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紋章師のお師匠様  作者: BB
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読心の路上児1

 その日は市場が立つ日だった。


『お腹いっぱーい』

『あれ欲しいなぁ』

『お金足りない』

『ぎゃーぎゃーうるせぇな』

『ちょっと、止めてよね』


 市場とか祭りとか、人が浮かれている時は摺りが成功しやすい。しかも中身も重いから、暫くはやらなくて済む。俺の力があれば失敗する事はないから、特に意気込むことなく耳を澄ましていた。沢山聞こえてくる声。その中で都合の良い鴨を見付ける。


 大金を持っている奴は駄目だ。景気の悪いこのご時世で大金を持っているなんて、十中八九、裏の奴等か関わりのある輩だ。奴等と揉めたら厄介どころの話じゃない。すでに俺の人相書きが出回っているだろうから、見付かったら良くて殺され、悪くて一生、地獄穴行きだろう。頭の悪そうな若い男か女のグループが良い。仲間内で見栄を張るため、結構な金額を持っているし、周りの熱気に浮かされて財布がない事にすぐ気付かない。


『さっすがガーグさん太っ腹ぁ』

『ひさしぶりの休みだ』

『うほっ、可愛い娘』


 気配を殺しながら物色していると、ちょうど良いグループがいた。まだ十代位の若い男が五人。群れて露店を覗きながら歩いている。暫く後をつけていると、予想した通り、五人のうちの一人が仲間にちょっかいを掛けた。露店で買った品物を取られた奴は笑いながら仲間を追い掛け、すぐにふざけた商品の取り合いが始まる。突き飛ばされた奴や逃げ回る奴が周りの客にぶつかったりしているが、謝りもせずに笑っており、周りに全く興味を向けていない。


 子供はすぐに注意が散漫になるから楽だ。俺は声を聞き、財布を持った奴の動きを予測しながら忍び寄った。そして、財布を持った男が赤毛の客の一人にぶつかった時、その客の後ろから手を伸ばして財布を摺った。楽勝、そう心の中で舌を出した瞬間、俺は財布を持った右手を【赤毛の客】に掴まれた。


『なんだこのガキ』


 予想外だったことは二つ。


 まず、一つ目が赤毛の客が鴨の仲間だったこと。

 二つ目が、大人しそうな見た目のわりに、赤毛の客はかなりの喧嘩慣れした奴だったこと。


 ほぼ無意識で俺の動きに対応しやがった。


「てめぇ!摺りだな!おい、財布、確認しろ!」

「げ!な、ない!」

「ちっ!」


 赤毛の言葉に、赤毛の仲間達が騒ぎ出す。俺は舌打ちしながら、懐から出した球体を赤毛の顔めがけて投げ付ける。鶏の卵の中身を抜き、毒性のある草を乾燥して砕いた粉と砂のように砕いた鉱石を詰めた物だ。吸い込んだり目に入れば、鼻水や涙が止まらなくなる。しかし、赤毛の死角から投げた筈のそれは、赤毛に受け止められてしまった。赤毛は卵を見て、がらの悪い笑みを浮かべた。


『引っ掛かるかよ馬鹿』

「こりゃ、目潰しか?お前、流れの摺りだな。この辺りの元締めは、こんなのは使わせない。摺りだけじゃなく、傷害罪も追加で重罪人だ。衛兵につきだしてやる。来い!」


 衛兵?衛兵は駄目だ。あそこには衛兵もいた。もし衛兵に引き渡されたら、俺はあそこには戻されてしまう。必死に抵抗するが赤毛の力は強く怯まない。それどころか暴れた拍子に服がずり上がり、腹が剥き出しになってしまった。


『この痣は!?』

「お前!まさか!?」


 俺のアレを見た赤毛の威勢が止まり、赤毛の脳裏で連鎖的に映像が浮かび上がる。


 泣きわめく母親

 血塗れのベビーベッド

 重い鉄の臭いがする剣

 ゴトンと何かが落ちた

 誰かが謝った

 赤い丸


「そうだよ!あんたが殺した赤ん坊と同じ紋付きだよ!」

「なっ!?」


 驚きによって緩んだ赤毛の手を振り払い駆け出した。人混みを掻き分けながら走っていくうちに、涙が止まらなくなる。先ほど見た映像が心に突き刺さる。そうだ、赤ん坊だろうが関係ない。どうせ、俺のような子供は簡単に殺されるんだ、それが俺達なんだ。別に傷付いていない。ただ、早すぎる死を迎えさせられた同胞に同情しているだけだ。


 一番古い記憶は、俺を売る伯母の手。


 両親の事はよく覚えていない。ただ、その女が伯母である事は何故かはっきりと覚えている。嫌がる俺の首根っこを伯母が掴み、伯母が長く伸ばしていた爪が首筋に食い込んで痛かった。俺は醜い背曲がり男の前につき出され、男は俺の体を触り具合を確かめていた。その時から、ずっと俺は誰かに買われ売られる人生だ。


 だからこそ、やっと得た自由を絶対手放したりしない。俺は何をしても逃げ延びる。ずっしりと重い財布を抱き締めながら俺は走った。


『お腹空いたな』『うざいなぁ』『苦しい』『やったぁ!』『やめてよね』『死ね死ね』『気になるんだ』『そうっぽいよなぁ』『どきどきする『お母さんどこ?『あいつ、浮気しやがったな『うるさい『何が出るかな?『売ら『悩『何冊か欲し『日焼け『何で『糞が 』


 けど、泣いているせいでコントロールが出来ない。範囲が広がり、周りの声を無差別に拾い、無数の声が頭の中に流れ込み目眩がする。笑い声、泣き声、優しい声、怖い声、嘲り声、怒鳴り声、歓声。頭の中に沢山の人間がいる感覚は酷く気持ちが悪く、判断能力が下がってしまう。そんな状態だった俺は、いつもは近付かないようなチンピラにぶつかってしまった。更に運が悪い事に、そいつらは俺の顔を知っていた。


「待てやぁ!」

「止まれくそガキ!」


 市場での追い掛けっこの後、舞台は湿った裏路地に変わっていた。穴だらけの悪路を走り、道端に置かれたごみ箱や木桶を倒して時間稼ぎを図るが、チンピラは障害物を気にせずに追ってくる。そりゃそうだ、俺を捕まえたら上から褒美を貰えるだろうからな。自分の【愛され度】に自嘲していると、足元を何かが通り過ぎた。


「うあ!?」


 突然の激痛に思わず屈み、頭から生ゴミの山に突っ込む。口に入った野菜の皮を吐き出しながら足を見てみると、左足に切り傷が出来ていた。奴等、何か投げやがった。幸いにも切り傷は深く無いため、立ち上がろうとしたが刺された足に力が入らない。くそっ投げた物に何か塗ってたな。そうこうしているうちに、追い付いたチンピラ達の一人に背中を踏まれ、頭を掴まれて地面に顔を押し付けられる。口の中に血と腐汁と土の味が広がった。


「手こずらせやがって!焔はどこだ、読み猫」

「知らねぇよ」


 本当の事を言ったが、汚い靴を履いた足が腹に蹴りこまれ、そのまま乱暴に仰向けにされる。くそっ。これだから読めないアホは嫌だ。胃液混じりの唾液を口から垂らしながら上を見ると、脂ぎった顔と、痘痕だらけの顔と、筋肉が全部垂れ下がったような顔が見えた。三人のチンピラは嫌な事を考えながら俺を見下ろしている。


「知らないはずはねぇだろ。お前がアイツを唆したんだからな」

「違う、アイツが勝手にやった事だ。俺は関係ない」


 脂ぎった奴が俺の髪を掴んで持ち上げる。髪に吊り下げられる形で上半身が上がり、目の前に脂ぎった顔が寄せられる。何日も風呂に入っていないのか、皮脂とフケの臭いが鼻をつき、思わず顔をそらす。


「ああ?何が違うんだよ。お前がご自慢のケツ使って、焔をタブらかしてボス殺したってことは、組織にいる奴ならみーんな知ってんだよ」


 脂ぎった男の言葉に、後ろの二人が嘲笑う。それに気を良くしたのか、「この尻だよ尻」と言いながら男は俺の尻を掴んで揉みしだいた。無遠慮な手付きに怒る気もない。俺を見て有利に立った奴の考える事は、男も女も老いも若きも関係ない。


「…………」

「まあ、俺らもお前に同情してるんだ」

「そうそう、高級貨幣なんてさぁ。子供を人ですらない貨幣扱いだぜ?酷いよなぁ。やっぱ、金持ちの考えなんて理解できねぇよ」

「でもまぁ、高級貨幣のお前ならわかってんだろ?優しい俺達が言いたい事をさ」


 こいつらは俺の力を知っており、俺がどんな扱いをされていたかも知っている。そのうえで取引を持ちかけており、自分達の考えを知られても問題ないと思っている。普通ならばチンピラ風情が知る事はない高級貨幣の味を知る事が、こいつらの望みであり、満足したならばさっさと立ち去るだろう。


 変態に取引され、最後には貨幣として育てられた俺には戦う能力はなく、片足が麻痺しているから逃げる事は出来ない。つまり、俺が選択できる道は一つしかない。


「ふっふふふ」


 何だか情けなくなって笑いが漏れた。こんな奴等に弱味を握られて求められる事に、結局体でしか自分を救う術を持たない俺自身に。


 良いさ、利用させて貰うさ。


 俺には、この体と能力しか無いんだ。だったら、体を使う事は合理的な事だ。俺は俺の意思でやってやる。息を整えて仕事用の頭に切り替え、心に目隠しをして凍えさせる。そして、目の前のチンピラは人間じゃなくて人形だと思い込む。次第にチンピラの姿がグニャリと歪み、錆び付いたブリキのオモチャに見えるようになった。これが俺の力が作用している故なのかどうかは分からないが、昔から目に映る画像を操作できた。相手が人間じゃないと思い込めば、演じる事が簡単になるから重宝している。


 準備が整った俺は、高級通貨としての顔でチンピラどもに手招きした。


「分かったよ。金と同等の通貨の味をご馳走してやる」


 何十回と繰り返した動作、今さら三人を相手にしようが傷付かないし悲しみも嫌悪感もわかない。だから、チンピラが俺を抱えて奴等のアジトに運ぼうとしていても、滅多にない機会を最大に楽しもうとチンピラの一人が色んな道具を買いに行ったとしても、何も感じる事はない。


『抵抗しねぇとか、やっぱり好き者じゃねぇか、この淫売』


 だけど、チンピラの一人が心の中で呟いた言葉を聞いて、奥歯を噛み締めた。大体の奴等がそうだ。幼い子供を抱く事に、どんな変態でも罪悪感を持つ。その罪悪感を誤魔化す為、俺達が淫乱で色情狂だと思い込みたがる。んなもん、脅されて逃げ道を無くした子供が無理矢理やらされてるに決まっているのに、俺達が自分から求めていて、チンポで幸せになっている淫らなガキだと馬鹿げた妄想を押し付けてくる。俺達も殴られたくないし、死にたくないから求められるように演じる。でもさ、やっぱり嫌なものは嫌なんだ。


 だから逃げた。


 逃げた奴等の末路なんて嫌というほど知っているし、組織から逃げるなんて馬鹿な事だって分かっている。だけど、通貨として利用されるから逃げた、嫌だった。やって来る奴等の思考はヘドロのように汚くて俺に絡み付いて、それを読み取って理想通りに振る舞っていくうちに、汚い思考が次第に染み付いていくのが嫌だった。俺は無意識に誘惑していた。焔が勝手にやったんじゃない。あの心のない憐れな焔を利用した俺に相応しい境遇だ。


 だから涙も流さないし、助けも求めない。そんなことをしても無駄だし、何よりも資格が俺にはなかった。空を見ると、そこは無限に広く青かった。


『助けて』


 心の中で、無駄だと分かっている言葉を呟く。


『誰か助けて』


 空を見上げて呟いた時、建物の隙間から見える空の片隅に不自然な物が見えた。それは、市場にいた道化師だった。二股に別れた赤い綿入り帽を被り、半分笑い半分泣いている不気味な面を被った道化師は建物の屋上に立ち、小首を傾げながら此方を見下ろしていた。


 道化師は俺を見ると、人差し指を仮面に描かれた分厚い唇に添え、そして次に両目に手袋をはめた手のひらを押し付けた。目をつぶれ?


『かしこみかしこみ、らいのつかさ、いほうのみなれども、わがねがいききいれたまえ、げてんげちあっかんげれつ、ひとのみをあゆまぬちくしょうのもの、そのいしきをかり、ちにふしちをださずちにぬいつけ、ねがいます、かにそうろう』


 歌のような声が【心の中】に聞こえ、何かが起こると察したが何もできなかった。俺は道化師を見つめ、道化師はクルリと踊った。その瞬間、光が満ちて周りが真っ白に染まり、俺の記憶は途切れた。


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