決戦3
アリシアは、いつも側に寄り添っていてくれる白銀の犬が、疾風のごとく両軍の間を駆け抜ける姿に目を瞠っていた。そのしなやかな身体には、まるで風を纏っているようだ。
風に煽られた炎は、まるで生きているかのようにアストリア王国軍に襲い掛かっている。炎の竜も、嵐のような風にその姿を保てずに大きく揺れていた。
(あの子は風を、自在に操っている…)
アリシアの周りにも、どこからか小さな竜巻が発生していた。砂塵を含んだ風がローレンスを包み込む。
「くっ…」
砂で視界が遮られた様子のローレンスが目を押さえ、一瞬アリシアを捕らえている腕の力が緩む。そこに、白銀の犬がローレンスとアリシアの間に割って入るように飛び込んで来た。
アリシアは全力で身体を捻り、ローレンスから逃れる。
「くそっ、小娘が…!」
体勢を立て直しながら、ローレンスはアリシアの胸を目掛けて力を込めて剣を投げつけたが、それはフレデリックが振るった剣に即座に叩き落とされた。ガキンと大きな金属音が響く。
「姉さん!」
足下がよろめいたアリシアの身体をアルスが支える。
(…これは…?)
アリシアは、アルスが触れた手から、何か温かなものが流れ込んでくるのを感じた。
それは乾いた地面に染み込むように、潤すようにアリシアの記憶を満たしていった。
欠けていた魔術試験後の記憶が、一連の画像を見ているような鮮やかさでアリシアの頭に流れ込んで来る。
アリシアには、その胸で光るペンダントの宝石と同じ色をした瞳が、その映像の中ではっきりと見えた。
「リュカード、様…」
そう呟いたアリシアに気付くと、気遣わしげにアルスが口を開く。
「姉さん、記憶は戻った…?」
アリシアは頷き、アルスに微笑む。
「ええ、思い出したわ。アルスのお陰ね、ありがとう」
そして、すぐに魔具を取り出した。
(今私のすべきことは…)
アリシアは、ディーク王国軍に2発、魔力を補給するために込めた弾を撃つ。…そう、リュカードとシリウスに。
魔具を構えるアリシアを止めようとしたフレデリックを、かろうじてグレンが遮った。
アリシアがディーク王国の結界を見上げると、みるみるうちに結界に走っていたひび割れが消えていく。
(無事に魔力が届いたのね…)
安堵に一瞬胸を撫で下ろしたアリシアの横では、アルスとグレンがローレンスとフレデリックに対峙していた。
互いに魔法を込めながら、じりじりと間合いが詰まる。
アルスは顔を歪めた。
(ローレンス様とフレデリック様は、いずれもアストリア王国の実力者。この2人と正面から互角に戦うのは難しい。…けれど、姉さんは何としても守らないと)
ローレンスがアルスの考えを読んだかのように不遜に笑い、その手が炎魔法を発動した瞬間、アリシアの足下に寄り添う白銀の犬の金色の瞳が光った。
旋風が湧き上がり、ローレンスの炎魔法を巻き込むと、その矛先をローレンスとフレデリックに向ける。
(この犬は…)
ローレンスは、自ら放った炎魔法を打ち消すと、辺りに素早く目を走らせてからフレデリックに告げた。
「ディーク王国軍によるこのような反撃は想定外。しかも、正体のわからない風が炎を運ぶ攻撃に、騎士団、魔術師団とも混乱を極めているようです。
…壊す寸前まで持っていった結界まで修復されてしまった。残念ですが、ここは一度退いて、立て直しましょう」
フレデリックは一瞬沈黙したが、「ああ」と苦しげに小声で呟いた。
撤退するほかないことはわかっていても、この撤退は、アリシアがフレデリックの婚約者の地位を失うことを意味する。
自分の手から擦り抜けてしまったアリシアの姿を最後にその目に焼き付けるように、フレデリックは振り返った。
しかし、アリシアの瞳は、ディーク王国の結界の先にいるリュカードの姿をただ見つめていた。




