耳打ち
「王宮の結界が狙い、ですか…」
グレンの呟きに、シリウスが頷く。
「ええ。アストリア王国の王宮を覆っている結界はそれほど大きなものではないので、破壊に必要となる魔力も、例えばこのディーク王国全体を覆う結界の破壊に比べれば、小さなもので済みます。
けれど、アストリア王国の魔術師の数は多い。結界の破壊を試みていると気付かれ、多数の魔術師たちが集められて修復に当たれば、容易く結界は修復されてしまうでしょう。
ですから、彼らに気付かれないうちに王宮を急襲するのが鍵となります。一時でも結界を破壊して、アストリア王国の王宮からクレアの母と弟を脱出させるのが目的です。
狙う場所は、必要に応じて結界の解除がなされるという王宮の出入口。常に張られている結界部分と異なり不安定になりますから、他の部分に比べれば脆く、ここを狙えば結界全体を崩しやすい筈です」
リュカードがシリウスに尋ねる。
「アストリア王国の王宮までは距離がある。転移魔法を使うか?…魔力の消耗は大きくなるが。
結界を破壊させるなら、能力の高い魔術師を集めて一気に攻撃したいところではあるが、ディーク王国の守備が手薄になるのも避けたい。
シリウス、君はこの王国の結界を守るため、万一に備えてここに残ってもらう方がいいだろうな。…結界の破壊に必要なのは魔法だから、騎士であるルークとエリザには騎士団を率いてこの国の守りに回ってもらいたい」
「ええ。アストリア王国軍がいつ攻め入って来るかわかりませんから、備えておいた方がよいでしょうね。
アストリア王国の王宮までは、私が転移陣を描いてお送りしましょう。…転移魔法は結界を越えられる例外的な魔法ですが、結界をまたぐためにはより多くの魔力を必要とします。アストリア王国の王宮内まで転移させるのはさすがに難しいので、王宮の一歩手前までの転移でご勘弁を。
転移させるのは…リュカード様、ザイオン様、アリシア様、アルス様、グレン様、クレアと、そしてヴェントゥスを考えています。クレアは以前、転移魔法ではない、魔族特有と思われる消え方での転移をしたそうですが、その転移方法でディーク王国の結界を越えられるかはわからない。皆さんと一緒の方がよいでしょう。転移先が一緒であれば、人数の多寡は必要となる魔力にあまり影響しませんしね」
アルスが思案顔で首を傾げると、シリウスを見つめた。
「アリシア姉さんには、遠くから魔具を使って魔力を分けてもらうことも可能です。僕にもそうしてもらったように。
…姉さんを危険に晒して、アストリア王国の王宮に連れて行く必要はあるのでしょうか?」
アリシアはアルスに優しい視線を向ける。
「アルス、心配してくれてありがとう。けれど、私もリュカード様や皆と一緒に行きたいわ。
私の魔具の効力は確かに距離を問わず届くのだけれど、…1つ欠点があるの。私自身が行く方が安心だわ」
「ほう…さすがアリシア様、気付いていらっしゃいましたか」
シリウスの目が輝き、細められた。
アリシアはシリウスの瞳を見つめて頷く。
「ええ。私の魔具を使う場合、1度に1発ずつしか弾を放てません。それほど時間を開けずに次の弾を撃つことはできますが、同時に複数の人に魔力を供給したり、魔法を無効化したりはできないのです。
私は触れることでも魔力を回復できますので、皆の近くに居られる方がよいと思います」
「そうか、わかったよ。僕も姉さんを守れるようにするから」
頷くアルスに、アリシアがにこりと微笑んだ。
シリウスはアリシアの足元に大人しく座っているヴェントゥスに視線を向けた。
「ヴェントゥス…風の精霊様と呼ばせていただく方が適切かもしれませんが、あえて今まで通りにヴェントゥスと呼ばせていただきますね。
精霊様に人間が頼むのはおこがましいのですが、ヴェントゥス、このディーク王国を守るために、どうかそのお力を貸していただきたい。アリシア様をよろしくお願いします」
ヴェントゥスは、ただアリシアの足元に身体を擦り寄せた。アリシアがその頭を優しく撫でる。
シリウスはその様子にふわりと笑うと、再び厳しい顔つきに戻り、その場の全員の顔に視線を向けた。
「それから。
これは、クレアの話している内容が信頼できることを前提とした作戦です。皆さんの話を聞く限り、彼女の話は信頼できるように思えますが、アストリア王国の王宮に張られた結界への攻撃の先陣はクレアに切らせてください。
…幼い少女にこのようなことをさせるのは酷かもしれませんが、彼女が望んだ母と弟の救出のため。彼女も首を縦に振るでしょう。
彼女の攻撃を見れば、そしてそれに対する彼女の母や弟の反応を見れば、彼女の言葉が真実かどうかもわかるはず。
…もし、彼女の言葉に疑いが持たれる状況があれば、リュカード様の転移魔法ですぐに全員を連れ帰っていただけますか?
私の転移魔法は片道切符ですから」
「ああ、そうだな。承知した」
リュカードがシリウスに視線を合わせて頷く。
「私も、クレアと話をしてみたいと思っています。できるだけ早いうちに、騎士団にクレアに会いに伺います」
ルークはエリザと視線を交わして頷いた。
「ああ、待っているよ、シリウス。何か彼女に僕から確認したほうがいいことがあれば、伝えてくれ」
「ええ。ではまた近いうちに」
会議がお開きになると、シリウスがアリシアを部屋の隅にそっと手招きした。
アリシアは不思議そうに首を傾げつつ、足元のヴェントゥスを連れてシリウスの元へと向かう。
シリウスはアリシアに微笑みかけたけれど、その目はひどく切迫していて笑ってはいないことに、アリシアは驚いていた。
シリウスはアリシアにひそりと耳打ちした。
「アリシア様、1つお願いがあります。
アストリア王国の王宮へは、できることなら私も行きたいところでしたが…行けない私の代わりに、言伝をさせてください」
シリウスはちらりとヴェントゥスに目をやった。シリウスを見つめるヴェントゥスに、シリウスは頷いてみせた。
「ヴェントゥスは、恐らく狙われることになるでしょう。ですがそのとき、アリシア様には…」
アリシアの瞳が驚きに見開かれる。不安気な光が揺れた。
「疑問に思われるのはごもっともですが、今は申し訳ないのですがこれ以上お話できません。…ヴェントゥスを信頼していてください。でも、もし万一のことがあれば、お伝えした通りでお願いします」
それだけ言い置くと、言葉を失うアリシアを残し、シリウスはくるりと踵を返した。




