振り上げられたその腕は
あのあと、アイルと様々なお店を巡った。アイルが何を見て、何を買っているのかさっぱりわからない。
アイルは目立たないようにローブのフードを目深に被っていた。
一方の俺は…素顔丸出しだった。
城の中でしか生活していなかったから、俺の顔を知っている人はあまりいないだろう。
だが…この黒髪のせいで日本人だということはバレるのではないか?
とも思ったが…そんなことは無かった。
街行く人を見てみると、赤、青、緑、紫などなど、様々な髪の色をした人がいるが…中には黒髪もいた。
なるほど、髪の色だけで日本人だとバレる事はなさそうだ。
これなら堂々としていたほうが逆に怪しく無いだろう。
「………君。ちょっといいかな?」
そんな矢先、いきなり声をかけられた。
声をかけ来たのは、この街に似合わず、金持ちそうな男性。
歳の頃は20の半ばくらいだろうか。
皺の無いキチッとした服を着ている。
……正体がバレたのか?
アイルも同じことを考えたのだろう。一歩こちらによってくる。何かあればすぐに動ける距離だ。
だが…正体がバレたと言うわけではなかった。
「君、素敵な物をつけているね」
「これ……ですか?」
男性の視線の先には…アイラのペンダントがあった。
「おっと……自己紹介もまだでしたね。私の名前はアーデル。以後、よろしく。」
そう言うと、アーデルは丁寧にお辞儀をした。
合わせてこちらもお辞儀をする。
「えっと、俺の名前は、さ……」
「私達に何の用ですか?」
こちらも名乗ろうとしたが……割ってきたアイルに止められる。
迂闊に名前を言うなということだろう。アイルの声音には、まだ敵意の色が見える。
「デートの邪魔をして悪かったね。………単刀直入に言おう。そのペンダント、譲ってくれないか?1000万でどうだろう。」
1000万…?ってどれぐらいの価値?
隣のアイルが、そのフードの下で驚いているのがわかる。つまり大金ということだろうか。
確かにこれから先お金は必要になってくるだろう。今日の買い物はすべてアイルがお金を払っていたが、それもいつまで持つかわからない。
というか女の子のヒモというのも良くないだろう。
だが……
「すまないんだけどさ、無理。」
「倍出すと言っても?」
「お金じゃないんだ。これだけは手放せない。」
そう、お金じゃない。
クサいことをいうなら、お金で買えないものが詰まっているから。
アーデルはしばらく考えたあと、「わかった」と口を開いた。
「無理に。というわけではなかったんだ。でもまあ、気が向いたらいつでも声をかけてくれ、僕はこの街にいると思うから。」
そういって、アーデルは手を振りながら街の中に消えていった。
その背中が見えなくなってから………
「売らなくて、良かったんですか?」
口を開いたのはアイルだった。
「お姉様には、売ってもいいと言われたんじゃありませんか?」
たしかにそうだ。御者に見せたあとは売っても良いと言われた覚えがある。
「確かに良いって言われたけどさ…温もりは手放せ無いだろう?」
「クサいセリフですね。」
そう言ったアイルの顔は……どこか嬉しそうに見えた。
「あはは〜……。まあ、とりあえず大事に持っといて、アイラにあったときにちゃんと返すよ。」
アイラに会うのはいつになるのだろうか。その時が待ち遠しい。
「お金の心配はしなくて大丈夫です。こう見えても結構持ってますから。」
そういえばお城で使用人をしていたんだっけ。
無駄に使うようにも見えないし。結構貯めてそう。
まぁ、これでしばらくはアイルの財布に寄生する生活になりそうだ。
なんと……だらしない男なのだろう。
✦✦✦✦✦✦✦✦✦
「早くしてください。」
アイルに急かされる。
なぜ……こんなことになっているのだろう。
今、アイルは椅子に座っていて、俺はその背後に立っている。
そんな俺の手には、櫛と白色の絵の具のようなものが入った容器が握られていた。
……そう俺は今から、アイルの美しい金色の髪を染める。
アイラは有名人で、アイルはそのアイラと同じ顔。
その特徴的な金髪を染めてしまえば、バレるリスクを減らせるというのが理由だ。
アイルは服が汚れ無いように、布のようなものを羽織っている。
しかして…人はおろか、自分の髪すら染めたことがない。大丈夫だろうか。
「よし。」
考えてても仕方ない。
意を決して、容器の中身をアイルの頭にのせて、櫛を使い、全体に伸ばしていく。
少しずつ足しながら伸ばしていくだけだ。
なんだ、簡単じゃないか。
調子にのって、伸ばすペースを早めていく。
「きゃっ……っ」
アイルが急に可愛らしい声を上げた。
俺が誤って、塗料をアイルのおでこにつけてしまったのが理由だ。
「もー、何をやっているんですか」
アイルが体を捻らせ、こちらを見上げてくる。
そう、見上げてくる。
彼女は椅子に座っていて、俺は立っているのだからその位置関係は当たり前。
そして、見上げるのだから、アイルが……その……
上目遣いになるのも当たり前だった。
「ご、ごめん気をつけるよ」
やばい、ありえん可愛い。
「全く…」
そう言ってアイルは顔を正面に戻す。
いやー、助かり申した。
もう少しの時間、あの上目遣いを見ていたら、俺のユニコーンがデストロイモードになってしまうところでした。
今度は調子に乗らず、注意をしながら髪を染めていく。
……そういえば、生え際まで綺麗に染めないといけないな。
そう思って、アイルの美しい髪を櫛を持っていない方の手で持ち上げると……
「!?」
目に入ってしまう。今まで隠されていた兵器が。
その兵器の名前はうなじ。
健全な男子を仕留めるだけの破壊力がそれにはなった。
いやいやいやいやまてまてまて。
俺はアイルと一緒に寝たんだぞ?何もしてないけど。
それが今更うなじなんかで……
そう思ってもう一度アイルのうなじをみる。
やばい、ありえん可愛い。二回目。
いや、無理っすねこれ。抗えない。目が離せない。
これを見て、心がときめかない男がいますか?いや、いない。反語。
「どうかしましたか?」
アイルが正面を向いたまま声をかけてくる。
うなじに目を奪われ、手を止めていたからだ。
「だ、大丈夫!ちゃんとやれるから!俺は大丈夫だから!!!」
テンパっていたせいで、大きな声でよくわからないことを言ってしまった。
「……?」
アイルも不思議そうにしている。
いかんいかん。とっとと終わらせなければ。
このままでは俺のユニコーンがデストロイモードになった挙句、ビームマグナムを連射してしまいかねない。
それから俺は、なるべく綺麗なうなじを見ないように、作業を進めた。
✦✦✦✦✦✦✦✦✦
「どうでしょうか」
アイルの声を聞いてから顔をあげると、そこには……天使がいた。
いや、天使じゃなくてアイルなのだが、それくらい可愛かった。
美しかった金髪は、これまた美しい銀髪に変わっている。
この髪は僕が染めました。とても鼻が高いです。
「素敵だと思う。」
どうでしょう、という問いかけに、そんな言葉しか出なかった。
このボキャ貧やろうが、だからモテねーんだぞ。
「ありがとうございます。」
それに対してアイルも事務的な返事をする。
この能面やろうが。だからラブコメなら怒られるっていってるだろーが。アイルは俺と違ってモテそうだけど。
……にしても、ほんとに可愛い。金髪のアイルを見慣れていたから。というのも、勿論あるのだろうけど。それでもかわいい。
なんて……とんでもない女だ。
片腕を失うこともなく、髪の色を変えるだけで、ミロのヴィーナスを超えやがった。
「と、サクラくんにこれを。」
そう言って、アイルが何かを手渡して来た。
それは……シースナイフだった。
シースから出してみると、その刃はとても輝いていて、自分の顔が映るほどだ。
「どうして、これを?」
「護身用です。」
勿論俺に、ナイフの心得はないが、持っているのと持っていないのでは、確かに差があるだろう。
それに、これはアイルからの始めてのプレゼントだ。大事にしよう。
アイラはペンダント。その妹はナイフ。なんだか少し笑ってしまう。
随分と攻撃的な妹じゃないか。
「ありがとう。大切にするよ。」
ナイフをシースにしまう。
「それでは、グランツに向かいましょうか。」
アイルがそういったところで……
「たっだいま〜…って、どったのアイル。その髪。」
ナナリーが家の中に入ってきた。ここは彼女の家なのだから当たり前なのだが。
「イメージチェンジです。」
アイルはめんどくさそうに答える。本当に友達なんですかねこれ。
「ガラリと変えたねー。」
ナナリーが椅子に腰掛け……しばらくしてから、「はっ!」と驚きの声を上げた。
「いっけな〜い!婆ちゃん家に忘れ物した!!!」
「カレンおばさんの所ですか?」
ナナリーの言う、婆ちゃんという人物はアイルと共通の知人のようだ。
「そう!悪いけどアイル。取ってきてくれない?家の場所は変わってないからさ。」
アイルは露骨に嫌な顔をした。
「え、自分で取りに行けばいいじゃないですか。」
アイルの意見はごもっともだ。
「今日はもう家から出たくない!」
ナナリーは強い語調だ。なんというカリスマニート。
「一生のお願い!うちにも泊めて上げたでしょ?」
ナナリーが、ぱんっ!と手を合わせる。
安いな、こいつの一生。
「う……」
アイルが唸った。泊めて上げたというのが効いたのだろう。優しい奴め。
「わかりました」
アイルは渋々と了解して、こちらを見てきた。
「俺はここで待っとくよ。婆さんとやらと、積もる話もあるだろ?」
「なるべく早く戻ります。」
そう言って、アイルは家を出ていった。
「うふふ〜二人っきりだね。」
ナナリーなぜかニヤニヤしている。
女性と二人っきり。喜ばしいことだ。
ナナリーも、髪や格好を整えれば十二分に美しい女性だろう。
「忘れ物って…大事なものなのか?」
「うーん……っと、そうだね」
なんだろう。歯切れが悪い。
触れられたくない話だったのか。なら話題を変えよう。
「アイルとは、付き合い長いの?」
「うーん、そうだね。お姉ちゃんも入れて、いつも三人で遊んでた。」
「へー、アイルの小さい頃とか想像できないわ。」
「私やアイラに振り回されながらも、いつもニコニコしてたよ。」
「アイルがしっかりした性格になったのも、お前らのせいかもしれないな。」
上がちゃらんぽらんだと下がしっかりするとはこのことか。
……アイラはべつにちゃらんぽらんはしてないけど。
「………本当に忘れ物があるのなら、あそこに忘れちゃったのかな……」
「ん?……なんて?」
ナナリーが何かを小声でつぶやく。うまく聞こえない。
「いやいや、なーんでもないよ。それより、今まで色々大変だったよね?疲れてない?おっぱい揉む?」
そう言ってナナリーは自分の胸を寄せる。ちなみにアイルより大きい。
「遠慮しておきますよ。高くつくかもしれないし。」
ナナリーの冗談を返しながら、俺の胸には……
小さな針が刺さった。
……色々大変だったよね?
そういえば……俺達がここに来るまでの状況は、一切伝えてない。
それどころか、俺の名前も名乗っていない気がする。
何も知らないのに、大変だったねなんて言葉がでるのか?
いや、考えすぎだ。最近の悪い癖。
彼女はアイラとアイルの友人。信用に値する。
それに、俺達の事情だって、今朝俺が起きる前に、アイルが話したのかもしれない。
「あれ?今までそんなの持ってた?」
ナナリーが見つめているのは、先程アイルに貰ったナイフだった。
「あー、護身用にってアイルがくれたんだ。」
「へー、あのアイルがねぇ」
見せて見せて!っとナナリーが言ってくるので、ナイフを渡す。
「おぉ!カッコいーじゃん!せいっ!とりゃぁーー!」
ナナリーが、シースからナイフを抜き、振り回して遊ぶ。普通に危ない。
「おいおい、危ないぞ。」
注意をしたが、やめるどころか、動きがオーバーになっていく。
「うぉりゃー!………って、うわわっ!?」
そして、勢い余って部屋の真ん中にあるテーブルに、盛大にぶつかってしまった。
ガシャーン!という大きな音を立てて、テーブルの上に置いてあった食器などが落ちる。
ナナリーは「やっちゃったー…」といいながら頭をかいた。
「っ…たく。言わんこっちゃ無い。」
俺は床に這いつくばる様な形で、床に落ちたものを拾っていく。
割れている食器もある。怪我をしないように気をつけないと。
すると、ナナリーが俺の近くまで来る音が聞こえた。
ナナリーは立ったまま、口を開く。
「拾ってくれてありがとう。そして………ごめんね?……………ゼクス」
瞬間。先程の会話のなかで、俺の胸に刺さった針が音を立てはじけた。
アイルが話しただけという可能性はまだある。
だが……しばらく、サクラと、本名で呼ばれていた俺にとって…
ゼクスは、大きな違和感を与えた。
落ちたものを拾うのをやめ、急いで顔をあげる。
そして………俺は見た。見てしまった。
持っているナイフを……まさに振り下ろそうとしている……
──不敵な笑みを浮かべた、ナナリーの姿を──




