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追い風を探して

作者: 石見千沙

 東山の頂上に設けられた離陸台の上に、六頭の竜が登り、空をにらんで時を待っていた。その背中にそれぞれ一人ずつ竜乗りがまたがり、同じく、前方に目をやってじっと合図を待っている。

 彼らがまず目指すのは北山、次に西山、そしてゴールの南山。北山と西山では、出場者それぞれに割り当てられた色の小さな旗をとり、決められた地点を通過した証明として、ゴールまで保持しなければならない。

 そして、最後の南山の頂上に待つのは、たった一本の勝利の旗。それをつかみとれるのは、最初に到着した一人と一頭だけ。

 これが、四方を大山に囲まれた『山の国』名物、竜乗りたちのレースだ。

 やがて、離陸台付近の物見やぐらに、物々しい身なりの男が立った。

 竜乗りの少年テオは、手綱を握る手に力をこめた。右目で物見やぐらの男を見、また視線を前に戻す。

 目の端に、男が角笛を構えるのがほんの少しだけ映った。

 鋭い音が鳴り響いた瞬間、竜たちはいっせいに台を蹴って飛び立つ。山の斜面で息をひそめて見守っていた観客たちが歓声を上げ、北に向かう竜たちの影を見送った。

 テオの竜の速さは、他とは段違いだ。テオの仕事はその背で、一番いい風を見つけることだけだ。風を読むことは竜にだってできるが、鱗に覆われた肌よりもむき出しの人肌のほうが敏感だから、最高の風を見つけるのは、竜よりも竜乗りの才能がある人間のほうが実は早い。竜が少しずつ高度を上げて、テオがここだ、と思ったところで合図を送ると、竜はそこで風に乗る。そうして、他の五頭を見る見るうちにひき離していく。

 そうなると、他の竜と竜乗りに勝ち目はない。テオはちょっと振り返り、早くも点のように小さくなっていく競争相手たちを確認して、また前方に目を戻した。

(あと何回か……)

 あと何回か勝ったら、貯まった賞金で、夢をかなえるのだ。


「来た」

 南山の頂上付近、物見やぐらの上で、三人の審判が立ち上がった。

 西山のほうから、ぐんぐんと大きな影が近づいてくる。少年を乗せた竜だ。少年は竜の背中にぴったりと身を伏せ、らんらんと輝く瞳で南山頂上に設置された台座と、そこではためく勝利の旗を見据えている。

「やっぱりあいつか。速いな、あの竜は」

「たいしたもんだ。他の竜の影もかたちもない」

 南山の頂上に近づいて、やっとテオは身を起こした。竜が少し速度を落とす。旗が近づく。テオが手を伸ばす。

 テオが旗の柄をつかんだとき、南山で待機していた観客たちがわっと喝采をあげた。ゆったりと上昇する竜の上で、少年は背筋を伸ばし、誇らしげにつかみとった勝利の旗を掲げた。

 他の竜たちが南山に到着したのは、それからしばらく経ってからだった。

 

 この大陸は山だらけで、山々に隔てられていくつかの国が存在する。なかでも四方を特に高い山に囲まれた『山の国』では、竜乗りのレースが伝統的に行われていた。

 大型の馬ほどの大きさがある竜は、この大陸のあちこちの山に生息している。竜の多くは気性が荒いが知性も高く、ときに飼いならすことができ、竜と暮らす人々のうちのいくらかは竜乗りになる。

 テオの竜はもともと野生だ。竜が幼いとき、傷ついて飛べなくなっているのを助けたことがきっかけで懐かれ、仲良くなった。大きくなった竜の背中に乗ってみると嫌がらなかったので、山の国のレースに挑むことにしたのだ。

 最初の挑戦からたった一年、数度のレースを経たテオと竜は、今では負け知らずの一組と評判の存在になっていた。

 自分の着陸台を見つけて、テオと竜はすーっと地に降りた。竜の背中から滑りおりたテオは、息をきらしながら顔を寄せてきた竜の首を抱きしめ、頬ずりした。

 いつもレースの最初から最後まで、テオの竜は気持ちよさそうに、全力で飛ぶ。着陸するときには、竜は息を激しく弾ませている。それでも競争相手たちに追いつかせない速さと体力を、テオの竜は持っているのだ。

「お疲れ。今日もありがとう。ほんとうにありがとう」

 力いっぱいねぎらってやって、テオは休憩所のほうへ歩きだした。そのあとを、空を飛ぶときよりはぎこちない歩き方でついてくる竜を、テオは心底愛しく思った。

 その後、ふたりが休憩所の水飲み場で体を休めていると、審判のひとりが慌てた様子でテオを探しに来た。

「おおい、テオ!」

 テオと竜の姿を見つけた審判が、片手を上げて駆け寄ってくる。

「なんですか?」

 自分の前で立ち止まった審判に向かって、テオは首をかしげた。

「おい、急いで汗をふいて、髪をちゃんとしろ。服は……まあ、レースの後だし問題ないだろう」

「どういうことですか」

「第三王子殿下が、おまえと竜を御覧になりたいと仰せだ。さあ、急いで」

 テオは竜と顔を見合わせた。嫌な予感が胸に広がった。

 この国の三番目の王子といえば、この国の王家の末っ子だ。わがまま放題で、他人のものをなんでも欲しがるところがあることで有名だ。

 そのうち、王座までも欲しがるようになるのではないか、国の乱れの原因になるのではないかと心配する人間は多い。

 テオの不安は的中した。

 テオを召しだした三番目の王子は、金貨の詰まった袋をテオの鼻先にぶらさげ、これと引き換えにおまえの竜を献上せよ、と言った。

交渉ではなくて命令だった。


 レースが終わると、いつもは一晩、竜乗りと竜のための宿泊所で休んでから、テオと竜は自分たちの村と山にそれぞれ帰る。だが、今日はそれができなかった。三番目の王子の一件で、レースの主催者に引きとめられたのだ。

「少し考えさせてください、とは言ったけど……あいつが待ってる返事なんてひとつしかないよな」

 滞在三日目の真夜中に、テオは与えられた部屋に行かず、竜舎に来て、テオの竜にわりあてられた檻の前で膝をかかえて座っていた。他の竜たちが寝息を立てているなかで、テオの竜は目を覚ましていて、やってきたテオを見つめ返してきた。

 檻のあいだから手を差し出すと、竜は蛇のような吐息をもらし、テオの手に顔をこすりつけてきた。

 小さい時に身寄りを失ったテオにとって、竜はかわいい弟のような存在だったし、その素晴らしい翼でいくつもの勝利をもたらし、貧しいばかりの生活から脱け出させてくれた恩人でもあった。

 テオは学校に行きたかった。一生を竜乗りとして生きる選択肢もあったが、今、自分と共に生きているこの竜以外には興味がなかった。だから、賞金のほとんどは貯めておいて、いつか都の学校へ行こうと思っていた。そしてよい仕事に就いて、レースをやめたあとの自分も竜も、静かで平凡な暮らしをする、そんな未来を思い描いていたのだった。

「おまえを売ったら、学校と仕事は、今すぐにでも叶う……」

 竜はテオのもらした呟きの意味を感じ取ったかのように、不機嫌そうに唸って顔を離した。テオは苦笑いした。

「ごめんごめん。やっぱり、そんなことは考えられないよ。おれたち友達だもん。どうしたら、おまえと一緒にいられるかな」

 考えはじめると、答えはひとつしかないように思われた。

「山の国を出て、どこか遠くへ逃げる……」

 この国にいる限り、三番目の王子がテオの竜を諦めることはないだろう。竜のレースの関係者も王子のわがままに逆らえないから、こうしてテオたちを引きとめて、帰してくれない。

 このままごねて、無理やりひき離されるまで竜とここにいるか。素直に竜を売り渡すか。今のままではそのどちらかしかない。

「……逃げよう。あのバカ王子から」

 自分の親友を、ものみたいに渡してなるものか。

 テオはすっくと立ち上がった。逃げ出す方法がただ一つだけ、頭の中にあった。

 次の日、テオはレースの主催者に、「最後に一度だけ、おれの竜とレースに出させてください」とだけ言った。それはすぐに三番目の王子にも伝えられた。良かろう、との返事を、テオは主催者から聞いた。

 しかし、やはり竜と共に家に帰ることは許されず、次のレースまでも宿泊所での滞在を余儀なくされた。その間にテオだけが一度家に帰り、騎乗服に隠せる限りのたくわえの一部と、最低限の身の回りの品を用意して、また竜乗りの宿泊所に戻ってきた。

 とうぶんは泊まりこみになるのだ。誰も不審には思わなかった。


 次のレースの日、テオは竜と共にいつもより早めに離陸台の近くにやってきていた。テオが逃げ出す可能性などすでに想定されているようで、いつもより、レースの安全を見守る巡回竜が増えている。

 いつもと様子が違うことに、竜も落ち着かなげにしている。テオはその手綱を握り、はやばやと離陸台に上がった。

「なあ、よく見てくれ。……今日は、あっち」

 竜の頭絡をつかみ、顔を寄せて、テオはささやいた。言葉の通じない竜に向かって、テオは大きな身振りで、遠くにかすんで見える西山の頂を指さした。

「今日は、あそこだ。南山に行かなくていいんだ。あそこで、一番速く飛べればいい」

 テオとテオの動きを、考え深げな瞳で凝視する竜の鼻先をごしごし撫でて、テオはもう一度、指さしをくり返した。

 竜は賢いが、人の言葉を解するわけではない。ただ、自分がいつものゴールの南山ではなく、西山を意識していることだけを理解してくれればいい、そうテオは願った。あとは竜がいつものように飛びたがるかどうか、自分を信頼して、指示に従ってくれるかどうか。

 それだけで、全てが決まるのだ。

 やがて、スタートの時間が近づき、今回出場の竜と竜乗り六組が離陸台付近に集結した。係の者たちの指示に応じ、相棒を乗せた竜たちが次々に離陸台に上がっていく。

(この雰囲気も、これが最後か……)

 竜の背で山頂の空気を顔に感じながら、テオはあたりの景色を見渡した。勝負の場の緊張感。どの組からも目標とされる孤独感。勝負事が大好きというわけではなかったが、このひりつくような空気感は好きだった。

 計画が成功しても失敗しても最後になるであろう、離陸台のその雰囲気をかみしめながら、テオは合図を待った。

 そして、笛吹きがやぐらに上がり、角笛をかまえ、角笛を吹いた。

 六頭の竜がいっせいにはばたく。わき起こる羽風と歓声を浴びながら、テオは他の竜たちの最後尾についた。

 飛びながら、竜がチラリとテオを見る。先頭に行きたい、とその目は訴えている。先を行く竜乗りたちも、いつものように必死に追いかけることになると思っていた相手を、不審そうに振り返ってきた。

「……我慢してくれ」

 今日は、おれたちだけはレースをするんじゃないんだ。そんな思いを込めて、テオは竜にだけ聞こえるように小さく呟いた。ひとまず竜は、テオに従うことに決めた。その背で何度も、うずうずするほど良い風が吹きすぎるのを感じたが、テオも耐えた。

 いつもよりも遅く、六頭の竜は北山にたどり着いた。竜乗りたちが次々に自分の旗をつかみとって先に行く。五頭目の竜にぴたりとくっつくようにして、テオも自分の旗を手にした。

 北山を過ぎるとき、他の竜乗りたちがまたこちらをちらちらと見てきた。まだそこで動かないのか。いったいどんな作戦を考えているというのか。あのテオと竜がいつものように飛ばないなら、今度こそ、自分たちにも勝機があるのではないか。竜乗りたちの考えや迷いは、手に取るように伝わってくる。

 ここで他の竜に本気で行かれてもいいのだ。

(西山の頂で、最高速の風に乗る……)

 誰も追いつけないくらいの速さで空を翔け、競いあう竜の群れを抜けて消える。それが今回の目的なのだから。

 テオの竜はいつも、最初から最後まで全力ではばたく。ゴールが近づくころにはへとへとになって息を切らしている。その体力を温存させて、他の竜がばてはじめるある一点で解き放ったら、どんな速さで飛べるのか。それはテオがずっと考えていたことだった。

 今までは、竜が好きなように飛んだって負けないことを知っていたから、自分の好奇心のためにそれを実行する気にならなかった。今回だけは、それこそが賭けだった。

 西山の頂が近づいてくる。竜は、テオが西山を意識していたことを覚えていた。テオはまだ動かなかったが、竜はここだと思った。

 しびれを切らしてついに先頭に躍りでたテオの竜に、他の竜乗りたちが殺気立った。彼らを乗せた竜たちが速度を上げる。つられてテオの竜も翼にさらなる力を込める。

「……待ってくれ! まだ早いよ!」

 手綱を引くテオに、竜は首を振って抵抗した。竜の訴えが聞こえてくるようだった。すぐそこに良い風が来ている。飛びたい。自由に飛びたい!

「自由はここにないよ! ここで飛んだら、もっと不自由になる……!」

 他の竜乗りに聞かれるかもしれないことも考えず、テオは竜に向かって叫んだ。人の言葉はわからなくても、その声の調子が、母親を呼ぶ迷子の竜のように切迫していることを、竜は感じ取った。テオが苦しんでいる。じゃあ、自分くらい、テオの言うことを聞いてやらなくちゃならない。

 テオは自分の体の下で、竜が抵抗をやめたのを感じた。これまでになく、竜と自分が一体化していく。竜がはばたくたびに、全身の肌がびりびりと震えるような感覚があった。

 西山の頂はもうすぐそこだった。自分の色の旗が光り輝いて見えた。

「ごめんな……今日はここがゴールだよ」

 話しかけて、テオは旗に手を伸ばした。

 旗をつかむ。顔を上げて風を探る。それはすぐそこにあった。南ではなくさらに西に向かう風が、やや高いところに吹いていた。

「……ここだ……!」

 手綱をぐいっと斜め上に引くと、竜は小さく吠えて進路を西に変え、テオの見つけた風に乗った。

 まだ近くにいた竜乗りたちが困惑したように身動きするのが見えた。次に、西山の物見やぐらから、巡回員を乗せた二頭の巡回竜が、慌てた様子でテオたちを追って飛び立つのが視界の端に映った、それが最後だった。

 ついにふたりは、定められた道筋を離れた。解きはなたれた翼と力に火をつけて、すさまじい速さで竜が空を翔ける。竜の背にぴったりと全身をつけておかないと、吹き飛ばされそうだった。他の竜乗りも、巡回竜も、レースもこれまでの生活も、何もかもをものすごい速度で置き去りにして、竜は矢のように西へ飛んだ。

 テオは、あとは竜に任せていた。

 あとはおまえの飛びたいだけ飛ぶがいい。巡回竜に捕まるようなところで止まるなら、それもおまえの意志だろう。そう思っていたが、竜は心底気持ちよさそうに、風に乗ったままずっとはばたき続けていた。

 広い山地を越えて、大きな川を越えて、知らない土地の上空まで来たところで、やっと竜は速度をゆるめた。

 下界に小さな人里が見える。テオの故郷に似た、素朴な村だ。

「なあ、あそこの人たち、歓迎してくれると思う?」

 空中ではばたきながら停止した竜に、テオは肩を上下させながら話しかけた。竜も息をきらし、テオの声に耳を傾けるばかりだ。テオはわかんないよな、と笑った。

「どこにいい人がいて悪い人がいるかなんて、わかんないや。でも、おまえと一緒なら、また逃げ出せる。いい人がいるところが見つかるまで、飛び続けられる。そう思うよ」

 そう話しかけて、テオは竜の首を撫で、首筋に額をすりつけた。それには竜も反応して、親しみのこもった甘え声を出してきた。

 テオはもう一度だけ竜の首筋に額をおしつけてから、ほがらかに言った。

「降りてみようか!」

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