人の、人だけの
「立てるんよ?」
サラが立ち去ったあとの裏路地で、プリュネが俺に問いかける。
先程まで俺に対して見せていたような嫌悪感は、もう感じられない。
「む、無理だ。しばらくは立ち上がれる気がしねぇ……」
下腹部を強打したような、鈍い痛みがなかなか消えてくれない。
サラのやつ、『大事なトコロ』を思いっきり蹴り上げやがった。
ふざけんなよ!……とは思ったが、不思議と嫌悪感は無かった。子供は、あれくらい勝ち気で元気な方がいい。きっとそうに決まってる。
「男の人が、あんな可愛い女の子に負けるなんて情けないんよ。貴方は本当に勇者さんなんよ?」
「うるせぇ。お前ら女は、この痛みを知らないから笑ってられるんだ。プリュネの来世は男に生まれるように祈ってやるよ」
「……わたしに来世なんてないんよ」
軽い冗談のつもりだったが、プリュネの表情に影が生まれる。
……なにか、地雷を踏んでしまったか?
「こんな所にまで来て、泥棒を捕まえる事もせずに金貨まで渡して。良い人ぶりっこしすぎなんよ」
何がいけなかったのか考えていると、プリュネが話題を変えてきた。
「わかってるんよ?あの金貨一枚じゃ、サラちゃんは大人にはなれないんよ」
……んな事わかってるよ。半端だって言いたいんだろ?
あんな金貨一枚で、サラが大きくなるまでの食料を買い続けられるわけがない。
だから、半端なんだ。
大人になるまで養ってやるつもりはない。そんな覚悟は持ち合わせていない。
だけど、見て見ぬふりも忍びないから、取り敢えずで金貨を渡す。
ーーーわかってる。あぁ、分かってんだよ全部。あんなのはただの自己満足だって。
「ダセェよな、ほんと。勇者なんて名ばかりだ」
立ち上がり、自嘲気味に笑う。
「偽善者だよ。とんでもねぇ偽善だ。世界なんて救う気もねぇくせに。ほうっておくとなんかモヤモヤするから……って、そんな適当な理由で……目に見える人だけ、手が届く人にだけ優しくする。救った気になって、『いい気分』ってやつになる為に、だ」
それが俺だ。とんでもねぇクズだ。
「自分の為なんだよ。誰かの為とか、ましてや世界の為じゃない。自分の為に、打算的に優しくしてるんだ」
無償の愛なんて存在しない。誰だって自分のためにしか誰かを愛せないし、優しくできない。
悲しいけど、そんなもんだ。
「とんでもねぇ偽善者だ。ほら、笑えて来るだろ?」
「……うん、笑うんよ。ーーーそれは素敵な事だねって、笑ってあげるんよ」
「素敵……?」
しっかりと聞き取れていたのに、意味がわからず聞き返す。
「うん、素敵なことなんよ。たとえ偽りだったとしても、やっぱりそれは『善』。優しさなんよ」
プリュネは笑顔でそういった。何も迷わず、綺麗な瞳で。
……なんで、そんな目ができるんだよ。あんなことされていたのに。まだ、美しい物を信じていけるってのかよ。
「ーーー神様って、どこにいるか知ってるんよ?」
不意に、問いかけられる。そして、その問いの答えを、俺は知っていた。
「……神様なんていねぇよ。いたとしても、とんでもねぇ薄情者だ」
神様なんていない。神様が居るのなら、椿もニーナも死ぬことは無かったし、この世界にこんなに悲しみが溢れているはずがない。
「信じる者は救われるって言うけどよ、バカげてる。神だなんだと言っとていて、信じる者しか救わねぇだなんて。本当に神様がいるってんなら、この世界丸ごと救って見せろってんだ」
信じる者は救われる……。その言葉だって嘘だ。真実じゃない。
だってニーナは、あんなに信じていたのに……あんな最期……。
「………で、プリュネは知ってるのか?神様が何処にいるのか。知ってるなら教えてくれ、文句言ってやりたいことが山ほどあるんだ」
煽るようにプリュネを見た。……が。
「ーーー神様は居るんよ」
あくまでプリュネは、そう結論付けた。
「信じる歳でもないだろ。こんな世界だ、夢を見たって、覚めたら惨めになるだけだぞ」
「確かに、神様はいるんよ」
「だから、どこに居るって言うんだよ!」
苛立ちを覚え、多少声を荒げてしまう。
「神様が居るのは、お空の上でも、どこか知らない遠い国でも、地面の奥深くでも無いんよ」
そしてプリュネは、穏やかな顔で俺の胸をツンっと突いた。
「神様はココに。人の、人だけの心の中に居るんよ。ーーー貴方にだっているでしょう?『良心』って名前の神様が」
すこし微笑んだ彼女の顔は美しかった。神の居場所を語った彼女の心も、きっとキレイなのだろう。
「貴方の神様が、サラちゃんを救ったんよ。たった金貨一枚かも知れない、それでは大人になんてなれないかも知れない。……だけど確かに、救ったんよ」
「……言っただろ。偽善者で、自己満足で、打算的だって」
「それの、何が悪いんよ?」
キョトンとした顔で聞いてくる。
「自己満足や打算で何が悪いんよ?自分の為で何が悪いんよ?自分を大切にして何が悪いんよ?打算なく人に優しく出来る人なんていない、打算があったとしてもなかなか出来ない。だから……素敵な事なんよ」
「……金貨一枚じゃ、サラは大人になれない。金が尽きれば、また盗みをやるだろうし、一度金の喜びを知ったぶん、もっとやばいことをするかもしれない。……それでも、素敵だって言うのか?」
睨みつける。……が、プリュネはまったく臆さずに頷いた。
俺とは違う、真っ直ぐな瞳。そんなもので見つめられると……
「あーわかったわかった。俺の負けだよ、俺は素敵な事をした。えらい!すごい!やばい!」
「ふふっ。なんなんよ、それ」
彼女につられ、俺も小さく微笑んだ。
「人だけが持つ神様なんて話しは、学のない俺には分からなかったけどな」
「女の子に負ける。お勉強もできない。嘘もつく。ほんとのほんとに勇者さんなんよ?」
「うるせーバカ。ニマニマ笑ってんじゃねぇよ。……てか、そろそろ戻るぞ。パン屋の糞親父に報告だ。『泥棒は捕まえられませんでした』ってな」
「……捕まえる気なんて、最初から無かったんよ……」
呟いたプリュネの表情は、少しだけ暗くなった。
「良かったんよ?パン屋の主人も、周りで聞いていた人達も、きっと勇者を嘘つき呼ばわりするんよ?」
「は、嘘なんてついてねーだろ?」
「え?でも……緑色の血が流れる悪魔を、必ずや皆様の前に引きずり出しましょうって……」
パン泥棒一人捕まえられなかった事により、勇者としての俺の評価が落ちるのを気にしているのだろうか。
どこまでもお人好しだ。……そして、こんな『良い人』が、家の地下であんなむごい事をされている。
「バカだな、お前もサラも。俺よりもおバカさんだ」
ーーーやっぱりさ、神様なんていねぇんだよ。
「サラの血は赤いよ。たとえ本当にベーゼだったとしてもさ」
あの日の。
血まみれで倒れるニーナの姿が。
消えてはくれない。




