第十二章
視界が真っ暗になった。
部屋を追い出された奈々美は堅く閉ざされた扉を前にへたり込み、呆然としていた。涙は止め処なく流れ、床に水滴を次々と落としている。
信じられない事態に奈々美はこれが夢じゃないのかと自らの頬を抓む。
「……痛い」
残酷にも痛みははっきりと奈々美に感じられ、これが紛れもない現実であると認めざるを得なかった。もはや自分は洋介の彼女ではなくなってしまった。そんな悲しい現実に奈々美は更に涙が零れ落ちるのを感じた。
「どうして……」
悲しみに暮れる奈々美にはもう疑問の言葉を口にするしか出来なかった。何がいけなかったのか。何がこうさせたのか。疑問は尽きない。
だが、それでも洋介を怒らせてしまったことは確かなのである。奈々美は無意識の内にこれ以上洋介に嫌われないようにと行動を始めていた。
「帰らなくちゃ……」
このままいつまでも留まっていては洋介を更に怒らせてしまう。奈々美はふらふらと立ち上がって廊下を歩き始める。不確かな足取りではあるが、着実に洋介の部屋から遠ざかる。
「何か……嫌だな……」
廊下を歩き、階段までたどり着いた奈々美は階段を見てそう呟く。まるで奈落に落ちていくような感覚が奈々美を襲う。だが、それでも洋介に次に見つかれば更に不愉快にさせてしまう。奈々美は意を決して階段を下り始めた。
徐々に見えなくなる洋介の部屋。それは奈々美に安堵を与えつつも寂しさをも与えていた。初めて入ったその日が別れの日になるなんて。悲しい記憶に奈々美はまた顔を歪ませる。
「嫌だよ……こんなの嫌だよ……」
子供の様に目を手で擦りながら奈々美は玄関まで歩いていく。いくら嫌だと言ってももう遅い。奈々美は歩かざるを得なかった。
徐々に玄関が近付いてくる。ここを出てしまえばもうこの家に上がることがなくなってしまうかもしれない。奈々美はそう思ったが、立ち止まることは許されない。そのまま足を動かし、靴を履く。
「これで……終わりなのかな……」
乾いた笑みを浮かべながら奈々美はドアノブを握る。儚い夢が今終わろうとしている。短い間だったとはいえ思い出はいくつもある。アプローチを続けた日々、落ち込んだ洋介を励まして距離が縮まったこと。そして想いが届いた時。恋人同士になった後はデートもした。それらの光景が奈々美の頭を駆け巡る。
「まだまだやりたいこと……一杯あったのに……ううぅぅ」
全身を震わせながら奈々美はこれから体験するはずだった未来を思う。しかしそれらはもう来ることはない。全ては幻想へと変わり果ててしまった。
「……さようなら、洋介……」
奈々美はドアノブを回して扉を開ける。そこは太陽が照らす日中の光景のはずだが奈々美にとっては光の差さない闇の世界に思えた。これから先自分には希望はない。奈々美は重苦しい足取りで高梨家を後にする。その後姿はまるで亡者の様に頼りないものであった。