二人の夜
アイルを探し、夜の街を駆け抜ける。
闇雲に走っているわけではない。彼女はきっと……あそこにいる。
そして……暫く走ると、目的地に到着した。
その場所は、ニーナと遊んだ広場だ。この街に来て日が浅い俺達に取って、この場所は……とても大きな意味を持つ。
「ふぅ……」
呼吸を整えてから、あたりを見回す。
…………いた。あの日ニーナが腰掛けていた備え付けのベンチに、アイルは一人で座っている。
彼女は目を閉じているが、無論寝ているわけでは無いだろう。………長かった一日を思い返しているのか、それよりも遠い記憶をなぞっているのか……俺にはよくわからない。
ただ一つ俺にわかることは……彼女がとても美しいと言う事だ。
月明かりに照らされたその姿はまるで………いや、
俺の中にある言葉では、あの美しさを表現することは叶わない。
……暫くの間、呼吸すら忘れてアイルに見とれてしまう。
「いやいや……」
違う。俺はこんなことをしに来たのではない。
アイルのもとへと一歩を踏み出す。
彼女はまだ、こちらには気が付かない。よほど物思いにふけっているのだろう。
そして………俺が隣に腰掛けたところで、ようやくアイルは顔を上げた。
「……っ!……………。」
だがすぐにアイルは、何かを堪えるような表情で俯いてしまう。
「帰るぞ、シノも待ってる」
アイルの顔を覗き込むようなことはせずに、夜空を見上げながら呟いた。………今日は、綺麗な満月だ。
「………駄目じゃないですか、酷い怪我だったんですから、ゆっくり寝てないと」
アイルはまだ………俯いたままだ。
「アイルだって魔物に噛まれてた」
「私は別にいいんです………!それよりサクラくんが………」
アイルの声が、少しだけ大きくなる。
「よかないだろ。噛まれた腕、もういいのか?」
「………大丈夫です。私も魔法で治してもらいましたから」
私………″も″。やはり、俺の傷は魔法で治してもらったようだ。………というか当たり前か、魔法以外であの傷がすぐに治っていたというのなら逆に怖い。
「私………すごく心配したんです。私が気を失っている間に、サクラくんが無茶をしたって聞いて。………シノの声も震えていて……」
アイルは膝の上で拳を握る。
「心配してくれたのなら、側にいて欲しかった。なんで俺達から逃げ出したんだ」
「…………っ!私は逃げたりなんて……っ!」
アイルは、未だ星空を見上げていた俺に視線を向けた。
「逃げたろ。戻ってくるつもりは無かったはずだ」
今のアイルの顔があの日の………最後に見たアイラの顔と被る。どうしようもなく寂しそうなあの顔と。
「なんで黙って投げ出した?」
アイルの瞳を正面から見据える。彼女は数秒と耐えきれずに、俺から視線を外した。
そして………吐き出すように言葉を紡ぐ。
「もう一緒には………いられませんから」
「………なんで」
あぁ、俺は多分………『怒って』いる。
「嘘を……つきましたから」
「加護のことか?」
アイルはコクリと頷く。
「嘘なんかついてないだろ。隠し事をしていただけだ」
「どちらも同じことです」
「いーや、違うね」
「私は…………っ!」
そこでアイルは、一度呼吸を整える。
「私は………私の両手は、凶器なんです」
アイルは自らの両手を見つめる。両手は微かに震えていた。
「″必殺の加護″………触れただけで生命を奪う能力……そんなものを持った私を誰が仲間と呼んでくれるでしょうか。………きっと、怖がられてしまうだけです」
『きっと』……あやふやな言葉だった。
アイルの加護を怖がるのは誰かじゃない、アイル自身なんだ。
いつか誰かを殺してしまうかもしれない。そしてそれは大切な人なのかもしれない。………アイルはそれが怖いのだ。
だから、逃げ出した。一人になれば、周りに誰もいなくなれば、誰も傷付けることが無くなるから。
…………どんな言葉を伝えれば、アイルの恐怖を消せる?
『そんな加護、使わなければいい』 『アイルなら正しい使い方ができるさ』 『どんな加護を持っていたってアイルはアイルだ』
………違う。どの言葉もきっと違う。
そもそもだ、彼女が長年抱えて来たであろう恐怖を、その不安を。……ぱっと出の俺の言葉なんかで取り消せるわけがないんだ。
だから………俺が伝えたい言葉を伝えよう。彼女の恐怖を抑えるための取り繕った綺麗事ではなく、俺の───心からの言葉を。
「アイルで良かった」
「………え?」
彼女は驚きの声を漏らす。だが、俺は構わずに続けた。
「一緒にこの街に来たのがアイルで良かった。あの日の俺についてきてくれたのがアイルで良かった。いつも俺を守ってくれたのがアイルで良かった。…………″必殺の加護″を持って生まれたのが…………アイルで良かった」
アイルと視線がぶつかった瞬間、夜とは思えないほど温かい風が吹いた気がした。
「殺意を持って触れただけで相手を殺す加護………正直に言えば、俺には良くわからない」
自分の右手を見つめる。
俺には力が無かった。世界を救う勇者になれず、アイラの期待を裏切った。………そして今は、国から命を狙われている。
自分の平凡を恨んだことは一回じゃない。望んだ力を持てなかった自分に腹が立ったりもした。
もしも俺に力があればニーナだって………
「いや、きっと俺だけじゃない。その加護を持つ責任も、重さも、怖さも……きっとアイル本人にしか分からないんだ」
望んだ力を得られなかった俺と、望まない力を持ってしまったアイル………真逆だ。だから彼女の気持ちは、想像することしかできない。
「なんで私がって、ふざけんなって思うかもしれない。だけどやっぱり………その加護を持っていたのがアイルで良かった」
彼女の瞳を真っ直ぐに見据える。あの日……アイラが俺にそうしてくれたように。
「誰も救えない加護なのかも知れない、誰かを傷付ける恐ろしい加護なのかも知れない。………だけど絶対に、アイルは間違わない」
俺は彼女から視線を外さない。絶対にだ。
だけどアイルは………俺から視線を外した。
「一度だけ………自分の加護を使ったことがあるんです」
俺から外した視線を、アイルは虚空へと向ける。……昔を懐かしんで………いや、悔いるような表情。
「幼い頃に、魔物に襲われたんです。その時にお姉様が私を庇って………。いまもお姉様の背中には、痛々しい傷が残っています。」
事務的な口調に、温度のない声。だけど俺は、彼女の肩が微かに震えているのを見逃さなかった。
「お姉様が私を庇って怪我をしたときに私は………殺意に支配されたんです。」
彼女はまだ……俺と目を合わせてはくれない。
「目の前が真っ暗になって、恐ろしい『何か』に全身が支配されて、魔物への憎しみ以外の感情が消えて………。気が付いたとき、私は………」
『魔物を殺していたんです』……続きはきっとこうだ。だけどアイルは、それを言うことが出来なかった。
「怖いんです………自分の加護が。次は魔物ではなく『誰か』を殺してしまうんじゃないかって……」
アイルの声に温度が宿る。………悲しい温度が。
「こわ………いんです……。また殺意に支配されてしまうのが………っ。そんな私を見て、サクラくんたちが離れてしまうのが………。そうなってしまうくらいなら………」
「そうなってしまうくらいなら……自分から距離を置こうって?」
アイルは潤んだ瞳を瞼で隠し、ゆっくりと頷いた。
…………長い長い沈黙が訪れる。その間俺は、彼女とのこれまでを思い出していた。
そして、再度決心する。
彼女抜きで、旅を続けるなんて『ありえない』と。
「アイルってさ、強いよな。いつも俺を冷静にさせてくれる。ニーナたちが石を投げられたときも、ニーナのお父さんと話したときもさ」
「別に強くなんて……」
アイルの否定の言葉は聞かない。聞いてなんてやらない。
「駄目なんだよ、アイルがいないとさ。………それに言ったろ、アイルを怖いだなんて思うことはありえない」
立ち上がり、アイルの正面へと移動する。……彼女はそれでも立ち上がってくれない。……だけど、構わない。
「約束もしたろ。『ずっと一緒にいる』って」
「………ただの口約束です」
「約束は約束だ、指切りもした。」
「駄目なんですよ。私は二人に嘘をついていたんですから」
「アイルがそれを気にするのなら………」
アイルに向かって右手を伸ばす。
「これで嘘や隠し事が無くなったんだ。だから………ここからは″本物″を始めよう」
アイルは俺の言葉に顔を上げ、伸ばしている俺の右手を見つめる。
そして、その右手を掴もうと、僅かに腕を上げたが………その動きは途中で止まってしまう。………俺の手を取ってはいけないと、一緒に居てはいけないと、自分を言い聞かせているのだ。………とても、つらそうな顔だった。
彼女は結局、俺の取ることは無かった。たった一度……僅かに伸ばしただけ。
──だが、それで十分だ。僅かに腕を上げてくれたのなら………俺達と一緒にいたいと、少しでも思ってくれたのなら………っ!
「…………ッ!」
引っ込めたアイルの腕を乱暴に掴み、自分に向かって引き寄せる。
「………え?」
アイルは困惑した表情を浮かべながらも、手を引かれる力に抗えず───俺の正面に立つ。
「何が凶器だよ。ただの女の子の………柔らかい手じゃないか」
アイルは手は……とても柔らかくて、温もりを感じた。この手で、いつも俺を守ってくれていたんだ。
「いや………離してください!」
アイルは口ではそう言うが、あまり抵抗はしなかった。そもそも、彼女が本気なら、俺の手くらいは簡単に振りほどける。彼女がそうしないのは、やはり心に迷いがあるから。
………やっぱり、仲間だ。
「嫌だ、絶対に離さない………つ!」
「どうしてですか!?」
アイルを握る手に力を込め、真っ直ぐに彼女を見据える。
「今離したら……アイルはきっとどこかに行っちゃうから」
「…………ッ!」
俺の言葉に、アイルは息を呑む。だが……すぐに俯いた。
そして、胸の前で、小さく拳を作る。
「やっぱり痛いよ………お姉ちゃん。太陽みたいに輝いて……私には眩しいな……」
潤んだ瞳を瞼で隠し、彼女は呟く。俺ではない誰かに。
だから………俺に対する言葉を待った。
「一緒に居ても………いいんですか?」
意を決したようにアイルが吐き出した言葉はそれだった。
答えなんて決まりきっている質問。だから俺は、黙って頷いた。
「また……殺意に支配されてしまうかもしれません。今度は『誰か』を……殺してしまうかもしれません………」
「大丈夫。ずっと一緒にいてくれるのなら、今度は俺がアイルを冷静にしてみせる」
「本当に……出来るんですか?」
「………おそらく、きっと、メイビー」
「ふふっ……なんですかそれ」
アイルは小さく微笑み、人差し指で涙を拭った。
「アイルが俺達と一緒にいちゃいけない理由なんて無いんだよ。──君がいい、君とがいい、君じゃなきゃ駄目なんだよ。だからさ……ずっと一緒にいてくれ」
「…………っ。そんな綺麗な言葉を言われたら……私、勘違いしてしまいます………」
せっかく微笑んでくれたというのに、彼女は再び泣きだしてしまう。
「私は……『月』なのに……誰かの光を受けてしか輝けない『月』だというのに……太陽の近くにいていいんだって………。最低の勘違い……してしまいます」
『みんな』……その言葉が誰を指しているのかはわからないが、その中に彼女の姉が含まれているのは間違いないだろう。
ずっと……劣等感を感じていたのか、輝かしい太陽であるあの姉に。
「今日は月が……綺麗だな」
俺が空を見上げると、アイルもそれを真似た。
「確かにさ、誰かの光を借りてしか輝けないかもしれない。だけど、あの月が綺麗なことに変わりはないんだ。借り物の光でも、暗い夜道を照らしてくれる。それで十分じゃないか」
空を見上げるのをやめ、アイルの顔をみる。再びアイルも俺の真似をする。
「それにさ、俺は好きだな。………月」
アイルの頬が紅潮する。それは、涙を流しているためだろうか。それとも………
「勘違い………、しようと思います。最高の勘違いを」
アイルは涙を拭い、言葉を紡ぐ。
「約束を守ります、ずっと一緒にいます。サクラくんが離れたいといっても、もう許してあげませんから」
落ち着いた声音に、出会った頃のアイルを思い出す。彼女は……本当に変わった。
「やっと……素直になれたんだな」
「私はずっと素直です。輝かしいお姉様の妹ですから」
「やっぱり謎理論……」
呆れながらアイルの手を離し、振り返る。
もう手を握っている必要はない。アイルの意思で、俺達と共にいてくれるのだから。
「帰るぞ、シノが待ってる」
そう言って、一歩を踏み出そうとしたとき。
「サクラくん」
ふいに……アイルから名前を呼ばれる。
「ん?」
俺は振り向こうとしたが……それは叶わなかった。
アイルが……背後から俺を抱きしめてきたからだ。
「アイ……ル?」
正直……とても驚いた。彼女が俺を抱きしめる理由がわからない。
「アイルさん……?どうしました?」
鼻腔をくすぐる甘い香りが、背中に伝わる柔らかい感触が、どうしようもなく俺の心をざわつかせる。
「何処にも行かない、ずっといっしょだよ」
アイルは俺の背中に頬をこすりつけると、名残惜しそうに両手を離した。
彼女の腕から開放され、振り返る。
そこには………大好きな表情があった。
──正直に言おう、アイラとアイルの姉妹は可愛い。というか俺好みだ。
いつもの顔も、怒った顔も、泣いた顔も……ボケーッとしている顔ですら可愛い。
だけど……そのどれも今のアイルには敵わないだろう。
「シノのもとに帰りましょう。───一緒に」
今のアイルの表情は………満面の笑みだった。




