緋く、緋く、緋く。
ーーー忌まわしい力を使おう。悪魔の子の力を。僕とサクラたちを分ける絶対の壁を。
再び瞳を開けると、世界は……緋く、どこまでも緋く染まっていた。
ベーゼの力を使うとき……気性が荒くなる人、性格が丸っきり変わってしまう人、様々な人がいる。
……僕の場合は、心が落ち着いた。凪いだ海のように穏やかになるのだ。……静かなる闘争心だけを敵に向けて。
ーーー魔力を込め、ミノタウロスに向かって矢を放つ。
狙いは眉間。当たれば命を奪えるだろう。
……だが。そう簡単にはいかない。
ミノタウロスは、右手に持った両刃の斧で矢を弾いてみせた。
理性や知能は感じられないが、恐ろしい危機察知能力と戦闘センスだ。
「ルォォォォォォォォ!」
雄叫びを上げ、こちらに走り込んで来る。その巨大な足に踏みつぶされ、騎士や魔物の亡骸が『グチャ』っと、不快な音を立てる。
さらに連続して矢を放つ……が。その全てを斧で弾かれてしまう。
そして、目の前までやってきたミノタウロスが、唾液を撒き散らしながら咆哮を上げる。
そして……右手を大きく振り上げ、両刃の斧を一気に振り下ろして来た。
僕はそれを、左に動いて避けた。
ミノタウロスの斧は宙を切り、一瞬前まで立っていた地面を抉る。
次いで、深々と突き刺さった斧を軽々と持ち上げ、もう一度振りかかってくる。今度は横薙ぎに一閃。
……それを屈んで避ける。僅かに掠った髪が宙を舞った。
……大振りな一撃だ。次の攻撃まで多少のスパンがあるはず。このスキに……
そう思い。至近距離で弓を構えようとした瞬間。
ミノタウロスが、その強靭な右足でもって、蹴りを繰り出して来た。
「……………!?」
斧に気を取られすぎていた。さらに、知能が無いからと甘く見ていたのもあるだろう。
回避は間に合わない。受けきるしか……無い。
蹴りが来るであろう場所に両手を置き、ガードを試みる。……が。僕の体は、ガードごと蹴り上げられ、空中に放り出された。
「ルォォォォォォォォ!」
空中で身動きの取れない僕に向かって、ミノタウロスが渾身の力で斧を投げつける。
……まずい。空中では避けることも出来ないし、弓で弾くことも出来ないだろう。
瞬時にそう判断した僕は、左手に持っていた弓を放り投げる。そして……腰に携えていた脇差しを取り出し、鞘から抜き取った。
そしてそのまま、無駄のない動作で投げつけられた斧を弾き飛ばす。
ジン、と重たい感触が右手を伝い、頭にまで響く。奥歯を噛み締め、その感触を誤魔化し、着地地点にいるミノタウロスを睨みつけた。
ーーー落下のスピードを活かし、ミノタウロスの肩から、斜めに切り下ろす。着地も……大丈夫。蹴り上げられた両腕も自由に動く。
『グル……ルル……ルォォォォォォォォ!!!』
数歩後ずさったミノタウロスが、胸から血を吹き出し、鳴き喚く。
魔物でも人間でも……そして悪魔の子でも、痛いものは痛いのだ。
ーーー自分が痛いのは嫌なのに。そんなのは誰だって同じなのに。簡単に誰かに押し付けてしまう。
みんな、みんなそうだ。誰かの痛みはわからない。誰かの幸せは喜べない。だから……
「………ごめんね」
そう呟き、脇差しを構える。
僕も……ミノタウロスを殺そう。自分の目的を果たすために。
「………………」
こちらの殺気を察したのか、ミノタウロスは静かに上半身を倒した。そして、両手両足を使い、地面に立つ。四足歩行の動物のように。
そして……右手で地面を引っ掻くような動作を繰り返す。僕への威嚇と、自分を鼓舞する為だ。
斧はミノタウロス自ら投げ捨てた。やつに残されているの武器は、強靭な肉体のみ。頭部に生えた二本の角がキラリと光る。
「…………おいで」
「ルォォォォォォォォ!!!」
雄叫びをあげ、一直線に突っ込んでくる。凄まじいスピードだ。
その巨体とスピードによって生み出させる力は計り知れない。当たれば無傷では済まないだろう。
……なら、当たらなければいい。簡単だ。あの巨体で機敏な動きなど出来ないのだから。所詮は知性のない魔物だ。
ミノタウロスを引きつけてから、最小限の動きで躱す。
僕の動きに対応できず、ミノタウロスはすぐ真横を駆け抜けていく。そして、しばらく進んでから停止したミノタウロスにはーーー頭が無かった。
「…………ふぅ」
僕は小さく息を吐くと、刀身に付いた血を振り払い、鞘へと戻した。