ナンノタメ?
「え…?今日ナナリーは来ていない……?」
私は今、ナナリーの忘れ物を取りに、カレンおばさんの家に来ている。
出迎えてくれたカレンおばさんは、昔とあまり変わっていない。
ふくよかな体型で、顔はとても優しそうだ。
そんなカレンおばさんに、髪の色のことで散々驚かれたあとに要件を伝えると……
今日ナナリーは来ていない。と、驚くべきことを言われたのだ。
………家に来ていないのなら、忘れ物なんてするわけがない。
ナナリーが他の人の家と間違った?
アホのナナリーの事だ。ありえない事ではない。
「そうだアイル!久しぶりなんだ、お茶くらい飲んで行きなよ。お姉さんの話も聞きたいからさぁ〜」
カレンおばさんは朗らかな笑顔を向けてくる。
そして、カレンおばさんの入れてくれるお茶はとても美味しい。飲みたい。
だが、家にサクラくんを残している。すぐに戻りたい。
「いえ…すぐに戻らないと行けないので……」
「なーに遠慮してんだい!」
そう言ってカレンおばさんが無理に手を引いてくる。相変わらず強引な人だ。
「ちょ……」
本気で振りほどこうと思えばそれは容易い。
だけど、私はそうはしなかった。
長らくお城で生活していたため、カレンおばさんと会話するのが少し楽しみだったからだろう。
………だから、振りほどかなかった。
──そして私は、この選択を一生後悔する事になる──
✦✦✦✦✦✦✦✦
──ナナリーが不敵な笑みを浮かべたまま、右手に持っているナイフを振り下ろす。
目標は……確かめるまでもなく俺だ。
「………っ!」
……間一髪。俺はそれを避けることが出来た。
ナナリーのナイフが、一瞬前まで俺がいた場所に振り下ろされる。
……避けたなんて綺麗なものじゃない。無様に床を転がっただけだ。
床に散らばっていた割れた皿の破片が、俺の体を傷つける。
痛い。
が、そんなことを気にしている場合じゃない。
急いで顔を上げ、ナナリーの方を見る。
「……っ!くそっ!」
ナナリーは床に刺さったナイフを引き抜こうとしていた。
勢いが強すぎて、床に刺さったまま抜けなくなってしまったのだろう。
──どうする?
判断は一瞬で無くてはならない。
選択肢は2つ。
1つはナナリーを無力化すること。
アイルは言っていた。貧困街の人は魔法を使えない場合が多いと。
……だが、それだけだ。ナナリーが魔法を使えないという確信はない。
わざわざナイフを奪って襲ってきたこと、今もなおナイフに執着しているところを見ても、魔法を使えるとは思えないが……やはりリスクは高い。
もし、魔法も、身体強化もできないのであれば、男性である俺に勝機はあるのだが………
そして2つめは……ここから逃げることだ。
ナイフに気を取られているうちに逃げ………
……逃げるってどこに?
アイルの場所はわからないし、土地勘もない。
逃げた先でナナリーに追いつかれ、騒ぎになって、身元の証言などが必要になった方が俺にとって分が悪いのではないか。
……俺の中で答えが決まった。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
取るべき行動を決めた俺は、自分の体に力を入れるため、叫びながら走った。
そしてそのまま……ナナリーに体当たりをした。
ナナリーは俺の体当たりをもろに受け、「うっ……」と苦悶の声を漏らす。
そしてそのまま……ナナリーの上に乗る。マウントポジションというやつだ。
ナナリーの両手首を両手で抑える。
「離……せっ!」
ナナリーはジタバタと抵抗する……が、力は女の子の並程度だった。
これなら…大丈夫だ。
ナナリーは魔法が使えない。その事実に少し安堵する。
……しばらく抵抗したあとに…ナナリーは体から力を抜いた。無駄だと理解したのだろう。
俺とナナリーは、荒い呼吸を繰り返す。
「はぁ……はぁ………なんで……俺のことを知っている?」
昨晩会ったときは、そんな様子は少しも無かったし、昨日の時点で襲う気があったのなら、寝込みを襲えたはずだ。
つまり…今日の朝。俺とアイルが、二人で旅の準備をしている時に何か知ったはず……
「………」
ナナリーは口を開かなかった。
「言え……っ!」
先程よりも声と、ナナリーを抑えている手に力を込める。
少し乱暴な気もするが…こちらだって余裕がない。
ナナリーがどうやってこちらの素性を知ったのか、他に知っている人物はいるのか。それを知る必要がある。
「……今日たまたま王都にいく用事があった。本当に偶然だ。」
ナナリーはこちらと目を合わせずに話し始めた。
「そこで聞いたんだ。使用人が一人、城から脱走したって。タイミング的にアイルだろうと思ったよ。」
ナナリーの声は、いつものふざけたような声ではなく……一段低かった。
「気になった私は城の騎士に聞いた。そこでお前の素性も、この国がやってきたことも聞いたよ。」
国がやってきたこと………簡単に言えばそれは人殺しをしていたということだ。
そんなことを部外者に簡単に言っていいのか?
「この国の騎士様は…随分と口が軽いんだな」
「勿論、タダと言うわけじゃないさ」
「金か?」
「違う、金じゃない。」
「じゃあ何を、渡した?」
「渡したんじゃない、売ったんだ」
「………だから何を」
はっきりしないナナリーの態度に、イライラしながら問いかける。
そして、ナナリーはついに答えた。
「私の体だよ」
「………っ!」
驚いて息を呑む。
体を売った。その意味が分からないほど、俺は子供じゃない。
「気になっただけで…そこまでするのか?」
男性である俺に、女性の価値観なんてわからない。
が、女性の方が体への意識は強いと思う。
それがなぜそんな簡単に……
「あのアイルが、姉のいる城を抜け出すなんて、普通じゃない事が起きたに決まってる」
確かに、普通じゃないことが起きた。
今までのルールに逆らい、アイラが国を裏切った事だ。
「でも……だからって……」
「お前がどれだけヌルい世界で生きてきたか知らないけど、この世界で情報は持っているだけで価値がある。国に関することとなれば尚更。その価値を手に入れるために、代償を払うのも当然だよ。」
……淡々と告げるナナリーの顔は……普通だった。
体を売ったことに関する悲しさや悔しさ。
他に売るものが無かった自分へと、これまでの人生に対する惨めさ。
そんな物、少しも持っていなかった。
ただそれが普通だと。そう思っている顔だ。
あぁ…俺とこの世界の住民とでは価値観が全く違うんだ。
……俺はもう一つ。大切な質問を残している。
ここまでの会話はなぜ俺の素性を知っていたのかだ。
そしてもう一つの質問は、勿論。
なぜ俺の命を狙ったのか
「次の質問だ。なぜ俺の命を狙った?……ってそんなの聞くまでもないか。世界の為……なんだろ?」
……そう、そんなことわざわざ聞くまでもない。
アイルやリープだって、俺に殺意を向けてきた。
だがそれは、俺への憎しみや、怒りといった、悪の感情じゃない。
世界を救う為という、正義の感情からくる殺意だった。
だから俺は、アイルやリープを好きなままでいられる。
そして…それはナナリーも同じ。
大丈夫。俺は、俺が大好きなアイラたちの友人を好きでいられる。
だってナナリーは世界の為に、俺を殺そうとしたのだから。
世界を救う為に、自分の手を汚そうと思った……
──素敵な人なのだから──
……そう思った俺に向けられた、ナナリーの言葉は、予想外のものだった
「は?世界のため?いつ滅びるかも分かってない世界の為に、そんなことするわけ無いじゃん。」
……え?世界の為じゃない?
じゃあ一体………
「私がお前を殺そうと思ったのは……」
世界の為じゃないなら、俺はなんで命を狙われなきゃいけない?
世界の為じゃ無いっていうのなら…俺はナナリーを憎まずにいられるのか?
……そして、ナナリーは告げた。俺を殺そうとした、その理由を。
「お金の為よ」
その理由は、俺の心のエグい所にまで突き刺さった。
「お金の………為?」
「国が狙ってるあんたの首を持っていけば、報酬くらいもらえるはずでしょ?」
ナナリーの殺意は……世界の為じゃない……?
お金の為に俺は……殺されかけた?
そんな………ことの為に………
もう一度、ナナリーの目を見る。
ナナリーの殺意の理由を知った今ならわかる。
違う。違う違う違う違う、全く違う。
その目は、リープやアイルと全く違う。
ナナリーの目には欲望が渦巻いていた
今までとは別の殺意に、思わず怯み……両手の力が少しだけ抜けてしまう。
そんなこと知ってか知らずか、ナナリーは口早に話し始めた。
「大体、お前は死んだほうがいい。世界の為だけじゃなく、アイルの為にも」
「……どういうことだ?」
動揺を悟られてはいけない。必死に強い言葉を使え。
「お前に付き合っているのは、本当にあの子の意思?」
「そんなの当たり前………」
自分で言いかけて気がつく。
アイルは何と言った?なぜ俺に同行すると言った?
たしか………
──お姉様に頼まれたからです──
そう、アイルはそう言った。俺に同行するのは自分の意志ではなく、姉に言われたからだ。
………だからどうした。それでもいい。それでも同行してくれるアイルに対して、俺は喜びを覚えたはずだ。
「……アイルの意思じゃないなら、どうしたって言うんだよ」
「一緒にいるだけで、お前はアイルを傷付ける。」
「なんでそう言い切れる!」
いつの間にか、自分でも驚くほどに大きな声を出していた。
その声が出たのは怒りからか………はたまた焦りからなのか………
「アイルは、世界の為に沢山殺したんでしょ?」
それは……そうだ。
アイルが、直接手をくだしたわけじゃ無いが、見殺しにした。
それは殺したのと変わらない。
その苦悩は、姉であるアイラも抱えていたはずだ。
「なら………」
ナナリーがわざとらしく言葉を溜める。
「なら……お前だけを救う事に罪悪感を覚えてるでしょ?」
そこまで言われて、俺は息を呑んた。
「お前を救うという事は…今までの罪を認めること。このままじゃ……優しいあの子はいつかその罪に喰われる。」
俺の動揺を悟ったナナリーは更に畳み掛ける。
「もしかしたら……自分で命を断ってしまう程に悩むかもしれない。お前はそれをわかってて利用したんじゃないの?」
今現在。俺は両手でナナリーを床に押さえつけている。立場は俺が完全な上だ。上なのに………
「違う……そんなこと思ってない……っ!」
俺の声は、力を失っていた。
「世界の為にもっ!アイルの為にもっ!お前はここで死ぬしかないっ!」
……アイルの為に死ぬしかない。そう言われた俺は
完全に、ナナリーを抑えていた手の力を抜いてしまった。
「……っ!!」
ナナリーは初めからこれを狙っていたかのような、無駄のない動きで、俺を突き飛ばす。
俺はだらしなく尻もちをついた。
一方のナナリーは、荒い呼吸をしながら、手首を抑えている。
すぐに襲ってくるということは無さそうだが……いつまでこうしてはいられない。
なんとかしてナナリーをもう一度押さえつける方法を考えなければいけない。だが………
俺の頭の中はアイルのことでいっぱいだった。
そういえば一度も、彼女の笑顔を見たことがない。
………ナナリーを無力化して、どうする?
さっきまではアイルの帰りを待てば良かった。だがもう……待てない。
彼女とは一緒にいられない。俺といると彼女を苦しめるのだから……
「くそ……っ!」
そこまで考えた俺は、勢い良く家を飛び出した。
アイルの為に、俺は死んだほうがいい。
だがそれはできない。アイラとの約束がある。
だから、一人で走り出した。
目的地は、今朝アイルが教えてくれた森。
そこを抜ければグランツという街につくらしい。
アイラが指定した街だ、何か理由があるのだろう。
魔物も出るらしいが……出会わないことを祈ろう。
唯一心残りがあるとすれば……
最後にお別れくらい……したかった。
✦✦✦✦✦✦✦✦✦✦
「何が……あったんですか……?」
カレンおばさんの家を出て、ナナリーの部屋を訪れると、私が家を出たときとは、まるで様子が違っていた。
部屋は荒れていて、隅でナナリーが力なくへたり込んでいる。
まさか……騎士団におそわれて、サクラくんが連れて行かれた?
……いや、それはない。もしそうなら、帰ってきた私を捕まえるために、何人か騎士が残っているはずだ。
じゃあ一体……
「あの人が………」
ナナリーが力なく声をだす。
あの人と言うのは、サクラくんのことだろう。そういえば、自己紹介もまだだった。
「あの人が……急に暴れだしたの……。金目のものを出せって……」
「それは……本当なんですか?」
にわかには信じられない。付き合いは長くはないが、そんなことをする人だとは思えない。
それに、お金が欲しいのなら、あの時にペンダントを売っていたはずだ。
「あそこ…」
ナナリーはそう言って、何かを指差した。
ナナリーの指の先を、目で追うと……
「あれは……」
先程サクラくんに渡した、ナイフが落ちていた。
「あの人が、こんな物いらないって。これ多分…アイルが渡した物だよね…?」
確かにそう。私が護身用にと渡した。
「あの人が、言っていたの。こんな物いらないって、いつ裏切るかわからない人とは一緒にいられないって……」
「本当…………ですか?」
ナナリーはコクリと頷いた。
……ナナリーの言葉を信じそうになる。
サクラくんは一人で逃げ出した。他でもない私から。
それはそうだ。私は一度、彼の前に立ちはだかった、明らかな敵意を持って。
そんな私と旅をしたくないと思うのは……当然なのだろう。
しかし、サクラくんはお金を持っていないから、ナナリーを襲った。
ペンダントを売らなかったのは、単純にお姉様に、好意を持っていたから。…私には持っていない好意を。
彼は私を憎んでいるんだ………だからナイフをわざと置いていった………
ナイフのもとまで歩き、拾い上げる。
床を見ると、ひどい有様だった。
お皿が割れたのだろうか、破片が飛び散っている。
皿の破片の中には、血がついているものがあった。
ふとナナリーを見ると、どこも出血していない。
ということはサクラくんの血?
ふと……小さな違和感。
ナナリーは魔法が使えない。
それはサクラくんも同じだが、彼は男性。単純な力なら上だろう。
女性であるナナリーが無傷で、男性のサクラくんが怪我をした?
「……?」
そして…気がつく。床には皿の破片が散らばっていて、中には血で赤くなっているものもあったが………
床に、それ以外の赤があった
それを拾い上げてみる。そこで、小さな違和感は、確信へと変わった。
彼の忘れ物が、私のナイフだけだったら、ナナリーを信じたかも知れない。
でもこれを見た今、もう彼女を信じることはできない。
「ナナリー……貴方は、嘘をついていますね?」