クレアの回想1
今回はクレア視点です。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん…。傷、治ったの?…無事でよかった…!」
市場でお茶を売っていたお姉ちゃんは、突然の事故で外れた馬車の車輪にぶつかって大怪我をしたけれど、回復薬のお陰でほとんど傷が治ったみたいだ。
人だかりに囲まれたまま、人目も憚らすにお姉ちゃんに抱き付いて泣く私の背中を、お姉ちゃんは優しく撫でてくれた。
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう、クレア。もう痛くも何ともないわ」
微笑むお姉ちゃんの顔を見て、改めて彼女が助かったのだという実感が湧き、さらに目から涙が溢れてくる。そんな私を、彼女は温かく抱き締めてくれた。
お姉ちゃんに回復薬を使って助けてくれたのは、…私が命を狙ったあの人だった。
頭の中に、アストリア王国で、赤い髪の男に私に指示された命令が甦る。
『…あの女は、アストリア王国を裏切ってディーク王国側についた。そして、その魔力をディーク王国のために使っている。
これから、我が国はディーク王国と開戦するが、彼女の存在のせいで、我が国にはより多くの犠牲が出る筈だ。
…クレアよ。あれは酷い女だ、あの裏切り者の命を狙え。何も罪の意識を感じることはない…君がこの前に奪った男たちの命と同じことだ。そして、それは王宮で保護されている君の母や弟のためにもなることだ。わかるね?
君の子供の姿で近付けば、彼女を油断させるのは容易だろう』
あの女性は、私の存在には気付いていないようだったけれど、貴重な回復薬をまったく躊躇わずにお姉ちゃんのために使ってくれた。そして、お姉ちゃんの回復を喜んでくれた。
母さんやノアを保護してくれて、かつ私の命の恩赦をアストリア王国の国王陛下に願い出てくれたという暗い赤髪の男性は、恩人だと思っていた。だから、彼の言葉に疑いは持たなかった。
…でも。彼の言葉は本当に正しかったのだろうか?
初めて、彼の言葉に疑念がよぎった。
今までに自分の身に、そして家族の身に起こったことが頭の中を駆け抜けて行く。
私たち家族の運命が狂ってしまったのは…そう、あの日からだった。
***
「お嬢ちゃん、ちょっと道を教えて貰いたいんだけど、いいかい?
この家を探しているんだ…」
私が家に帰ろうと歩いていると、視界に入る自宅が大きくなってきた時、1人の身なりのよい男性に話し掛けられた。
彼の探しているという家は、貧民街にも近い街外れにぽつんと立つ家だった。
その家に人がいるのを最近見ていないし、なぜこんなに身なりのよい人が…と内心首を傾げたけれど、私は人の良さそうな笑みを浮かべる彼の言葉に頷き、そこまで案内することにした。
いくつかの路地を折れる度、辺りには人気がなくなり、薄暗くなっていく。
「…!!」
急に、後ろから口を塞がれた。
何が起こったのかわからなかった。数人の男たちが路地の陰から現れ、私が声を上げられずにもがいているうちに、私の口を塞いだのと別の男が私の手を後ろ手に縛り上げていく。
私に道を尋ねた男性が、さっきとは別人のような歪んだ笑みを浮かべている。
縛られて呆然とする私の顎を持ち上げ、私の顔に舐め回すような視線を向けた。
「上手くいったな。
…こいつは上玉だぞ。かなりの高値がつくに違いない。
さっさと馬車に放り込め」
…騙された。
唇を噛む私を、その男の言葉に頷いた数人の男性のうち1人が軽々と馬車に運んで行く。
「助けて!!」
塞がれた口がようやく開放されて悲鳴を上げても、薄暗い路地に吸い込まれていくだけだ。私の心には絶望が広がっていった。
そのとき。
「クレア!どこにいるんだ?」
父さんの声が聞こえ、路地を曲がって走って来た父さんの姿が見えた。
私は涙混じりの声で叫んだ。
「父さん!助けて!!」
縛られて馬車に運び込まれる私の姿を認めた父さんは、その目を怒りに燃やしながら男たちに怒鳴った。
「私の娘に何をしている?…すぐにその手を離せ」
私を運ぶ男は足を止めず、代わりにほかの男たちが父さんを取り囲むのが見えた。
「あれはうちの商品になる。さっさと諦めて帰ってくれ」
はじめに私に道を尋ねた男が、笑いながら答えるのが聞こえた。この男がきっと首謀者なのだろう。
「何だと、ふざけるな!娘を返せ…!!」
父さんの声に、父さんに周囲の男たちが飛び掛かるところまでが見えた。首謀者と思われる男が乗り込むと馬車の扉が閉まり、視界が塞がれる。
「父さん、父さん…」
すすり泣く私の声は無視して、無情にも馬車は走り出した。
***
「さあ、着いたぞ」
乱暴に背中を押され、よろめいた私を誰かが支えた。私には、馬車の中で目隠しをされていた。
「大事な商品だぞ、もっと丁寧に扱え」
「…はいはい、わかったよ」
数人の男たちの声が聞こえた。
そのまま背中を押されて、何処かの室内に入っていく。
「ここで待っていろ」
促されるままに、震える身体を抑えながら腰を下ろす。
私の周りには何人もの男たちがいるようで、彼らの話し声が聞こえて来た。
「…さっき顔を見たが、こいつは将来、物凄い美人になるぜ。間違いねえ。…今までで一番の上玉じゃねえか」
「何でも、魔族の女の娘らしい。…だから、万が一に備えて俺らがこんな人数ついてるって訳さ。
でもまだこんな年だ、歯向うなんてできないだろうがな」
下卑た彼らの笑い声の中聞こえる会話に、歯がみする思いだった。
…私の母が魔族であることも、知っているのか。
「こいつの母親も、それなら攫っちまえばいいんじゃねえの?それなりの年だって、いい値がつくんじゃねえか?」
「さあ、純粋な魔族の血の女か、どうだろうな。怖がって手を出さない奴も多いかも知れんが、どこぞの物好きには高く売れるかもな」
…母さんにも、手を出すつもりなのか。
さっき、父さんはどうなったのかと恐怖と心配で震えていた身体が、今度は怒りで震え出すのがわかった。
「…どれ、せっかくだ、こいつの顔をよく見てみるか」
「おお、そうだな」
笑いを含んだ男たちの手が私に伸ばされるのがわかる。
1人の男の冷たい手が、私の顎に触れるのがわかった。気持ちの悪さにぞくりと背筋に寒気が走る。
(…触らないで!)
そう思った瞬間、目隠しごしにもわかるほどの眩い光に、辺り一面が包まれた。




