何ひとつだって
「私は……怯えてなんていない!」
何をそんなに怯えているのか。
メルクリアが放ったその言葉を、アイルは強く否定した。
「敬語が消えていますわよ?」
メルクリアの指摘にアイルは、1つ大きな呼吸をしてから答える。
「メルクリアさんがおかしなことを言うので、驚いてしまっただけです」
「それは失礼しました。ですが、言ったことには自信がありましてよ?」
「私が何かに怯えている……その根拠があるんですか?」
「あの距離で貴方の攻撃を見て、そう感じましたの。………それに、私の勘はよく当たりますの」
メルクリアの自信満々な態度にアイルは………
やれやれ。と両手を上げてみせた。
「女の勘……ですか、根拠になりませんね。それに、さっきから何かに怯えているって……その何かってなんですか?」
俺には……いや、この場にいる全員には分かっただろう。
アイルは今………必死に……
平静を装っている。
おそらく、メルクリアの指す何かと言うものに自分でも覚えがあり、そしてそれが………
アイルにとってとても大切な物なのだろう。
「答えて………よろしいんですの?」
メルクリアは、俺と同じような考えをしたのだろう。
恨んでいる。はっきりとそういったくせに、アイルのことを気遣ってみせる。
「構いませんよ」
アイルは短く答える。
「わかりました」
そう言うとメルクリアは、一泊おいてから、口を開いた。
「貴方は……人を傷つけることに………いえ、殺すことに怯えていますね」
「ふふっ、何を言い出すかと思えば。私が………今更………そんな事なんかに……躊躇いを覚えるわけがないじゃないですか」
アイルはまだ、強がってみせる。
「言葉でなんと言おうと、貴方の拳には書いてありましたわ。『誰も殺したくない。誰も傷つけたくない』と。」
「そんなの……メルクリアさんが勝手にそう思っただけじゃないですか!」
平静を装うことすら難しくなったのか、アイルはだんだんと大きな声をだす。
「貴方は加護が無くてもとても強い。副隊長に選ばれたのも理解できましたわ。万が一、億が一にも相手を殺してしまわないようにと……手加減をした貴方でも、並大抵の相手なら組み伏せられるでしょう」
言葉を発するにつれて……メルクリアの顔が険しくなっていくのに気がつく。
「ですが……私が相手となれば、その手加減は、致命的なものとなります。……つくづく、苛立ちますわ。そんな拳で、私を倒せると思いましたの?」
「ちがっ………私は手加減なんて……」
アイルは、わかりやすく狼狽した。
「まあ、それが貴方の選択だと言うのなら、それでも構いませんわ」
今の一瞬のうちに、メルクリアの表情からは、怒りが消えていた。
なんというか、精神的にも強い人物だ。
「ですが、加減をしている余裕が貴方にありますの?ここで負ければ、貴方はすべてを失う。貴方自身の人生も。そして、そこにいる………………咎人も」
そう言ってメルクリアは、俺の方を見た。
その動作で、考えるまでもなく。
メルクリアの、咎人という言葉が、俺を指しているとわかる。
そして……そのメルクリアの言動に、当の本人の俺よりも、反応を示した人物が一人。
「咎人………?」
それは……アイルだ。
これまでの狼狽をどこにやったのか、アイルは鋭い視線でメルクリアを睨む。
「それって………サクラくんのことを言ってるんですか?」
アイルは、分かりきっている事をわざわざ問いかける。
「サクラ……というのが彼の本名なんですの?……私が咎人と呼んだのは、ゼクスで間違いありませんわ」
メルクリアは飄々と答える。
「悪いね、サクラ。彼女は何も知らないんだ。彼女の中で君は、勇者の力を悪用するために城から脱走した……国に仇なす反逆者と言うことになっている」
それまでだまっていたフィーアが、俺とシノにだけ聞こえるような声を出した。
「別に俺は構わねーよ、命を狙われるのは同じなんだ。でも………騎士は全員真実を知っていると思ってた」
「彼女はとても優しくてね。この世界の罪を知ってしまえば、彼女は剣を握れなくなってしまう。そう判断した国が、彼女には………いや、戒める者にいる、所謂………優しい人には真実を隠しているんだ」
「随分と素敵な国だな」
口を開いたのは、シノ。
「『裏で何をやっているかは秘密にするが、自分たちの為に剣を握れ』っていうことだろ?ふん、ボクはそういうの嫌いだ」
「返す言葉も無いよ」
「別に勇者であるお前が謝る事じゃない。お前も被害者だ」
「随分と優しいことを言うんだね」
「うるさい」
「あらら、嫌われちゃった」
フィーアは軽くおどけてみせる。
一方、こちらとは打って変わって……
アイルとメルクリアの間には、今だ険悪な空気が流れていた。
「サクラくんを咎人と呼んだということは……貴方は何も知らないんですね。サクラくんと、この世界……いいえ、私達のどちらが本当の咎人かということを。」
「何を……言っていますの?」
メルクリアはそこで初めて、困惑した。
フィーアが言っていた通り、何も知らないのだ。
「彼は……サクラくんは……捕まれば、殺されるんですよね?」
「えぇ、当然ですわ。貴方はなぜそこまで、その咎人に肩入れしますの?」
メルクリアの返答に、アイルはわかりやすく苛立った。
「サクラくんは……咎人なんかじゃないからです」
アイルが拳を強く握るのが見える。
「本当の咎人は私達です。彼からいろいろなものを奪ったんですから」
アイルは続ける。徐々に感情を昂ぶらせながら。
「幸せな時間も、暖かな家族も……いたかも知れない恋人だって……全部………全部全部、私達が奪ったんですよ………っ!」
メルクリアにそんなことを言ったって、何も知らない彼女には関係もないし、理解もされないだろう。
アイルだって、そんなことくらい分かっているだろうに……だが……彼女の言葉は止まらない。
「それなのに………その命まで奪おうって言うんですか………っ!?」
普段はポーカーフェイスのアイルだが……意外と激情家なのか
「ここから先は………何一つだって奪わせませんから」
その時、アイルの………
雰囲気が変わったような気がした
いや、違う。
気がした。
なんて曖昧なものじゃない。
俺の目は、確かに………
視た
アイルを包む、オーラのようなものが大きく膨れ上がって行くのが視えた。
「何だ、あれ………?」
思わず、驚きの声を上げる。
俺の声を聞いた人間は二人。
そのうちの一人、シノはキョトンとしていた。
そして……もう一人。フィーアは
「アイルの魔力にあてられて………卵にヒビが入ったね」
………真顔でわけのわからないことを言っていた。
「サクラにも視えたんだろ?あれが……魔力だ。」
「あれ……が?」
フィーア、シノ、メルクリアを順々に、目を凝らして見ていく。すると……今まで何も見えなかったはずなのに、全員からオーラが……魔力が出ているのが見えた。
アイルを包んでる魔力は、今だ大きく膨れ上がっている。
そして……アイルの魔力が、メルクリアの魔力の量を超えた瞬間。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
アイルは、メルクリアに向かって駆け出していた。
駆けた勢いのまま、アイルは右手を、メルクリアに向かって突き出した。
所謂、普通のパンチ。だがその攻撃をメルクリアは……
今までのような、必要最低限動きではなく。
「く……………っ!」
思わず、大きな動作で避けた。
そして……体制を崩したメルクリアに向かって、アイルは大きく右足を振り上げた。蹴りを繰り出すつもりだ。
狙いはおそらく………メルクリアの首。
あのアイルだ。殺すつもりは無いだろうが、確実に意識を奪うつもりだろう。
「殺しはしませんっ!ただ………っ!眠ってもらいます!」
驚くべきことに、アイルの強力な蹴りが炸裂した衝撃は、こちらにまで伝わってきた。
衝撃が生み出した凄まじい突風をうけ、思わず目を閉じてしまう。
そして、その目を開けた瞬間……
「「は?」」
俺とシノが同時に、間抜けな声を出した。
それぐらい、ありえないことが起こっていた
確かに、アイルの蹴りは炸裂した。
だがそれは……メルクリアにではなく。
メルクリアを庇うようにして、間に立った………
「確かに、これでメルルは死なないだろうけど……怪我されても困るんだよね」
フィーアに
フィーアは、アイルの蹴りを、顔の高さにまで上げた左肘で、軽々と受け止めている。
汗一つ………かいちゃいない。
「……………!」
アイルが右足をさげて……
急いでフィーアから距離を取る。
「手は……出さないんじゃなかったんですか?」
「あら、ホントだ」
フィーアはわざとらしく、左手をヒラヒラさせた。
「助けなんか、頼んでいませんわ。今の攻撃くらい避けれましたもの」
強がってみせるメルクリアに、フィーアは……
デコピンをした。
「いだッ!」
メルクリアが全く上品じゃない声をだす。
「嘘はいけない。彼女に勝ちたいのなら……メルルこそ手加減をせずに、次は剣を使うといい」
「確かに……手を抜いて勝てる相手ではありませんでしたわ」
メルクリアが悔しそうな顔をする。
アイルに手加減をするなといった手前、フィーアに、手加減したと指摘されたのが応えているのだろう。
「さてと………」
フィーアがメルクリアに背後を向ける………つまり、俺達と向かい合う。
「メルルが負けちゃった以上、次は僕の番かな?」