長い一日<冒険者ギルド>
それは必然的偶然の元に起こった。ことの始まりを考えれば運命的な縁すらも感じる。少なからず彼女との出会いが俺をそして俺たちを波乱へと巻き込んだことは確かだ。いや実際はもっと前から俺たちはそれに関わっていた。
キリヤで言えばテロ組織に脅されてから、リリアで言えば生まれた時から、ヨラルで言えばあの狂った人間の発明した薬を投与されてから、俺で言えばあの人と出会った時、この大きな波乱と事件へ巻き込まれていたのだーー
その日、エンリはいつもより早く目を覚ました。空が白み出した頃にその白い光が視覚神経を刺す。小鳥のさえずりを小耳に挟みながらアンティークなベッドから体を起こした。
この街にやってきて四日、この宿に泊まって三日目の朝だ。
部屋に備え付けの洗面台で顔を洗いエンリにしては珍しく荷物の確認をする。トラックケースの中の物やポケットのものなど体の隅々まで。
彼がここまでする理由は一つ。
エンリは今日、お目当の研究道具を購入しに店へ赴くのだ。
ここ三日間エンリはキリヤやヨラル、リリアとともに宿の修繕に勤しんでいた。材料調達に買い物などには出たものの個人で自由に街の探索を行うことは今日が初めてである。
しかしいくら楽しみで早起きしたとて空が白み出したばかりのこんな時間に店が開いているわけもなく時間を潰すためエンリは宿の一階へ向かった。
軋んだ音を鳴らす階段を降りながら一階に顔を出す。早朝の光が窓から差し込み開店前の宿屋を照らしている。テーブルの上に上がった椅子や何かの用事でどこかに言ってしまったのだろうか?掃除用具が壁にかけかけられ放置されている。
静まり返った店内、その静寂が無性にむず痒く大声の一つでも出したい気分だ。まあ普通の迷惑なのでやらないが。
適当なテーブルの適当な椅子をおろし腰を下ろす。
特にやることのない時間。そんな時はいつも時間の進みが遅い。
やることもないのも暇だと思い席を立ち壁際に置いてあるコーヒーメーカーに近寄る。
ここ最近では珍しくなった魔導具ではない手動タイプのやつだ。俺が生まれた時にはすでにほぼ全てのコーヒーメーカーが自動でできるやつに変わっていたのでこの宿に来て初めて手動タイプには触れた。
やり方をヨラルに教わったので自分でも淹れれるようになった。
コーヒー豆を取り出しコーヒーを淹れ始める。
しかしまあ自分が飲むだけなのでかなり適当である。
常備されているミルクと砂糖を適当に入れ元いた席に戻る。
大人しく席に座りコーヒーを飲んでいるとキッチンの方からリリアが顔を出した。
その黒く艶やかな髪を頭の高い位置で結びポニーテールにしている二十代前半の女性だ。
「あ、おはようございます。エンリさん」
「おはよう、リリア。コーヒー勝手に貰ったけど問題なかったかな?」
「ええ、大丈夫ですよ〜」
リリアは壁にかけかけてあったモップを手に持ち掃除を再開する。
たった三日しかこの宿にいないが随分と馴染んだと思う。
まあ一日目であんな目に合い、次の日には宿の修復を手伝ったのだからそれだけ仲良くなるのも早いわけである。
リリアがモップがけしながら話しかけてくる。
「それにしても今朝は早いですね?」
「ああ、いつもより早く目が覚めてね。自分でもこんなに早く起きるつもりはなかっただけど……」
「そうなんですか?でも早起きは三文の徳と言うことわざがあるぐらいですから何かいいことあるかもですよ?」
「そうかもね」と適当な返事を返しコップのコーヒーを一口飲んだ。
ふと、リリアの頬が緩んでいることに気づく。なぜかわからないがすごく嬉しそうだ。
手に持ったコップをテーブルに戻し「何かいいことでもあったの?」と聞いてみる。すると「これからあるんです」と彼女はいった。
最初こそその言葉の意味がわからなかったが色々考えているうちにその言葉の意味がわかり「あ〜、なるほど」と顔がニヤつく。
おそらくリリアは今日、キリヤとともにデートにでも出かけるのだろう。
昨日、先日から連日宿の修理を手伝っていた二人はろくに恋人らしいこともできずここ数日間を過ごしていた。それを悪いと思ったヨラルが今日、リリアが休むように調整したのだ。
本人からすれば複雑な気持ちだろうがリリアとキリヤからすれば嬉しいことこの上ない申し出だっただろう。
「楽しんできてください」
「はい。楽しませてもらいます。エンリさんも良い一日を」
そうリリアは微笑んで再び厨房の方へ戻っていった。
その直後と古ぼけた宿の入口の鈴の音がなった。
からんからん、まるで喫茶のようなその音に自然と視線が吸い寄せられる。そこには実用的で実戦的な筋肉を持った巨漢の男が立っていた。ヨラルだ。
ピッチピチのエプロンは今すぐにでも張り裂けんばかりに悲鳴をあげている。
手には回覧板と大きな木箱を持っていた。
「おはよう、エンリ。今日は早いな」
「おはよう。さっきリリアにも同じこと言われたよ」
「はははは!親子だからな考えも似るんだよ」
「そういうもんかね?」
「そういうもん」
そんな会話をしているとヨラルは木箱の中から一つ赤い果実をエンリに投げ渡す。
それは美しいほどに光沢の乗った赤いりんごであった。
「さっき仕入れたものだ。新鮮だからうまいぞ!」
その言葉に乗せられ一口かじってみる。その瞬間口の中に果汁が弾けたような感覚があった。それこそ直接何か飲み物を飲んでいるかのようなみずみずしさだ。その上非常に甘く、食べやすい。料理をしない素人の自分でもこのりんごはいいものだと人目でわかるほどだ。
ヨラルがこちらを見て「そんなにうまいか」と言いながら笑っている。
どうやらその衝撃が表情に出たらしい。まあ実際うまいので言葉にする必要がなくなったと考えればよかったのかもしれない。
「さてさて、今日はりんごのケーキでも作るかね」
「え?ヨラル、ケーキ作れるの?」
「まあな。だけどケーキしか作れない。レティの好物でね。学生時代、彼女の気を引くために必死に練習したんだよ」
「なるほど。奥さんの好物だったのか」
「ああ、無類のケーキ好きだった」
「じゃあ、その奥さんを落としたケーキの腕前楽しみにしてるよ」
「ははは!楽しみしてろ。あまりのうまさに腰を抜かすなよ」
そう言ってヨラルは笑いながら木箱を持って厨房の方へ入っていった。
こうして激動の一日が始まるーー
午前10時ごろエンリはトランクケースを手に持ち宿を出た。手にはこの街に来た時から目をつけていた店や場所を記した地図を握りしめその一歩を踏み出す。
宿のある路地裏を抜け人通りの盛んな大通りに出る。人の気配がしない裏路地からは予想もしない賑わい。暦的には今日は休日である。
そのことを知っていればこの人の多さも理解できるだろう。さすが歴史ある古都だ。人の数が違う。
エンリはそんな人の多さに辟易しながら目的地のある方向へと歩を進めた。
12分後、人の波の中から逃げるように飛びてくるエンリ。目の前には目的地の錬金術に関する実験道具などを多く取り扱っている店に出た。
決して新しくもないが古くもない煉瓦造りの建物。よいしょよいしょに使われた木組みがちょっとしたおしゃれを演出している。外に面した窓には錬金術師御用達の道具の新作などが展示されておりここが錬金術に関する店だという事実は疑いようがないものだ。
エンリは意気揚々と店の扉を叩いた。
中に入るとずらっと錬金術に関する道具が立ち並んでいる。中には昔、自分が道具を買ったときには見なかったものも存在している。
まるで夢の世界に来た気分だ。時代も変わればここまで品揃えも変わるかと思いながら店内を見回す。その瞳は一睡の曇りもない。まるで生まれたての赤子、もしくはおもちゃを眺める小さな子供だ。
そんな自分の顔がふと器具に反射して見え、緩んだ顔を少し緊張感の持ったものに戻し、胸ポケットから一枚のメモを取り出した。
そのメモには買い足す道具が書かれている。
さてさてどれから買ったものか。練金台も買え変えないといけないし遠心分離機もそろそろ寿命だ。だからと言って抽出機も疎かにできない……へぇー、今は物質構成を簡単に調べてくれる道具もあるんだ。便利だな。欲しいな。あれも欲しいしこれも欲しい。
欲しいものが多すぎる。
そんなことを考えているエンリの脳裏にある一つの結論が思い浮かぶ。
この際全部買うか。
もともとこの旅は道具の買え変えも含めたものだ。なら別に欲しい道具を全部買うのはおかしいことではないだろう。うん!そうだ!そのはずだ!
そんな風に自分を適当に納得させエンリは手にいっぱい道具を抱えレジへ向かう。
「合計341000レーンです」
「はいはい、341000レーンね。さてさて財布はどこかな?」
そんな風に言いながらトランクケースの中から財布を探す。
「お!あったあった」と言いながらその本革製の古びた財布を取り出す。そしてある重大な事実に気づく。
お金がない。
エンリが首をかしげる。財布をひっくり返しても中から出てくるのは少しの埃とゴミだけ。一円たりとも彼の財布からお金が出てくることはなかった。
「ははは」
「ははは」
エンリは苦笑いとも微笑とも嘲笑とも取れない微妙な表情でそれに気まずそうに店員も笑う。
「後払いでいいですか?」
「お引き取りを」
こうしてエンリの楽しい楽しい買い物は終わった。
今思えば俺は旅に出てから一度も財布を出していない。先日入った喫茶店もキリヤに払ってもらったし、宿代も後払いだ。ここ数日間の夕食も宿の修理を手伝ってくれているという理由でタダで食わせてもらっていた。あれ?結構、やばい状況では?金を一度払ってないであって間もない人たちに飲み食いさせてもらってるってただのクズなのでは……いや待て待て、どれも好意によるものだ。喫茶店に関してはキリヤが有意義な話だったと自分の知らないうちにお金を払ってくれて、宿もリリアとヨラルの好意によるものだ。夕食だってここ数日間は宿の修繕という仕事をこなしていた。つまり俺は働いている。まだ健全なはずだ。
そういってエンリは無理やり自分を納得させることにした。
得たものは特になく失ったものも特にない。しいているなら旅に出てお金を出さず飲み食いをしていたことに少しの罪悪感と胸の痛みを覚えた。
だがもはやそれは過去のことだ。今みるべきは未来。このままで研究道具が買えないどころか、宿代だって払えたものではない。それに今日からは夕食代もある。早急になんとかしてお金を稼がねば。
エンリは考えた。人々が和気藹々と過ごす町の中心、大きな噴水がある広場のベンチに座り一人、足を組み顔に影を落としながら必死に考えた。
そんな時一つの会話が耳に入る。
「今日のクエストビリックの討伐だってさ」
「マジかよ!俺あいつ嫌いなんだよな。なんというか見た目が生理的にきついんだよ。あの虫と豚と触手をごちゃ混ぜにしたような見た目が」
「わかる。精神的にくるよな。冒険者でランキングとったら嫌いな魔獣ランキングの上位に入りそうだ」
「ああ、唯一の救いはあんまり強くないことかな?あんな見た目のやつと長期戦した日には気が狂うぜ」
「違いない」
そんな風に笑い合う二人の男。鎧を着て剣を携えたその二人には見覚えがあった。
それは冒険者と呼ばれる人たちだ。冒険者ギルドに所属し個人またはパーティーで魔獣や依頼をこなす集団。魔獣の討伐や素材集めといった危険な仕事から薬草集めや木々の手入れなど基本的にどんな仕事でも引き受けてくる言ってしまえば何でも屋のようなものだ。
そして冒険者は依頼が完了した際その場でお金をもらうことができる。今日の夕飯代にも困っている今の俺にはちょうどいい職業だ。
と、なれば善は急げ地図を広げこの町の冒険者ギルドを探し出し歩き出す。
エンリは人の波に飲まれ揉まれ流されながらも冒険者ギルドの建物へと向かったーー
それは木組みの建物だった。柱の白い塗装がはげかけて木本来の色が見える程度には古い建物だ。だからと言って古い印象はない。それは綺麗に清掃され外見もあるだろうがそれ以上に人の行き交いがその活気の良さを表現しておかげだろう。
建物の上にある看板には冒険者ギルド<シルバルサ支部>とデカデカと書かれている。これほど大きな看板なら遠くから見ても簡単に見つかるだろう。
そんなことを考えながらエンリは古い建物特有の重い扉を開けて入った。
床が軋む感覚はあったが音は聞こえなかった。
中はまるで祭りのような騒ぎ、右へ左と人が動く。
どうやらここにいるほぼ全ての人が冒険者のようだ。想像の何倍も多く少し驚いた。
ふと前を見てみると、これから行く依頼の作戦会議だろうか?何人かの男女が集まり真剣な顔で話し合っている。と思えば隣では椅子に座った美人を必死にナンパしている男もいて、その奥には大勢の人間が昼間だというのに酒をあおっている。まるで酒場に迷い込んだかのようだ。
少なからずこの状況を見てここを冒険者ギルドと判断できる人間は少ないだろう。いやむしろこれが普通なのか?
長い間山に引きこもっていたせいでこれが普通なのかそうでないのかすらはんだできず疑問は宙ぶらりんだ。
まあ半数以上が酒を飲み、三割が談笑し一割が喧嘩をして、残りの幾分かしか冒険者らしいことをやっている人がいないのはもはや酒場と言っても過言ではないのではないだろうか?
まあそんなくだらないことは後にしていまはとりあえず冒険者登録を済ますことが先だな。
そう考え辺りを見渡す。しかしどこもかしこも酒を飲んでいる人間ばかりで受付らしき場所は見つけられない。
ふらふらっと建物の奥に向かうよに歩いて見てもやはり受付は見当たらない。唯一見つけたのは酒を提供しているカウンターだけだ。もしかして本当に酒場に迷い込んでしまったのだろうか?
そんなことを考えていても意味がないのでエンリは人に聞いてみることした。
ふと目の前にいた一人の少女に視線が止まる。
それは彼女が随分と綺麗だったからだろうか?
絹のよう美しい金の髪を側頭部で結い短いツインテールで仕上げその姿は有名な画家が描いた一つの芸術品のように美しく。まるで絵画のようだった。決して何か特別なことをしているわけでもない。ただただそこのカウンターで売っているなんの変哲もないお茶を飲んでいるだけなのになぜか絵になる。
美少女というものはついにも恐ろしいものだ。
まあエンリはたまたま目に止まった彼女に声をかけて見ることにした。
それは決してやましい気持ちがあったわけではない。ただ周りの酔っ払い達の他にまともそうな人間が彼女しかいなかったというちゃんとした理由があるのだ。
「あー、ちょっといいですか?」
エンリは少女の声をかけた。
しかし無視された。聞こえなかったのかと思い再び声をかけて見る。
「すいません、カウンターの場所を知りたいんですけど……」
しばしの沈黙の後、少女が振り返る。深藍色を基調とした鮮やかなその瞳はまるで氷のように冷たく冷ややかなものだった。
それは人を信用していないまたは人を深い深淵へ誘うような雰囲気であった。
その薄い唇が静かに開く。
「あなた初心者?」
「まあ初心者かな?」
「そう、カウンターはあっちの方にあるわ」
その端的で尖った氷塊にでも刺されたような声音は彼女に氷のような美人という印象を与える。
エンリは彼女が指差した方向を見る。人の合間を縫って微かにカウンターらしきものが目に入る。思ったより建物の端っこの方にあるようだ。やはりこの建物、酒場が主体なのでは?表面の冒険者ギルドの看板を下ろした方がいいのかもしれない。
「ありがとう」と言ってエンリは彼女のそばを離れた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
ブクマや感想、評価などよろしくお願いします。