桃色の光
リュカード様との休日は、あの事故の後、怪我人の回復を確認してからも、また一緒に街を案内などしてもらって楽しく過ごしたのだけれど。たまたま私に市場でお茶を勧めてくれた女性が事故に巻き込まれたことに、知らず知らずのうちに私はショックを受けていたらしい。
そんな私の様子を慮って、リュカード様は早めに外出を切り上げて、屋敷に戻ってくださった。そういう気遣いが実は細やかなところも含めて、リュカード様は優しい方だと思う。
このところ夢見の悪い感覚があって、この日もあまり眠れないかと思ったら、意外なほどにあっさりと深い眠りに落ちた。あの薬草茶の効能のお陰なのだろうか。
その翌日の夜、ベッドに入っても目が冴えてしまいなかなか眠れそうになかった私は、リュカード様に買ってもらった薬草茶を淹れようと、キッチンの一画を借りていた。キッチンに残っていたローナには、お茶なら淹れてお待ちしますよと声を掛けてもらったものの、遠慮させてもらった。リュカード様に買っていただいたお茶ということもあり、せっかくなので自分で大事に淹れたかったのだ。
お湯を沸かし、薬草茶の茶葉を入れた耐熱ガラスのポットにゆっくりと注ぐ。茶葉がだんだんと開いていき、ポットのお湯が薄いピンク色に染まっていく様子を、見るとはなしに見つめていた。柔らかい、少し甘い匂いがふわりと漂ってくる。
そのとき、後ろから声が掛けられた。
「姉さん?…どうしたの、何をしてるの?」
「あら、アルス。私は何だか寝付けなくて、リュカード様に昨日買っていただいた薬草茶を淹れていたところよ。アルスは?」
「僕は、喉が渇いたから水でも飲もうかと思って。…へえ、これが薬草茶?いい香りだね」
アルスは薬草茶の入ったポットを興味深そうに見つめた。
「よかったら、一緒に飲まない?昨日、これを飲んだらぐっすり眠れて、疲れも取れた気がするの」
私がそう言ってアルスに微笑むと、アルスもにこりと笑った。
「ありがとう、姉さん。…じゃあ、お言葉に甘えようかな」
ガラスのカップを2つ取り出すと、少し時間を置いてから、ポットからそれぞれにお茶を注いだ。
アルスは私に几帳面にお礼を言うと、カップを持ち上げ、口元に運ぶ。私もカップを手にしてお茶を飲もうとしたとき、アルスは、まだお茶に口をつける前に、私に向かって口を開いた。
アルスは不思議そうな顔をして、薬草茶を見つめている。
「姉さん、この薬草茶、効く訳だね。…回復魔法がほんの少し、込められてる」
思ってもみないアルスの言葉に、私は耳を疑った。
「え、どういうこと?…このお茶に、回復魔法が?」
アルスは頷く。
「うん。近くで香りを嗅いでわかった。…さすがリュカード様だね、魔法を込めたお茶なんて、相当高価だったでしょう」
私は驚いて首を振った。
「えっ、これは市場に出ていた普通の路店で買っていただいたものよ。…特に魔法が込められているとも言われていないし、多分、普通の薬草茶だと思うのだけれど」
「へえ、そうなの?」
首を傾げる私に、アルスは今度はカップから一口こくりと薬草茶を飲むと続けた。
「やっぱり、回復魔法が込めてある。…強力な魔法ではないけれど、きっともともとの薬草茶の効能とも相まって、効くようになっているんだろうね。
治療目的の薬のレベルとまではいかない、そっと込められた魔法だけど。でも、すごいなあ。作ろうとしたら、結構大変だと思うよ」
一口お茶を飲んだだけで、そこまでわかるアルスに感心しながら、私も手元のカップからお茶を飲む。
「リュカード様に買っていただいただけでもありがたいのに、益々ありがたみが増したわね」
私の言葉にくすりと笑い、さらにカップを傾けていたアルスが、急にその手を止めた。
ゆっくりとカップを口元から離すと、僅かに残ったお茶を見つめている。その表情からは笑顔も消えていた。
「…どうかした、アルス?」
急に雰囲気の変わったアルスに驚いて尋ねると、アルスは硬い表情で呟いた。
「このお茶自体に、回復の効用があるのは間違いないけど。…ここに込められた回復魔法、その使い手の魔力には、魔物のものが混じってる。…多分、僕と同じ、混血だ」
私は思い掛けないアルスの言葉に、ただ呆然と、手元の薬草茶の入ったカップを見つめていた。
***
「…なぜ、気付いていたならあの場で言わなかった」
リュカードは、ルークに詰め寄っていた。
「我々が怪我人に近付いたとき、怪我人の手を握っていた少女の手が光ったように見えただと?まだ年端もいかない、魔術など使えない筈の少女の手が?
…確証はないが、俺たちが行方を追っている、以前にアリシアの命を狙った少女も、魔物の最上位か、またはその血が混じっている可能性がある。アリシアを狙ったときも、距離を詰めてから魔法で攻撃しようとしていた。
…あの場でなら、捕らえることが出来たかもしれない。
アルスからも、薬草茶に込められた回復魔法の使い手は、魔物の血が混じっているらしいと聞いたところだ。…あの少女は、確かにあの薬草茶を作る場にいた。あの少女が、またアリシアを狙う可能性もある」
唇を噛むリュカードに、ルークは硬い表情で応えた。
「確かに、僕も悪かった。確信は持てなかったとはいえ、気付いていたのだからね。…その代わりと言っては何だけれど、身元の調査のために、既に手は打っている。
あの場でもし僕がリュカード様にそれを告げれば、リュカード様は、あの場で彼女をすぐに捕らえただろう。…それに、その後に僕から見えた彼女の顔立ちは、アリシアを襲ったという少女と似ているようにも思う。
…でもね。それでも僕は、あの場で姉が助かって喜び泣く彼女を、捕らえたくなかったんだ。それは…」
ルークがいったん言葉を切り、視線を落とす。
「彼女の手が光ったようだったのは、アリシアが回復薬を使う直前で。そして、彼女の手が発した光の色は、薄い桃色…つまり、回復魔法を発動する時の色、攻撃魔法では絶対にあり得ない色だったんだ」
「…つまり、あの少女は、あの場でただ姉を助けようとしたということか」
リュカードは目を瞠ると、そう呟いた。




