信頼の理由
「魔族の長の、妹…?」
クレアの言葉に、ルーク様は目を瞬いた。首を捻ってから、アルスに視線を向ける。
「アルス。君は魔族の長について、何か知っているかい?」
アルスはすぐに首を横に振った。
「いえ。…魔族を束ねる長がいるという話は聞いたことはありますが、その程度です」
グレンがアルスの言葉を継いだ。
「アストリア王国は、魔族を含む魔物や、精獣といったものの研究にはかなり力を入れていたようです。我々には知らないことを把握しているのかもしれません。
…ただ、人型をとる魔族は魔物の最上位に位置しますが、人間とは基本的には距離を置いていて、介入しないと言われています。人間の軍勢のいずれかに肩入れする可能性は低いと思われますが、もしそのようなことがあれば厄介ですね…」
ルーク様はアルスとグレンの言葉に頷くと、クレアに向き直った。
「遮ってしまったね。君の話を続けてもらっても?」
「はい。実は、私も炎の将軍の言葉に、初めて母が魔族の長の妹だと知ったのです。…彼は知ってか知らずか、私にそれを言いましたが。
魔族の長がどのような存在なのか、私は知りません。でも、少なくとも母の扱いには気を配っているのだろうという印象は受けました。
それよりも、私が気になったのは、彼の最後の言葉です。王宮には結界が張ってある、と。…王宮で母と弟が保護されているという彼の言葉を、初めは信じていましたが、結界があるということは、自由に王宮から出られないことを意味します。そして…」
クレアは躊躇うように少し俯いてから、また口を開いた。
「あの炎の将軍に最後に会ったとき、なぜか彼から母の魔力を感じたような気がしたのです。
…彼のことを、母と弟を保護してくれて、私を死罪から救ってくれた恩人だとただ思っていたときには、特にそれを気に留めることもありませんでしたし、彼を疑いもしませんでした。でも、この前、姉が市場で事故に遭って…。あんな事故に偶然巻き込まれるなんて、考えにくい。任務を放棄していた私への警告だと考えるのが自然です。
そう考え始めると、…私は協力という形で彼の依頼を受けていましたが、結局、彼の手駒の1つにしか過ぎないということなのでしょう。であれば、母もまた、彼に利用されている可能性がある。それに、弟も…」
クレアは悔しそうに両の拳を握った。
アルスがはっとしたように呟いた。
「この前の戦で、ローレンス将軍から感じた違和感の正体は、それだったのか。
でも、魔族だからといって、アリシア姉さんと同じように魔力を与えられる能力があるのか…?」
「グレン、アルス。君たちは、アリシアちゃんに会いに王宮に潜入したことがあるね。結界の存在というのは?」
ルーク様の言葉に、グレンが答える。
「はい、彼女の言う通り、王宮は結界に覆われています。王宮正面の出入口の部分だけ、必要に応じて結界を解除しているようです」
エリザが首を傾げてアルスに問い掛けた。
「ねえ、アルス。あなたは問題なく結界内に入れるの?」
アルスは頷いた。
「僕は、魔族の血はあまり濃くはないので、それほど影響はないんです。結界には多少の衝撃を受ける程度で、それほどダメージなく入れますね」
ルーク様はクレアを見つめた。
「君が、母君と弟君を助けて欲しいというのは、アストリア王国の王宮から連れ出したい、と?」
「はい。難しいことなのはわかっていますが、アストリア王国の偵察でも何でも、私にできることは何でも致しますので、お力を貸していただけないでしょうか…!」
「王宮というのは、国の中枢に位置する。しかも、アストリア王国とディーク王国はまさに対立を深めている最中だ。そこからの救出というのは、困難を極めるだろうし、俺の一存で決められることではないけれど、検討はさせてもらうよ」
そして、ルーク様はすっと鋭く目を細めた。
「…それと、最後に、俺の個人的な質問なんだが。
君は、なぜ俺たちに助けを求めた?
アストリア王国に利用されたと感じたなら、この国で利用される可能性だって考えられるだろう。特に、君のように魔族の血を引いていて、幼くして高い魔術の能力があるなら、ね。それに、俺たちに捕らわれる可能性もある。
どうして、俺たちを信頼に足ると思ったんだい?」
「それは…」
クレアはルーク様の視線を受け止めたまま、ゆっくりと口を開いた。
「1つは、あなたが、ルーク様が信頼できる人に思えたからです。
アリシア様がこの前、姉を助けてくださったとき、私が魔法を発動しかけたのに気付いていらっしゃいましたね?ルーク様はそれが回復魔法だったのを見て、あの場は私を見逃してくださった。私が捕われないようにするためですね。…優しいお方だと思いました。
もちろん、私が捕らえられる可能性も理解して来ました。私は以前、アリシア様の命を奪おうとしたのですから。でも、私はまず、この国で私を拾ってくれた家族を危険から守りたかった。仮に私を捕らえても、ルーク様はこの国に住む民の安全は気にかけてくださるのではないか、そう思ったので、それが叶うならばそれでよかったのです。
…そして、もう1つ」
クレアはなぜか急にアルスの方を振り向くと、彼をじっと見つめた。アルスはクレアの視線に驚いたように、目を見開いている。
「アリシア様がお持ちだった回復薬を作ったのは、あなたですね?」
「え?…ああ、姉さんに回復薬を作ったのは、僕だけれど。それとどういう関係が?」
クレアは初めて微笑みを浮かべた。それは柔らかく、自然な美しい笑みだった。
「あの回復薬が姉に使われているとき、そこに込められているのが、私と同じ混血の魔族の魔力だと感じました。
私は魔族の血が濃いからか、その魔力に込められた感情も感じたのです。…回復薬の使い手のことをただただ案じ、その幸せを願う気持ちが、あの回復薬からは溢れてくるようでした。
私のような魔族との混血は、ルーク様が仰ったとおり、利用の対象にもなれば、人間から受け入れられないこともあります。
けれど、私と同じような混血の存在を、これほどまでに大切にする仲間がいるならば、きっと信頼できる。そう思ったのです」
***
ローレンスはイザベルのベッドの側に立っていた。
左腕の銀の腕輪を右手で包むようにし、そこから流れ込む魔力に満足気に息をつくと、その右手をイザベルの髪に潜らせた。
「イザベル、貴女の魔力は素晴らしいな。あまり負担は掛けたくはないが、これほどの魔力を秘めていたとは。
…俺も、貴女を守りたい。何度も言っているが、俺の妻になれば不自由はさせないし、魔法が使えない貴女も守ってやれる。貴女の承諾の言葉が欲しい」
ローレンスが、右手をイザベルの髪から細い顎に滑らせると、イザベルは身を固くしたまま、冷たく怒りのこもった目でローレンスを見つめる。
「わたくしの答えは変わりませんわ。
…わたくしが愛しているのは主人だけです。もしも、彼がもうこの世にいなかったとしても、生涯その気持ちは変わることはございませんわ。
そして、そのようなことを仰るのなら、その前になぜ、ノアにあのようなものを?
わたくしがどう感じるかくらい、おわかりになるでしょう?」
イザベルはローレンスの手を払い退けたけれど、ローレンスは不敵に笑っていた。
「それなら、ノアからあれを外すなら、俺の妻になると誓うのか?」
俯いて黙り込んだイザベルに、ローレンスは冷たく薄く笑んだ。
「俺が待っていられるうちに頷くんだな。これほど俺が気を長くしているのも、珍しいぞ」
(…俺をここまで袖にするこの女に、魔法の力をすべて棄てさせてまで、添い遂げることを選ばせた人間の男がいたとはな)
思わず湧き上がった疼くような苛立ちに唇を噛むと、ローレンスは、黙ったままのイザベルに背を向け、足音を響かせて部屋を後にした。




