長い一日<冒険者の娘>
それは三日前、冒険者ギルドから依頼された特別任務だった。
依頼内容は至極簡単な最近起きているテール洞窟内での行方不明事件の調査だ。
テール洞窟は古都シルバルサができる前から存在しており、その生成には数百年、数千年の時間を要しているだろうと予想されており、学術的価値が非常に高い洞窟としても有名だ。
またテール洞窟の第1層に存在する金剛光によってできた深林にはこの洞窟内でしか手に入らない薬草が生えており、その薬草は医学的にも魔術的にも触媒や薬として価値が高いため多くの初心者冒険者たちがこの洞窟を訪れてはこの薬草を集めながら冒険者としての経験を培って行くのだ。いわばこの洞窟は冒険者にとっての登竜門であり経験を積むのに重要な場所なのだ。
それに最初こそ冒険者の失踪など気づいていなかった。
この洞窟の初心者が多く利用する第一層から第三層までに魔獣は存在せず、四層以降の場所には魔獣がいる層も存在しているがしかしその強さで言えばそこらにいる獣と大差ない。多少怪我をすることはあっても、冒険者として武装し防具をつけた人間が、死に至ったり、怪我が原因で動けなくなるなんてことはないはずだ。
そもそもこの洞窟は初心者冒険者が多く理由するという理由もあり、定期的にBランク以上の冒険者が見回り、突然変異やどこかから迷い込んできた強力な魔獣がいないか確認しているのだ。見つかった場合はその場で討伐するか一度ギルドに持ち帰り依頼としてギルドに申請するかだ。
そこまで徹底してこの洞窟内の安全を守っているのにこれだけ多くの人が行方不明になるのは非常に奇妙な話なのだ。
さらに言えばこの事件が発覚した際、調査のため五人組のBランクパーティーがこの洞窟を調査しにやってきた。Bランクというのは中級冒険者ぐらいで、その実力は決して弱いわけではない。ドラゴンやガーゴイルといった魔獣ならいざ知らず、オークやオーガといった魔獣たちにも遅れをとるようなことはしない。その上、彼らは今回のような調査任務を幾度となくこなしてきたベテランで今回も無事に事件は解決し事なきを得ると冒険者ギルドは考えていた。
しかし結果は違った。
彼らは帰ってこなかったのだ。五人が五人とも帰還することはなく姿を消した。これにより危機感を強めたギルドはAランク冒険者パーティーである『地平に眠る狼たち』に新たに特別任務として依頼したところ、三日で受けた依頼を放棄し、それが巡り巡ってリアナが依頼を受けたという形が今、リアナがこの特別任務を受けた理由だった。
ふと視線を感じる。それは巧妙に気配を消し、姿を消しているが殺気だけは消しきれていない。どこかに潜みこちらをじっと見つめている。
リアナは咄嗟に大剣を抜き身構える。柄を握りハンドルのように回すと、大剣が変形し、刀身の中心が淡く緑に輝く機構が現れた。刀身は横にはけて金で縁取られた淡い青を含む銀の刀身が二分された珍しい形の体験へと姿を変える。
その変形が終わると同時にリアナは自分の中に封じ込められていた魔力を解放する。その反動で彼女に美しい金のツインテールが揺れて周りの草木を踊らせる。
こちらを睨むような視線は今だに消えることはない。
警戒をしたまま周りを見渡す。
次の瞬間、金属音と耳を塞ぎたくなるような高音の声が森の中を木霊した。
その声にリアナは思わず肩を竦める。
木々の隙間を縫うように現れたのは一つの獣の姿。赤く濁った黒の体毛はまるで全てを威嚇するように逆立ち。蛇のように動くしっぽは槍のように鋭い。狼とハイエナを足したような顔は獣としての本能を現れなのか口からはヨダレを垂らし、長い牙が垣間見えている。
そしてきわめつけはその爪だ。鉱物や宝石で作られたその爪は地面をえぐるほどに鋭く破壊力のあるものだ。
「鉱爪獣カルカジア!?なんでこんな場所に!?」
カルカジアは地面を蹴る。獣以上の身体能力から発される超加速はリアナの瞳には映らず、一瞬のうちに姿を消したように見えた。
しかしその走る音と空気が揺れる音だけが聞こえて来る。
ゆえに後方からの完全な不意打ちを防げたのは奇跡に近いだろう。
その宝石と鉱石でできた爪を大剣の腹で受ける。その勢いはまるで弾丸のようでリアナの体を後方へ押し出す。しかしどうにか踏みとどまり力任せに放り出す。
そしてすぐに剣に魔力を送る。暴風が吹き荒れ、中心の機構が激しく発光する。まるで風が大剣の集まっているような光景だ。
リアナは大剣を大きく振りかぶり前に振り抜いた。次の瞬間、実体を持った風がカルカジアの方へ飛んでいく。それ読んで字のごとく疾風と呼ぶにふさわしい速さだ。
しかしその攻撃は当たることなく後方の木を伐採しただけとなる。カルカジアが当たる寸前で避けたのだ。その証拠に地面に大きく抉れた跡がある。突然に回避に地面が耐えきれなかったのだろう。
カッカッという木を蹴る音が聞こえる。カルカジアがリアナの周りにある樹木を蹴って場所を特定させないようにしているのだ。
そして飛びかかるように襲って来る。リアナはその攻撃を紙一重で避けて剣を振る。しかしそこにはすでにカルカジアの姿はない。残っているのはカッカッという音だけだ。
そんな攻防を何回かしてじれったくなったリアナは大剣を自分の前に構える。
剣に再び風が集まる。しかしそれは先ほどとは毛色の違ったものだ。まるで嵐の前触れのような生暖かく恐怖を煽るような風。何処と無く本能が不安を煽るような風だ。
大剣の中心の機構も緑の光を激しく発光させる。
そして次の瞬間、リアナを中心に半径十メートル圏内の木々が全て切り倒された。完全無差別な回避不可能の攻撃だ。
倒された木々はどれも木っ端微塵に切られ砕けている。この中にカルカジアな死体があってもその証拠は鮮血の赤い色だけだろう。むしろ風に乗って赤い鮮血さえもどこかに流され消えているかもしれない。
リアナは大剣の柄の中から焼け焦げた淡い緑色のカートリッジを捨てて新しい緋色のカートリッジを入れる。
そしてあたりに広がる惨状を見てリアナは腰に手を当てて天井を見上げた。
「どうしたものかな……」
そんな言葉が無意識に漏れた。
おそらく今回の事件はこのカルカジアが起こした騒動なのだろう。これから細かな調査や証拠集めをするとして最大の証拠であるカルカジアの死体は自分が跡形もなく消しとばしてしまった。
そのせいで報告書を書き上げるのが随分とめんどくさそうだ。
リアナは大剣を背に担いで洞窟の入り口に向けて踵を返す。
とりあえず冒険者ギルドに報告を入れよう。調査は後からでもできる。死体も消し飛んだので今すぐ証拠を探す手間もない。まずは結果を伝えてから証拠を集めて結果を詰めていこう。
そう考えを固めた時、後方から一つの影が飛び出した。
砕け散った木片の中から姿を現したのは先ほど戦っていたカルカジアだった。
「しまっ……!?」
言葉を言い終わる前にリアナは後方へ激しく飛ばされる。カルカジアの攻撃をもろに食らったのだ。ギリギリ大剣を間に挟み防御が間に合ったので体をえぐられる致命傷にならなくて済んだのだが、その衝撃は完全には殺しきれず派手に吹き飛ばされたのだ。
飛ばされたリアナは一瞬の無重力を体感する。そして回避のできない決定的な隙を晒すことにもなった。
吹き飛ばされたリアナを追撃するように複数の飛来物が迫る。それは黒や銀、赤や青といった色とりどりな色合いで、その光沢も様々だ。しかし見ただけでわかる。あれはカルカジアが自分の能力で鉱物や宝石に変えた木片だ。
元が木片といえど今はそう金属と変わりない当たればかなりのダメージとなるだろう。
しかし地面に足がついておらず無重力を味わっているリアナにとって回避は不可能。もとより超高速で迫るその物体を避け切れる人間はそうはいないだろう。
リアナはその変質させられた木片にぶつかりさらに加速し十メートル後ろの気に激突した。
その衝撃で口から声にもならぬ音が出て、ゴポッと血塊が出る。
そして崩れ落ちるように地面に膝をついた。
その整えられた髪が乱れ汚れている。その端正な顔立ちにも焦りと緊張、不安と疲れが見て取れる。この状況、どう見てもリアナの劣勢であった。
それを好機と見たカルカジアは大きく跳躍、その牙と爪を持ってしてリアナの首を掻き切ろうと迫ってくる。リアナもそれに反撃しようと券を構えるもその重さを支えきれず再び膝をついて木にもたれかかるような形になった。
絶体絶命。リアナも覚悟し、目を瞑る。
下手こいたわね。まさかこんなあっけない幕切れなんて。……ごめんね、父さん、できの悪い娘で。ごめんねお母さん、親不孝な子供で。
しかしリアナが予想していたような衝撃はやってこなかった。
ふと目を開けるとそこには灰色の髪を持った巨漢の男と茶色の髪を持った若い男が寸前のところでカルカジアの攻撃を止めていた。
「大丈夫か、リアナ!?」
「シンバさん!?行方不明だったんじゃ!?」
そこにいたのは行方不明となっていたBランクパーティーの五人組だった。
どうやら彼らがやられかけていた自分を助けてくれたらしい。
少し離れたところから修道女の格好をしたクリーム色の髪の少女が近づいてくる。
「リアナさん、大丈夫ですか!?今、治療しますね!」
「ありがとう、ティアさん」
「いえいえ、これぐらいお安いご用です!」
そういって少女は詠唱を始める。その詠唱が終わると先ほどまであったリアナの体にできた傷がまるで嘘のようにそれこそ時間を巻き戻したかのように治っていた。傷ひとつない姿だ。
傷が治ったことを確認すると側に落ちている大剣を掴み立ち上がる。そしてティアと呼ばれたクリーム色の髪の少女を庇うように一歩前に出る。そして攻撃を防がれて動けないでいる、カルカジアの腹を勢い良く蹴った。
甲高い声を鳴らしてかなり離れた場所まで吹き飛ぶ。
そしてシンバの隣に並ぶように立つ。
「助かりました、シンバさん。メイルさん」
「気にすんな。冒険者は助け合いだからな!」
そういって豪快に笑う灰色の髪を持つ巨漢の男。
いつもと変わらない彼の姿にリアナは軽く微笑を浮かべて聞く。
「みんなこそ大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
「みんなが任務から帰ってこなかったから任務の重要度がまして私のところに特別任務として回ってきたのよ」
「ああ、大丈夫だよ。見ての通り、どこにも怪我してないし」
そう言ってシンバは鎧で包まれ自分の胸を叩いて見せた。籠手と鎧がぶつかりあい金属特有の音がなる。
確かにシンバやメイル、ティアの姿は一週間もの間行方不明だったとは思えないくらい綺麗だ。やつれている様子もないしどこかで休息を取っていたのかもしれない。
「あそこにいるのが今回の事件の元凶?」
「ああ、あのカルカジアが冒険者達を襲っているんだ。俺たちも襲われて怪我をしたから洞穴に身を隠してやり過ごしていたんだ」
シンバがメイルとティア、カルカジアの後ろで短剣を構えている逆立つ髪を持ったヨルラと少し離れた木の上で弓の弦を弾きいつでも矢を放てるように待機しているディークに目配せをする。
全員が頷いたのを確認してリアナを見る。
彼女はパーティー嫌いのソロ冒険者として有名だがこんな状況で共同戦線を張らないほど愚かでなければ頑固でもなければ、命の恩人に礼儀を知らない対応をするほど外道でもない。
ディークがカルカジアめがけて雷でできた矢を放つ。目映い閃光が紫電となって辺りに走る。それを合図にシンバとメイルが走り出し、メイルがその巨体と大きな盾を生かしてカルカジアに直接タックルを仕掛ける。辺りをかける紫電を避けるのに意識を回していたカルカジアはそれを避けきることができずに当たる。
大きく体勢を崩したカルカジアは空中で身をよじり体勢を整え近くの木に垂直に着地する。しかし着地した先で待っていたのは短剣を構えているヨルラだった。
まるで地面を滑るような特殊な走法でカルカジアに近づき小回りのきくその短剣で連続攻撃を与える。カルカジアはその攻撃を木から木へと飛び移り、その膂力を生かした加速でヨラルに噛みつこうと突進するも、それをメイルが受け止め、上から叩きつけるように短剣を突き刺す。
しかしカルカジアもその短剣を予測していたのか、盾を駆け上るようにその攻撃を避けて、宙を舞う。
だがそれが、それこそがカルカジア最大の過ちであった。
カルカジアが宙を舞う自分とは違うもう一つの影を見た。そこにいたのはシンバであった。剣から凍気が溢れ出る。それは白の色となって視覚的わかるものとなっていた。
シンバはその剣を目一杯振り下ろす。空中においてはどれほど機動力が優れようと、鳥でもない限り足場のないこの場で攻撃を避けきることは不可能だ。
その攻撃はカルカジアに直撃しその肌を凍らせ、地面に叩きつける。
カルカジアは苦しげな声をあげ、クレーターとなった地面の上に落ちた。そこにティアがその杖を振った。
金色の光がカルカジアを囲うように現れる。それは神聖術による結界だった。神の祝福により使われるその結界はありとあらゆるものを閉じ込める鉄壁の檻だ。
それに気づいたカルカジアは逃げようと結界の壁を蹴って上と駆け上がる。しかし頭上から振ってきた雷の矢によってそれすら拒まれる。再び地に落ちたカルカジアはふとに無意識的に前を見た。
そこには剣を天高く掲げ、その異常なまでの魔力を圧縮し、その大剣へと貯める一人の少女の姿あった。
煌々とさんざめくその光はまるで太陽のようであり、その姿を見ただけで目を焼かれそうだ。周囲の草木がその熱気に圧倒され自然に発火してゆく。
「焼き尽くされなさい、非陽極炎」
全てを破壊する炎の柱は天井にまで達する。その威力に岩造りの天井は耐えかねて砕け、あたりに破片を落とす。炎柱が達した場所は溶けてまるで溶岩のようになっている。地面が揺れて、並の人間ではその場に立っていることすらままならないだろう。
その威力は生物の骨の髄まで徹底的に圧倒的に全てを灰燼と化すだろう。
リアナが放った攻撃によって発生した熱風が収束していく。そしてそれはまるでもともとそこになかったように何も残さずに消滅する。
その攻撃の威力を証明するものは今となっては目の前に広がる焦土となった森の姿だけであった。
周りの燃えていた木々もいつの間にか鎮火している。
流石に次こそはカルカジアは確実にその命を土に還しただろう。
「これで任務は完了ね。あとの調査報告は任せていいかしら?」
「ああ、任せてくれ。あとは俺たちがうまく言っておく」
その言葉を聞いてリアナは、流石に少し疲れたわね、とよろめいてシンバたち五人に背を向けた。
洞窟の出口へ足を進めた時、不意に膝から崩れ落ちた。
「え?」
視線を落とすとそこには一本の剣が腹部に着く刺さっていた。その服には徐々に徐々に鮮血が染まっていく。
「どうし、て?」
後ろを向くとそこには俯くシンバの姿があった。その手にはリアナの腹部を突き刺している剣の柄が握られている。
シンバは何も答えない。その表情は影が落ち読み取れない。ふとシンバの後ろに視線を向けるとそこに無気力なまでに俯く四人の姿がある。
どう見ても普通ではなかった。
シンバがその剣をまるで内臓をえぐるようにかき回して抜く。その苦痛に声をあげてリアナは地面に倒れ落ちた。ただでさえカルカジアとの戦闘でダメージを受けていたのにこの不意打ちはあまりにも予想外すぎたのだ。
リアナは刺された腹部を庇うように抑えて立ち上がり、五人の姿を見据える。
大剣を構えようと持つもその重さは手負いのリアナには重過ぎた。そしてカートリッジも変えていないその剣では魔法を使うこともできず、単なる大きな鈍器として機能しか残されていなかった。
瞬間、シンバの姿が消えて突如として前に現れる。その時初めてその顔を見ることとなる。
彼の顔には目と口はなく。ただただ深い深淵へと誘われるような暗黒となっており、顔の所々にはまるで虫に食われたかのようにかけている。あまりにも狂気的で本能が彼を認識するのを拒んでいる気がする。
彼の後ろにはシンバと同じように目と口は深淵になっている四人の姿があった。それは絶望に似た感覚をリアナに与える。
シンバの形をした何かはリアナの首を掴み持ち上げる。
「はな、しなさい!」
必死に抵抗するもその力はすでに人間のものではなく到底、単なる人間であるリアナにはその腕を振りほどくことは不可能だった。
ふと視界の端にあるものを見つける。それは赤黒い毛がまるで全てを威嚇するように逆立ち、蛇のように動く尻尾は槍のように鋭い。狼とハイエナを足したような顔立ちには見覚えがあった。
鉱爪獣カルカジアだーー
「そういうこと……」
どうやら私は勘違いをしていたらしい。今回の行方不明事件はこのカルカジアが主因だと思っていた。シンバたちのパーティーや多くの行方不明者はそれが原因だと。だが違った。彼らは行方不明ではなく、すでに死亡していた。
目の前にいるカルカジアがその証拠だ。
彼にはシンバたちと同じよう目と口はなく。その深淵だけが存在している。この事件の後ろには何者かがいる。より強大で恐ろしい何かがこの洞窟に潜んで獲物が来るのを待っているのだ。
この事実を誰かに伝えなければ、でなければより被害は大きくなる。その毒牙はいつか街にまで届くだろう。
リアナはそれに気づき身動ぐも、人間離れしたシンバの力を振りほどくことはできずに徐々に徐々にその意識が暗くなっていく。
不意にシンバたちの裂けた口元が笑ったような気がした。
そしてその体は次第に形をなくしていき、空間に広がるノイズのようになり、しまいには認識すらできなくなっていく。まるで悪い夢でも見ている気分だった。
そんな芸当のできる魔獣は見たことも聞いたこともない。
次第に自分の意識が曖昧になり、その存在が何かに溶けていくような感覚を受ける。気持ちが悪くて、気持ちが良くて、気色悪くて、不愉快なその感覚は足から全身へと広がり、自分という存在が曖昧になっていくのを感じた。
ああ、私ここで死ぬんだな。
そんなことを思ったのはすぐのことだった。正確には死とは別種の彼らのような恐ろしい存在に成り代わるのだろう。そんな予感が漠然と自分の中で存在した。
手に握っていた剣を落とす。
その大剣は音なく地面に落ちて倒れる。後ろにいるカルカジアや四人の姿はすでに認識できなくなっており、今ここにいるのはノイズとなりかけているシンバの形をした何かとリアナだけだった。
ふと目を瞑る。願わくが少しでも人に迷惑のかからないものになれますように、と。
シンバの体がその形を失い完全なノイズとなってリアナを包もうとした時、音が聞こえた。
それはまるで森をかける疾風のようで新たな始まりを告げる春風。もしくは意識せずとも面倒ごとに頭を突っ込む少年の足音だろう。
リアナは目を開ける。シンバの形をした何かにはその音が聞こえていないらしい。恐怖のあまり誰かが来る妄想をしているのかもしれない。これはその幻聴の一つかも。
そんなことを考え自分で自分を嘲笑した。
しかしその音は明らかに近づいて来る。
疾く駆けるその音はカルカジアとの戦闘で焦土となった場所に向かってきている。
リアナが無意識に静かに涙をこぼす。その涙は焦土となった地面に落ちた。そして絞り出すように小さくか細い声で言った。
「たす、けて……」
それは彼女が初めて言った弱音であった。
毅然と振舞っていても彼女はまだ17の子供なのである。冒険者としても覚悟も責任もわかっている。だから彼女は自分の弱さや本心を隠して死ぬその時まで弱音を吐こうとしなかった。いや吐けなかった。
怖くて泣きたかったはずだ。誰かに弱音を吐きたかったはずだ。だけどできなかった。周りにはリアナという一人の少女を見ているのではなく。冒険者として蒼雷の英雄と白炎の聖女と呼ばれる二人の伝説的冒険者の娘として見る人間しかいなかったから。
だけど、それでももし、もし叶うのならば、私をリアナ・リバースと言う一人の少女として見てくれる人がいるのならば、その人とは本心で語り合おう。
私の弱さを、脆さを認めてくれる人がいるのなら友となろう。
もし私を、伝説的冒険者の娘という解けない鎖で雁字搦めにされて動けなくなってしまった私を助けてくれる人がいるのなら、その人とは仲間になれるだろうか?
形の崩れたノイズまみれの姿となったシンバの後ろから一つの影が飛び出す。
それは黒い髪に淡い緑の光を放つ魔石の入ったペンダントを掛けており、両手で大きく持っているトランクケースを振りかぶっている若い男の姿だったーー
ここまで読んでくれてありがとうございます。
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