魔力転移の腕輪
ディーク王国には、その昔、天才の名を欲しいままにした稀代の魔具の名工がいたという。
アストリア王国の有力者も彼の魔具を欲したというが、すげなく断られた結果、その妻を人質に取ってまで無理矢理に魔具を作らせたと言われている。
今世に至るまで、彼を超える魔具職人はいないと言われ、その魔具の価値は非常に高く、国宝級と言っても差し支えないだろう。現に、今の時点で実戦に使用されていないそれらの魔具は、王宮の宝物庫で保管されている。
その魔具を欲しいと言った俺の言葉に、国王陛下は俺の狙いを探るようにすっと目を細めた。
「そなたは、宝物庫にどのような魔具が納められているかは把握しておるな。その中で、いったいどの魔具を所望する?
…宝物庫で未だ使用の時を待つ魔具は、いずれも使用が難しいものばかりじゃ。
ローレンス、そなたはそれを使いこなせると言い切れるのか?」
「ええ、それは自信を持って断言致しましょう。…私が譲っていただきたいのは、魔力転移の腕輪です」
「…ほう。魔力転移の腕輪か」
国王陛下は、何かを思い返すように、しばし視線を宙に彷徨わせた。
「あの腕輪を欲した者は今までにも何人かおったが、その真価を発揮する機会はなかったと聞いておる。
あの腕輪は、2つで1つの魔具を成すものじゃな。…片方の腕輪の着け手から、もう片方の着け手へと魔力を受け渡すことができる。魔力を物に溜めておくということが出来ない以上、あれは魔力を補給できる数少ない手段になり得るから、貴重なものには違いなかろう。
…しかしな。あの腕輪は、魔力を渡す側の同意が必要じゃ。魔力を渡す側が同意した範囲でしか、魔力の受け渡しはできぬ。
あの腕輪を身に着けるのは、一定以上の魔術を使いこなせるような、魔力の高い者でなければ意味がない。魔力が低ければ、転移できても大した足しにはならないからな。じゃが、裏を返せば、そのような魔術に長けた者は、当然みな戦に駆り出される。
…激しく魔法をぶつけ合う実戦の場で、自らの魔力をみすみす他の者に差し出すことに同意する者は、残念ながらほとんどいなかったようじゃ。たとえ事前に協力するよう計画していたとしても、な。我が身可愛さというのは万人に共通することじゃからな…。
ローレンス、そなたはこれをどのように使う?」
俺を真っ向から見据える国王陛下の視線に怖じることなく、俺は答えた。
「1つはもちろん私の腕に、そしてもう1つは、今しがたお話した魔族の女性の手に嵌めます。…魔術が封印されたとはいえ、彼女の魔力は溢れんばかりです。彼女は戦の場に赴くことなく、私は彼女から魔力の供給を受けることが出来る。
彼女の娘の命と引き換えに、私は彼女にこの条件を飲ませます。
…他にも、約束を違えぬように、保険を掛けておくつもりではありますが」
無意識のうちに、俺も口角を上げていたようだ。
そんな俺に、国王陛下が破顔した。
「はは、よい、わかった。魔力転移の腕輪、使いこなすことを条件にそなたに譲ろう。
…そなたがその表情をしたときは、今までも失敗したことはなかったからな。
好きに使うがよい」
「有り難きお言葉にございます」
俺は国王陛下に深く頭を下げた。
これからディーク王国に攻め入ることを想像するだけで、笑いが込み上げて来るようだった。
***
「まあ、では、クレアの命は本当に助けていただけるのですね…!」
俺が、イザベルの元に赴きクレアの恩赦を告げると、彼女は溢れる感情を抑えるように口元に手を当て、目に涙を浮かべて喜んだ。
息子のノアも、ほっと胸を撫で下ろしているようだ。
「ローレンス様、助けていただきありがとうございます。本当に、何てお礼を申し上げればよいか…。
わたくしに出来ることがあれば、何なりとお申し付けくださいませ」
目を輝かせる彼女に、俺は銀色の腕輪を差し出した。
細かな古代文字が刻まれたその腕輪に魔力が込められているのに気付いたのか、彼女はその美しい顔をほんの少し顰めると俺に尋ねた。
「…これは、何でございましょうか?」
「ああ、気付いているかもしれないが、これは魔具です。この腕輪を着けている者同士で、同意した魔力量についての受け渡しをすることができる」
俺は、もう1つの腕輪の片割れを身に付けた自分の腕を見せた。
「これを、貴女に身に付けてはもらえないだろうか。…そして、必要なときに、私に魔力を提供して欲しい。それが私からの要望です」
俺の言葉に目を瞠った彼女は、俺が彼女が豊富な魔力量を持つ魔族であると気付いていないとでも思ったのだろうか。
俺は俯いてしまった彼女を見ながら続けた。
「ところで、魔族の長がそれは溺愛していた妹が、数年前に人間との婚姻を結んだという話があるのだが。…貴女に、何かお心当たりはありませんか?」
はっと顔を上げた彼女の瞳が、私を見て不安気に揺れる。それで確認には十分だった。
俺は出来る限り優しい表情で微笑んだ。
「やはり、そうでしたか」
彼女は俺の瞳をその美しい両の瞳でじっと見つめると、そっと嘆息を吐いた。
「なぜ、それをご存知なのでしょうか。
…隠し通せそうにもございませんね。
腕輪のことは承知致しました、わたくしの腕に嵌め、必要なときにローレンス様に魔力を差し上げるとお約束しましょう。
…けれど。はっきりと申し上げておきます。わたくしの兄は確かに魔族の長ですが、兄に協力を求めることはできません。魔族は、魔物には分類されますが、ほかの魔物はもちろんのこと、人間とも普通は…わたくしのような一部の例外を除いては、一定の距離を置いています。仮に、わたくしが兄に跪き、取り縋って何かを懇願したとしても、一蹴されるだけです。余程のことがない限り、魔族は動かない。そして、わたくしの一存では、兄を含め魔族を動かすことはできません。…それはご理解ください」
「ああ、承知した」
俺は頷く。彼女の言葉に嘘はなさそうだ。
「それから…」
彼女は一時逡巡した様子を見せてから続けた。
「娘の、クレアのことなのですが。お話では、この国に協力することを条件にと仰っていましたね。
…何か、娘が危険な目に遭うような可能性はあるのでしょうか?」
無意識にだろう、祈るように手を組んで、力を込めていたイザベルの両手を見遣る。
「ご心配には及ばないと言って差し上げたいところなのだが。
…彼女には、この国のために必要な情報収集をはじめとする任務を依頼する予定です。危険がまったくないとも言い切れないが、彼女は大人でも滅多にいないほどの強力な魔法の力がある。それをコントロールできるように彼女自ら訓練すれば、まず危険はないでしょう。…死罪になることに比べれば、たいした危険ではない、そうお考えいただくしかない」
イザベルは俺の答えに唇を噛んだが、諦めたように頷いた。
俺は、続けてノアを見た。
「君にも、手伝って貰いたいことがあるのだが。君の姉、クレアに頼むのと似たような任務だ。
君も、もう魔法が使えるのだろう。…違うか?」
ノアが驚いたように目を瞠る。
俺は、彼が子供たちに揶揄われているとき、彼の手が光を帯びかけ、すぐにまた消えるのを目にしていた。あのときは見間違いだろうと思ったが、この状況下で彼の能力を推測するに、そうではないだろう。
「なぜ、それを…」
「君の能力も、かなり高そうだな。…君の姉を助けるためだと思ってくれないか」
俺は、クレアの今の映像を魔法で2人の前に映し出す。
そこには、既に両手が自由になったクレアの姿があった。
イザベルとノアの目が、安堵の色を浮かべて輝いた。
「…わかりました」
まだ幼い少年だが、俺の目を見てしっかりと頷いたこの子には聡明さが感じられる。そして、普通は警戒されることのない、この子供の姿。クレアと共に、彼は使いようによっては非常に役立つだろう。
ノアの返事に、不安気に彼を抱き寄せたイザベルの姿が視界に入る。
何でも出来ることを言って欲しいとの彼女の言葉に、思わず口をついて出掛かった言葉が他にもあったが、それは飲み込んだ。
…それを言うべきは、今ではない。まだ時間は幾らでもある。
俺は、嵌めたばかりの魔具の腕輪を一撫ですると、彼女の部屋を後にした。




