第五章
放課後、洋介と菜々美は一緒に下校することにした。もはや正式に付き合いを始めた二人のため菜々美は何も遠慮することなく洋介の腕にしがみ付く。それを洋介は辺りをきょろきょろ窺い、恥ずかしそうな顔をしながらも受け入れる。その事実に菜々美は大袈裟ではあるが、感動を隠し切れない。
「まさかこんな日が本当に来るなんて思わなかったよ。やっぱり諦めないって大事だよね」
「それはいいけどすげえ恥ずかしいんだが……」
「恥ずかしくなんかないよ。むしろ見せ付けちゃおう。えいえいっ!」
そう言って菜々美はより一層洋介に密着する。腕に抱きつくというよりもぶら下がるぐらいにしな垂れかかってくる菜々美に対して洋介は振り払うわけにもいかず、ただただ顔を赤くするだけである。
「あははははっ! 洋介顔真っ赤。初心だなあ」
「仕方ないだろ。こんなの初めてなんだから」
「私も付き合うの洋介が初めてだよ」
「その割りに堂々としてるな。恥ずかしくないのか?」
「こういう恥ずかしいのも今までは幻想でしかなかったから、今は嬉しさのが上回ってるかな」
菜々美は満面の笑みで嬉しいと語る。それに対してまた洋介は顔が赤くなる。あまりにも可愛いことを言ってくれる菜々美を真っすぐ見ることが出来ない。洋介は周囲の目と菜々美という二つの要素に恥ずかしさを感じていた。
そんな洋介を見て勘弁してやるかと菜々美は縋り付いていた腕を離し、手を繋ぐに止めた。
「いつまでも顔真っ赤にしてないでそろそろ帰ろ?」
菜々美の声で我に返った洋介は操り人形の様に首を縦にかくかくと振って歩き出す。どうやらこの付き合いの主導権は菜々美がすっかり握っているようである。
二人は下駄箱に向かい、靴を履き替える。そして靴を履き替える際に離した手を再び握り直す。その光景を見て周りからは羨望や嫉妬など様々な反応が漏れる。二人はそれを過度には気にしないようにして校門へ向かう。
「ねえねえ洋介。この後寄り道して行こうよ。どこがいいかな……あっ!?」
この後の予定を相談しようと菜々美が洋介に話しかけたその時、菜々美の視界には危険人物が映った。それは校門にもたれ掛かり、誰かを待っている様子の瞳だった。
いくら洋介を射止めたとはいえ、まだ洋介の心の中には瞳はしっかりと巣食っているであろう。ここで洋介が瞳を見つけたら何か嫌な展開になるような気がする。菜々美はそんな不穏な未来が見えてしまった。
決して洋介を疑っているわけではないが、菜々美が洋介に執着したように洋介もまた瞳には真剣な想いを抱いていたことを考えると瞳と洋介が顔を合わせることは不安である。やっぱり付き合うというのはなかったことにとそんなことになってしまうかもしれない。
頭の中に嫌な想像が次々と浮かび上がってきた菜々美は焦って方向転換をしようと試みる。
「そ、そうだ。今日は駅前のファミレスでも行こうよ。ゆっくり何か食べながら話したいな」
「お、おい。何だよ、いきなり逆方向に歩き始めて」
菜々美の突然の方向転換に洋介は振り回され、戸惑ってしまう。菜々美は疑惑を抱かせないように必死に取り繕う。
「考えながら歩いてたからね。急に思い付いちゃって。ごめんね振り回しちゃって」
「まあいいけどな。それで駅前のファミレスだっけ?」
どうにか取り繕えた菜々美はほっと胸を撫で下ろしながら頷く。それに洋介は瞳のことは見えなかったようで万々歳である。
胸の支えが取れた菜々美は明るさを取り戻して歩き始める。
「それじゃ行こうか。あっ、そういえば洋介はこれから大丈夫だった?」
「ああ、何も用事ないよ。大丈夫」
万が一にでも洋介が振り返ったりしないように菜々美は洋介に話しかけながら歩くことを忘れない。言葉が途切れることがないように次々と話しかけながら逆の校門へと歩いていく。
そして瞳の姿が見えなくなった辺りでようやく菜々美は本当に安心することが出来た。ずっと気を張っていたのが緩んで会話が途切れる。それを不審に思ったのか洋介は心配そうな顔つきになる。
「おい、大丈夫か? いきなり黙り込んで」
「あっ、うん大丈夫。喋りすぎたから洋介が迷惑してないかなって思っちゃって」
そう言って菜々美は笑顔を洋介に示す。最愛の恋人に心配してもらえるのは嬉しいが、不安にさせるわけにはいかないと菜々美はテンションを戻すよう努める。
「いや、別に迷惑してなんかないぞ。むしろ小山田らしくていいんじゃないか?」
「ほ、本当!? だったらファミレスでは覚悟してね。色々聞きたいことがあるんだから」
「あっ、いや、すまん。やっぱり少しぐらい控えてもいいかもしれない」
「残念でした。もう遅いよ。嫌ってぐらい洋介のこと教えてもらうからね」
少しぐらいテンションが落ちても洋介と話している内に元気になってくる。それを考えると菜々美は本当に洋介に夢中になってるんだなあと今更ながら思い知らされる。わざわざテンションを上げ直そうと思ったことすら意味がなかったのだ。話しているだけで気分が昂揚してくる。これが恋なんだと菜々美はうっとりしながら思う。
そしてそんなうっとりした気分とは別の所で絶対にこの人を離してなるものかという黒い感情も涌き上がっていたのだが菜々美はまだそれを意識していなかった。
「すっかり暗くなっちゃったな……」
洋介は暗くなった道を一人で歩いていた。
ファミレスでは菜々美が宣言していたように質問攻めが待っていたため、それですっかり遅くなってしまったのである。趣味、生年月日、血液型などのデータから昔話や交友関係など様々なことを菜々美は聞いてきた。何だか取り調べのような感じではあったが、菜々美がいちいち反応を返してくれるためついついたくさん話してしまった。夕食時になり客が増えてきたことがなかったら恐らくまだまだ続いていたであろう。
迷惑になるということで席を立ち、店を出てから洋介は菜々美を家まで送り、そして現状に至っていた。
洋介の家と菜々美の家はそれほど離れていなかった。それこそものの十五分程度のものである。それでこの暗さだというのだからどれだけファミレスにいたのかと洋介は店に申し訳なく思った。
もうしばらく歩いているので家は間近だと洋介が思っていると、前方に見慣れた姿があった。それは隣の家の幼馴染、瞳である。
正直あまり顔を合わせたくない存在に変わっていたので洋介は歩みを意図的に遅くする。瞳が家に入るまで追いつくわけにはいかないと途中で意味もなく携帯電話を取り出してみたりと歩みを必死に遅くする。
そして瞳が家に向かう最後の角を折れると、しばらく待って洋介も角へと向かう。既に瞳は家に入っているだろうと予測しての行動だったが、それが甘かった。何と瞳は自宅の門の前で立っていた。
予想外の事態に洋介が戸惑っていると瞳は洋介に近寄ってくる。
「彼女が出来たみたいね。よかったじゃない」
「……ああ」
瞳の意図するところがわからない洋介は戸惑いながらもなんとか返事を返す。
釈然としない表情の洋介とは違い、瞳は悪戯そうに微笑んでいる。その顔は素直に祝福するという顔にはお世辞にも見えない。
洋介は瞳の意図がわかるまで迂闊なことは言わないようにしようと気を引き締めた。
「それで? そんなことを言うためだけにわざわざ門の前で待ち構えてたのか?」
「うん、そうよ。……でもまだ他に言うことはあるけどね」
「……何だよ」
洋介はやっぱりかと想像通りの展開に辟易した。これが今まで一途に想ってきた女なのかと思うと昨日までの自分は何を考えていたんだと言ってやりたかった。
洋介がそんな風に瞳の態度や自分の気持ちについて考えていると瞳はやはり悪戯そうな顔で洋介を見つめている。さて、その口からどんな言葉が飛び出してくるか。洋介はショックを受けないよう心を強く持ってその瞬間を待ち構えた。
「洋介。洋介にも彼女が出来たことだしこれからはあまり馴れ馴れしくしないでくれる? 幼馴染ってだけでそんなことされても迷惑なのよ」
「……何だと?」
「聞こえなかったの? これからはあまり近寄らないでって言ってるの」
「……」
昨日までの自分はよくこんな女に耐えられていたもんだと洋介は過去の自分を褒めてやりたかった。それ程瞳の言葉は辛辣で容赦がなかった。よく人様にそんな言葉を吐けたなとむしろ感心するほどの遠慮のなさだった。
しかしこの瞳の言葉は今の洋介にとっては都合が良かった。菜々美と付き合うことにとはいえ、やはり未だ瞳の存在というのは気になるものであったが、こんなことを言われたのではその残った想いも気持ちよく霧散してしまう。綺麗に未練を吹き飛ばしてくれた瞳に洋介はやはり本心では腹が立つものの感謝の気持ちも涌いていた。
「そうか……。わかった。今後は気を付ける」
「それじゃ、私の言いたいことそれだけだから。じゃあね」
自分の言いたいことを言い終わった瞳はそのまま家に入っていってしまう。その場に残っている洋介のことなど全く気にせず自由奔放に振舞う姿は洋介には思い上がった女にしか見えない。
「俺、なんであんなのに惚れてたんだろうな……」
洋介はむしろこれから関わり合いにならないことに安堵したような心地がした。これで綺麗さっぱり瞳とは何もなくなったことに洋介は身が軽くなる思いだった。
「これで菜々美にも引け目がなくなるな」
洋介はこれで何も引け目なく菜々美と付き合うことが出来ると胸を撫で下ろす。何だかんだでやはり菜々美も瞳のことは今でも気になっているだろう。それを解決出来た洋介はようやく憂いのない笑みを浮かべることが出来た。
「さて、それじゃ俺も家に入るとするかな」
洋介はそう呟くと自宅に入っていった。
暫く更新が滞ってしまいました。小説を応募していたりしたら余裕がなくなってしまいました。これからものんびりとになるとは思いますが、更新はしていく予定です。