かわったひと。かわらないひと。
あれから……どれくらい走っただろうか。
すでに森の中に入っている。
幸いなことに、まだ魔物には出会っていない。
森の中を走る俺の頭の中は……アイルでいっぱいだった。
アイルは俺といるだけで………罪悪感に潰される
……なんでそんな事にも気づかなかった?
いや……気がついていたはずなんだ。
ただ……ただ…………
差し伸べてくれたアイラの手が暖かすぎて。
ついてきてくれたアイルのことが嬉しすぎて。
──その二人が輝いていて、あんまりにも眩しかったから……他の事から目を瞑ってしまったんだ。
何やってんだ俺は。
「あれ……?」
間抜けな声を出して、俺は足を止めた。
視界が僅かに……揺れている
「なんで……?」
そして気がつく。
肩が少し熱いことに。
手で触れてみると……ドロっとした感触がある。
「まじかよ……」
そこからは、大量の血が流れていた。
ナナリーのナイフを避けたときか、はたまた体当たりをしたときか。
その時に傷口が開いてしまったのだろう。
あのときはアイラが魔法を使ってくれたが……今は勿論なんの手当もしていない。
急に足が重くなる。一歩が踏み出せない。
傷に気がつくまでは平気で走っていたのに、意識をすればこれだ。
全身がやけに重い。このまま倒れ込んで、眠ってしまいたい程に。
いや、駄目だ。こんな森のなかで意識を失ってみろ。命まで失う。
アイラと約束したじゃないか、こんなところで死んじゃいけない。
アイラに貰ったペンダントを握ろうとする。
大丈夫。昨日だってコレのおかげで眠ることが出来た。
このペンダントから力を貰えば、俺はまだ走れるはずだ。
「あれ……?」
そこで気がつく。
無い。
どこにも無い。
アイラのペンダントがない。
「嘘だろ……?」
心の拠り所を失った俺は、体の重さに抗えず、倒れ込んで意識を失った。
✦✦✦✦✦✦✦
「嘘って……どういうことかな?」
ナナリーがにこやかに問いかけてきた。
今ならわかる。その笑顔は作っているものだと。
「サクラくんが、ナナリーを襲ったという事です。本当は………ナナリーがサクラくんを襲ったんじゃ無いですか?」
私は初めから知ってたはずだ。サクラくんはナナリーを襲ったりはしないと。
一瞬でも疑ってしまった自分は卑しい人間だ。
「ちょ……ちょっとまってよ、なんでそうなるの?」
ナナリーはまだ、作り笑顔を続けている。
「サクラくんがそんな事をする人じゃないからです。」
そう、サクラくんはそんな事をしない。私はその理由を知っている。
しかし、部屋の惨状をみると、争いが起こったのは明らか。
追手に見つかったのなら、サクラくんは逃げられないし、ナナリーが襲ったとしか考えられない。
きっと…ナナリーは偶然にも知ってしまったんだ。サクラくんの素性を。
そして……世界の為に彼の命を狙った。私を巻き込まない様にカレンおばさんの元に向かわせて。
だが……それが失敗して今に至ると言うわけだろう。
サクラくんに襲われたと嘘をついたのは……なぜだろう。
人を殺そうとした事を私に知られたくなったのか……
私とサクラくんを遠ざける事によって、私に危険な旅をさせない事が理由かもしれない。
………どちらにしても、これは優しい嘘だ。
さすが私と……お姉様の友達。いい人。
だが……なんだろう。
ナナリーの今の顔……というか、この家に帰ってから、昔遊んでいた頃にはなかった……影のようなものが見える気がする。
……私の考えすぎだろうか。
「そんな事する人じゃ無いからって………理由になってないよね?」
作り笑顔をしているナナリーの頬に、汗が伝っている。
……なにか焦っている?
「私が襲われたっていってるんだよ?昔からの友達の私がさ。アイルは………どっちを信じるの?」
間違いない。ナナリーは焦っている。
嘘がバレることを恐れている。
「ナナリー、何を焦っているんですか?私は別に貴方の嘘を……」
貴方の嘘を、悪いものだと言ってるわけじゃ無いんですよ?
と、言いかけた私の声は、ナナリーに遮られた。
「いいから答えてっ!私とあの人、どっちを信じるの…………っ!!」
ナナリーは…もう笑顔も作れていなかった。
とても大きな声に、思わず怯んでしまう。
……ナナリーは答えを欲している。
私が、サクラくんとナナリー。そのどちらを信じるのかと言う答えを。
なら、教えてあげよう。
その質問が……
「違う……違うんですよ、ナナリー……」
そもそも間違いであるということを
「信じる信じないではなく、私は知っているんです」
「………え?」
ナナリーが驚いた顔をする。
「知ってるって、なにを……?」
「サクラくんがナナリーを襲わないということをです。」
「だからぁ………その理由を教えてよ!」
ナナリーはまた大きな声を上げる。
はっきりしない私の態度に苛ついているのだろう。
「彼がナナリーを襲わない理由は………彼が弱いからです」
「弱いからって………そんなの理由にならないよ。」
ナナリーは呆れて笑っていた。
「私だって魔法を使えないんだよ?それなら男のほうが強いでしょ?」
ナナリーの言い分は最もだ。
魔法を使えない者同士なら、当然力が強い男性の方が有利だろう
貧困街で暮らす人の殆どは、魔法を使えないということも、私が教えた。筋は通っている。
だが…違う。
私が言っている弱さと、ナナリーが言っている弱さは………
違う
「弱いから襲わないって理由は通らな……」
「彼は震えていたんですよ!?昨日……ッ!ここで………ッ!」
今度は私がナナリーの言葉を遮った。
「そんな彼が……どうして貴方を襲えるって言うんですか!?」
こんなに大きな声を出したのはいつ以来だろうか。
「でも……その弱さも仕方ないじゃ無いですか………一人で知らない世界に来て、命まで狙われて……唯一手を差し伸べてくれた人とも離れ離れになってしまったんですから……」
言葉に熱が篭り。
「その怖さを、孤独を、悲しみを。私はどれだけ理解できるのでしょうか……」
目の端には涙が溜まっているのがわかる。
「ねぇアイル、私達って親友だよね?その私を……」
それまで黙っていたナナリーが口を開いた。
だけど、私は……
「彼は笑ったんです。」
構わずに言葉を紡ぎ続ける。
「夜には震えていたのに、私にバレないように、その体を抱きしめながら眠っていたのに。」
そこで理解する。私はもうナナリーに向かって話してなんていない。
「笑ったんです。私を傷付け無いために、不安にさせないために。」
ナナリーに話しているという形を取ることで……
「誰が見ても分かるような作り笑顔でした。口も頬も引きつっていて、見てるこちらが笑ってしまいそうな笑顔でした。」
自分の心を整理している。声に出すことで、自分でも気が付かなかった気持ちを引き出している。
「でも……私はその笑顔を見て、彼を守りたいと思いました。誰に言われるでもなく、自分の意志で」
なんて……めんどくさいのだろう。私は。
こんなことをしなければ自分の気持ちにも気がつけないなんて。
「次に彼が震えていたら手を握ってあげたいんです。私も……彼の掛け替えのない人になりたいんです。」
これが今の、素直な気持ち。
姉に言われたからついていった。罪滅ぼしの気持ちもあっただろう。
でも……たった一日でそれは変わった。
震えるサクラくんを見て。
嘘だとバレバレだったとしても、笑顔を向けてくれるサクラくんを見て。
彼は確かに、私の………
大切な人になった
「だから……ごめんなさいナナリー。私は彼に忘れ物を届けに行かなければいけません。」
そう………私は忘れ物を届けに行くだけだ。
もうサクラくんと一緒にはいれない。
だって………彼がそれを望まないのだから。
ナナリーに襲われたサクラくんは……
恐怖し、動揺したはずだ……大切なペンダントを忘れてしまうほどに。
そして私も、一度は彼を殺そうとした人間だ。
ナナリーに襲われたことで、私に対する恐怖も思い出したであろうサクラくんが、私の同行を許可するわけがない。
「だから……ここでお別れです、ナナリー。世界の為に行動しようとしたこと、私を巻き込まないようにカレンおばさんの家に向かわせたこと、私のために嘘をついてくれたことは……素直に嬉しいです。」
「違う………違うんだよアイル……。」
「え?」
思わず間抜けな声を出してしまう。
その原因はナナリーの顔。
その顔は今。何かを諦めたような……しかし、どこか付き物が落ちたような顔をしていた。
「違うんだ。私があの人を襲ったのはお金の為だし、アイルを家から出させたのは邪魔だったから。嘘をついたのも……惨めな自分を知られたくなかったからなんだよ……」
お金の……為?
確かに、彼の命を狙っているのはこの国だ。
彼の亡骸を持っていけば、相応の報酬を与えられるだろう。
いや、今大事なのはそんなことじゃない。
彼は……サクラくんは、そのことを知っている?
ナナリーが世界のためではなく、私利私欲の為に命を狙ったことを。
もし知っているとしたら……彼は私の想像以上に傷付いているはずだ。
「なぜ……今になってそれを言うんですか?」
ナナリーに問いかける。
「貴方が言わなければ、私は勘違いをしたまま、貴方とは友人のままでいられたはずです。」
「アイルの涙が……あまりにもきれいだったからかな…」
「え?」
そこで自分の頬に触れてみる。
目の端に溜まっているだけだと思っていたが…いつの間に流れていたのだろうか。
「だから私も最後くらいは素直になりたいと思った。」
ナナリーは、「あーあ…」と言いながら伸びをした。
「私、どこで間違ったんだろうなぁ〜いつから変わっちゃったんだろう。」
確かにナナリーは変わってしまった。昔はこんなことをする人じゃ無かった。
私とお姉様がお城で生活をしている3年間の間に、彼女に何があったのか。それを知る術はもう無い。
「人は……誰もが変わってしまいます。世界ですら変わってしまうのですから、それは仕方がありません。」
ナナリーは、自由奔放な少女だった。
ナナリーとお姉様に、何度振り回されたことだろうか。
「でも……もしも叶うのなら………」
呆れた日々もあった。本気で喧嘩した日もあった。
しかし……その全てが……
宝石のように輝いていた。
「ずっとあの日のままでいたかった……」
変わったのはナナリーだけではない。
私は笑わなくなったし、お姉様は殆どわがままをいわなくなった。
あの日のままで、いたかった。
何をするでも無く3人集まって。
日が沈めば、また明日って手を振って。
………駄目だ。幸せな夢を見てはいけない。
目を覚ませ。私はサクラくんに会いに行くんだ。
「もう……行きますね。」
ナイフを拾ってから振り返り、ドアの方を向く。最後のお別れにしては少し冷たすぎただろうか。
そんな私に、ナナリーも最後の挨拶をした。
「また………明日。」
ナナリーの言葉にハッとする。
なぜその言葉を選んだのかわからない。明日会えるはずも無いのに。
思わず、幸せな夢を観てしまいそうになる。
いないはずのお姉様が居るような気がしてくる。
………目を、覚ませ。私は今から。
大切な人に会いに行くんだ
私は振り返らずに、家を出ていった。