第一章
「ちょっと待って瞳。その、もしよかったら俺と一緒に帰らないか?」
夕暮れの校門前、高梨洋介は幼馴染の河野瞳に声をかけた。その声に反応し、振り返った瞳は後ろで縛ったポニーテールを美しく翻した。その動きを追うように洋介の顔も思わず動いてしまう。だがそんな行動も一瞬の内に固まってしまった。体を完全に洋介に正対させた瞳は美しく、夕暮れの太陽を背にして神々しいまでの雰囲気を纏っていた。
そんな威容に飲まれ、洋介は瞳の返事を固まったまま待つことしか出来ない。本当であればもっと近寄り、もっと気さくに誘いたかったがとても無理のようだ。
「ごめんなさい。今付き合ってる彼氏に悪いから無理なの」
「あっ……。そうなんだ、それじゃあ無理だよな……」
「ええ、本当にごめんなさい。それじゃ私もう行くね」
そういい残すと瞳は洋介に背を向け、歩き始めた。振り絞った勇気が弾け飛んだ洋介はがっくりとうな垂れ、立ち尽くすことしか出来なかった。夕暮れの風景も相まって哀愁を一段と漂わす洋介の姿は余りにも惨めであった。
「見事にまた断られたね〜。いい加減諦めたら?」
立ち尽くす洋介に後ろから一人の女子生徒が声をかける。どうやら一部始終を見ていたらしくにやにやと笑いながら洋介の肩に手をかける。洋介が振り返るとそこにはクラスメイトの女子、小山田菜々美の姿があった。
「相手は校内一の美少女、河野瞳だよ。最初っから無理に決まってるじゃない」
洋介は肩にかけられた手を掴み、反論を始める。
「そんなことはない。俺は昔から瞳を知ってるんだ。あいつの好きな物だって……」
「幼馴染だからってアドバンテージになるとは限らないんだよ? 嫌な所だって知られてるわけだし」
「くっ……」
「高望みはやめて私と付き合えばいいじゃない。私だってそれなりに自信あるんだよ?」
そう言うと菜々美は身体をくねらせ、ポーズを決めてみせる。金色のロングヘアーはさらさらで美しく、ややツリ目気味の魅惑的な瞳、大人びた顔つきも相まって高校生離れした印象を与える。スタイルも抜群の菜々美は本人が自負するだけあって魅力的であった。
「何度そんなこと言われても俺は瞳のことしか考えられない」
「でも河野さんって今まで何人も彼氏がいたんだよね。見た目は清楚で真面目そうなのに意外だよね」
「そんなことは関係ない」
「文武両道、容姿端麗。他にも色々称える言葉が並びそうな人と付き合うのって大変そう。そう思わない?」
「だからそんなの……」
「仮に付き合えたとしてもいつ振られるかと心配しなきゃいけないんだよ?」
「……」
「私ならそんな心配はいらないよ。それにスタイルなら河野さんより上だし」
「うるさい」
「だから私にしときなって。損はさせないよ?」
「うるさいっ! もうほっといてくれっ!」
「あっ」
次々と捲くし立てる菜々美にとうとう堪らなくなった洋介は怒鳴り散らして駆け出した。一気に離れていった洋介を見て菜々美はやりすぎたかとやや後悔した表情を浮かべている。
「逃げられちゃった。でも動揺してきてる。あと少しね」
そう言うと菜々美は洋介の走っていった方角を見つめ、にやりと微笑むのだった。
「くそっ! 小山田のやつ、言いたい放題いいやがって」
菜々美から逃げ出した洋介は家へと駆け込むなりそう愚痴った。想いを寄せる瞳への悪口、そして自分の想いが実らないことを散々言われたことによって洋介の頭は沸騰寸前であった。あそこで駆け出さなければ菜々美を罵倒し、手が出てしまったかもしれない。
そう考えると洋介は自分の判断は間違っていなかったと未だ冷静になりきれない頭ながら実感した。
「ふうっ。いつまでもこうしてても仕方がない。着替えるか」
洋介は靴を脱ぎ、部屋へと向かう。いつもどおりの作業を行うことでペースを取り戻そうという狙いであろう。階段を上がり、自分の部屋の扉を開けて中に入る。極平凡な一高校生らしい部屋の中は普段の生活観を保っている。苛立った頭の洋介にとってリラックスできるまさに打ってつけの空間である。
洋介は学生服を脱ぎ、私服に着替えるとベッドに倒れこむ。このように何も考えず寝転がっているだけで洋介はささくれ立った感情が幾分和らいでいくように感じた。
「あぁ、今日はいつもより余分に疲れた……。一眠りしたいぐらいだな」
洋介はそう呟くと目を徐々に閉じていく。全力で駆けて家まで帰ってきたことによる疲労感が程よい眠気を誘っていた。
その誘いに身体を任せて眠りにつこうとするその瞬間、かすかに人の話し声が聞こえてきた。
「はっ、瞳か!?」
洋介は聞こえてきた声に敏感に反応し、飛び起きる。そして視線を窓の向こう側、隣家の方へと向ける。洋介の視界に飛び込んできたのは想いを寄せる幼馴染、瞳と洋介の知らない男子生徒の姿だった。互いに窓を閉じているため声はほとんど聞こえてこないが、時折はしゃいだ声などが聞こえてくる。
洋介は再び胸中にふつふつと怒りの情が湧き上がるのを感じていた。そして堪えきれなくなったのか窓に近寄り、カーテンを閉めてしまう。ちょうどもう夕暮れ時である何も不審なことはない。残る冷静な思考でそう言い訳をしながら洋介は今度こそ深い眠りの中へと落ちていこうと決め、ベッドへ横になった。