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美しい魔物

その頃、アストリア王国にて。


ローレンスは、王宮内でも奥まった場所に位置する、限られた者以外は立ち入りが禁じられた区画の、とある一室を訪れていた。


「…いったい、いつになったら俺の言葉に頷くんだ?イザベル。

俺も気が長い方ではない。さっさと首を縦に振るんだな」


ベッドの上には、1人の女性が半身を起こしている。室内のすべての設えは、王宮内の他の部屋と同様に最上級の品で揃えられているけれど、その女性の、この世のものとは思えないほど儚げな美しさは、その場所でさえも不釣り合いに見えるほどに、他の何物をも霞ませていた。


女性はローレンスの方に視線すら向けないまま、口を開く。

「…何度もお伝えしておりますでしょう。わたくしの気持ちが変わることはあり得ません。

…もう、お引き取り願えませんか」


女性の淡々とした冷たい口調に、ローレンスは口の片端を上げた。

「貴女はいつもつれない人だ。

…貴女の大切な存在が、貴女の肩にかかっていることをお忘れか?」


女性の肩がぴくりと動く。ゆっくりと振り向き、ローレンスに向けた彼女の宝石のような瞳には、燃えるような怒りの色が滲んでいた。


「はは。イザベル、貴女の怒りに満ちた顔も、信じられないほどに美しい。…今日はこれで退がるが、近々また貴女の力を借りることになる。それは承知していてくれ。…貴女に選択権はないがな」


ローレンスは女性の長い髪に唇を寄せてから、その場を後にした。女性は口を引き結んだまま、微動だにしない。

女性の腕には、ローレンスと同じ紋様の彫られた銀色の腕輪が嵌っていた。


***

俺がイザベルに初めて会ったのは、王都内の見回りをしていた日だった。


魔物がアストリア王国内でも姿を見せ始めた。そんな知らせを受けて、各所を分担して見回っていたとき、王国の外れ、貧民街にも程近く、治安がよいとは決していえない地区を歩いていると、俺は複数の子供が高い声で囃し立てるのを耳にした。


「やーい、やーい、あいのこ!魔物の子!お前なんかここから出て行け…!」


声のした方を振り向くと、銀色の髪の男の子を数人の子供たちが取り囲み、寄ってたかって石を投げたり、棒で叩いたりしている。

囲まれた小さな男の子は、子供たちの輪の中で、ただ蹲っていた。


その様子に俺が眉を顰めて近付いていくと、俺に気付いた子供がぎょっとしたように声を上げた。


「あ、あれ、ローレンス様じゃ…?」

「うわっ、炎の将軍様…」


自分たちの行為が後ろめたいことだという自覚はあったのであろう彼らは、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


俺は、蹲っている男の子に声を掛けた。

「大丈夫か。怪我はしていないか?」


手を貸して助け起こすと、彼は弱々しい口調で礼を言った。たいした怪我はしていなかったが、俯いたままの彼の瞳は濡れていた。


俺は、さっきの彼を取り囲んでいた子供たちの声を思い出していた。

…魔物の子。もしそれが本当なら、黙って見過ごす訳にはいかない可能性がある。

まだ幼い彼だが、明らかにほかの子供たちとはどこか違う何かを纏っていた。それが何かと説明するのは難しいが、俺の勘とでもいうのだろうか。


彼が人の姿をしていることからは、もし彼が魔物の子なら、最上位の魔物、人型の魔族の子ということになる。そのような危険な存在を、みすみす放置しておく訳にはいかない。

…そして、その親である魔物がもし街に潜んでいるならば、早急に排除しなければならない。


考えを巡らせながら立ち止まっていると、彼が躊躇いがちに俺の服の裾を引いた。

「僕の、母さんが…。助けて、くれませんか…」


俺は頷くと、彼の後ろを着いて行った。



彼が入っていったのは、簡素な漆喰の家だった。

つつましやかな生活の様子が見て取れる家の中を彼が先導しながら、ぽつりぽつりと呟くように力なく言葉を発した。

「この前、姉さんが男の人たちに誘拐されて…。父さんは姉さんが連れ去られるのに気付いて、怒ってすぐに追い掛けたけど、そのまま帰って来ないの…。母さん、元々身体が弱いのに、心労で倒れてから、ほとんどご飯も喉を通らなくて。このままじゃ…」


小さい家の中、彼の母親がいる寝室にはすぐに辿り着いた。

ベッドに横たわる女性を見て、俺は凍りついたようにただ立ち尽くした。

…それは、今までに見たこともない、人間とは思えないほどに、それは美しい女性だったからだ。次元が違うとでも言うのだろうか。


憔悴してやつれきってはいたが、それでもその美しさは隠しきれてはいなかった。

もし魔物ならば処分しなければ、などという考えが、簡単にどこかへ飛んで行ってしまうほどに。


今まで俺に言い寄る女性は少なくなかったが、興味が持てず、冷たくいなしていた。

それが、彼女には一目で心が奪われた。…家庭を持っているとわかっていても。


彼女は、俺たちの足音に気付いたように、閉じていた瞳を開き、こちらに顔を向けた。


「…ノア、あなたなの?

…ごめんなさい、私、こんな状態で、あなたにまで迷惑を…」


ノアと呼ばれた男の子は、母の声にベッド脇に飛んで行くと、その手を両手で包んだ。


「僕は大丈夫、でも、母さんが…。このままじゃ…」


肩を震わせてすすり泣く男の子の背中を優しく撫でてから、彼女は俺に気付いてはっと表情を固くした。


「あの、ノアが何か…」


おずおずと口を開いた彼女に、俺は口を開いた。


「私はローレンスと申します。この国の将軍をしておりますが、先程、彼に貴女を助けて欲しいと頼まれました。…貴女は相当に状況が悪そうだ。王宮に部屋を用意しますので、いったん、彼と一緒に王宮まで来ていただけませんか?」


彼女はさらに困惑した様子だった。

「まあ。将軍様にお見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません。

…私はイザベル、この子の母です。お言葉はありがたいのですが…そこまでしていただく理由が見つかりません」


俺は薄く笑んだ。

「…理由ですか。

先程彼に聞きましたが、貴女の娘さんが誘拐されたというその件に、上がっている情報で心当たりがあります。しかし、私の予想が合っていれば、貴女たちの存在を危険に晒しかねません。…そのための保護とでもお考えを」


彼女は、俺の発した娘という言葉に食いつくように、俺の瞳を真っ直ぐに見つめた。

…それは濃い桃色の、強く輝く宝石のような瞳だった。

「クレアのこと、何かご存知なんですか!?あの子は、今生きて…」

言葉を詰まらせる彼女の言葉を、俺は遮った。

「特殊な案件で、今口外する訳にはいかないのですが、貴女の娘とわかれば、詳細をお知らせすると約束しましょう。


それから。先程、彼が子供たちに心ない言葉を掛けられ、酷い仕打ちを受けていた。…王宮に行けば、少なくとも彼が辛い思いをすることはないでしょう。いかがかな?」


ベッド脇で俯く彼の身体を、イザベルは目に涙を浮かべて抱き締めた。

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