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第七章    ダンス

 夕子はダンスが異常に上手かった。夏休みが終わって間もない日曜日、電話で「今日のお昼、私の部屋でモスラサークルの会合するから、たこ焼きの材料買ってきて」と呼び出された令子が夕子の下宿を訪ねたとき、何もない部屋に安室奈美恵のSOMETHING ‘BOUT THE KISSが流れていて、普段着のままの夕子が踊っていた。振り付けは夕子独自のものであり、それは誰にも真似の出来ない、この世に存在し得ないような危うさを放っていた。十畳ばかりの限られた空間で、時間という概念さえが不確かに揺らいでいた。何故そんなに上手く踊れるのか、夕子が話してくれた理由は単純なものだった。


 夕子は踊ることが好きで、中学生の頃何人かの同級生と一緒にジャズダンス教室に通っていた。同級生たちはレッスンを重ねるごとに上達し、夕子は付いていくのに四苦八苦していた。学校での休み時間の教室、放課後の公園、同級生たちは夕子が出来ないところを教えてくれた。夕子は毎日学校へ行くことが楽しくて仕方なかった。

 ある日のレッスンが終わってから、夕子は同級生と共にダンス教室の先生に呼び出された。芸能プロダクションからの勧誘の話だった。最初の内はしゃいでいた同級生たちだったが、詳しい話を聞くうちに静かになっていた。それは夕子を中心とするダンスユニットの計画だった。夕子はギクリとした。すぐに「私には出来ません。みんなで……」と言ったが、凍りついた時を元に戻すことは不可能だった。永遠に。

 帰り道、同級生の誰も言葉を交わさなかった。友達の中にいて友達にはぐれ、平穏な日々が壊れ去る予感。夜の闇に紛れて夕子は泣いた。大人たちは何て身勝手でむごい仕打ちをするのだろう。夕子はまだ子供なのに。翌日からクラスで夕子へのいじめが始まった。  

 クラス全員が夕子をしかとし続ける毎日。夕子はダンス教室を止め、それからずっと独りぼっちで踊ってきたのだ。夕子は誰も恨んだりしていなかった。ただ、大人たちの行為が悔しかった。

 その後、同じプロダクションから直接夕子の両親に、アイドルにスカウトしたいとの話があったとき、彼らの態度が横柄で会ったにも拘らず、両親が彼らを門前払いしなかったことが理解できなかった。それは、夕子の家庭が外から見た目にも貧しいと侮られていて、そのせいで両親の対応も卑屈になっていたのだろう。もしかすると、そんな時モスラに助けを求めていたのかも知れない。


 夕子は高校時代もシャボン玉の中で過ごしてきた。別に何の問題もなかった。大学へ入学し、下宿生活も一応快適と言えるものだった。それがある朝、通学電車の中で令子を見かけた。と言うより、令子の膝の上に置かれたバッグにぶら下がっているモスラを見かけたと言う方が当たっている。

 その瞬間中学時代からの記憶がフラッシュバックして、涙が止まらなくなってしまい、次の日、一番お気に入りだったモスラのぬいぐるみを手に、昨日と同じ電車に乗り込んだ夕子は、探偵のように令子の姿を追いかけて、一晩考え抜いた作戦どおりに声をかけたと言うのだ。

 あのぬいぐるみ、一番のお気に入りだったんだ。そんなことを思うと令子は泣きたくなった。でも今の夕子は笑っている。お気に入りのモスラを手放しても笑っている。それでいいや。夕子の話を聞き終えて令子は笑った。安心したように夕子も笑った。

「設計事務所って大変なんじゃない?」

風情があると爪楊枝を使ってたこ焼きを食べながら、令子は尋ねた。

「人間関係がってことよね?」と夕子はすかさず聞き返した後で「ただのハードルよ。目的があって建築学部へ入った訳じゃないわ。あんたの場合は結構好きでやってるみたいだけど。」と言った。

「建築の勉強は好きじゃないの?」

「すっごく嫌い。だからこそいいんじゃない」

「そっかー」

 令子は夕子と同じことを、かつて母親に言われたことを思い出していた。それは令子がまだ中学生だった頃のことだ。

「好きな科目は零点でもいいのよ。だけど嫌いな科目は百点を取らなきゃ許さないから。あなたは全部嫌いでしょ。だから全部百点取りなさい」

 それなのに決して勉強塾へ通うことを許さなかった。そのくせ、勉強以外の教室へは好きなだけ通わせてくれて、一カ月くらいで飽きて止めることになっても、咎めることはなかった。おかげで、中学高校を通じて、クラスメイトが勉強塾へ通っている時間帯にはスポーツ、音楽、美術等様様な分野の教室を巡り、勉強する時間といえば、遅い夕食後就寝までの二時間程度でしかなかった。夕食にはおじいちゃんが付き合ってくれて、令子は相変わらず変な質問をしたりしていた。

 令子はテストで百点を取る為に最も有効な自分なりの方法を実行した。学校の授業で疑問に思ったところを、夕食後の一時間を費やし、徹底的に解明するのだ。大抵の疑問についてはそれで解決できた。残りの一時間は、授業を受けた範囲を全て暗記することに集中した。殆どのクラスメイトは疑問に思うことがあれば、塾で質問して解決しているので、家では暗記することに専念できるのは非常に有利だと思えたが、その類のテストの結果において令子が特に劣っているという訳でもなかった。

 毎朝目覚めるたびに、記憶の引き出しが増えているように思えることは、常に新鮮で気持ちのいい出来事だった。しかし、そんな気持ちになれたのは令子が高校生になってからのことで、その頃にはもう母も、百点取りなさいとは言わなくなっていた。

 中学生の頃は母親が、テストで百点を取ることに固執しているのが、解読しようのない大きな矛盾となって、いつも令子の脳裏に付き纏っていた。実際のところ令子には百点を取る為に努力することの意義がどうしても見出せなかった。

 中三になったとき、令子はクラスメイトに何の為に勉強するのか、嫌ではないのかと質問してみたことがある。進学校へ入って目標とする職業に就く為というのが大半を占める答えだった。目標があるので勉強が嫌ではないというのもまた、大半を占める答えだった。 

 令子には何になりたいなどという目標はなかった。自分自身そんなこと考えてみたこともなく、両親から擦り込まれた覚えもない。幼い頃から令子は、好きなことだけをして育ってきた。きっちり躾けられた記憶があるのは、歯を磨くこと、それに外出後の手洗いとうがい、あとは青信号でも左右を確認して渡ることくらいだ。それらのことに手抜かりがあったときだけ、母は令子をきつく叱った。

 たまに母親のお手伝いの真似事をすることもあったが、特に褒められることもなかった。令子にとっては単なるお遊びだったので、寧ろ叱られないことで嬉しかった。それが中学生になった途端、有無を言わさずに百点を取りなさいである。テストの結果百点を取れなかった科目(勿論全科目である)があると、毎回母に説教された。何のための勉強かとの理由付けをすることもなく、勉強塾へ通うことも認めてくれず、なんとも理不尽な仕打ちに耐え兼ね、一度だけ「百点を取ったからってどうだって言うのよ」と涙ながらに母に詰め寄ったことがあるが、母は「どうもならないわよ」と答えただけだった。どうしても収まりが付かない令子は、その日遅く帰宅した父に再度問いかけた。

 父は少し考えて「実際、世の中には理不尽なことの方が多いんだ。団塊以前の人たちに聞くところでは、学校だって昔は理不尽の巣窟みたいなものだったって言うからなあ。なんならおじいちゃんに聞いてごらんよ。今は理不尽に慣れる機会がないから、納得が行かないことに様様な形で抵抗するんじゃないかな。その反動で子供同士が理不尽な関係に陥ってしまうんだろうなあ」と言っただけだった。


 高校へ入学してから祖父が、令子が中学生のうちはそうするように父と母に命じたのだと教えてくれた。

 その理由は、勉強というストレスを与えられて、それを相殺するための様様な趣味を体験することにより、自分が本当に欲望する対象が理解できるようになるというものだった。 

 青年期の初期段階である中学生時代に、親から勉強というストレスを与えられ続けた子供は、典型的なパラノイアに向かい、多様化するこれからの時代では通用しない人間になり、また、自由奔放に育てられた子供は、これからの情報過多の時代には、あまりにも多様化した欲望の表層を渡り歩くだけの人間になってしまうというのが祖父の見解だった。 

 中学生にはまだ、自分から進んでストレスを引き受けることの意味が理解できないので、何の抑圧もない状況では、数限りない欲望の表層で溺れるしかないのだ。泳ぎ方を知らない幼稚園児が、浅いプールで溺れてしまうように。

 現在の日本が遭遇しているのは、正に祖父の危惧していたとおりの状況に他ならない。塾へ通わせる余裕もなくなった家庭の子供は、数限りない欲望の表層ばかりを追い求める人間に育つしかなく、家庭教師を雇う余裕のある家庭の子供は、勉強が好きにでもならない限りは、その大きなストレスを相殺する何かを与えられないのであれば、パラノイアとして大人になるか、悪くすれば誰かが代償を支払うことになるだろう。

 ストレスに立ち向かっていない子供は、何故欲望の表層で溺れるしかないのだろう。それぞれの欲望の対象には大抵、掘り進むに連れて純度の高くなる金鉱のように素晴らしい部分があるのに、今の自分が理解できる以上のものを求めようとはしないのだ。ストレスに立ち向かう訓練が出来ていない子供は、欲望にもちゃんと立ち向かえないで、怠惰から認知的倹約を実行してしまうのだ。

 ポップカルチャーに真剣に挑んでいる子供や大人が、日本経済のメサイアになる可能性を指摘する風潮は見当違いではないだろう。実際、ポップカルチャーの地平は永遠の表層、即ちスーパーフラットであり、文化としての芸術よりも、商品としての芸術なのだ。然しながら、この地球上に、商品としてのポップカルチャーが経済効果をもたらす場所は、無駄遣いにより資本主義が成り立っているアメリカ合衆国以外には存在しない。資本主義が本来の勢いを発揮している中国等の国家では、規制が不可能という大義名分の下、コンテンツの模倣が横行するばかりである。


 高校生になった令子は、自主的に自分に対してストレスを与えることの効用を理解していた。令子が通った数多くの教室の中で、ストレスを相殺出来る対象は高校を卒業するまで続いたジャズダンスだけだった。かれこれ五年間、週二回レッスンしていたという自負もあり、時間が許せばインストラクターのアルバイトもしてみようとも思っていたくらいだ、少なくとも夕子の踊る姿を目の当たりにするまでは。

 令子は大学にはいってから、まだ誰にもダンスを習っていたと話していないことで、救われた気分になった。別に、夕子に見栄を張っている訳ではなく、このことに関してだけは、夕子の神聖な領域を、稚拙なステップで踏みにじりたくないと心から思えた。仮に今もしも、夕子が「一緒に踊らない?」なんて言ったとしたら、穴があれば何処であろうと潜り込んでしまうことだろう、猫に睨まれた二十日鼠のように。

「一緒に踊らない?」

「………」

 令子は口に運んでいたたこ焼きを、爪楊枝ごとテーブルの上に落とした。

「ななな、なによ突然に」

 令子の視線は、手近な穴を求めてさまよった。

「なによって、いいじゃない素人なんだから上手くやろうなんて思わなくたってさ。踊ってみれば結構楽しいよ」

 さすがの夕子も、あまりの令子の動揺振りには、少し驚いたようだった。

 令子は仕方なく経緯を説明した。もちろん、ついさっきまでインストラクターになろうと考えていたことも含めて。

「ふうん。ジャズダンス習ってたんだ。芸能プロとか来た?」

 夕子は少しだけ意地悪そうな眼で尋ねた。

 令子はプルプルと首を振った。

「そうよね、下手でも美人なら寄って来るものね。まったく……」

 その言葉がフォローになっていないことだけは、はっきりしていた。

 夕子は、令子の前では自分が美人であることを、強調してはばからない。そんな夕子を令子はうんうんと頷きながら見つめていた。まるでモナリザを見るときのように。その日以来、夕子が令子の前で踊ってみせることはなかった。


 令子は、今でも夕子が踊っていた夏の終わりの、夢のような出来事をありありと思い出せる。夕子のダンスは、令子のクオリアの第一ステージから第五ステージをフル稼働させる。ステージの段階は違っても、フル稼働という意味合いではモーツァルトと同類のものであった。

現状での令子の限界が第五ステージであれば、それ以上のステージである可能性もあるということだ。令子のクオリアのステージは、祖父と話したり、音楽を聴いたりすることで、自然と身に付いたものであるが、夕子のダンスを目の当たりにして以来、努力して向上させる方法があるのなら、是が非でも取り組みたいと思っている。しかし今のところ、いつも祖父が言っていた「貧しくもニュートラルであれ」に勝る近道は発見出来ていない。

「ダンサーになる気はないよね」

 令子が尋ねると、夕子は「ダンスは私に与えられた唯一のゲージュツだから、売り物にする気はサラサラないわ。路上ライブならまだいいけど、後でややこしくなるに決まってるし」と答えた。

「じゃあ何を生業にして生きて行くつもり?」

「英国あたりで尼になるか、若しくは宇宙一の売春婦ってとこね」

 令子は「えーっ!えーっ!」と、またもやたこ焼きを落とし、速やかに「駄目だよそんなの」と言おうしたが、その言葉が陽の目を見ることはなかった。「だったら他に何があるのよ。私に何をしろと言うのよ」と夕子に詰問されたとして、それ以上に適切と思える職業が、即座には思い浮かばなかったのである。その結果、とんでもないことになるとは、なおさら思い浮かばなかった。

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