会社が倒産した
ブラック企業とは厄介なものである。
それは劇に似ている。社員が劇団員、上司が監督、社長が脚本家で社長の身内が観客である。脚本家が書く脚本はコロコロと変わり、時には知らないうちにページが増やされたりする。監督が怒鳴りながら指示を出し、指示に従わない劇団員に脚本を叩きつける。関係ない観客が検討違いな批判をし、劇団員が慌てて指摘された場所を直そうとすると、脚本家が勝手に動くなと怒り狂う。だからといって観客を無視すると無視したとブログが炎上し、それを見た監督が劇団員を怒鳴り付ける。右往左往する劇団員は次第に頭の中が空っぽになり、監督の言いなりになって劇を演じるだけの存在となる。
こなた生活の中にも劇は浸透し、休むべき家庭で台詞の練習を繰り返す。外から見たら異常であるのに、劇の中にいる当人は気付かない。
そんな劇団員から劇を取り上げたらどうなるのだろうか?
「あは、あははは、は、は、は、は、」
先程から変な笑い声がすると思っていたら、それは自分の口からこぼれていた。ああ、自分は笑っているのかと思ったが、特に気にせずに目の前の張り紙を見つめた。張りぼてのように無駄に立派な会社の扉。そこにはこう書かれた紙が貼られていた。
【諸事情により倒産します】
「倒産って、どーゆう事じゃぁぁぁ!糞ボケ馬鹿クズ社長ぅぅぅぅ!!!!」
皮肉にも26歳の誕生日、20代前半という黄金期間を犠牲にして尽くした会社が倒産した。以前から怪しい怪しいと言われていた業務が弾けた事による倒産である。
それからは、失業保険の書類作成のあれこれや、払われている筈の年金が未払いが発覚したり、正体不明の怖いお兄さんに追い掛けられたり、愉快なイベントが相次いだ。そんな一ヶ月後、こなたは呆けながら日々を過ごしていた。
本当ならば次の仕事を探さないといけないのだが、あの過酷な日々には戻りたくなく、こなたは仕事探しを躊躇していた。だからといって充電期間だと開き直り、旅行に行こうとか何かを買おうとか思えない。別に金がない訳ではない。仕事尽くしの生活だった為、使う機会がなく、有り余るほど貯めていたが、ただ単に使う気にはなれないのだ。朝の五時に起きて会社に行き、仕事をしながら昼食をとり、夜の十二時まで残業し、土日出勤当たり前、正月すら半日会社に出ていた誇り高き社畜であったこなたには遊びに誘ってくれる親しい友人なぞおらず、心配してくれる可愛い彼女もいないし、両親は子供の頃に死別しており天涯孤独の身である。
突然訪れた自由な時間に適応できないこなたは、いわゆる燃え尽き症候群とやらに掛かっていたのだろう。
社員時代、社畜として洗脳されていたこなただったが、一応はヤバイ生活をしている自覚はあった。死にたくはなかった為、少ない時間を遣り繰りして自炊し、健康に気を付けていた。しかし、時間が有り余る今になると、逆に料理や家事は酷く煩わしくなった。基本的な家具しかなかった安っぽいアパートは次第にゴミで満たされ、埃の妖怪やらなんやら産まれていた。こなた自身も髪や髭がぼうぼうに伸び、浮浪者と見間違われるような出で立ちになっていたが、特に気にならなかった。ただ食べて寝て起きて食べて寝るという、極めて怠惰な生活を繰り返していた。
「これは……?」
そんなある日、万年床に茸が生えているのを発見した。燃え尽きていたこなたも、そこまで汚なかったのかと色々とショックを受け掃除を行った。こなたの部屋はワンフロアと台所と風呂しかない為、本気を出したら一日で掃除を終えてしまった。せっかくだから掃除しようと押し入れの扉を開いたそこに、ソレはあった。埃を被った一冊の雑誌。何かに呼ばれるように手を伸ばし、雑誌を手に取って表紙を見てみた。
【異世界で本当の冒険をしよう!】
数年前に異世界旅行が流行った時期があったが、その当時の特集誌のようだった。全く買った覚えがないが、おおかた上司の飲み会に付き合わされて酔った時に買ったのだろう。何となく中を見てみると、どうやらアングラ系のハウツー本に近い物で、内容は普通とは違っていた。観光ではなく異世界を冒険するノウハウを特集しているらしい。普通の旅行誌のように名産品や観光地が書いてあるのではなく、未開の地の歩き方や現地部族との交渉方法、有害な気体の見分け方等、妙な方向で実用的な内容が記載されていた。中にはスリの仕方や奴隷売買のノウハウ等、明らかに犯罪であろう記事もあり、その内容はともかく、図面や漫画を多用したそれは中々楽しく読めた。
あっという間に雑誌を読み終えたこなたの目に裏表紙が映った。どんな雑誌にも裏表紙には広告が載っている。大体が男性のとある問題の解決法だったり、運気を向上させる素敵なブレスレットだったりするアレである。こなたが持っている雑誌の裏表紙にはデカデカとハテナマークが描かれ、それを横切るように【Mystery world tour!】と蛍光ピンク色の文字がデカデカと書かれていた。
説明欄を読んでみると、行き先不明のミステリーツアーがあるが、それの異世界版らしかった。行き先の文化、生態系、魔法系統文明か科学系統文明かの情報、敵対種族の有無、等の情報は一切知らされず、それどころか異世界に滞在する期間すら知らされない。現地集合現地解散、現地でのトラブルには一切関知致しませんという、何とも怪しい広告である。
【全く未知の場所へ旅行する】
きっと不便だろう、きっと危険な事もあるだろう、きっと腹を壊すだろう、きっと犯罪に巻き込まれるだろう、きっとこれ違法だ。もし、参加したとしたらどうなるか分かった。不幸な末路は簡単に10は思い浮かぶ。だが、何故か胸が奇妙なふうになった。胸に手を当てて考えたら分かった。
ああ、こなたはワクワクしているのだ。
数年ぶりの感覚に微妙に感動した。金ならある。心配する身内もいない。ならば躊躇する理由はあるか?こなたは裏表紙に書かれた連絡先を見て笑った。