桜の咲く世界での話
人は、一人では生きていけない。……いや、ちょっと違うな。
人は一人でも生きていける。生きていけるけど…きっとそれだけだ。
人は誰かを必要とし、誰かに必要とされる事で初めて『人たりえる』。
ーーー誰からも必要とされず、ただ生きている"だけ"。それはもう人じゃない。
だからあの日……『双葉桜』は人間じゃなくなった。
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双葉家は、ごくごくありふれた家庭だった。
田舎に一軒家を構え、のどかな毎日を過ごしていた。
父親は普通のサラリーマン、母親は専業主婦。
ーーーそして、子供が二人。
長男の双葉桜と、2つ下の弟……双葉椿。
桜と椿は、普通の兄弟だった。
普通に遊んで、普通に喧嘩して。特別、仲が良いわけでも、悪いわけでもない。あくまで普通の兄弟。
だが、そんな俺達兄弟にも一つだけ普通じゃないところがあった。
それは……俺が椿に抱いていた劣等感だ。
不器用な俺と違い、椿は何に対しても要領が良かった。
天才……と言うほどでは無いが、勉強も、運動も、それなりに出来る。そして……親に甘えるのだって、あいつは俺よりも上手だった。
だから両親は、こんな俺よりも、かわいい弟の事を愛したのだろう。少なくとも、俺はそう感じてしまった。
段々と、家族で出掛ける機会が無くなっていったのを覚えている。……俺がそれを拒んだからだ。
理由は良くわからない。そもそも、小学生の行動に、深い理由なんて無かったのかもしれない。
母親は、椿がねだると何でも買い与えた。一方の俺は、『兄なんだから』と諌められることが多くなった。
父親は、椿にサッカーボールを買い与え、庭で遊ぶようになった。サッカー好きの父親は、椿がサッカーに興味を持ったのが嬉しかったのだろう。……俺はあまりスポーツに興味が無かった。
……学校でも一人でいる事が多くなった。
学校にいる人間は……当然、弟の椿のことも知っている。俺は出来のいい弟と比べられるの嫌で、愛すべき家族に向けた醜い劣等感を肯定されるのが嫌で、段々と心を閉ざしてしまった。
学校の休み時間には、一人で本を読んでいた。そうすれば、誰にも話しかけられないから。
その反動なのか、休日は一人で出掛けるようになった。
……と言っても、子供が一人で行ける場所には限界がある。
俺はよく、近くの公園に行っていた。
田舎にある公園にはあまり人がいなかった。
確かあの公園によく来ていたのは俺と、女の子がもう一人。俺は彼女の事を『ミカちゃん』と呼んでいたっけ。……それがあだ名なのか本名なのか、あまりよく覚えていない。
日曜日になると、ミカちゃんは必ず公園に現れた。
俺から声をかけるような事は無かった。
ただ黙って別々の遊具で遊ぶ。そして夕方になると、ミカちゃんは迎えに来た両親とともに帰っていく。……その姿を、俺はただ羨ましそうに眺めていた。
『君、いつも一人よね?一緒に遊ばん?』
訛った口調でそう言われたのは、とても暑い日だった。
いつも一人で遊ぶ俺を見て、ミカちゃんは気を使ってくれたのだろうか。
……いや、いつも一人なのは向こうも同じだ。単純に、向こうも寂しかったのかもしれない。
『どうしたと?遊ばんと?』
「……遊ぶ」
それからは彼女と遊ぶようになった。
どちらが上手に砂のお城を作れるか。どちらが速く走れるか。……今思えば、ミカちゃんは負けず嫌いだったような気がする。
そんな彼女と遊ぶうちに、俺の中に淡い恋心が……目覚めるような事は無かった。
だけど、単純に居心地は良かった。
ミカちゃんは出来のいい弟の事を、椿のことを知らない。知らないのであれば、比べられる事もない。
「あー!双葉くんズルした、今のフライングやけんね!」
「は?してないし。おそらくきっとメイビー」
彼女と遊ぶたびに、少しずつ明るさを取り戻していく。
夕方には、親の手を惹かれて帰っていく彼女を見ると、少しだけ切なさを覚えた。……それでも楽しかった。
家では相変わらず一人でいるけど、大丈夫。
両親はきっと俺を愛してくれている。俺を必要としてくれている。
『家族とは、無償の愛を与えあえる存在』だと、手を惹かれて帰るミカちゃんの背中が教えてくれる。
ーーー椿と二人で遊びに行く時、椿だけがお小遣いを貰う。
……大丈夫。俺はお兄ちゃんだから我慢しなくちゃいけない。
ーーーふとした時に見た母の携帯の待受が、椿一人の写真だった。
……大丈夫。俺は写真嫌いだったから、気を使ってくれただけさ。
『両親はきっと、俺を愛してくれている』
俺は運動もスポーツも平均以外。人より優れた椿が可愛く見えるのは仕方ないことさ。
『両親はきっと、俺を必要としてくれている』
それに、俺だって椿の事が好きだ。そして……愛すべき家族に、こんな腐った劣等感を覚える自分が嫌いだ。
………スポーツを頑張れば、両親はもっと俺を見てくれるだろうか。
………勉強を頑張れば、俺にもお小遣いをくれるのだろうか。
何かを始めようと、そう思った。
才能が無いのなら、人よりも努力をしようと。
具体的に何をすればいいのかなんて分からない。だけど、それでも。
こんな明るい気持ちになれたのは、きっとミカちゃんのおかげだ。
今度デートにでも誘って見ようかしら。……いやいや、小学生が何を言っているのだろう。
……よし。とりあえず何か始めよう。人よりも努力をしよう。
適当に教科書を読んでみるでも、ランニングに行くでもいい。小さな何かを、だけど確かに始めよう。
ーーーそう、思っていた時だった。俺が誰にも必要とされなくなったのは。
……いや、最初からわかっていたはずだ。俺は誰にも必要とされていない。ただ一人で生きていくだけの俺は、もはや人間じゃない。
家族で満たされなかった承認欲求を、公園で出会っただけの女の子に求める化物。それが俺だ。
いつだって絶望は、希望へと進もうとする足に絡み付いてくる。
振り払っても振り払っても取れやしない。そうして俺を、絶望の淵へと叩き落とし、上から蓋をしてしまうのだ。
ーーーその日は、何でもない日だった。
暑かったのか涼しかったのか。学校に行ったのか、それとも休みだったのか。
そんな事も覚えていないほど、当たり前の一日だった。
だけど、これだけは覚えている。
その日、椿は……
車に轢かれて死んでしまった。




