第二十一章 エピソード
「まぎれもないノンフィクションだよ、一九七〇年から一九九五年頃まではね」
真久郎が話してくれた陽平のエピソードは「モスラが好き」に書いてあるとおりだった。
高校を卒業した陽平は、両親の不慮の事故死によって、真久郎と同じ大学の医学部への進学をあきらめた。といっても、陽平は大学へ進学して医者になりたいという目標を持っていた訳ではなく、真面目に勉強していたら、結果としてレールが敷かれていたというだけのことだ。大学へ行く気であれば家を処分して、その金で七年や八年の学費には事欠かないはずであった。
しかし、陽平は家を処分することもなく、アルバイトしながら、生真面目に競馬法第28条を遵守しつつ、競馬のサイアーラインと産駒データ解析に専念した。そして二十歳になるとすぐに、二年の間にアルバイトで蓄えた資金を元手に、華々しい馬券デヴューを飾った。
一九七〇年代の日本の種牡馬界には、エクリプス系でスピードのあるテスコボーイ、スピードよりも重馬場やダートに強いチャイナロック、長距離が向く、追い込み型のセントクレスピン、ヘロド系で全ての馬場を平均にこなすパーソロン、マッチェム系でテスコボーイと似通った、より先行逃げ切り型のヴェンチャなどの、世界の三大サイアーラインがひしめき合っていた。
しかし、当時世界の主流はエクリプス系であり、日本のように三つのサイアーラインが繁栄しているのは、珍しい現象であった。理由はいたって単純である。日本ではネアルコからナスルーラを経てプリンスリーギフトからテスコボーイへ至るラインが主であり、このラインは良馬場、平坦でのスピードはあるが、距離の延長や、重馬場には向かず、同じエクリプス系のチャイナロックやセントクレスピンにしても、一長一短であり、その頃ヨーロッパ、アメリカでは淘汰されていたヘロド系、マッチェム系であっても、十分対抗出来たのだ。
ところが、一九八〇年代に入ると、同じエクリプス系でも、ネアルコからニアークティックを経てノーザンダンサーからノーザンテーストへと至るラインが種牡馬として導入されたことにより、遅ればせながらヘロド系とマッチェム系の淘汰が始まり、この段階でマッチェム系は殆ど滅亡したと言っても過言ではない。ヘロド系においては、パーソロンが世に送り出した最後の大物シンボリルドルフからトウカイテイオーに至るラインが燦然と輝いていた時代でもあった。
一九七〇年代は馬券の買い方も至って単純なもので、例えば天皇賞(当時は春も秋も距離は三二〇〇m)で、雨が降って馬場状態が悪く、しかも、テスコボーイの産駒などが人気している場合などは、それ以外の産駒の中から、その馬のオッズと、そのレースにおける自分なりのレーティングを検証し、一頭を単勝で購入するのだ。何故単勝かというと、単勝、複勝の払い戻しは八〇%に対しそれ以外は七五%だからである。
一九八〇年代になっての馬券の買い方にあまり変化はなかった。ノーザンテーストの産駒中心に、ブルードメアサイアー(母の父)を考慮して適性を判断するだけのことだった。
当時、陽平がどれ程の利益を上げていたかというと、一年に百レース、一レースに付き二〇万円程度の馬券を購入し、五回に一回的中で平均配当が六百円程度、要するに年間四〇〇万円程度の儲けだった。
陽平の競馬生活に翳りが差したのは一九九五年頃からであった。これについても、理由は単純明快で、アメリカでも主流であるエクリプス系からネアルコを経てロイヤルチャージャーからターントゥへ、更にヘイルトゥリーズンを経てヘイローからサンデーサイレンスに至る超強力血統が導入されたことによる。
その頃の日本競馬界におけるブルードメアサイアーは、十一年連続リーディングサイアーであったノーザンテーストが大勢を占め、サンデーサイレンス×ノーザンテースト産駒の最強伝説が始動したのである。それにより陽平の生業は終焉の憂き目を見ることとなったのである。それ以降の五年間で家を売り払い、その資金も底をつき、おまけにアルツハイマー発症、今田邸に居候し「モスラが好き」を執筆、印税によりマンション購入、パチンコで財産を使い果たし、現在に至っている。
「競馬が好きな動物愛護団体の人が、サラブレッドは走ってなければ死んでしまうから、競馬は動物愛護そのものだと言ってましたが、詭弁なんでしょうか?」
夕子が陽平の方を見て言ったが、陽平は居眠りしていた。
「牧場で走っていれば十分でしょう。サラブレッドはコストの高い食肉だという考え方が私たちの間では主流です。そのために、競走馬として高く売れた馬のお陰で経営が成り立っているんですが、競馬で走らせることは確かに動物虐待と言えますよねえ…」と、腕組みをした真久郎が、自分自身を納得させるように言った。
「一般には食肉にすることが虐待だと叫ばれてますけど」
夕子が、さも意外だという顔で言った。
「動物愛護団体以外の人でも、サラブレッドを食肉とするのに異議を唱えながら、馬券を購入している人が、全て競馬を止めれば、資金繰りに困窮したサラブレッド生産者は、肉牛生産に転換すると思いますよ。馬を食べるのも、牛を食べるのも変わらないと思いますが、さし当たって、競馬という動物虐待は解消される訳です」
「消費を悪徳とすれば、環境問題はすぐにでもクリアになるのに、そう言えない経済事情と似通ってますね」
夕子が言うと令子が「同じものじゃない」と言った。
陽平は相変わらず眠っていて、軽いいびきの音がした。
「九条さんってほんとに罪のない寝顔していますね…。起きてるときもだけど」
夕子が言うと真久郎は「五十五、六にもなればそんなもんだろう。『モスラが好き』にも書かなかったことは、結構あるんだよ」と意味深な言い方をした。
夕子は、そんな言い回しをされると、問い質さなければい仕方がないう風に「結婚詐欺とかそういうことですか?」と尋ねた。
「ああ、そこまではいかないけれど、陽平の女性関係についての噂は、よく聞いたなあ。私は大学へ進学してから十年くらい他所にいたので、その間のことは直接には知らないんだが、こちらへ帰ってからも現在進行形の同級生の女子だけで四、五人の名前が挙がっていたよなあ。それが、競馬が駄目になって家を売り払った頃から、ぱったり噂が途絶えて、舟虫女と付き合い始めたってことだっけ。私の病院へ顔を出した頃はまだ、彼女と同棲していたんだ。まあ、彼女と付き合ってた男は枚挙に暇がないけどなあ。それがある日、カウンセリングに来たとき、彼女の家を追い出されたと言うじゃないか。訳を聞いてみると、ポケットからおもむろに、小豆よりも小粒の赤い玉を取り出して、セックスが終わった後、シーツにそれが落ちていて、それを見た彼女が『あなた、もう終わってるね』と言って、それから程なく追い出されたと言うんだよ…。よく見るとそれって、陽平が食べていた梅仁丹だったんだけどね。いや、お嬢様方にこんな話して悪かったかな」
真久郎は話し終わってから、後味悪そうに言った。
「別に紐のような生活を送っていた訳ではないんですね。誰でも若い頃は元気溌剌ですものね」
夕子は容認するように言った。
「いや、ここだけの話、今あいつはアルツハイマーを発症しているが、ボーッとしているのは子供の頃からああなんだ。まあ、セックスは強かったという噂だけどね」
「それだけで十分じゃないですか」
夕子がしたり顔で言うと真久郎は「夕子さんは、若しかして男性経験が豊富なのかな。おっと失礼」と、半分冗談めかして言った。
「お父さんったら…。気にしないでね夕子。父は仕事柄プライベートに立ち入ることがあるの。悪気はないの……多分」と麻由香が慌てて父の言葉を遮るように言った。それはフォローのようで、そうでもない言い方だった。
夕子の横では令子が、少なからず動揺した表情を必死に隠し、努めて平静を装いながら「あの、祐介さんはご結婚されていないんですか?」と唐突な質問をした。
「ビーチビーチニオンナアリ」
祐介は、待ってましたとばかりに、ベタな答え方をした。
「お前の話は聞き取り辛いんだよ。私が要約して話してやるから。『昔は世界中のコンペティションで時には優勝したり、その頃は女にはこと欠かなかったなあ。だけど今じゃ体力も無くなり、祐介フリークの女もいなくなり、いたとしても所帯染みてしまい、情熱も失せてしまった。何を隠そう、俺こそが紐生活を送っていた唯一の男だ。』結局は誰にも相手にされなくなって、ノースショアにも乗れなくなって、何年か前に郷里へと流れ着いた。ってことだよな」
「ケッコンシマショウ」
真久郎の代弁の内容には触れず、祐介はその一言をつぶやき、沈黙した。
「事実は小説よりも面白いなり。僭越ではございますが『モスラが好き』の中でのキャラクターより、人間臭があって、いいですねえ。あの、先生はマセラティーと舟虫女以外のエピソードをお持ちですか?」
夕子の問い掛けに真久郎は「うっ!」とうめき声を上げた。
追い討ちをかけるように麻由香が「それ以上でも以下でもないわ。私が小学生の頃から、研修医時代の武勇伝めいたものを聞かされてはいたけど、いざ小説にするとなれば、あまりにも如何にもってのが耳に付くので、遠慮させてもらったの。本人はいたってご不満のようだったけれどね」
「へえっ、研修医時代のエピソードですか、素敵ですね」
夕子がそう言うと真久郎は、次に「聞かせていただけませんか?」などの台詞を期待していたようだが、誰も二度とその話題に触れることはなかった。
「みなさん煙草は吸われないんですか?」
令子が尋ねると祐介が「テキザイテキショ」と答えた。
「今、臨機応変って言われました?」
夕子がすかさず突っ込みを入れると、祐介は「オッ、オー」と言った。
「ほんっと、お前はボキャが少ないなあ。あっ、みなさん勘違いしないでください。こいつがこんな話し方なのは、決して海外での生活が長かったせいではないんですよ。高校のときから十分こうでしたから」
「あらお父さん、自分にスポットライト当たらないもので、八つ当たり?大人気ないわよ」と、麻由香がさりがなく言ってのけた。
「た、煙草は臨機応変ということで、と言っても殆ど吸っていないなあみんな。酒は食事と同じで、決意表明して飲むものだから、飲む機会を無くせば、理論上止められる。煙草は、呼吸のようなものだから、今から吸うんだなんて構えなくても吸うことが出来る。悪癖と呼べるだろうな。だから止めにくいんだよな。身体に悪いからといって私は禁煙を勧めはしません。仕事中に煙草を何十本も吸っていた人が、禁煙になって落ち着かないと相談に見えるんですが、集中力の問題ですからと、カウンセリングをお断りしています。その後、禁煙教室なんかに通われる方もおられるようですが」
「煙草を吸えば集中力が高まって、仕事が進むと言う人もいますよね」と、令子が言った。
「ええ、確かにそんな部分もありますが、前提として禁煙があるのなら、仕事に対する集中力を維持する意志を持つ必要があるでしょう。そして、仕事が一段落したときには、煙草を忘れるのではなく、吸わないことに集中するのです」
「すごく、大変な気がしますけど…」
「そうですね、私は職業柄いともたやすく禁煙しましたと言ってますが、出来てませんからねえ」
「極端に意志の弱い精神科医なの…」と麻由香がため息混じりに言った。
「私は聖職者ではないので、身をもって示す必要はないと考えております」
真久郎は、悪びれた様子もなしに言った。
「医師を聖職者だと考える向きもありますが」と令子が言った。
「聖職者とは、広辞苑によれば神に奉仕する者ですから、神父様のことでしょう。喫煙は考え方によれば自傷行為ですから、戒律違反と言えますよね」
「教師はどうなんですか?」
「全く問題ないと考えます」
「公務員は?」
「聖職者ではないですが、法律を遵守することを、身をもって示さなければならないと思いますよ。認識していることについて全て守る義務があるし、また、知らなかったで許されることに甘んじることなく、認識することに努める必要があるのは当然のことでしょう。喫煙とは関係ありませんが」
「お父様は確かにまともな方ですけど、それにしても九条さんも、祐介さんもほとんど仕事していませんね」と夕子がどちらを肯定するでもなく言った。
「ギャップ・イヤー」
祐介は英語のろれつも回っていなかった。
「どんだけー!」
真久郎の突っ込みは意味不明だった。
「ギャップ・イヤーって人生にメリハリを与えるための期間ですよね。祐介さんの人生におけるメリハリが見えて来ないんですけど」と、夕子が普通に突っ込んだ。
「モ、モラトリアム」
ボキャのない祐介は別の言い方を選んだ。
「で、出たあ!どうしよう令子、出ちゃったよ死語が」
夕子は緊急事態でもあるかのように、令子に告げた。
「でも、祐介さんの年齢で本気でそんなこと言うはずが…」
「マジ…」
「ぷっ!」
夕子がたまらず吹き出した。
「戦場で生まれ育った子供にモラトリアムなんてないですよね。ああやこうやと考えを巡らせる間に、廃人にされてしまいます」
令子の言葉に祐介は「ニッポン、センジョウ」とおどけて見せた。
「テレビで、討論会のような番組あるけど、私たちにすればさっさと結論を言えよみたいな」と夕子が言った。
「そうね、仮にモラトリアムなんてものが有効だった時代があるとすれば、それも許されると思うけど、私たちの時間は逼迫しているから、必要なのは議論を尽くすことではなく、過程をはしょった結論だけよね」
「それなら結論の正当性について、判断出来ない可能性があるじゃないか」
令子の話を聞いていた真久郎が口を挟んだ。
「世の中の殆どの事象が、何の説明もなく既に結論として提示されていますから。私たちに必要なのは、ただリテラシーだけでしょう。討論会を最初から最後まで傍聴したって、リテラシーが欠如していれば、結論を鵜呑みにするだけのことですから」
令子が言うと夕子が「私たちに望まれることは、ディベイトの技術じゃなく、的を射たリテラシーってことよね。世の中は私たちに真逆のことを強いるけど」と念を押すように付け加えた。
「失礼ですが、先生の危惧されていることは、インターネットの普及した時代には無意味だと思います。現代人においては、幾千の情報を自ら検閲する力を持っていることが当然なのです。それが正解であるか、不正解であるかは重要ではありません。パブリシティーに汚染されないことが重要なのです」
令子が、真久郎を諭すように言った。
「君たちと話していると、驚かされてばかりだよ。私は麻由香には小学生の頃から驚かされることが多くて、いつもハラハラしていたんだよ。何しろ小学二年生にして自殺未遂で、その理由が世を儚んでだから。次は何をしでかすのか、予断を許さなかったからね。その頃からほとんど友達と遊ばなくなって、苛められているのかと思ったりしたものさ。
後で解ったんだけれど理由は単純で、ただ話をしたくなかっただけなんだ。その頃の麻由香は未来の夢を見始めたところで、友達や上級生、おじいさん、おばあさん、それに学校の先生にする話が、死生観や未来の地球環境についてだものね。返ってくる答えは年齢によって見事に区分されていて、麻由香の考えは誰ともかけ離れていたんだね。
それが中学生になって、陽平と夢の話をするようになり、一緒に『モスラが好き』を執筆した頃から、麻由香にも自分の本分が漠然とでも見えて来たようで、ようやく安心したんだよ。 高校に入ってからはサスティナブルアース、大学に進学したと思ったら子供同盟と、落ち着きはないのですが、一応一貫性はありますからね。麻由香と君たちが出会ったことが、私には何かとても意味のあることのように思えてならないんですよ」
真久郎が珍しく真面目な顔をして、感慨深げに話した。
「モスラが鍵ですよね。私のおじいちゃんがモスラフリークだったし、夕子は『モスラが好き』に少なからず影響を受けたし、麻由香はその執筆に関わっていた。私は九条さんにも麻由香にも出会っていたけど、夕子がいなければ、こうして一堂に会することなんて、絶対になかったよね」
「私は令子がモスラをくっつけてるのを見たとき、懐かしさのようなものを感じたけど、今日色んなことを話してみて、麻由香との出会いには、眼に見えないものの意思を感じたわ。」
「夕子さんは見かけによらず謙虚なんだねえ」
真久郎が感心したように言うと令子が「そうなんです。だから苦労して来たんですよ。解っていただけますか?」と言った。
「まあ、その、精神科医ですから。一般に謙虚さは美徳とされますが、夕子さんの謙虚さは自分自身を殺す毒薬になり兼ねませんね」
「すごいですね。極めて希少なケースなのにすぐに見抜くとは、精神科医恐るべし」と、夕子が言うと真久郎が「麻由香を小学生の頃からずっとカウンセリングしているからね。中学生になった頃からは、謙虚にならないようにと助言していました。親馬鹿ですが」と言って笑った。
「なるほど、謙虚にならないようにか…。麻由香、苛められたりしませんでした?」
夕子が興味を持ったように質問した。
「誰とも話をせず、友達を作ろうともしないし、授業中には先生に突っ掛かるわで、生意気だといって苛められていたようですよ。ですが、反発から苛められる方が、妬みで苛められるよりも、気持ちがいいでしょう」
「そうは言っても、結構きつかったのよ。自分が謙虚でないことを呪ったりもしたわ」と麻由香がその頃を振り返るように言った。
「でも惨めな気分にはならなかったでしょ。そっか、謙虚にならないようにか…」
夕子は良からぬ何かを決意するようにつぶやいた。
「あんた、大学生にもなれば大人気ないって言われるのが落ちよ。謙虚さが美徳、分かる?謙虚な夕子は誰にも好かれるんだからね」
令子は懸命な説得を試みた。
「大学生にもなれば、嫌われたっていいもん」
夕子の発言にも一理あるように思われた。