03 図書部
◇
図書部、なんていう部活は初耳だった。おそらくは、今年設立されたばかりなのだろう。というのも、飛屋は部活動の乱立が激しい高校で、毎年五つくらいのペースで新しい部が創立される。
そのぶん、部活が廃れていくのも早くて、要は、入れ代わり立ち代わりという感じだ。
部活設立のハードルもそこまで低くなく、部員数を揃えて生徒会に届出すればすんなりである。ほかに、顧問と部室が必要になるが、ひとり、教師に顔が利く生徒がいればそれもどうとでもなる。
ただし、どれくらいの部費が出るかは、活動内容と実績次第である。もちろん、部費の支給なしもありうる。
ちなみに、部と同好会の違いは部員数だけだ。合計五人の部員がいれば、部として認められる。
だから、図書部にも、朝凪を含め五人の部員がいるのだろう。俺はそう踏んでいた。
図書室に案内されて、中に入る。紙のにおいがした。放課後の図書室に入ったことは一度もなかった。というか、ほとんどの生徒はないはずである。
なにせ飛屋には、図書室よりも大きな自習室が設置されていて、そのせいか、放課後の図書室はいつも閉館されているのである。ふつう、誰もいない。
だからここを図書部の部室として使うことが認められたのだろう。ほかの高校なら、図書室を部室に使うことは厳しいと思うのだが。
さて、図書室の奥、テーブルが並んでいる中のひとつに、ふたりの女子が座っていた。
ひとりは髪がぼさぼさで、胸のリボンが青色、つまり三年生である。それにしては覇気のないいで立ちで、あまり先輩には見えない。朝凪が入ってきたのに気付くと、締まりのない笑顔を浮かべて、右手をひらひらさせた。
で、もうひとり、
「あ、なんか見覚えが」
「え? あぁ、邪魔な人」
容赦ないものいいである。
昼にもここで会った、金髪の一年生だ。まさかこんなところで再開するとは思わなかった。
「知り合い?」と、朝凪が訊く。
「そんなことないです。わたしのなかでは道端で見かけた石ころのような認識です」
「誰が石ころだ」
「無機物が喋った!?」
「有機物だっ」
「じゃあ燃えますか?」
「燃える」
「紙は?」
「燃える」
「辞書は?」
「燃える」
「家は?」
「燃える」
「わたしに萌えますか?」
「まったく萌えない」
「やっぱり石ころですね」
「まあまあまあ、明音ちゃん」
三年の女子が制した。で、朝凪を見る。
「そのふたりは?」
「新入部員です」
朝凪はいい笑顔でいった。
なぜか新入部員にされていた。
「こっちが瑛太君こと久島瑛太君で、こっちがお稲荷ちゃんこと稲荷小雪ちゃんです」
「うん。小雪だよ」
「小雪ちゃんか」
「うん」
「かわいいねぇ」
三年の女子はゆらゆら歩み寄ってきて、小雪を抱きしめた。「わふっ」と犬みたいな声を出す、小雪。女子の胸に圧迫されて、どこか苦しそうである。
「わたしはね、笹原寧々っていうの。よろしくね」
「う、うん、よろしく……」
小雪はなんとかそう返した。息苦しそうなのはそのままである。
「わたしは日下部明音です」
「明音ちゃん? よろしくね」
日下部は小雪に頷いて、それから俺を見た。
「有機物さんも」
「久島だ。ついでにいうと、先輩だ」
「新一先輩!?」
「だれが高校生探偵だっ」
「では服部?」
「違う」
「忍者のほう?」
「違う」
「中国地方の」
「それは鳥取」
「あ、部長はわたしねぇ」
笹原がそう割り込んできた。やはり三年生が部長らしい。なんだか、それっぽくない雰囲気だが。
というか、流されていたが、俺は入部希望者ではない。なんだか新入部員として紹介されて、あいさつまでされてしまったが、部活を探していたのは小雪であって、俺ではない。
当の小雪は笹原部長に捕まったままだが、さして不機嫌なようすもない。むしろ、今日一番の笑顔で、上機嫌である。
「ね、瑛太君。面白いね、ここ」と、いわれた。
なにをもってそう判断したのかわからないが、
「そうだな」
と、答えておく。俺のことはともかくとして、小雪はここが気に入ったらしい。こいつは本当に新入部員になるのかもしれない。
「いやあ、これでなんとか部に昇格だねぇ」
と、笹原部長がいった。そう、俺と小雪が入部すれば、ここにいる頭数は五人。同好会から部に昇格できる人数である。
って、
「いま部じゃないんですかっ?」
「うん。同好会だよ」
「図書部なのに?」
「正式には図書同好会」
「でもポスターには部って……」
「同好会ってダサくない?」
全同好会を敵に回すような発言である。
まったく軽率な。これを同好会過激派が聞いていたらどうするんだ。
それに、と笹原部長が続ける。
「部員のひとりやふたり、すぐ捕まえられると思って」余裕の笑みである。「実際、すぐだったし」
たしかに、すぐだ。なんなら、貼った直後に見つかったということになる。
しかし、だ。
「いや、俺は入部しませんよ」
「ん、そう?」
「もともと部活探してたのは小雪ですし」
「そうなの、小雪ちゃん?」
「うん。そうだよ」
「で、俺はその付き添いっていうか、危なっかしいんで見張ってただけで、部活に入る気は毛頭……まあ、小雪はここが気に入ってるみたいなんで、入部するだろうけど」
と、いって、俺は小雪を見る。なんにも考えてないような目で見返された。
こいつ、大丈夫なんだろうか。まあ、これで図書部という引き取り手が見つかったことだし、大丈夫だろうとは思うが。
「えぇ、残念だなぁ」と、笹原部長がいった。「本当に、入部する気、ない? なんなら幽霊部員でもいいんだけど」
「それいったらおしまいでしょう!?」
「道端の石ころさん……」
「呼び方が長いし蔑称じゃねえか!?」
「じゃあ道端さん……」
「譲歩してアンなんたらみたいに呼ぶな!」
「本当に入部しないんですか? そういうなら、廊下ですれ違うたびに無意味に石ころさんって呼びますよ?」
「そんなこといわれてもな……」
無意味に石ころといわれるのは、それなりにハートにきそうである。
それでも、特に入部しようとは思わない。
「とにかく、俺は入部しませんから。もうひとりは、てきとうに探してください」
そういって、俺は図書室を後にしようとした。すると、小雪が、
「またね、瑛太君」
と、俺に手を振った。なにも返さないのも悪くて、「じゃあな」といって、図書室を出た。
図書部。
あんなへんてこな、活動内容もざっくりでアバウトな(というかまったくわからない)部活に入ってしまったら、俺の穏やかな日常がどうなるか、知れたことじゃない。小雪はもともと変わっているから、それなりに楽しくやれるだろうが、俺は願い下げである。
それに、変人の相手は竜ヶ峰と秋乃だけで十分だし、これに小雪が加わってくるのは、ちょっと勘弁してほしい。たしかに、あいつは面白いやつだ。数十分しか関わっちゃいないが、そう思う。
でも、べつに、いい。
そもそも、だ。
日常とかどうこういう前に。
俺にはもう、賑やかな仲間なんていらないのだ。
もう、二度と。
◇
一階に下り、昇降口で上靴を脱ごうとすると、ばったり、竜ヶ峰に会った。やつは自信ありげな面持ちで、
「受かった」
と、いった。追試のことだろう。まだ採点もされていないはずで、合否はわからない。だのにこれだけの自信があるとは、竜ヶ峰にしては珍しいことだった。
「そうか。よかったな」
「ああ、もうな。百点のビジョンが見えた」
そんなことをいうやつは、だいたい、追試ですら不合格になるのである。
とはいえ、竜ヶ峰、やはり自信満々で、「受かってなかったら腹を切るぜ」とまでいった。こいつは武士かなにかなのだろうか。髪が紫の武士とは、無双シリーズでもなかなかお目にかかれないだろうに。
「ていうか、お前、まだ帰ってなかったのな」
「あぁ。例の女子に付き合ってて」
「へぇ、お人好しだよな、お前も」
「そうかあ?」
まったくそんなことはない。現にいま、まるで空気を読まずに図書室を出てきたところである。
「お前は部活?」
「いや、今日はバスケ部休みなんだ」
「なにかあったのか?」
「顧問が出張」
「ふぅん。そんな日に追試って、ついてねーな」
「ほんとだよ。ゲーセンでも寄ってくか?」
「おう」
靴箱に上履きを入れて、通学用の靴を床に落とす。
白のスニーカーは汚れきっていて、ところどころ黄色い。一年履いただけで、こんなにも汚れるものかと、少し驚く。竜ヶ峰は一足先に夕陽のなかに飛び出している。
――追いかけようとしたところで、「にゃうっ」という叫び声が聞こえた。
女子の、猫みたいな叫び声だ。階段のほうから聞こえた。
「いやいや、何回目だよ……」
さすがに呆れて、向かう気にもならない。そう、何度も何度も階段から転がり落ちるのも、あいつにとっては慣れたものだろうし、わざわざ行くまでもないはずだ。
ていうか、なんで階段にあいつがいるんだよ。「またね」っていってたじゃないか。いまごろは、図書部の面々と親睦を深めているとか、そういうことでもしてるんじゃないのか。まあ、もしそうじゃなかったとしても、俺には関係ない。
……そうだ、別にいいのだ。
仲間なんて、どうでも。
校舎の外へ、歩きかけた。
ただ、その足が、ふと止まる。
もしケガしてたら、――って。
気付けば靴箱に手をかけていた。竜ヶ峰が不審そうな声で、
「早くしろよ」と、いった。
早くしたいのは山々だ。しかし気になってしまう。表面じゃ呆れ返っているのに、奥底じゃ、どうしても気になって仕方ないのだ。
「すまん竜ヶ峰、先に行っててくれ!」
すぐにまた上履きを履いて、校舎のタイルを駆けた。掲示板の前を通り過ぎて、階段の前。小雪が膝を抱えて蹲っていた。
「なにやってんだ、お前!」
びっくりしたように、小雪が顔を上げた。目が潤んでいる。
「痛いのか?」
小雪は小さく頷く。
「どこが?」
「右のお膝、打っちゃって……」
「膝だけか? ほかは?」
かぶりを振った。どうやらほかに痛めた部位はないらしい。前は無傷で、今回は右膝だけ。なんとも運のいいやつである。
「なんでまた転ぶんだよ、階段で」
「ごめん……瑛太君を追いかけるのに夢中で……」
「なんだそりゃ……立てるか、肩貸すぜ」
「ありがと……」
なるべくゆっくり、急がさないように歩いて、保健室まで連れていく。保健室の先生は、小雪を見て、「また落ちたの?」と訊いてきた。どうやら、こうやって保健室に運ばれてくるのは一度や二度ではないらしい。なら、全然無傷で済んでないじゃないか。
とはいえ、運んだものの、小雪は保健室の椅子に座ると、まったく痛そうにしなかった。丈夫なやつだ。先生が打ったらしいところを触っても、さして痛がるようすもない。「大丈夫そうね」と、先生はいった。
念のため、数分ほどベッドの上で座るか寝るかしろというので、小雪はベッドの端にちょこんと座った。立っているのもなんだから、俺も座れと先生がいう。もうひとつ、空いていたベッドがあったので、小雪と向き合うように座った。
小雪は本当に平気そうだった。脚をぷらぷらさせて、さっき膝の痛みを訴えたときの雰囲気はどこにも見てとれない。
で、しばらくして、俺を見てから、
「ありがとうね、瑛太君」と、いった。
本日何度目のお礼だろうか。
「やっぱり、瑛太君はヒーローだね」
「ヒーローなあ……」なんだか複雑だった。「でも、見損なっただろ」
「なんで?」
「図書部、入らないって出ていったし」
「それは瑛太君の自由だよ。わたし、そう思うよ。そんなことで見損なうなんて、ないよ」
それに、と小雪は続ける。
「また駆け付けてくれたし。やっぱりヒーローだ」
そうなんだろうか。俺は、本当にヒーローなんだろうか。
「……そういえば、お前、どうして俺を追いかけてきたんだ?」
「え? だって、ただ追いかけたくなったの」
「……どうしてだ?」
「よくわかんない」
ないのか、理由が。それならそれでいいのだが、だからって、階段から落ちることもあるまい。わざと転んだわけじゃないだろうが。
とはいえ、それに駆け付けただけで、俺はヒーローなのか。なんだか似合わない気がする。秋乃が聞いたら笑うだろう。
――ヒーロー、なあ。
「小雪、ひとつ訊いていいか?」
小雪はにっこり笑って、首を斜めにした。で、「うん」と頷く。それがあまりにも子どもらしい仕草で、思わず訊くのを躊躇ったが、俺は心で決めて、いった。
「ドラゴン・ヒーローは、いつお前を助けたんだ?」
「小学校三年生のとき」と、笑みを崩さずに、小雪は答えた。「……わたしね、クラスの男の子にいじめられてたことがあってね、その日も、いやがらせされてたの。男の子に囲まれて、どうしようもなくて、泣いちゃってた。でも、そんなときに、ドラゴン・ヒーローが助けてくれたの。『俺の名は、ドラゴン・ヒーローだ!』っていいながら、男の子たちを追い払って、『ケガしてない? 大丈夫?』って。それが瑛太君だよ、ね? そのあと、変なお面を被った男の子がやってきて、瑛太君とその男の子で、わたしを家まで帰してくれた」
「そうか。そんなこともあったかな」
微かに、思い出せそうだ。夕焼け空の下で、竜ヶ峰がお面を被って、悪者探しをしていた。そして、寄ってたかって小さな女の子をいじめる、男子どもを見つけた。竜ヶ峰が突っ走って、そいつらを追い払う。俺は呆れながら、でも、内心、ドラゴン・ヒーローを応援しながら、女の子に駆け寄る。
白い髪の毛。赤い瞳。うさぎみたいな見た目だと思った。
「あのあと、いろいろ噂を聞いたの。ドラゴン・ヒーローが、遠くで活躍してるって。聞いてただけで、会うことはできなかったけど……でも、奇跡だよね。この学校で、会えちゃうなんて」
そういうと、小雪は元気なようすでぴんと立ち上がった。
「もう大丈夫なのか?」
「うん」
「図書室までいくのか?」
「うん」
「送るよ」
「いいの?」
俺は首肯して、先生に礼をいってから、保健室を出た。
小雪を連れて歩いていると、昇降口で、ずっと待っていたという竜ヶ峰に見つかる。やつは小雪を見るなり呆れたような表情をしたが、少しして、首を傾げた。
「こいつ、お前が助けたんだぜ。小四のときに」と、いってやる。
「あぁ、そうなんだろうな。ちょっと見覚えあるよ。ま、でも、ヒーローはお前だからさ」
竜ヶ峰は、どうやら思い出したようだ。俺より記憶力がいいのかもしれない。
ただ、ドラゴン・ヒーローの座は譲ってくれるらしい。そこまでほしいものでもないが、ありがたく頂戴するのも、悪くない。
「そうだ、竜ヶ峰。俺は今日、一緒に帰れなくなった」
「なんでだ?」
「部活入るんだ」
一瞬、間があって、「そうか」と、竜ヶ峰が答えた。
それで、
「変わってねーな、お前」
と、いった。
「どういう意味だよ」
「小四のときもそうだった。お前は結局、誰かのために決めるんだよ。部活に入るのだって、そいつになにかあるからなんだろ。目立ちたいだけの俺とは違った」
「そんなかっこよくねーよ、俺は」
「あぁ、そうかもな。少なくとも、俺のほうが男前だ」
いいやがる。
そしてやつは「じゃ、また明日な」と言い残して、ついでに見慣れた快活な笑みを浮かべて、校門へ向かった。
――誰かのために、か。
俺は隣で突っ立っていた小雪を見る。こいつは俺を見上げてきょとんとしている。
俺はこいつのために、図書部に入ると決めたのだろうか。
何回も階段から落ちるし、走れば転ぶし。
危なっかしいやつ。
で、俺はそんなこいつにヒーローと呼ばれた。
……ヒーローか。悪くはない。
「よし、いくぞ、小雪」
「いいの、本当に?」
「なにがだ」
「部活……一緒に入ってくれるの?」
「ああとも」
俺は頷いて、図書室に向けて歩き出した。どうせなら、譲り受けたヒーロー職、全うしてやろうではないか。「早く来いよ、おいてくぞ」と、俺はいう。小雪は笑顔になって――そしてどこかうれしそうに頬を赤らめて――さっさと歩く俺の腕を掴んだ。