03
静寂。静謐。ひっそりとした夜。自転車の前照灯が揺れる。
男子学生が角を曲がり、狼が一つあくびをして、ようやく優菜は止めていた息を吐き出した。力がこもっていた手を軽く振り、深呼吸を繰り返して緊張をほぐす。ひとまず、誰かがナイトハンターに捕らえられる場面は、見なくて済んだ。あとは、自分の身を守ることを考えればいい。
幸い、住宅街の道は複雑に入り組んでいる。最短ルートなどにこだわらなければ、ある地点を避けて通ることは難しくない。それでもなるべく早く家に着くような道順を考えて、優菜は近くの角を曲がった。
街灯の数が少しばかり減るが、この際仕方がない。速足で歩を進め、次の角を曲がったところで、
「キミが、橋越優菜かい?」
背後からの問いかけに、優菜が振り返る。
逆光。LEDの灯が、声の主の後ろで強い光を放っている。瞬間白く染められた視界の中で、辛うじて捉えられたのは──紫の、長い髪。
「──っ!」
「おっと。騒いじゃあ、いけないよ」
優菜の喉から出かかった声は、紫のウロコに覆われた手が口を塞いで封じてしまった。逃れようとしても、優菜の力では振り払えそうにない。
「聞き分けの良い子が好きだよ、私は」
身勝手なことを言って、人外は笑う。金の瞳の瞳孔は縦に割れ、爬虫類の不気味さで優菜を捉えていた。生物的な恐怖心を煽る目を持っていながら、人外の相貌は作り物のような美しさを備えている。その後ろ、頭の向こうで揺れるのは、太い蛇の尾。片手で顔を固定された優菜には見えないが、ウロコで覆われた人外の下半身は、蛇のそれと同じだった。