たはここにある
理氏は独り言しか言わない。この世に生まれてからこの方、他人と会話をしたという認識がないのだ。
「理さん、今日はなんていい天気なのでしょうか。凹凸がなさすぎて平面に見えるくらいですよ!」
空気の振動が彼の中でこのように処理され意味を汲み取る。この振動を生み出した他者も実際存在することはたしかであったが、理氏の中にいるこの人物の存在に比べれば十分無視できるレベルだ。
「たしかに、あの上でスケートをしてみたいくらいだね。」
理氏は実際スケートなどしたくない。話し相手が彼の言葉の意図を理解したかどうかは定かではない。これは道徳的な意味ではなく科学的、すなわち性質的にという意味である。
相手はにっこりと微笑む。ある光が理氏の目に飛び込み、そのように処理される。同時に彼の中の話し相手は完全に頬笑んだ。
読んでくださりありがとうございました。
会話というのは第三者から見た独り言の交換会のようなものです。会話に参加している人は自分が会話をしていると考えることは普通できません。
しかし、自らを第三者として、脳内での処理を会話と呼ぶことはできます。
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