呪い
倒れている第五勇者には目もくれず……燃えるような赤髪の少女ーーーリア・シャムロックがこちらに向かってくる。
俺はまだ立ち上がる事は出来ない。今の俺に出来るのは、リアと言葉を交わすことぐらいだろうか。
だが、それでいい。会話で意識をそらし、時間を稼ぎ、菘からリアを遠ざけるんだ。
リアは軽やかな足取り……とは言い難い。彼女だって、菘に深手を負わされているのだ。
……疲労困憊とはこの事だろう。悪魔の子の証である『緋色の瞳』も今はその輝きを失っている。
つくづく思う。悪魔の子と人間に、一体どのような違いがあるというのか。
「アンタさ」
リアが感情の読み取れない瞳を向けてくる。端正な顔立ち……まるで人形のようだ。
「なんですぐに撃たなかったし。てか、魔力砲なんて始めて見た。珍しいことするじゃん。さすが勇者ってカンジ?」
リアはポケットをゴソゴソとまさぐり……棒付きのキャンディを取り出した。
そして、乱雑に包装を破り捨て……口の中に放り込んだ。
そんなリアの様子を……俺は黙ってみていた。
どうやって会話を引き延ばそうかと考えていたのかもしれないし、彼女の可愛らしい顔に見とれていたのかもしれない。
……きっと本当は、探していたのだ。彼女と『人間』の違いを。彼女たちがなぜ世界から拒絶され無ければいけなかったのかを。
『モンスターパレード』を引き起こしたことは許せない。許してはいけない。だけど……
「あー、ごめん。これ最後なんだよねー」
彼女の顔をじっと見つめていた俺を見て、何を勘違いしたのか、リアは再びポケットに手を突っ込む。
「ま、別にコレでいいか。ねーさんのお気に入りとは仲良くしときたい……てきな?」
ーーーねーさん?お気に入り?
何を思ったのか、口の中で転がしていた棒付きキャンディを取り出し俺に差し出してくる。わざわざ屈み込んで。
「ほら、アーンしてみ?」
いやいやいやまてまてまて。そんな物食えるわけない。バカップルがすることだ。
間接キスだなんて飛び越してしまっている行為だ。
「いや、食えし。ウチは別にばっちくないぞー」
「待て待て待て!ばっちぃとかそんな問題じゃ…………はむっ!?」
俺が口を開けた瞬間、ここぞとばかりにキャンディを突っ込んでくる。
「わー、食べたし」
「お前が突っ込んだんだろ!?」
キャンディを咥えながら叫ぶ。
甘すぎもせず……日本で言うとレモンに近い味がした。
「で、なんですぐに攻撃しなかったワケ?」
「………別に、ちょっとミスっただけだ」
嘘だ。本当じゃない。
「あっ……そ。ま、別にどーでもいいんだけど、さ」
立ち上がったリアは、わかりやすい程にフラついた。胸からの出血が原因だろう。
「おい、大丈夫かよ。……早く手当しないと」
「敵の心配とか甘じゃん、激甘かよ。てか、へーきだし。なんともないしこのくらい。悪魔の子なめんなよー」
「ベーゼなんて関係ないだろ。"加護"だって使ってたし……」
『加護』。その言葉に、リアが反応する。
「『加護』なんかじゃねーし」
そして、自らの右手を恨めしそうに眺めた。
「神様が悪魔の子にそんなもんくれるわけないじゃん。だからこれはーーー『呪い』だよ」
「呪……い?」
「そ、呪い。加護なんて祝福じゃない……てか、そんなんいらねーしありえねーし」
「空間を切り裂き『孔』を作る"呪い"……か」
リアは右手で作った『孔』を入り口にして俺の魔力砲を吸い込み、左手で作った『孔』を出口にして菘に放った。
……恐ろしい力だ。結界や障壁を張っているわけでは無いので、物理的な防御力が存在しない。ーーーどんな攻撃も、リアに届くことはない。
「………『怠惰の呪い』。それがウチの能力。どう?すごいっしょ?」
相手の力のみを利用し、攻撃する……まさしく『怠惰』。
「凄いよ。………なんにも出来なかった」
結局俺は変わらない。簡単に人が変わる事なんて出来やしない。
勇者になったからなんだ。たった一度、まぐれでアイラを守れたからなんだと言うのだ。
そんなんじゃ変われない。人も、ベーゼを忌み嫌うこの世界も。
「ーーー『ミスった』って……嘘じゃん?」
リアの確信めいた物言いに、思わず怯んでしまう。
「アンタは躊躇した。怯んだ、足踏みした、尻込みした、惑った。……悪魔の子を殺す事を、さ」
それは……図星だった。反論の余地もないほどに。
俺は悪者を探してしまったのだ。悪魔の子か、それを拒絶し続けた世界か……と。
『モンスターパレード』を引き起こしたのはリアだ。どんな事情があろうと、それが許されることはない。
だが、理由も知らずに断罪し、対話もせずに処分して……それで丸く収まるのか?それが勇者のやることなのか?
「違う世界から来たアンタは知らないだろうけど、さ。この世界で悪魔の子はゴミなんだよ。金の掛かるゴミ、それがウチら」
リアは平坦に、そう語った。そこには喜怒哀楽のどれも存在しない。
「捨てたって文句言われないし、拾ったゴミをどう使おうがそいつの勝手じゃん?」
それは喜劇ではない。それは悲劇ではない。
「悪いコトしてなくたって叩かれる。目についただけで石を投げられる。……カビの生えたパンをみんなで噛って、ドブを啜って喉を潤す……そんなゴミがウチらなワケ」
物語ですら無いのだ。リアやこの世界にとって、それは。
有り触れていて、当然で、当たり前で……だから狂ってしまう。
何もおかしい事ではないと、普通なのだと。そう認識してしまう。
「ゴミに遠慮なんてありえねーし。てか、さらにウチはアンタの敵でしょ?だからーーー」
ーーーだから?だからなんだと言うんだ。
だから殺せって?だから優しくするなって?……だから。だからだからだから。
……ふざけんな。
「『だから』……なんだよ」
「いや、流れでわかるっしょ?だから……」
「だから……ッ!だから何だってんだぁぁぁぁぁ!!!」
ガリッと、口の中のキャンディを噛み潰した。
「うるせぇよ、さっきからガタガタ!お前は『人』だ、『人』なんだよ!!!」
そのキャンディはとても……『美味しかった』。
「だからダメなんだよっ!モンスターパレードなんか開いてさぁ!!!『人』が『人』を殺しちゃダメなんだよッ!悪いことをしたなら反省して、謝らなきゃ!」
「……悪魔の子と人は違うし、全然同じじゃ無いじゃん」
「なぁ……リア。お前がくれたこのキャンディさ、めっちゃ美味いよ」
リアは僅かな困惑を見せる。『何を言い出すんだ』とでも言いたげだ。
「飴玉食べて『美味い』って思って、嫌なことされたら心が『痛い』って感じて……誰かを『愛する』ことができて……俺が言う『人』ってのはそういう事なんだよ……」
俺が知っているベーゼの女の子は間違いなく『人』だった。家族を愛し、家族に愛されたいと願う普通の女の子だった。……間違っているのはこの世界の方だ。
「だからリア……」
俺はヨロヨロと立ち上がる。魔力を消耗しているせいで、未だフラついている。
だが、立たねばなるまい。ダサくても、かっこ悪くても。
「俺が話し聞いてやる。後で一緒に『ごめんなさい』って謝ってやる」
だってそうだろう?女の子に手を差し伸べるとき、倒れ込んでいる勇者なんているわけがない。
「だから……この手を取れ。取り敢えずそれでいい」
勇者の使命とはなんだ。巨大な悪を倒すことか?この世界を光で覆うことか?……きっと違う。そのどちらも本質ではない。
勇者の使命なんて決まってる。ーーー目の前で泣いている人に、手を差し伸べることだろうが。
「……甘じゃん、やっぱり激甘じゃん。そんなんでねーさんも誑かしたのかよ。ーーー次からはもっと甘いキャンディ買おっかな。ま、別にどーでも良いんだけど、さ」
リアが俺に向かって手を伸ばす。差し伸べた手をとってくれるつもりなのだろうか。
だが……リアの意思は最後まで分からなかった。
『ジャラ』
そんな音と共に、リアが伸ばした手に何かが巻きついたのだ。
光を反射し、キラキラと銀色に輝くそれは……『鎖』だった。
「………リアッ!腕を守れッッッ!」
俺は反射的に叫んでいた。リアの腕に……まるで蛇の様に絡みついた鎖に魔力が集まっていくのが見えたからだ。
そして、十分に魔力で満たされた鎖は……。
轟音と共に……爆発した。
「くっ…………」
リアの正面にいた俺も、爆発の衝撃を受ける。手をクロスさせて顔の正面に持っていき、なんとか堪える事ができた。
衝撃が収まってから目を開けると。
「……ヤバたん、いきなりかよ」
左腕を力なくぶら下げたリアの姿を捉える。彼女は…苦悶に顔を歪めていた。
リアの左手に絡みついていた鎖は、『持ち主』の場所へと帰っていく。
その持ち主は、リアを攻撃した人物は……
「左腕。飛ばす気でやったんだけどニャー」
ネコミミでメイド服の女性ーーーリープ・リッヒだった。