異世界
「暇やなぁ……」
こなたは、どんよりと曇った空を見上げながら呟いていた。
現在、こなたは大きな広場に設置されている、巨大な石像の上に座っている。剣を構えた武人らしき男の石像だが、その逞しい肩が中々居心地が良いのだ。そんな目立つ場所に居ても、誰もこなたに注意を向けてこない。それは、こなたが着けている悪趣味な仮面のおかげだ。
おちゃらけたように笑うピエロの仮面は、ヒョウキンではなく不気味さを感じさせるキツい色調で塗られている。この仮面には認識阻害の魔法が掛けられており、そのおかげで見るからに不審者であるこなたは誰にも見咎められる事はないのだ。実は、故郷では犯罪者様御用達の禁術である。過去、暗殺や窃盗などの犯罪に乱用された認識阻害の魔法は、しかるべき機関で許可をとり監視員が同行せずに使用した場合は即刻逮捕される。それを持ち運びしやすいように仮面に永続付与するなんて、重犯罪物である。ちなみに、これは旅行会社から渡された代物であり、他にも初回サービスとして様々な品を貰っているが、そのどれもが違法品か違法ギリギリの品物だ。被っている道化師のように二股に別れた帽子は、異世界の理に影響されたり、他者から害を受けたりしない為の簡易結界を張る道具である。
アイテムのどれもが道化師風なのは、旅行会社のマスコットキャラクターがピエロだからだろう。
そもそも、物質界と精神界の両方に存在し、干渉できるこなた達が異世界に行く時には厳重な検査と管理が不可欠だ。こなたたちの行動により異世界の理を荒らし、大災害を引き起こしたり神の怒りを買う事があるからだ。当然ながら故郷から持ち出す事の出来る品は限られ、魔法の品なんてもっての他である。なのに、あの旅行会社のコンダクターと名乗った男は、荷物の持ち込みは自由だといった。重量や種類に制限なし。武器も薬品も必要ならば持ってきてもOK。
ならばと、こなたは貯金を使って様々な品を買った。少々悪ふざけし過ぎて多すぎたと思ったが、それを見たコンダクターは足りないと言い、サービスと称しながら違法な品をこなたに渡した。今のこなたは石鹸のような日用品や暴徒鎮圧用の武器やドーピング用の薬まで揃った、驚異的な品揃えの店を開けるだろう。恐らく、故郷より劣った文明の世界ならば王になれる。
なんか……マジやばくね?
こなた、犯罪に巻き込まれてない?
こなたは不安げな顔をしていたのだろう。脂ぎった七三頭のコンダクターは芝居がかった仕草でこなたに口上を垂れた。
「いけません。いけませんよ、お客様。ここは異なる世界。神は存在せず、精霊のみの理の満ちる場所。此処には明確なルールがないので、私達の力を柔軟に受け入れます。どれだけ力を使用しても世界は軋まない。規則に縛られてばかりの本国とは違うのです。ここは私達が本来の姿をさらけ出し、本来の力を振るっても誰も文句を言わない場所。お客様の事は誰も知らず、咎める者もいない。自由に安らかに健やかに過ごすことができる場所。浮き世の事は忘れ、お客様がお楽しみになる事が当ツアーの目的。ですから、些末な事は気になさらずに。それはきっと貴方様に必要な物ですから」
立て板に水とはこの事か。ペラペラとよく回る口で諭されたこなたは、コンダクターの迫力に圧倒され、無意識のうちに頷いていた。ま、まぁ、そもそも犯罪なんて覚悟のうえだったし、ちょっと渡された品物の中に毒薬が入っている事に気が付いてビビってただけだし。
そんなこんなで無事に異世界に着いたこなたは、しばらくのあいだは人々の営みを観察していた。少し残念だったのが、全く異なる世界といえども、やはり人型の生物が作り出す文化は似通ったものだった事だ。こなたがいる地域は王が統治しており、煉瓦で作られた家が建ち並んだ、故郷の西の国に良く似た文化である。異文化とは見るだけでも楽しいものだが、それも次第に飽きてくる。
そろそろ現地人との交流も行いたいが、踏ん切りがつかない。まだ青年と言われる年頃であるが、好奇心に溢れた十代とは違い、二十の中頃になると色々考えてしまうのだ。まぁ、踏ん切りがつくまで暇潰しをしようと、こなたは眼下の人々を眺めていた。
広場には汚い布を張っただけの露店が雑多に建ち並び、何処かで煮炊きをしているのか、様々な臭いが混じりあった煙がたゆたっている。その間を掻き分けるようにして、老若男女、様々な職業の人々が通りすぎていく。この世界の文明度は中位程度のようだ。露店で取引されている植物や家畜から高度な農業や畜産の技術はあるっぽいが、人々が着ている衣服の品質は不揃いで、荷馬車は馬が牽いている。恐らく、機械は一般的に使用されておらず、大気の精霊の流れから予測しても魔法の類いは原始的な占いや願掛けに留まっているようにみえる。
活気があるが何処か荒んだ雰囲気なのは、見た行く人々が陰鬱な表情を浮かべているからだろう。耳をすませば、誰の子供が死んだとか、何処其処で暴動が起きたとか、物騒な言葉ばかりが耳に入る。どうやらこの国は動乱期にあるらしい。
大変だなーと思うが、他人事なので特に感想はない。それよりもなんか腹が減った事が重大である。果たして露店で食い物を買って食べても腹壊さないだろうかと真剣に悩んでいると、不意に広場の一角が賑やかになった。広場の活気とは違い、怒鳴り声や悲鳴が聞こえる。どうやら複数人の男達が何かを追っているらしかった。
こなたは慌てて立ち上がり、像から飛び降りた。実はこなた、火事があったら駆け付けたりする、野次馬根性を所有している。浮力の術を掛けていた為、一枚の羽根のようにゆっくり落ちる。露店の屋根部分に着陸しても、布を張っただけの露店は揺らぎもしない。そのまま、こなたは露店から露店へ飛び移りながら騒ぎの中心へ向かっていく。
「行ったぞ追え!」
一団は暫く市場の中を走り回っていたが、人混みを抜けて市場から飛び出していった。人混みから抜けた一瞬、男達に追われているものと【目があった】。それは布を頭に巻いて顔を隠した子供だった。汚れた衣服はサイズが小さいのだろう。今は初秋であるにも関わらず手足は剥き出しで、筋肉がまだついていないスラリとした手足は成長期に入ったばかりの子供である事を示している。まあ、そんな事はどうでも良い。一番問題なのはこなたと子供の目があった事であり、子供から立ち上る溢れるほど潤沢なマナである。
こなたは、彼等を追うことにした。