものがないか探す。

 この状況下で霊薬は全くの無意味だろう。あれは傷や病を治すことに特化しているため、キリヤが言った体質が本当であるなら効果はないだろう。それに霊薬といえど万能ではない。万病に効く薬など存在しないのだ。

 しかしどうしたものか一体何が原因かわからなければ治療のしようがない。

 思案するエンリに気づいたようにキリヤが口を開く。


 「リリアは特殊な体質の持ち主なんだ」


 手に持った小瓶を開けリリアの口に流し込みながらキリヤが続ける。


 「封霊体質。天使や神、悪魔といった神秘的存在を無意識のうちに引き寄せその体に取り込み封じ込めるという極めて稀な存在なんだ」


 エンリはその言葉を聞いて素直に驚く。

 封霊体質。それは世界でもたった数人しかいない特異体質。これまでの人類史の中でも百人といない特異な体質だ。

 数が少ない理由は単純で、人間が神や天使などが放つ強大な霊力や魔力に耐えられるはずもなく。多くのものが幼くして亡くなってしまうからだ。その上、天使や神、悪魔などの神秘的存在のなどが持つその能力を開花させることなく亡くなることも多いため、その体質を知覚することすら難しい。

 そういった理由で多くの書物でその存在は語られるも、その多くが架空の存在として描かれているものばかりだ。

 実際、エンリが封霊体質の人間と出会ったのがこれが初めてであった。


 そしてその言葉を聞いて、今リリアがどれほど危険な状態であるか理解する。

 その背中に生える羽はどう考えても人間者ではない。天使か悪魔か、リリアの中で封じ込められた神秘的存在がリリアの体で暴れているのだ。

 そして彼女に生えている純白の羽と漆黒の羽は両方とも三本ずつ。それは彼女の中に封じ込められた神秘的存在がかなり格の高い存在であることを示している。

 そんな存在が体の中で暴れられたら並の人間が耐えられるわけもない。一刻も早くどうにか沈めないといけなかった。


 「いつもはどうしてるんだ?」

 「わからない。僕も彼女と出会ってこうなったのは初めてなんだ。話によればいつもは時間と共に静まるらしいけど……」

 「いや、この状態じゃ。十分持つかわからないぞ!?」

 「ああ、とりあえず鎮静剤は飲ませたけど。十中八九効果はないと思う」


 二人とてこの状況は完全な予想外。

 その頭に汗をかく。

 周りの人間は何が起きたのか全くわかっていない状態だ。ただただ野次馬し事の顛末を見守っている。

 テロリストにも狙われる頭脳を持つ魔法医学を治めた若き天才と停滞を嫌い進歩を信じた数多の知識をその頭に内包する少年であっても何の情報もないこの状況において最善策を打つのはあまりにも酷と言うものであり、過去の文献だってその多くは苦しむ封霊体質の人間を目の前に見守るだけだったと記しているだけで有力な情報など存在しない。

 完全なる未知。突破口など見えなかった。


 しかし二人は思考をやめない。

 一人は愛した者ために。

 一人は目の前で苦しむ人を救うために。

 そしてその結果、一つの可能性を思いつく。

 次の瞬間、キリヤが慌てた口調で声を荒げた。


 「まずい!脈が早くなった!時間がない!」


 その言葉にエンリは考えるのやめリリアの腕を取り肩から下の袖を破り捨てた。


 「なにを!?」

 「霊力だ!今から霊力を発散させる!」

 「霊力の発散?」

 「ああ、神や天使みたいな神秘的存在はその実体を保つのに霊力を使用する。つまり霊力さえ使い果たせば、再び休眠状態に入るはずだ!」


 そう言ってエンリはトランクケースの中からいくつかの胡桃と赤々とゆらめく血華の花を取り出す。

 しかし準備をするエンリの横からキリヤが口を開く。


 「エンリ、それだけじゃダメだ!」

 「え?」

 「リリアの中に封じ込められている神秘的生物は魔力を霊力に変えるんだよ……」

 「なっ!?」


 今やっと全ての点と点が線でつながった気がした。

 なぜ初めてキリヤと会った時、不完全放出魔力阻害の話をしてきたのか。そしてなぜその研究をしているのか。

 キリヤはリリアを救おうとしていた。助けようとしていたのだ。


 神秘的生物はその霊力量においてその強さを増していく。つまり自分が保有する霊力量が増えれば増えるほどその力は増していきより強大な存在へと変わっていくのだ。

 そしてこれはリリアが持っている不完全放出魔力阻害と最悪の相性だ。


 本来、体の外へ出ていくはずの魔力を永遠とその体に溜め続けるこの病気は激しい痛みと衰弱を患うことになる。

 他の人間が協力しその魔力を排出させることで一定以上ひどくなる事はないが、それでもやはり辛いものは辛く、元気に暮らすことは難しい。

 多くの人間は慢性的な頭痛や胸を締め付けるような痛みに襲われ激しい運動などできたもんではない。


 しかしここ数日リリアと共に過ごして彼女は父親が経営する宿で働くどころかその修繕さえも手伝い、外へ買い出しにさえいく。

 本当なら相当苦しいはずだ。だけど彼女はそんな様子も一切なく普通の人が過ごすように過ごしていた。

 そのことを少し不思議に思いながらも特に気にする事はなかった。俺の知っていることは過去のもので今の医学や魔法医学ではこれが普通なのだと思って疑わなかったのだ。


 だが今分かった。

 リリアはその魔力を全て体の中に封じ込めた神秘的存在に霊力へと変えられていたのだ。

 それならば彼女が元気だった理由も頷けるし、キリヤが不完全放出魔力阻害を治そうとしていた理由もわかる。

 もしこの病を治さなければリリアの中に封じ込められた神秘的存在はその魔力を全て霊力に変えて成長し、いつリリア本人に牙を剥くわからない。

 だからこそその治療法を探していたのだ。


 しばしの沈黙。

 周りの喧騒が気にならないほどの二人だけの静寂だった。

 そしてその沈黙を破り口を開いたのはキリヤだった。


 「霊力と一緒に魔力も吸い出そう」

 「吸い出すって、不完全放出魔力阻害の治療法と同じ方法で?」

 「うん、それなら魔力を霊力に変えることを防げる」

 「だけど不完全放出魔力阻害の人間は魔力の生成過多だ。霊力に変換される前に全部吸い出すのは難しいくないか?」


 結局のところ魔力をどれだけ吸い出しても霊力に変換されては意味がない。医者が患者の魔力を吸い出すのはあくまで体内に溜まった魔力。不完全放出魔力阻害による生成過多な魔力を全て吸い出すのは腕の良い医者でも難しいのだ。

 しかしキリヤ至って冷静にその言葉を口にする。


 「安心してくれ。僕これでも魔法医学の研究員だよ?他人の魔力制御ぐらいならできる」


 エンリは驚く。

 それはキリヤの医者としての技量についてだ。

 戦闘において魔法や魔術などの魔力を伴う技術においてその魔力場や魔力の流れ、魔力そのものを乱したりするのは常套手段の一つとされている。

 もちろん簡単な技術ではないが高位の魔法使いや魔術師などにとっては一技術に過ぎない代物だ。


 しかしそれらはあくまで魔力の阻害するだけで、制御とまではいかない。

 それもそのはず魔力制御とはいわば相手の血流を自分の意のままに操るような技だ。そうやすやすと激しい戦闘の中できて良い代物ではない。

 そして戦闘以外においてもこの技を使えるものは全世界を見渡しても一握り、数える程度しかいないだろう。

 その中でも一番多いのが魔法医学の医者だ。と言っても両手で数える程度しかいないのだが。

 そしてキリヤもまたその一握りの一部。稀有な才能の持ち主なのだ。


 エンリは呼吸する間も無く即答で、頼む、と返す。

 それに対し無言の頷きで返すキリヤ。

 二人は各々の準備を始める。


 エンリの左腕に青と緑が混ざった半透明の光が複雑な紋章を描く。

 地面には乱雑に置かれた胡桃と一輪の花が置かれている。そしてその下には大きな円の上に小さな三つの輪が少し重なるように描かれたシンプルな魔法陣だった。


 神秘的存在からの霊力の奪取。それはいわば相手から神性を奪う荒業。いわば神への下剋上。普通なら誰もがやらないようなことだ。

 もちろん霊力を奪う側も無事ではすまないだろう。身体中の霊力を奪われるかもしれないし、それこそ殺されるようなこともあるかもしれない。

 それは魔力を制御するキリヤも同じことだ。いつどんな状況になってもおかしくない。

 だがキリヤはすでにそんなこと了承の上で覚悟しているのだろう。いやむしろそんなことすら考えていないかもしれない。


 胡桃と血華の花を使った魔法陣はその抵抗力を少しでも和らげるものだった。どれほど効果があるかわからないがないよりはマシだろう。


 エンリがキリヤの顔を見た。それに気づいたキリヤが頷き、いつでもと言ってくる。エンリは小さく、了解、と続けて。

 その左手でリリアの腕を掴んだ。

 次の瞬間、リリアの腕を駆け上るようにエンリの左腕に刻まれた紋章と同じものが描かれる。

 それと同時にキリヤが魔力の制御を始める。体の中の魔力を吸い出し、自分の体から放出する。そしてその生成される魔力が他の場所へ流れないように自分方へ流れ込むように制御する。


 赤。リリアの腕に刻まれた紋章が肩の方からすごい速度で赤く染まっていく。それに釣られリリアが絶叫する。それがリリア本人ものかそれとも体の中に封じ込められた神秘的存在のものかはわからないが本人には意識がないのでもしリリア本人だとしてもそれは無意識から出た声だろう。

 その体を捻るように暴れる。キリヤとエンリが同時にリリアを押さえつけるようにその体に体重をかける。

 その額には汗が浮き、眉間に皺を寄せている。

 リリアの表情は非常に苦しそうである。


 ピキッ、という嫌な音が聞こえた。エンリの左腕がその紋章に沿って裂ける。鮮血が宙を舞う。

 エンリは小さく声を漏らす。その出血は決して見過ごすことのできない量だ。

 使っていない右腕をトランクケースの中に手を突っ込み包帯を取り出す。そして口と右手を使って器用にその腕に巻いていく。

 隣ではキリヤが「大丈夫」と聞いてくる。その言葉にエンリは「問題ない」とだけ端的に返した。


 しかしそう言ったのも束の間、エンリが口から血塊を吐き出す。声をかけようとしたキリヤも同じように血塊を吐いた。

 思ったより抵抗が激しい。やっぱりお守り程度の魔法陣じゃ意味がないか。

 リリアの抵抗も激しくなっている。この調子でリリアの中の神秘的存在が抵抗を続けたらおそらく俺とキリヤは近くに限界を迎えるだろう。

 早く決着をつけなくては。


 エンリは自らの左手に描かれた紋章をさらに増やす。それは肩を越えて首を登り頬の辺りまでやってきている。

 それに合わせてリリアに描かれた紋章も頬の辺りまで伸びる。

 リリアの背に生えた翼が発光する。

 次の瞬間、エンリ目掛けて金色の羽が放出される。ゼロ距離から発射されるその攻撃にエンリは思わず、驚きの声を上げる。

 そして奪った霊力を使い無理矢理相殺させる。

 躊躇なしの一撃、どうやらリリアの中の神秘的生物も弱っているようだ。


 キリヤの方に目をやればそこには血涙を流し、エンリと同じくその腕が裂け血を流している姿がある。

 心臓を鷲掴みにされるような痛みが胸に走った。エンリは思わずその体をうずめ肺から目一杯の空気が口から外へ抜けるのを感じた。

 どうやらそれはキリヤも同じようで視線の先には苦悶の表情を浮かべるキリヤの姿があった。


 「大丈夫か?キリヤ?」

 「これ、ぐらい。なんてことないよ」

 「そいつは頼もしいね」


 おそらくこれが最後の攻防。俺とキリヤが勝つか。それとも神秘的生物が勝つかの戦いだ。

 心臓を押し潰される前にその霊力を全て吸収する。

 それはほんの一瞬。刹那にも満たない須臾の時間。一秒にも満たないその時間が運命を分つ。

 それはエンリが用意した胡桃と血華の花の魔法陣。その魔法陣が小さく発光する。持続的効果は弱くても一瞬だけならばその効力は天使や神の神秘的存在の攻撃さえも防ぐ盾になる。

 リリアの体に住まう神秘的生物の攻撃を反射した。霊力を遮断し一瞬の隙を作り出す。

 その隙こそが致命的であった。

 エンリはこの気を逃さずにその霊力を全て吸収する。


 リリアの背中に生えた翼が光の粒子となって夜の街に消えてゆく。

 先ほどまで存在した異常なまでの霊力は消え失せ、二人の心臓を握っていた圧迫感も消えてなくなっている。

 地面の上に横たわるリリアの顔にもそのどこか神秘的色は消えて人間味のある淡麗で綺麗な顔に戻っている。

 キリヤがリリアの胸元に耳を当て心臓の動きを確認する。


 「大丈夫。息してるよ」


 その言葉に心を撫で下ろし、エンリはその左腕から紋章を消してリリアの腕から手を離す。それによりリリアの頬にまで伸びた紋章も姿を消す。

 そして腰を落として空を仰ぎ見る。

 今日は本当に忙しかった。買い物に出たらお金がなくて店から追い出され、お金稼ぎのために冒険者ギルドに登録に行って、そこから依頼に向かったら正体不明と戦うことになって、それも終わったと思ったら、封霊体質の対象をするとは思わなかった。


 「今日は本当に長い一日だった……」


 そんな言葉がふいとこぼれ落ちた。

 空には満点の星空がこれでもかというほど広がっていた。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

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