神様
〜桜side〜
俺達の目の前には、大きな扉があった。
すべての魔物を撃退し、まっすぐに歩いた先には、この扉があったのだ。
……まあ、もちろん撃退したのはアイルだ。俺はシノの結界に守られていただけ。
「……開けるぞ」
二人の返事を聞いてから、扉に手をかける。
そして……一気に開け放った。
「うっ………」
最初に飛び込んできたのは……″光″
それまで薄暗い廊下を歩いていた俺達に、その光は眩しすぎて、思わず瞼を閉じ、腕で顔を覆った。
薄明かりではなく、蛍光灯のような鮮明な光。……しばらくするとその光にも慣れていき、ゆっくりと瞼を開ける事ができた。
その部屋は……やけに広く、真っ白だった。……まるで、何かの実験室みたいだな。
──部屋の中央に、『なにか』ある。
真っ白な部屋の中、その『なにか』だけ、嫌に赤かった。
ゆっくりと近付いていき……
「…………っ!」
全員が息を呑み、歩みを止めた。
それが『なにか』ではなく『だれか』であることに気がついたからだ。
何故、『なにか』だと思ったかって?
それは……人の形をしていなかったからだ。
この『だれか』には──右腕が無かった。
全身にアラートがなっているような錯覚を覚える。
駄目だ……これ以上あの『だれか』に近付いちゃいけない。その人物が誰かわかってしまったら……もしも、今考えている″最悪″が現実になってしまったら………。
だが……近付かないわけには行かない。すべてが夢であってほしいと願いながら、一歩を踏み出す。アイルとシノはまだ動けずにいた。
お願いだ。……神様はいるんだろ?──悪い夢なら覚めてくれ。
だが……近付くにつれて、それが現実だと実感させられる。
鮮明な赤、それが伴う生臭い臭い。……その全てが、俺に現実を突きつける。
そして……俺は、その『だれか』の名前を呼ぶ。
「ニー………ナ?」
大きなリボンをした『だれか』は、ニーナだった。
明日を約束した少女。神様を信じ、いい子であろうと願った少女。守ると誓った少女。そして……家族の幸せを願った少女が、そこに倒れていた。
俺には……生きているのかすら分からない。
「間に合わ無かった………?」
無意識のうちに、掠れた声を出す。
なんで……彼女がこんな目に合わなくちゃいけないんだ。
運がなかったから?ベーゼだったから?………ふざけるな。
「サク………ラ……おにーちゃん……?」
うつ伏せに倒れていたニーナは、少しだけ顔を上げた。
「ニーナッ!!!」
まだ息がある!ならば救えるっ!
俺は急いでその体を抱き起こす。シノとアイルも走り寄ってきた。だが二人は、ニーナの顔を直視できない。
ニーナの瞼は閉じられていて……赤い涙が、頬で乾いてこびりついていた。
瞳を傷付けられたのか……。それ……とも……。
えぐ………られ………て………?
「ごめ……んね?約束した……のにね」
「いいんだッ!いいんだよ………」
右腕のないニーナを抱きしめる。
「えへへ、もう……遊べなくなっちゃった」
アイルとシノはただ立ち尽くしている。立ち尽くすことしか出来ずにいる。
「いいから、もう喋るな………。絶対……助けるから……ッ!」
ここは異世界だ、魔法だってある。きっと救える……!
「サクラおにーちゃん……これ。カイトおにーちゃんに………渡しておいて……くれる?」
ニーナは痛々しい傷がつけられた左腕を伸ばし、握っていたものを俺に見せた。……その左手の傷は、真新しいものもあれば、古いものも。……こんなことにさえ、俺は気が付かなかったのか。
「これ……は……」
ニーナが差し出してきたのは……真っ赤に染まった『シオンの花』だった。
「ずっと……持っていたのか……?」
震える声で尋ねる。
「うん……」
ニーナはゆっくりと、だが確かに頷いた。
ずっと……これを……?
知らない男に攫われて、一人でこんな場所につれて来られて。
すがるものもない場所で………全身を傷つけられて。
痛かっただろう。
怖かっただろう。
寂しかっただろう。
だけど、ニーナは、シオンの花をずっと握りしめていた。
願いが叶うと言うこの花に、家族の……幸せだけを願って
「だめだよ……。これはニーナが自分でお兄ちゃんに渡すんだ……」
「無理だよ……。だってニーナ……もう歩けないもん。……やっぱりね、ニーナ……いい子じゃ無かったみたい。悪い子だから……こんなことになっちゃった……」
どんな仕打ちを受けても、どんな言葉をかけられても、この少女は家族を愛し続けた。それはまさしく……″無償の愛″だ。
俺が手に入れられなかったもの。手に入れられないから、存在しないと決め付けていたもの。
やっぱりニーナは……俺の″光″だ。
「違うッ!ニーナは悪い子なんかじゃ……」
「ニーナ………ね。シオンの花にふたつも……お願いしちゃったの」
「2つ……?」
ニーナの言葉を、馬鹿みたいに反芻する。
「うん……。家族が仲良しになれますようにってお願いとね……こんな悲しい思いをするのは、ニーナで最後にしてくださいってお願いをしちゃったの。……やっぱり……ふたつはずるかったのかな……?」
ニーナの頬が……僅かに緩む。……その微笑みは、とても痛々しかった。
「ずるくなんてあるもんかッ!誰かの為のお願いが……ずるいだなんて……」
「サクラおにーちゃん……泣いてるの……?男の子は泣いちゃ駄目……なんだよ?」
震える声を聞いて、泣いていると思ったのだろう。ニーナが、花を持った左手を、再び俺に向かって伸ばす。涙を拭おうと言うのか。
だが……その左手は、俺の頬に触れる前に、重力に逆らえなくなってしまう。
「ニーナ……ッ!」
その手が地面へとぶつかってしまう前に、急いで握りしめる。
「もう……ちから……はいんないや……」
「嫌だ…………消えないでくれ……」
光が……俺の光が、段々と弱くなっている。
その時が、段々と近付いてくる。
嫌だ……嫌だ……
そして……『ゴボッ』っと、ニーナは血の塊を吐き出した。
「ニーナ……!」
「ニーナちゃん……!」
それを見たシノとアイルが堪らずに声を上げた。
「アイルおねーちゃんと……シノも居たんだ……。それなら……寂しく……ないね……」
「また遊ぶんだろ……?ニーナはボクの友達だ。……友達との約束は……破っちゃ駄目なんだ……。」
シノが悲痛な声をあげる。その両目からは、涙がとめどなく溢れていた。
「……ッ!!!」
アイルは拳を握り、歯を食いしばり、憎しみの眼差しを向ける。
この世の理不尽に。抗えない現実に。……友を救えない自分に。
「ごめん……ね?………シノ。みんなと遊べて……ほんとーにほんとーに、楽しかったよ……あり……がとうね」
ニーナは荒い呼吸を繰り返しながら、それでも、俺達に感謝の言葉を伝えた。
……誰にでもわかる。ニーナはもう……長くない。
「嫌だ……嫌だよニーナ!消えないでくれ……ッ!」
ダメだ。ダメだダメだダメだ。
こんな子が死んでいいはずがない。
そうだろ?なぁ神様。
「嫌……だなぁ。ニーナ……死にたくないなぁ……。せっかく……お友達が出来たのになぁ……もっと、遊んでいたかったなぁ……」
ニーナの声は……泣いていた。だけど涙は流れない。
流すことは……できない。
「ねー、サクラおにーちゃん。世界がもう少しだけ……優しかったら良かったのにね」
その言葉を最後に……。
ニーナは………
何も話さなくなった
アイルとシノは、まだニーナが生きていると思っているのだろうか。彼女の名前を呼び続けている。
だが……俺は……俺の『魔顕の瞳』は。……その瞬間を捉えていた。
どれだけの時間を生きようと、これほどまで、自分の才能に苛立ちを覚えることはないだろう。
俺の瞳は……魔力を視ることができる。だから……わかってしまった。
ニーナの魔力が……ニーナの命が……。
終わる瞬間が
「なぁ……アイル」
いまだニーナの名前を呼び続けるアイルの名前を呼ぶ。
彼女はこちらを見た。その頬には涙が流れている。
「やっぱりさ……神様なんていないんだな」