第5話 ぼくらの世界(後編)―9
ぶくぶくぶくと、顔半分を湯に沈めたナギの口元から、ずっと泡が吹き出している。
せっかくヴーツェさんの案内で温泉に来たのに、ナギはずっとご機嫌斜めのようだった。
――戦いが終わった後、傷を癒す秘湯があるということで、ぼくらは温泉に招かれていたのだ。
「いやぁーっ、しかし、今回はお前たちに助けられたな」
人間の姿に戻ったヴーツェは、今までの険しい表情と違い、砕けた様子でランドの肩を叩いた。
ランドも別に嫌がる素振りは見せずに、腕組みをしたまま、がっはっはと豪快な笑い声をあげている。
「お前たちが軍の指揮官を潰してくれなかったら、もっと戦いが長引いて被害が出ていただろうよ。本当に、感謝している」
ヴーツェは熱を込めた言葉で、ぼくらに感謝の念を述べた。
そう、あの後ぼくらは、ペトラルカとラウラを撃退した…………ことにしている。
実際のところは、恐らくやられたリンの回収を優先したかったのだろう。
あの二人は早々に撤退し、天狗とランドの戦いも、ぼくらの見ていないところで決着がついたそうだ。
勝敗はどちらでもなく、そもそもランドに興味を示さなかった天狗は、すぐにどこかへ消えてしまったとのこと。
そうすると……やはりヤツの狙いは、ナギ一人だったのだろう。
まだナギとは話していないが、正直なところ、ぼくらの立場は相当やばくなったんじゃないかと思う。
王都の聖騎士軍に喧嘩を売った上に、ぼくら事態を狙ってくる正体不明の人間まで現れたのだ。
あまりにも、敵が多すぎる。
いったいぼくらは、これからどうすればいいのか……。
「おい、何辛気臭い顔してんだ、ブタ。お前も湯に浸かるか?」
「ブタじゃないし。ぼくにはちゃんとシューっていう名前があります。あと、濡れると中の綿が乾くまで時間がかかるので別にいいです」
ひょいと伸びてきたランドの手をかわしつつ、ぼくはナギの頭上にとまった。
頼りのナギも、今は敗戦のショックで思考停止気味だ。
「そうそれと、お前らが連れてきてくれたあの少女についてだが」
ヴーツェが言っているのは、もちろんガブのことだろう。
ガブはデンスと一緒に、大きな岩を挟んだ反対側の方で温泉に浸かっているはずだった。
辺鄙な人狼の里とはいえ、その辺の区別はちゃんとつけているようである。
「あの子なんだが……やはり、一度こちらで預からせてくれないか?」
ヴーツェから飛び出したのは予期せぬ言葉だった。
「やっぱり、この里の子だったんですか?」
「いや、そうじゃないんだが……。……あまり大きな声では言えないが、どうもあの子が来てから“森の鍵”が反応を示しているようでな」
「そも森の鍵っていうのは、何なんですか?」
「すまない、それ以上は……本当に言えんのだ」
聖騎士軍も血眼になって探しに来ていた森の鍵。
きっと、何か大きな力を持つものなのだろうけど……。
「つまりそれって、ガブはこの大森林に住んでいた子……ってことですか?」
「俺も、その可能性が高いと思って申し出ているのだ。どうだ? 一度、この里で様子を見てみるというのは」
もちろん、ぼくらはそのつもりで来ているので、断る理由なんて無いのだけれど。
「ねぇナギ、ヴーツェさんのお願い……どうかな?」
「……んなこと、いちいち聞かなくても分かるだろ? 何のためにオレらはここまで来たんだよ」
素っ気無いナギの返事。
やはり、天狗に負けたことが尾を引いているに違いない。
今まで誰かに負けた姿なんて、見たことが無かったナギのことだから……。
初めての敗北は、相当な屈辱だったのだろう。




