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それぞれの夜

夜空には糸のようにごく細い月が繊細な光を放っている。


アリシアは、開け放された部屋の窓から、暗く沈む夜空に浮かぶ月をじっと眺めていた。季節の割にはひんやりと涼しい風がアリシアの頬を撫でていく。

ふるりと震えたアリシアの肩を、後ろからリュカードがそっと抱いた。

服越しにリュカードの体温を感じて安心したように、アリシアはリュカードに肩を抱かれるまま、身体を預けている。


「…いよいよ、明日ですね」

「ああ」


アストリア王国の王宮へと向かうのは、月明かりなく闇に沈む明日の新月の晩に決まっていた。

精一杯平静を保とうとしているものの、時々瞳が不安に揺れるのを隠せずにいるアリシアの美しい赤紫の髪を、リュカードは愛おしそうに優しい手付きで撫でた。


「…明日の夜が怖いか?」


リュカードの問いに、アリシアは俯いて口を噤む。暫くしてようやくリュカードを振り返ると、微かに頷いた。

「ええ。…怖くないと言えば、嘘になります」


リュカードはアリシアの長い髪に指を絡めたまま、ふっと苦笑した。

「すまない。…アリシアをこんな戦いに巻き込むべきではないのはわかっている。

アストリア王国とディーク王国とでは、国力も軍の規模もまったく違う。戦となれば、こちらが圧倒的に不利だ。もし君がこの国でなく、君が生まれ育ったアストリア王国にいたのならば、これほど辛い思いはさせていなかったかもしれないが…」


アリシアは首を強く横に振った。

「いえ、そんなことは仰らないでください。私はリュカード様のいらっしゃるこの国が大好きです。それに、私はアストリア王国から追い出されたところを、こちらに拾っていただいたのですから。

…私が怖いのは、そういうことではなくて。リュカード様とこうして一緒にいられる時間が、私にとってはとても、とても大切で。…この宝物のような時間が突然なくなってしまったらと思うと、想像するだけでも怖くて堪らなくなります。

…絶対に、ご無事でいてくださいね」


リュカードはアリシアの身体にゆっくり腕を回すと、その腕に力を込める。

アリシアの身体の温かさとともに、彼女に触れている部分から流れ込む穏やかな魔力に潤されるのを感じていた。

「俺も、さっきはあのように言ったが、もう、君をアストリア王国には帰してやれそうにない。

君を俺の側から離したくないんだ。もう、二度と。


君が俺の前から姿を消して、アストリア王国にいた間、俺の毎日からは色が消えたようだった。国を守る責任のために、淡々と仕事はこなしてはいたが、知らず知らずのうちに君のことを考えている自分がいた。

君が側にいてくれるのをいつしか当たり前のように思っていたけれど、君の存在がいかに俺にとって大切なのかということを、嫌というほど思い知らされたよ。


…アリシア、左手を出してくれないか」

「左手、ですか?」


おずおずと差し出されたアリシアの白く滑らかな左手を、リュカードが自らの左手の上にそっと乗せると、リュカードの右手の指がアリシアの薬指の付け根までするりと動いた。


アリシアは驚いて目を瞠る。

「あの、これは…?」


アリシアの左手薬指には、細かな彫りの施された金色の指輪が嵌められていた。指輪の中央に埋め込まれた、深い青色に澄んだ石が、薄い月明かりに照らされて輝いている。


リュカードはアリシアに柔らかく微笑んだ。

「今はこれで我慢して欲しい。…この国の状況がもう少し落ち着いたら、君とペンダントを選んだ宝石店に、改めて指輪を選びに行こう」


「えっ…?」


目を瞬かせるアリシアの身体を、リュカードはそのまま後ろからふわりと抱き締めると、優しくアリシアの上半身をひねらせ、その菫色の瞳でじっとアリシアの両の瞳を見つめた。少し潤んだアリシアの瞳は、まるでエメラルドのように美しく輝いている。

普段涼し気なリュカードの瞳の奥には、今は狂おしいほどの熱が宿っていた。


「アリシア、俺と婚約してくれないか。

こんな時に言うべきではないかもしれないが、俺は、君にこれから先もずっと俺の側にいて欲しいんだ。

…そして、君は自分自身を粗末にし過ぎるきらいがある。君が俺にとってどれ程大切な存在なのかを、しっかり認識していてくれ」


リュカードを振り返る姿勢のまま、さらに潤んだアリシアの瞳が、リュカードをひたと見つめた。


「リュカード様…!

私でよければ、喜んで。私も、リュカード様のお側に、ずっと居たいと…」


アリシアが言葉を言い終わらないうちに、リュカードの腕の中でくるりと向き合う形に身体が回転したかと思うと、リュカードの唇がアリシアの唇に重ねられた。

はじめ優しく唇を重ねるだけだった口付けは、幾度も角度を変えながら次第に深くなる。アリシアは息ができないまま、震えるような喜びにただ身を任せていた。


***

アストリア王国の王宮の一室で、同じく消え入りそうな細い月を眺めていたノアは、ふっと溜息を吐いた。


「…ノア、どうしたの?浮かない顔をして」


ベッドから半身を起こしてノアに優しく微笑みかけるイザベルに、ノアも笑顔を浮かべる。


「何でもないよ、母さん。…少し、考えごとをしていただけ」


母の腕輪にちらりと視線をやったノアは、母に背を向けると、母に見えぬようその表情を険しくした。

首に付けた金色のチョーカーを乱暴に握った。ローレンス将軍が薄笑みを浮かべて放った言葉が思い出される。


「…君の母君の腕輪からは、俺に魔力を移すことができる。俺の望む通りにね。

ああ、その表情だと理解しているようだな。そう、君の母君の命は俺が握っている。


君がこれを身につけてくれれば、君の母君の身の安全は保証しよう。さあ、どうする?」


否と言えないことを知った上での問いだった。ぎりと唇を噛むノアの首に、冷たいローレンスの手が赤い宝石の輝く金のチョーカーを嵌めた。


「この宝石には自爆魔法が込められている。俺の一存で発動できるが、そんなことはしたくはない。…余計な気は起こさんようにな」


母の命をそれで保証するなど、そんな約束はいくらでも反故にできる。このローレンスという男は、そういう男だとノアは理解していた。


(この男といい、この国の国王といい…最悪だな)


ノアは知っていた。アリシアのいた部屋に差し向けられた刺客も、アリシアを狙った魔物も、国王の差し金だということを。

結界に守られて、警備の兵も多い王宮内で、誰の意図もなくそのような存在が現れる筈はなかった。


…表向きは息子の皇太子の婚約者としてアリシアを扱いながら、裏でその命を狙う国王の考えに、皇太子本人も薄々気付いていたようだ。

ノアに、真剣な瞳でアリシアの身の安全を守るようにと頼んだ皇太子のフレデリックだけが、ノアにはこの王宮で唯一まともな人間に見えた。


もうすぐ、また多くの人の運命が動く。

その時母を助けるには、いったいどうすれば…。


ノアは瞳を閉じ、まだ小さな両手をぎゅっと握った。

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