決戦前
コン、コン。
部屋のドアがノックされ、今日もフレデリック様が訪ねて来てくださった。
ドアを開けると、私に優しい微笑みを向けるフレデリック様が立っている。けれど、今日は目の下に暗い隈ができており、どことなく元気がないように見える。
「…どうなさいましたか、フレデリック様?ご体調でも優れないのですか」
私の言葉に、フレデリック様は微笑みを浮かべたまま首を横に振る。
それでも、どこか普段と様子が異なるのは明らかだった。
部屋のソファーに腰を下ろすと、しばらく俯いたまま口を噤んでいたフレデリック様は、何かを決心したようにゆっくり顔を上げると、私の目をじっと覗き込んだ。
「アリシア。ディーク王国との戦いのことだが。…私と一緒に来てもらえるだろうか。
君が、誰かを傷付けることを望まないのは知っている。…だから、アストリア王国の攻撃に加わる必要はない。ただ、私の側にいてくれるだけでいいんだ」
懇願するようなフレデリック様の瞳に、一瞬言葉が詰まる。
…ディーク王国との戦いが迫っているのだ。
そして私は、あの銀髪の男の子の忠告を思い返していた。そう、私も答えを出している。
「…フレデリック様。ほんとうに、フレデリック様のお側にいるだけでよろしいのでしょうか?
きっと、私はフレデリック様のご想像のとおり、まったく戦いのお役に立てないと思います。第一、自分の魔力を人のために使うことができるのかさえわかっておりませんし、足手まといになってしまうかもしれません。
それでも、構いませんか?」
暗に、アストリア王国のために私の魔力を使う気がないと告げても、フレデリック様は深い安堵の溜息をつくと、そっと私の身体に腕を緩く回した。
「ああ、それだけで構わない、ありがとう。…断られたらどうしようかと思っていたよ、アリシア。
戦の場に赴くというだけでも辛い思いをするかもしれない。巻き込んでしまってすまない。…だが、私は何があっても君を守るから」
切ないほどのフレデリック様の気持ちが伝わってきて、胸が痛くなる。
…思わず、ずっと疑問に思っていたことが、ぽろりと口から溢れ出た。
「フレデリック様、…どうして、私なのでしょうか?
きっと、姉のキャロラインもフレデリック様の婚約者になり得たでしょう。姉は、優れた魔術の能力を持っていますし、美しい人です。…私は、魔術は使えず、魔力もどの程度役に立つかすらわからないまま。…フレデリック様が推してくださったために私が婚約者になったと伺いましたが、なぜ、私を選んでくださったのですか?」
昔フレデリック様に会って話して以来、それほどフレデリック様に接する機会はなかった。姉を思って、むしろフレデリック様を避けるようにしていた私を、なぜ。この王宮のベッドで目覚めてからというもの、私に溢れんばかりの優しさを向けてくれる彼に対して、ずっと不思議に思っていた。
真正面からフレデリック様の綺麗な碧眼とぶつかると、フレデリック様はふっと苦笑した。
「私が側にいて欲しいのは、アリシアしかいないからだよ。
…アリシアは、優しくて、周囲の人々への思いやりがあって、努力家で、美しい。そういう風に、言葉でアリシアのどこが好きかを説明することもできるけれど、例えば同じような長所を持つ女性がいたとしても、決して代えが利くようなものではない。
理屈ではないから、説明が難しいんだけどね。…わかるかな」
私はゆっくりと頷く。
私も、理屈ではなく、誰かを切ないほどに大切に思う気持ちを抱えていたような気がする。まだ思い出せないけれど、アイオライトのペンダントを見ると、なぜか胸が苦しいくらいに締め付けられる。
フレデリック様の言うことが感覚として理解できたから、余計に返す言葉が見つからなくなってしまった。
少し両腕に力を込めたフレデリック様に、私は今ですら両腕を彼に回して応えることができずに、代わりに彼の背中をそっと撫でた。
彼の身体は、張り詰める気持ちのせいか、少し震えていた。
(戦になったら、ディーク王国の人たち、…私が忘れている人たちに会うのだわ)
私は、きっと大切であっただろうその人たちを、思い出すことが出来るのだろうか。
戦の敵味方に分かれて、相見えるその時に。




