理氏の紹介と疑問に対する回答及び物語る姿勢
この作品はTwitter(@logic_dept_)に載せていたものです。
何度も登場するであろう理氏と2つの言葉の紹介をこの形式で行ないました。
また、理氏の紹介を含めこの話を読んでおくと後の話が滑らかに入ってくると思います。もちろん1話完結なので読まなければ理解できないわけではありません。
ここで、これ以降のお話を読んでいただくに当たって幾つかの前提について書いておいたほうがいいだろう。
一つは理氏とはどのような存在として描かれるのかという話。
簡潔に言ってしまえば、“なんでもいい“ということになる。読み手にはこの存在を話ごとにそれぞれ適当に定義してもらいたい。人かもしれないし、そうでないかもしれない。確実なのはそこに理氏がいるということだけだ。
もうひとつが“観測“と“状態“の話。
観測や状態という言葉は日常生活でもよく使われることだろう。しかし、これ以降では普段とは少し違う使い方をする。
観測とは物理現象が起こるということを指す。普段であれば、目に見えないものや、聞こえないものを観測するということはないかもしれない。ここで例示をひとつ。例というのは本来それを理解しているかの確認に使うものであって、説明に用いるべきではないのだが今回はお許し頂きたい。
誰も知らない寂しい山がある。鳥も熊も、もちろん人間もいない。その山で火事が起こる。最初は小さな火種も仲間に幸せを分けるかのようにだんだんと広がっていく。明るいお祭り、進むパレード。パチパチという拍手と轟々という音楽。しかしこのお祭りのことは誰も知らない。終わらない祭りはパレードを引き連れて、寂しさを焼き尽くしていった。
この山火事は誰にも見えないし、聞こえない。しかし、実際にあることに変わりはない。これは誰も計測などしていなくても物理現象として“観測される“ことになる。
状態は観測の反対にあると考えてもらっていい。現象として現れない。しかし、なにか現象を起こす種は持っている。状態は観測され得る要素で構成される。この要素のひとつが現象として観測されることはもちろんあるだろう。しかし、その時にはすでに状態は違う状態へと遷移してしまっている。そのため、我々は状態自体の性質について知ることはできない。
要は設定集であろう。火を噴く剣を突然話に出すわけにもいかない。
書き手は極めてロジカルなものを書きたい。不思議な話をするために、突拍子もない話をするために論理というのは存在している。当たり前のものに論理など必要ないのだ。
赤い林檎は興味の対象ではない。黄色い林檎を提示して、これは林檎であるという話がしたい。黄色い林檎の人工的な甘さを楽しんでいただきたいと切に願う。
読んでくださりありがとうございました。
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改稿しました。だいぶ説明文らしくなりましたがここは本編ではないので自分で許すことにします。
ここから先は物語なのでもう少し楽しく作業できそうです。
感想お待ちしています。