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第二章     未来授業

 あの日サーフィンをしていた海と同じ海のはずなのに、リーフでありながら砂浜のように見える海岸は、近づくに連れて異臭を放つ動物性プランクトンの屍骸からなっていて、群れを成したカラスが遠巻きに餌の有りかを窺っていたが、すぐに諦めて飛び立った。カラスたちは町には留まらず、立ち枯れの樹木に覆われた、山の方へと去って行った。

 山の麓には、コンビナートを形成する大規模なプラントが建ち並び、波の仕業ではない本物のパイプラインが、サーフィンをしていた頃の麻由香が波を待っていた辺りまで延びていて、海水面に浮遊するプランクトンを吸引している。海を浄化するための施設だとしたら、あまりに巨大で、あまりに微力であると思えた。

 晴れ渡っている空は、見たこともないくらい青く澄んでいて、黄砂を混ぜたような色の海と、遠くの方で交わっていた。おはようを言ったばかりだというのに太陽は、容赦なく真昼の輝きを放っていた。それらの風景は、希望などという甘えの全く許されない現象であると同時に、既に一つの終焉を迎えてしまった事実の語り部であるように思えた。


 そのうち、何処からともなくスピードスケートの選手さながら、頭からすっぽり覆い隠す白っぽいコスチュームを纏った子供たちが現れ、やがて蟻が群れを成すようにひとかたまりとなって行進を始めた。

 僅かに露出した眼の部分だけ、銀色のサングラスで守られていた。はっきりと確認は出来ないが、身長の高い子から順番に並んでいて、最後の子との身長差はかなりのものだ。中学三年生から小学一年生くらいであろうか。整然と行進は続き、やがて全ての子供たちは、学校とおぼしき建物の中へ呑み込まれてしまった。


 夢の中の麻由香は、教室の中を透視していた。

 そこには、中学三年生から小学一年生までを人括りにした授業風景があった。子供たちはサングラスを外し、頭の部分だけをコスチュームの束縛から解放していた。教壇の前に立っているのは、色白で如何にも聡明そうな雰囲気を漂わせた、二十歳そこそこの先生だった。先生は子供たちと同じコスチュームで、出欠を取っているところだった。順番に返事をしている子供たちの顔色も、陽射しを避けて育って来たことを証明するように蒼白だった。

 先生は出欠を取り終え、欠席者が一人いたので、事情を知っている子がいるかを確認した。

夢の中の麻由香は、耳を澄ました。

「ひと月前に人を殺して逃げていた親戚のおじさんが捕まったんだって」と、誰かがささやいた。

「電話くらいしてくれればいいのに」と、先生がつぶやいた。

「嘆願書っていうのを作ってるから忙しいんだと、うちの母が言ってました」と、違う誰かが大きな声を出した。

「そう……静かにしましょうね」と、先生が指を口に当てながら言った。

「先生、そのおじさん死刑になっちゃうの?」

 また別の子供が、興味深そうな眼をして言った。

「そうね、正当防衛以外では余程の不可抗力が認められなければ、一年以内に死刑が執行されることになるわ。そのおじさんは盗みに入った家のご主人を殺したって聞いてるから、残念だけど嘆願書は役に立ちそうもないわね」

 先生は、仕方のないことだというように、ため息混じりに説明した。


 滞りなく授業が始まった。子供たちは誰も教科書を持っていない。先生はテレビモニターのスイッチを入れると、教壇の上に置かれたパソコンのキーボードを叩いた。

(私の大学での通信に関する授業でさえ、情報を得るためにパソコンなんて利用しない方法に準拠しているのに、未来がこの有様ということは、日本は大きな波に乗り損ねたんだ。というより、金融経済を操作するものによって、乗ることを許されなかったんだ)麻由香は夢を見ながら、唇を噛んでいた。

 モニターの画面には宇宙から見た青い地球が映し出された。画面の下には「次世代のサスティナブルエコノミー」というテロップが流れていた。察するにそれは、国から提供された情報をハードディスクにダウンロードした、啓蒙を目的とした教材のようだ。先生が手にしている数枚のペーパーは、恐らく同時にプリントアウトした、指導マニュアルだろう。

 収録時間三十分程度の教材の内容はといえば、サスティナブルエコノミーが叫ばれだした時代から現在に至るまでの、国と民間とのコラボによる大々的な取り組みの経過と、不可避ではなかったにも拘らず避けられなかった、現在の惨状に関する分析が、主たるものであった。

 モニターを消した先生は、指導マニュアルに用意されている幾つかの設問を、子供たちにぶつけた。

「ええっと、まず『次世代のサスティナブルエコノミー』を見終わって何か感想ありますか?」

「学校の給食や夕御飯がご馳走だった」

「綺麗な海だった」

「お魚がいっぱい泳いでいた」

「子供も泳いでいたし、裸だった」

「太陽が優しかった」

「高層ビルが新しかった」

「車がたくさん走っていた」

「テレビゲームをしてた」

「デモをしていた」

「シロクマがいた」

 子供たちは、思い思いに感じたことを述べた。

「そうですか。今とは随分違っていますね」

 先生はそう言ってからしばらく、マニュアルに眼を通していた。

「前にも社会科の授業で勉強しましたが、さっきみんなが感想を言ってくれた自然や生活が、何故こんな風になってしまったのか、理由の分かる人いますか?」

 先生の質問に何人かの子供が手を挙げた。

先生に指名された一人の子供が「デモをしている人が映っていましたが、あの人たちのようにサスティナブルエコノミーの考え方に反抗的な人々がいたからです」と、答えた。

「そうですね。では、サスティナブルエコノミーと、それに反抗した人々との考え方の違いが分かる人いますか?」

 先生の質問に対して、一人の見るからに年長で、リーダーシップを取っていそうな男の子が、「はい!」と言って立ち上がった。

「説明してください」

 先生に促されて、男の子が話し始めた。

「サスティナブルエコノミーとは、政治家と経済学者と科学者と、それにNGOなどが意見を出し合って、環境のことを考えながら持続可能な経済を構築し、発展させようとする考え方です。アメリカや中国は環境問題を放置して経済発展ばかりを推進しましたが、我が国は地球の環境も考えつつ経済成長を目指しました。ところがNGOといってもいろいろあって、経済を発展させることなんかどうでもいいという、自分勝手なグループがあり、上手く機能することが出来なかったのです。そのせいで経済成長が滞り、鉄鋼は勿論のこと、自動車産業までも中国に取って代わられ、結果として、環境保護に投資することも出来なくなりました。もっと美しくもっと豊かになれる国の政策が実を結んでいれば、国際連合の常任理事国にもなって、世界のリーダーシップも取れたのにと思うと残念です」

「そうよね。では、その自分勝手なNGOについて分かる人はいますか?」

「首謀者は女性で側近にも女性が二人いました。NGOを組織して国民の不安を煽ったり、ことあるたびにデモをして、それを制止するために出動した機動隊に石を投げつけたりもして、みんなに迷惑を掛けたので、騒乱罪とかが適用されて逮捕されました。確かに殺人は犯してませんが、ことの重大さから死刑との意見もありました。しかし、前例がないということで裁判員が躊躇したことにより、無期懲役になりました。民主主義だ、発言の自由だと理由を付けて、そのグループの活動がしばらく放置されていた間に、経済は破綻してしまい、国としても環境問題への取り組みが出来なくなりました」

 さっきの男の子が、着席したまま答えた。

「はい、よく出来ました。忘れていた人は覚えておくように、今日の授業はテストに出しますよ。それでは、その頃の世界の状況をお話しておきます。

 アメリカはドル高政策を続け、サスティナブルエコノミーを実践することのないまま、原油価格の高騰により過剰となったオイルマネーを流入し、一方では中国を始めとするBRICs諸国へ資本投下し、環境悪化と中国の経済成長をもたらしました。アメリカでの土地バブルの終了を合図に、急激なドル安となりましたが、その頃アメリカ資本の多くは海外へと流出していました。

 日本の輸出産業は壊滅し、その上ドル建て海外資産の空前絶後とも言える損失等が発生しました。その頃、東南アジア諸国は中国の傘下にあり、それまで余裕のあった食料はほとんどバイオエタノールの生産にシフトされ、食料の調達さえままならない日本は、未曾有の食糧危機に陥り、その翌年には、三百五十万人以上の餓死によると思われる死者が出ました。

 我が国が壊滅的な状況に陥ったとき、アメリカでは資本の多くがBRICsや、それ以外の新興経済国に流出し、世界企業経済としての基盤が出来上がっていました。ユーロ諸国では、京都議定書以降、アメリカや中国の経済政策に対抗する以前に、既にグローバル経済の土俵を降りて、東欧諸国と連携しリージョナブル経済圏を形成していました。

 我が国の輸出産業はグローバル経済に適応し、経済を発展させることが可能であったにも拘らず、反抗勢力への対応の遅れで、サスティナブルエコノミーが実現することなく、何人かの役人が引責処分されたと聞いています。

 私たち大人は、昔の失敗を繰り返さないように、再びサスティナブルエコノミーに取り組んでいます。あなたたちが将来どんな職業に就くかは分からないけど、政治、経済、科学、NGOのどの立場になったとしても、みんなで協力してより良い豊かな、昔のように国際競争力のある日本を築くように努力してください。他に何か質問ありますか?」

(やっぱりそうなっちゃったか。私たちのせいで、サスティナブルエコノミーが実現しなかった?言ってくれるじゃない。持続可能な経済?何よそれ、その時点で資本主義なんて終わっちゃってるじゃない。後進国に寛大を装う京都議定書なんて、一九九〇年までに環境問題をある程度クリアした、すでに経済の行き詰まっている最先進衰退諸国の、姑息な経済政策だったじゃない。思惑通りには行かなかったみたいだけどね。

 だけどアメリカだけは、強いドルがある限り、新興国が発展することによって莫大なメリットを享受することができたのよ。アメリカはネオコンによる中東での武力行使とドルの操作で、新興国と共に経済成長するトリックを行使出来る唯一の帝国だったから。

 日本は新興国に対して経済援助なんて言葉を借りながら、一方では植民地のように搾取しようとしていただけじゃない。でも、ODAにしても有力者たちの資本蓄積に貢献しただけで、やがては日本の思惑とは無関係に独自の経済成長を遂げるようになった。飼い犬のような扱いをするから、指を咬まれることになっちゃったのね。

 だって核保有国でもない日本に威厳なんてないもの。北朝鮮が中国の傘下にあるということは、日本よりも中国との関係を優先するアメリカは、北朝鮮に反発する日本を切り捨てることが得策だということは当たり前じゃない。

 日本もユーロ諸国のように、グローバル経済とは無関係に、人間として対等な立場で東南アジア諸国とリージョナブルな関係を築いていれば、最も悲惨な状況だけは回避することが出来たのに、自業自得ね……)麻由香は夢の中で自問自答していた。


「はい、先生!」

 小学一、二年生くらいの女の子が一人、手を挙げた。先生は少し迷惑そうな顔をした。他の子供たちはというと、「あーあ、またか」というような反応だった。

「何か質問ですか?」

 先生が仕方なく指名すると、その子は「先生は彼氏いますか?」と、唐突な質問をした。

「はい、いますけど…」

 先生は、どのような質問にも誠実に対応することをモットーにしているらしく、優しい口調で答えた。

「もし結婚されるとしたら、子供は何人くらい欲しいですか?」

「今の時代に育てるのは大変だけど、やっぱり一人くらい欲しいわね」

「お子さんは幸せになれると思いますか?」

 その子は先生が善意で答えてくれるのをいいことに、立て続けに質問を浴びせた。

「さあ、分からないけど……なれるといいわね。みんなが頑張ってくれるから、きっとなれるわ。それじゃ少し休憩した後で農作業の授業が始まるので、長靴に履き替えておくようにね。それと、担当の先生の言うことを良く聞くように。それから、今日は中国からみんなへのプレゼントがある日だから、東君、帰るとき配ってあげてね」

「はい分かりました、確かに」

 返事をしたのは、さっき発言していたリーダーだった。

「でも……」と、さっきの女の子が席を立って発言した。

「おじいちゃんが、その時代にはサスティナブルエコノミーのような、保守的な政策は時代遅れだったと言ってました。」

 女の子の発言に教室内がざわめいた。

 先生は少し眉をひそめて「あなたのおじいさんって、確かふた月くらい前に殺されて、犯人も分からないままだったわね。お気の毒に……あの時代は、外国の情報も含めて、インターネットが検閲もなしに利用できたから、間違った情報に振り回される人が多かったの。デモをしていたNGOの人々や、おじいさんも……今なら、ちゃんとした情報以外は削除されているから、先生も安心だけど……。じゃあみんな、服を破いたり怪我をしないようにしてください」

先生はコスチュームで頭の部分を覆い、銀色のサングラスを掛けながら注意事項を述べた。子供たちも先生にならって身づくろいした。

 先生が教室を出るとき、的外れな質問をした女の子が先生に駆け寄り「サスティナブルエコノミーで、未来が幸せになれるんですか?」と、つぶやくように言って、答えも待たず銀色の長靴に履き替え、八割がたが田んぼになっている校庭の方へ走って行った。


「おじいちゃん先生、こんにちは」

「こんにちはマユカちゃん、二日続けて一番だねえ、もう少しみんなと遊んでいればいいのに」

 その女の子もマユカと呼ばれていた。(麻由香の夢に登場するニュータントと呼んでいる子供は、みんなマユカという名前で、何らかの意味で独りぼっちだった)

今日植えるための苗の準備をしているおじいちゃん先生も、当然のように皆と同じ格好をしていた。少し東北訛りのあるおじいちゃん先生は、似合っていない銀色のサングラスを太陽に反射させて笑っていた。

「お話することないもの」

 マユカは、畦の上に綺麗に並べられた苗の一束を手に取り、ながめながら言った。

「そうか、お兄ちゃんやお姉ちゃん、優しくしてくれないのかい?」

「別に優しくなくてもいいけど……ねえ、先に植えてもいい?」

「駄目駄目、そんな勝手なことして、苛められたりしたら大変だよ」

 おじいちゃん先生が少し咎めるように言うと、マユカは苗を元の場所に戻して「みんな歳が離れているし…お母さんも心配しているけど、苛めなんてないの」と言った。

 間もなく、長靴を履いた子供たちが出て来て、おじいちゃん先生の前に集合した。マユカもその前列に加わった。

「先生、よろしくお願いします」と、一番前でリーダーの東君が言った。

「はい、よろしく。今日はこの田んぼに昨日と同じ要領で、一人一条を植えることにします。年長の人から順番に、苗を取りに来てください」

 列の後ろの子供から順番に苗を受け取り、田植えが始まった。マユカが植え終わって田圃から出た後、まだ終えていない年少の子供たちの分を、上級生が手助けしていた。

 農作業の授業が終わり、長靴やコスチュームの泥を水道水で洗い流すと、子供たちは再び校舎内へ戻り、長靴を履き替えて先生のいない教室へ入った。誰も汗をかいた様子がないのは、彼らが身に付けているコスチュームが、余程通気性があり、しかも撥水性に優れた材質で作られているのだろう。

 教壇の横に、中国からのプレゼントだという大きな箱が置かれていた。その中に入った紙袋を、リーダーが年少の者から順に配った。袋の中身は、飴やクッキーなどのおやつだった。

中国の製品だからといって誰も躊躇する様子はなく、すぐ口にほおばる子もいたが、大抵の子はそのまま持って帰るようだった。

「整列!」

 リーダーが号令を掛けると、みんな廊下に出て朝来たときと同じように群れを成した。

 子供たちのグループは、帰り道で二台の車とすれ違った。周到な紫外線対策が施されている以外、某社や某社のスタイルそのままに日本色の強いデザインだったが、片方の車には英語の、もう一方の車には中国語の、見たこともない大きなエンブレムが、これ見よがしに配されていた。

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