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宿<父親>

 宿屋一階。時刻は5時を過ぎた頃、エンリは早めの夕食をとっていた。

 古ぼけた木製の椅子に腰をおろしキリヤとリリアと一緒に食卓を囲っていたのだ。

 リリアの振る舞う手料理は実に彩り豊かでどれも美味しく高級レストランのシェフとも渡り合えるほどの腕前だ。

 しかしその中でも彼女の作る鮭のムニエルは群を抜いて美味しい。何か怪しい薬が入っていそうなほど美味しいのだ。バターの香りと上に散らされた胡椒の香りが食欲を誘い塩で味付けられただけのシンプルな味付けながら万人を虜にするであろう美味しさだ。

 結局何が言いたいかというとリリアが作った鮭のムニエルは今まで食ったどんな料理よりうまいということだ。


 「キリヤ、君は本当にいい人を捕まえたよ。これだけ美味しい料理を作れる人はそういないよ。君は幸せ者だ」


 そう言いながらエンリは幾度目かおかわりである鮭のムニエルを頬張る。

 その光景にキリヤはあまりにも狂信ぶり食欲に若干引き気味である。しかし対照的にリリアは美味しそうに食べるエンリを見て頬んで見てる。料理人冥利に尽きるだろう。


 「しかし悪いね。こんな美味いもんタダで食わせてもらって」

 「いえいえ、久しぶりのお客様ですし、今日のお詫びも兼ねてますのでじゃんじゃん食べてください。存分に腕を降るって料理を作らせてもらいますよ!」


 そんな他愛もない雑談をしていると階段の方から音がした。その足音は次第に近づき影を見せた。

 筋骨隆々の大男もとい店主であった。どうやら目が覚めて降りてきたらしい。

 店主は目をパチクリとさせ目の前で起こっている状況を必死に飲み込もうとしている。エンリはめいいっぱいに頬張った鮭のムニエルを頑張って飲み込もうとしている。

 しばし階段の上で静止した後、一階まで完全に降りきり頭をかいた。

 そして素っ頓狂な声で言った。


 「えっと、何があった?」


 どうやら記憶がないらしい。三人はガクッと肩を落とした。

 リリアは店主をテーブルの方に呼び椅子に座らせた。何が何やらわかっていない店主は混乱している様子だ。

 それもそうだろう店の床には穴が空いており、エンリが大立ち回りした時に吹き飛んだテーブルや椅子などの破片などが散乱している。記憶がないなら混乱するのは当たり前だ。


 「初めまして、店主さん。エンリです」

 「あ、ああ、初めまして。この店の店主をやってるヨラルだ。よろしく」

 「よろしく」


 そう言ってエンリはヨラルと握手し再び鮭のムニエルを頬張る。

 この男おそらく今頭にあることは鮭のムニエルのことだけだ。

 しかし頭の片隅であることを考えていた。一体、ヨラルはどれほど記憶を失っているのだろう。俺と戦ったときか?それともリリアと話してた時か?もしくは薬を刺された時だろうか?

 どちらにせよリリアとの会話の記憶が消えていれば非常にめんどくさいことになりそうだ。それはつまり自分の娘が彼氏を紹介すると言った記憶を失っていることになる。薬で凶暴化したにせよ娘への愛で凶暴化したにせよ愛娘の口から彼氏について言及があれば多くの父親は心に傷を負うものだ。


 「初めまして、ヨラルさん。リリアさんとお付き合いさせていただいているキリヤ・ベルベロラと言います。よろしくお願いします」

 「え?あ、うん?……よろ、しくお願いしま、す?」


 どうやら娘の彼氏を目の前にして思考が追いつかなかったようだ。そして記憶はリリアの会話からなくなっているらしい。一から説明が必要なようだ。

 放心状態に陥ったヨラルをよそにキリヤは手土産を取り出し渡す。それを上の空のまま曖昧な返事をして受け取るヨラル。

 「アリ、ガト、ゴザイマス」と感謝の言葉を返しているもその言葉に感情はなくなぜ片言だ。

 しばらくして我に返ったヨラルはテーブルに膝をつき頭を抱える。

 「リリアに彼氏。リリアに彼氏。リリアに彼氏……」そう言って何度も自分に言い聞かせるように唱えるのは少し不気味だ。よほどショックだったのだろう。

 それからさらに時間は過ぎてエンリが鮭のムニエルを全て平らげた頃、ヨラルは前を向きキリヤを真剣な眼差しで見た。


 「えっと確かキリヤ、だったね……?」

 「はい」

 「き、君はなんでリリアと付き合うことに?」

 「実は僕、学校内では落ちこぼれだったんです。誰からも見向きされなくて一人悲しい学生生活を送っていた時に彼女がたまたま僕が落とした消しゴムを拾ってくれてそれから少しずつ話すようになって好きな本について話したり勉強を教えてもらったり最初は優しい人だなって程度の印象だったんですけどいつの間にか惚れてました」

 「ガハッ……!」

 「お父さん!?」

 「大丈夫だ。少し甘い青春が年寄りの心にダメージを与えただけだ」

 「それでリリアさんと並び立てる男になろうと必死に勉強してテストでいい成績残して身だしなみも考えて彼女の隣に立っても恥ずかしくないようになってから告白しました」

 「グフッ……!!!」


 甘い非常に甘い。このカップルはそんな恋愛小説じみた青春を送ってきたのか。むしろそんなカップル現実に実在したのか。架空の存在だと思っていた。

 致死量の青春を浴びたヨラルは胸を抑えたまま机に突っ伏している。

 これだけ甘い惚気を聞いた父親はひとたまりもないだろう。エンリもヨラルと同じぐらいの年だったらダメージを受けていたかもしれない。まだ年若くて助かった。

 というかテロリストに協力を仰がれほどの実力を持つ研究者であるキリヤがもともと落ちこぼれだったことに驚きだ。それをここまで変えてしまうなんて恋の力は恐ろしいな。だとしてもテロリストの首に薬を指す学者にはならないと思うが。

 ヨラルは苦しそうに胸を押さえながらキリヤの方を見て真剣な眼差しで姿勢を正した。


 「君はリリアの体のことも知っているのかな?」

 「はい」

 「ならわかっていると思うけど、リリアと付き合うってことは他の子と付き合うっていうこととは全く意味が違う。それこそ君の人生を奪うようなことになってしまうかもしれないし、こう言ってはなんだけどリリアと付き合わず他の子と付き合った方が幸せになれると思う」

 「僕もそう思います」

 「ならなぜ……」

 「それは……自分が愛した人を自分を愛してくれた人を幸せにしたいと思ったから。それだけじゃダメですか?」

 「……いや十分だよ……娘を頼んだ」

 「任せてください!」


 キリヤとリリアが顔を合わせる。

 その表情はどこか幸せそうで華やかだ。

 キリヤとヨラルの話はよくわからなかったがとりあえず交際が認められたというめでたい事に対してエンリは拍手を送り祝福した。それと同時になぜ自分がここに座っているのかという疑問と場違い間に居心地の悪さを感じていた。

 喜びもほどほどにリリアが席を立ち片付けを始める。

 それを手伝おうとキリヤもたち二人は仲睦まじく食器を持って厨房の方へ向かっていく。


 ヨラルは頭を抱えテーブルに肘をつき頭を抱えている。それは娘に彼女ができた嬉しい感情とどこか遠くへ言ってしまったような悲しい感情からくる行動だろう。

 そのためヨラルとエンリしかいなくなった空間に少し物悲しく重苦しい空気が流れていた。

 その空気に耐えかねたエンリが厨房の方へ片付けの手伝いに行こうとするも仲のいいカップルの間に割って入るのも悪いかと思い椅子に座り続ける。そしてすこし気まずそうにしているエンリにヨラルが話しかける。


 「不思議なものだよ。いつか彼氏ができるだろうと覚悟していたんだけどいざその時が来ると何かこうズドンと来るものがある。一人娘だからかな?別に会えなくなるわけじゃないのになんかすごく遠くに行ってしまった感覚だ」


 エンリは何も言わずヨラルの話に耳をかたむける。

 ヨラルはどこか潤んだ瞳から涙が溢れないように天井を仰ぎ見る。霞んだ視界で板の木目が歪んでいる。


 「リリアが幼い時に妻を亡くしてね。すごい苦労をかけたと思う。好きな物も買ってやれなかったし、仕事ばかりで構ってもやれなかった。軍をやめてからはこの宿を始めてリリアといる時間も増えたけどそれでも決して裕福とは言えなかったし父親らしいこともできなかった。今は立派に育ってくれた娘のことを本当に心のそこから誇りに思うよ」

 「……俺はあなたとは今日初めて会ったばかりだし何も知らない赤の他人同然だけど、これだけは言える。あなたは立派な父親だ。少なからず俺はそう思うよ」


 エンリがそういうと少し驚いた様子でこちらを見た後「そうか……」と小さく呟いた。

 ああそうだとも。少なからずエンリの知っている父親像は彼ほど子供のことを考えていなかった。実の息子だろうと平然と罵り、道具としか見ていない。実力と結果だけを重んじもしその結果がそぐわなければ見捨てることも平気でするそういう人だった。

 その点、家族を思う彼の姿はエンリには少なからず立派な父親のように映った。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

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