救護所
朝食後、少ししてから、リュカード様とザイオンと合流した。
一緒に来て欲しいと言われた目的地がどこなのかは、まだ聞いていない。
ヴェントゥスは今も私の足元にちょこちょこと纏わりついている。当然のような顔をして、私にぴったりとくっついてくるのが、とても可愛らしい。ヴェントゥスを連れて行っても、問題はないことは確認済みだ。
敷地内の大きな別棟と思しき建物の前で、リュカード様が足を止めた。
「ここだ。中に、紹介したい者がいる」
リュカード様がガチャリとドアを開いたのは、敷地内の別棟の建物だった。
薄暗い部屋の中から、時々薄桃色の光が発せられている。
(あれは、回復魔法…)
ベッドが並べられ、怪我人と思われる人が横たわっている。少し血の匂いがした。
リュカード様が室内に入ると、回復魔法をかけていた女性の1人が駆け寄って来た。
「ああ、リュカード様!ここ数日いらっしゃらなかったので、心配しておりました。ご無事で何よりです…!」
輝かんばかりの笑顔を浮かべている若い女性は、気の強そうな美人だった。
リュカード様は、氷のように冷たい表情をぴくりとも動かさないまま、身をかわすようにさっとその女性をよけ、
「ああ、早く治療に戻ってくれ」
とにべもない。
彼女を視界に入れようともしていないようだ。
…今まで、ローナやザイオンが、リュカード様の女性の扱いについてなぜ私に釘を刺したのか、わからなかったけれど。聞いていたように不躾などころか、私にはむしろ優しかったように思う。
このことか、とようやく理解する。
もし彼女に対するのと同じように冷たい対応をされたら、さすがに心が折れそうだ。
けれど、彼女はリュカード様の対応を意に介した風もなく、続けて彼に話しかけようとしている。強い。
ふと視線を下げた彼女と目が合う。
リュカード様の後ろに立つ私を見て、あっと息を飲んだのがわかる。
「リ、リュカード様が、女性を連れていらっしゃる…!?」
きっと睨み付けるような視線を一瞬感じたけれど、ザイオンがさっと間に入ってくれた。
「回復魔法をありがとう。…次は、あちらの怪我人を診てもらえないかな?」
ザイオンが彼女ににっこりと微笑むと、途端に彼女の頬が染まった。
「わ、わかりました!」
ぱたぱたとザイオンが指差した方向に向かって行く。
ザイオンの笑顔も、破壊力抜群のようだ。
「ごめんね、驚いた?」
ザイオンが苦笑している。
リュカード様の態度のことを言っているのだろう。
「リュカード様、女性が苦手なんだ。特に、近付かれたり、触れられたりするのを嫌がって、距離を取ることが多い。女性の君に言うのも何だけどね。ちょっと当たりが強く見えるだろうけど、まあこっちがいつものリュカード様だから」
意外に思いつつも頷いた時、
「アリシア」
リュカード様が手招きをしている。
慌てて向かうと、リュカード様の前にすらりとした青年が立っていた。
「彼はシリウス。このディーク王国を支える天才魔術師だ。特に回復魔法に長けている」
星屑を宿したような薄金色の髪に、アメジスト色で切れ長の、意志の強そうな瞳。まだ幼さの残る顔立ちは、天使のように美しく整っていた。背は私より高いけれど、少し年下だろうか。
けれど、その色白の滑らかな肌は、今は青白く、疲れが滲んでいる。
「お褒めにあずかり光栄ですが、リュカード様に比べたら、私などほんの若輩者ですよ。
…はじめまして、私はシリウス・ルクレーズです」
左利きなのだろう、シリウス様は左手を私に差し出した。
その手を左手で握り返す。
「はじめまして、アストリア王国から参りましたアリシアと申します」
「…!」
握手をした手は力強く握られたまま、なかなか解放されない。
彼の目は、驚いたように私を見て大きく見開かれている。
彼は握手した手をそのままに、続けた。
「私のことはシリウスとお呼びください。きっとご一緒することもあるでしょう」
微笑むと、美しい顔にあどけなさが強調されて可愛らしい。弟のアルスを思い出した。
「私のことは、アリシアとお呼びくださいませ」
彼は頷く。
「昨日のことは、リュカード様から聞いていますよ、アリシア様。
…ここは、臨時の救護所。リュカード様の館の一部を、開放してもらっています。
魔物に襲われて傷ついた者に治療を施しているのです」
彼の視線を追って、室内を見回す。
広い室内の半分くらいは埋まっている。魔物が街にまで出没するようになった、ということを嫌でも実感させられる。
リュカード様が口を開いた。
「彼や、ほかの魔術師の尽力のお陰で、多くの怪我人の傷は治っている。
だが、治療する魔術師の魔力の方が枯渇しかかっている。
シリウスは回復魔法の使い手だが、同時に非常に優秀な攻撃魔法の使い手でもある。
…魔物に襲われた場合、彼をはじめとして、街の防衛に回れなくなるのも痛手なのだ」
私はこくりと頷いた。
優れた魔術師の一部しか、回復魔法は使えない。
もちろん怪我人の救助は必須だけれど、街を攻撃されたら、また新たな被害が出てしまう。バランスの取り方は難しいだろう。
そして、魔術師が魔力を使い切ることは、死を意味する。たとえ身体が傷ついていなかったとしても、生命力の元を使い切ってしまうことになるからだ。
魔術の才能がある者は、魔法を使う前の心構えとして、きつく言い聞かせられる。
どのようなことがあっても、決して、魔力を使い切ってはいけない。
自分の魔力の器を把握せよ、と。
ようやく、シリウス様が握手を解いて左手を解放してくれた。
心なしか、顔色が良くなったように見える。
彼は私にもう一度にこりと微笑むと一礼し、リュカード様の方を向く。
「リュカード様…」
リュカード様も頷いた。
話があるのだろう、私は失礼することにする。
***
擦り寄ってきたヴェントゥスを片手で抱き上げ、ザイオンと一緒に、救護所を見て回る。
先程リュカード様に聞いた通り、大半の怪我人の治療は済んでいるようだ。
…けれど、まだ苦しそうに寝込んでいる人も多い。回復魔法で表面的な傷が治っても、すぐに痛みまでは引かないからだ。
自分でも無意識のうちに、ヴェントゥスを抱いていない右手を、ぎゅっと握りしめていたようだ。爪が手に食い込むほどに。
ザイオンが私の代わりにそれに気付いてくれた。
労るように、声を掛けてくれる。
「アリシア。どうしたの、大丈夫?」