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片道切符  作者: すもも
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逃げた場所

「まもなく    駅   駅」


あたしはもう車内アナウンスが聞こえないことに違和感を感じなくなっていた。電車が停車する、扉が開いて次に乗車したのは中年のおじさんだった。くたびれ色褪せたスーツ、ぐったりと疲れきっていて顔色も悪い。さっきのおばあちゃんとはまるで違うその様子に、あたしは思わず目を逸らしていた。気配だけでその人が座ったのを感じた。

ちらりと視線を向けるけれど、彼はこちらを気にした様子もなく、ただぼんやりと座っていた。少しすると電気が消え暗くなった、また同じことが始まるのだと思う、でも見たくない。

あの人の過去は見ていいものじゃない、直感的にあたしはそう感じ、流れる映像を見ないうに強く目をつむった。でもそんなあたしの気持ちもお構いなしで、瞼の向こうの光を感じながら、体が急速に引っ張られていった。


南十字卓夫は昼間の公園にベンチに座っていた。瞳はただ宙を見つめているだけで、彼の黒目にのんびりとした青空が写っていた。誰もが知る大学を卒業し、大手企業に就職、その後出会った女性と結婚し、一人娘を儲けた。人生に敷かれたレールというものがあるのなら、彼はそれを綺麗に歩いてきた。裕福な家庭、仲の良い家族、絵に書いたような幸せな家庭を手に入れたはずなのに、不景気が災いし同時に何人ものリストラ、そのなかの1人。彼には耐えられなかった。


会社でも誰よりも努力をして、毎日のように会社に貢献してきたというのに、このザマ。年齢がそうさせるのか、時代がそうさせるのか。リストラ、無職、それが今自分に貼られていると考えただけで恥ずかしくて、どうにかなってしまいそうだった。でももうやる気が沸かない。

なんとか就職をしてみようと試みたがどこをも落ちた。だからといって、働ければなんでもいいとは思えなかった、工場の下請けなんてごめんだ、あんな、中卒だか、高卒だか分らないようなやからと一緒に汗水を流して働くなんてことは耐えられなかった。それで今はこのザマ。もう就職をしようという意思まで薄れ、公園でぼんやりとする始末。

他にもスーツ姿で公園にいる男性が何人か居る。自分だけではないという安心感と、あいつらと俺は違うという意味のない自信。やっていることは変わりないというのに、家族にはリストラにあったことを話すことが出来なかった。大学に行くために勉強をしている娘、家庭を支えてくれている妻。

自分がリストラされたと知れば苦労をかけてしまう。知られる前に再就職すればいいと思っていた、けれど就職先が見つからない。言うタイミングを見失い、金が無いのを借金でカバーした。いずれ返せるという思いだった。でもどんどん増えていく借金と、妻の期待と、子供の笑顔に苦しめられた。


いっそ全てを話してしまえば楽なのかもしれない、でも今更引けなかった。ああ、本当にどうしよもない。何もしないまま夕陽が沈んでいく、時計を見る、20:30。帰ろう。腰を上げて公園から出て行く、もう周りには誰も居なかった。帰ったらいつもの旦那を、父親を、演じなくてはいけない。家に帰る前に身を整えて、玄関を開く。


「ただいま」


声は大丈夫だろうか、おかしくないだろうか、普通に、いままでどおりに振舞えているだろうか。


「おかえりなさい」


「おかえりー」


娘と妻がいつも通りに迎えてくれた。ああ、よかった。俺は今までどおりに振舞えたらしい。


「ごはんにする?おふろにする?」


素でそんなことを聞いてくる出来た妻。いつも通りだ。


「ああ、ごはんにしようかな」


答えると彼女は、そういうと思っていたなんて嬉しそうに笑った。いい妻だ。これ以上の女性はいないだろう、そんな彼女を苦しめたくない。


「お腹すいた~。お父さん帰ってくるの遅いよーぺこぺこ」


テーブルに突っ伏してこっちを軽く睨んでくる娘。中学生の時には反抗期で、冷たくあしらわれて傷ついたものだが、今ではすっかりそんなそぶりはなくて、仲のよい親子だ…と自分では思っている。少なくとも帰ってくるまで食べずに待っていてくれる。


「そんなこと言っちゃいけないわよ、お父さんは毎日私達のために働いてくれているんだから」


妻の言葉に胸が痛む。公園に居続けて早半年だといったら彼女はどうするのだろうか、いいや、考えるのはよそう。心温まる家族の団欒なのに、俺の心は痛みでいっぱいだった。


それが崩れたのは突然だった。それは夕食が終わって、風呂も済ませてテレビを見ているときだった。くだらないバライティー、司会者の甲高い声。こんなものばかりやっているのだから日本が廃るのも当然の結果だと思えた。


「ねえ、あなた」


妻から声がかかった、いつもの声の調子とは違う緊張したような声。そのせいで心当たりのある俺は身体をすくませてしまう。


「……昼間に、スーツ姿のあなたが公園に居たって近所の人から聞いたのだけれど、」


見られていたのか。家から離れた場所を選んだのに。


「他人の空似じゃないのか?」


普段通りに言葉を発したつもりだったが、声が震えるのを隠しきれていなかった。


「………こんなものも届いているのだけれど」


テーブルの上にそれが置かれ、息を呑んだ。借金の明細書。いつも見つからないように、気づかれないように捨てていたのに。郵便が遅れたのか?気づけなかったのか?


「そ、れは」


口がうまく回らない、どうした、どうした、早くこいつを納得させることが出来るような嘘をひねりだせ。でも何も言葉を発せなかった。


「ねえ、これは、なに?」


問い詰める妻の声も震えていた、幸せは崩れてしまった。俺は一言も言葉を発することが出来なかった。妻は呆然としてしまっていて、それ以上聞いてこようとしなかった。何かの間違いだと思いたかったのかもしれない。俺はその後、こっそりと家を抜け出した。戻れないところまできてしまった。何がいけなかったんだろうか、妻や娘を路頭に迷わせるなんてことは出来ない。2人は強いから、俺がいなくてもなんとかやっていけるだろう、


「っ、ふ」


涙が溢れて頬に伝う。俺の人生はなんだったのか、でももういい。疲れたんだ。疲れたんだよ。家族の前でいい父親を演じることも、公園で意味もなくぼんやりすることも、人目を気にして金を借りにいくことも、疲れた。息をするのも、涙をながすのも、もう疲れた。もう楽になりたい。人に迷惑にならないように、俺は、静かに消えていく選択をした。そして、苦しみから解放され、—気づくと電車に乗っていた。


映像が途切れ、あたしは電車に引き戻された、がたん、ごとん、がたん電車の揺れる音が聞こえる。ありふれたことだ、1番始めにそう思った。そういった人生を歩む人は存在する。誰にも言えず1人で背負い込んで、これしかないと思い込んで、何処にも居場所を見出せなかったその人は「死」という選択を選んで、でも全然幸せじゃなくて。つらくて。


首を捻ってその人を見る。瞳には生気は宿っていなくて、ぞっとした。電車が止まり扉が開く、彼はふらふらとした足取りで扉へと向かった。行っちゃ駄目!あたしは反射的にそう思った。彼は外へと踏み出すと顔を恐怖で染めて、真っ逆さまに落ちていった。


「あああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


叫び声が聞こえて、それは小さく消えていった。恐ろしさで震えた。死ねば楽になれる。本当に?少なくともあの人を見た限りではとてもそうは思えなかった。扉が閉まり、車内には灯りが戻った。がたん、ごとん、がたん。電車は何事もなかったかのように走り始めた。

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