第十七章
「それじゃあ、私そろそろ帰るね」
下校時に洋介の部屋に立ち寄った瞳はしばらくお喋りを楽しむと、時計を見て腰を上げる。外も既に暗くなっており、じきに夕食の時間になることを考慮したのだろう。
瞳が鞄を持ち、部屋から出るのに続いて洋介も見送りのため、一緒に部屋を出る。階段を降りていくと瞳が考慮したように夕食の匂いがしてくる。区切りにはまさにちょうどいい時間だった。
「何だか悪かったな。いきなり誘っちゃって。やらなきゃいけないこととかなかった?」
洋介は自分の方から誘っておいて未だに瞳に気を遣っている。優しいのだか卑屈なのかはっきりしないが、瞳は前者と受け取ったのだろう。表情は柔らかくご機嫌であった。
「うん。特にやることないからどうやって時間潰そうかなって思ってたぐらいだし」
「そうか。それならよかった」
瞳の返事に洋介はようやく安心したといった様子で脱力する。思わぬ発言からの流れだっただけに心の準備など何もしていなかったことが要因だろうが、洋介はやや気を張っていたようである。洋介は思わず零れ出た言葉に振り回された格好だが、それでも楽しかったことは事実なので緊張が解けた今、その無意識の言葉に感謝していた。
「それじゃまた明日ね」
「ああ、じゃあな」
瞳が帰っていくと洋介は何となく寂しい感覚を感じていた。少し前までは自分の言葉に全く振り向いてくれない憎く、それでいて気になる相手だったが今は自分の言葉に向き合ってくれる。洋介はようやく長い間願ったことが実現しつつあると満足感を感じていた。
だが、それだけにその念願の時が途切れるのが寂しい。出来るならばいつまでも瞳と喋ったりして一緒にいたかった。その時間は緊張もするだろうがさぞ楽しく幸せなものだろうと予想が出来る。しかしそれはどこまでも夢物語でしかない。
「瞳と昔みたいに遊べるようになったけど……あくまで友達、幼馴染の関係なんだよなあ」
今の洋介にとってはその関係があまりに対処に困る関係となっていた。幼馴染という近すぎる関係故に中々踏み込めない。それが仲直りしただけ余計に重くのしかかっていた。塵芥のような扱いのこの前までならともかく今の関係はあまりにも洋介にとって幸せな関係だった。それをもう一段と欲を出して再び壊れるのが怖い。洋介は完全に臆病風に吹かれていた。
「まあ今は一緒に登下校とかして関係を完全に修復するのが精一杯かな。今日は誘って家に呼べたし、満足しとかないと」
洋介はそう自分を納得させて思考を打ち切る。これ以上だらだら考えていると深みに嵌まりそうだった。洋介は瞳を見送った玄関から踵を返してキッチンへと向かう。
「飯でも食って気を取り直しますか」
誰に言うでもなく洋介はそう呟いて顔を両手で軽く張る。これを切っ掛けに気分を切り替えようとしたその時、背後の玄関からインターホンの音が鳴った。
「うん? 誰だろう?」
洋介はインターホンに答えるように軽く返事をしながらドアへと向かう。最も近い位置にいるのだからそれは必然の行動だったが、それ以外の思惑も洋介を動かしていた。
(もしかしたら瞳かもしれない。忘れ物とかあったりして)
洋介の行動の裏にはそういった考えも含まれていた。もし瞳ならそこで少しお喋りしてみようかなどと洋介の頭の中には期待が渦巻いていた。
「はいはい、どちら様で……なっ!?」
ドアを開けた洋介は期待感から上機嫌だった表情を一転して驚きと険しさを含んだ表情になった。あまりに予想や期待とかけ離れた目の前の現実に驚愕が隠せなかった。
なかなか二の句を発せない洋介に代わって目の前の訪問者が洋介に口を開く。
「よ、洋介……こんにちは」
「な、菜々美……どうして……」