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第十八章  風力発電

 麻由香の家は大学からそう遠くない所にあったので、歩いて行くことになった。麻由香は自転車を押しながら少し先を歩いていた。

 二十分くらい歩くと、通学電車の窓からいつも見ていた風力発電用の白い風車が、どんどん巨大化して来た。

「わーい風車だ。こんなに大きい構造物造ってもいいのかなあ?まあ敷地は広いけど……この家の人は一体何を考えてるんだろ?多分二酸化炭素排出しまくり企業の役員かなんかで、こんな言い訳がましいアピールをしてるんだよきっと。ほんっと、お金持ちの考えることって馬鹿げているよね」

 風車の真下に来たところで、夕子は思いつくままに風車批判をしていた。

「ここが私の家なの。風車はシンボルみたいな……」

「え、えーっ!」

 令子と夕子は風車を見上げて、転びそうになった。

 麻由香の家は周囲の建物とはデザインにおいて一線を画していた。町並みの優雅さを損なわない気遣いで建てられた上品な居宅建築物の中にあって、麻由香の家だけは二階建てのオフィスを思わせた。塀や門はなく、建物の前面には十台分の駐車スペースがあり、今は緑色のパンダが一台置かれているだけだった。玄関は普通の家と変わりなかったが、ドアを開けて中へ入ると一階全体が会議室になっていて、折りたたみ式のテーブルが二十脚程並べられていた。

 下駄箱は大きな本棚のようなで、たくさんのスリッパが並べられていたが、そのうち半分は子供用のスリッパだった。麻由香は無造作にスリッパを取り出し靴と入れ替えた。片隅には病院にあるようなスリッパを消毒する器械が置かれていた。踊り場からは二階へ行く階段と地下へ降りる階段があった。二人は麻由香の後に付いて二階への階段を上った。二階は真ん中に廊下があり、両方に二つずつある部屋には、それぞれドアがありまるでホテルのようだった。突き当りのドアを開けると、そこはダイニングキッチンになっていた。

 麻由香は二人にダイニングチェアーに腰掛けるよう促した。

「あんたのお父さんって、二酸化炭素排出しまくり企業の重役だったんだ」と夕子が尋ねると、麻由香は「いいえ、去年兄が海外留学した隙に、家を新築したの。そのとき私の意見で風力発電にしたの」と答えた。

「私の意見ってあんた、建築費だってもしかしたら居宅本体より掛かってるんじゃないの?」

 さすがの夕子も呆れたように窓越の風車を見つめるばかりだった。

「分かんない」

「分かんないって、それじゃあのエレベーターは?」と再び夕子が問い詰めた。

 トイレと浴室洗面所の隣には、たかが二階建てなのにエレベーターが設置されていた。

「地下に蓄電池の部屋があるから……」

「そんなのわざわざ地下に作らなくても、それにエレベーターなんか必要ないじゃない」と夕子が言うと麻由香は「あの、ついでにスタジオも作って、サーフボードとか楽器とかの大きな荷物を運んだりすることがあるから……」と答えた。

「それもあんたの意見?」

 夕子の問いに麻由香は「それはどちらかと言えば父の意見かな……」と答えた。

「会議室も、お父上が必要だったという訳ね」

「ええ……まあ」

「まあいいじゃない、それはそうと麻由香、九条さんがいると言ってたわよね」

 令子がそう言うと麻由香は「少し待っててね」と夕子から逃げ出すように部屋から出て行った。

「麻由香って一体何を考えているのかしら?というか、風車を建造するなんてこと、子供にねだられたからって、普通家族は反対するでしょ。お金持ちの見栄ってものかしら?どう思う令子?」

「分かる訳ないじゃない、そんなこと。まさか見栄では造らないでしょ。奇特なお金持ちで、個人負担の公共事業のつもりかも。行政が造る変な箱物やインフラよりよっぽどまともかも……。確か麻由香、風車がシンボルだって言ってたわよね。それなりに何か特別な意味があるんじゃないの」

「それにエレベーター付きのスタジオって、もしかして家族はプロのミュージシャン?なんちゃって」


 しばらくして戻って来た麻由香は「陽平おじさん、兄の部屋にも書斎にもいなかったわ」と言った。

「陽平おじさん?ってお兄さんの部屋にいる訳?」

 夕子が尋ねると麻由香は「ええ、先週から兄の部屋に住んでるの。そこにいないってことはスタジオね」と答えた。

「ええっ!あんたそんな親しい間柄だったの?」と驚く夕子に麻由香は「ええ、父の幼なじみだから。私は中学生になってからの付き合いだけどね」と平然とした顔で答えた。

「スタジオへ行ってみる?」と麻由香が言った。

「行かいでか」「うん行く」

 二人は麻由香の後に付いてエレベーターに乗り込んだ。三人乗ってもエレベーターの中は余裕があり、搭乗定員6名と書かれたシールが貼られていた。

 地下室は一階の会議室と同じくらい広かった。先ず蓄電器や配電盤が置かれた部屋があったが、それはほんの一部で、残りのスペースがスタジオとなっていた。そこにはドラムセットやアップライトピアノとキーボード類が配置されていた。壁に沿って十数個のロッカーが並んでいて、その前にはオーディオが置かれ、一番奥の壁にはサーフボードが6本立てかけてあり、その手前の大きな台の上にも一枚サーフボードが置かれていた。

 オーディオの前にはパイプ椅子が十客程置かれてあり、一番前の中央に陽平が陣取っていた。陽平の前には会議室にあった折りたたみ式テーブルが置かれ、その上にはノートパソコンが置いてあった。陽平は邪魔にならない程度の音量でジャズを掛けながら、ワープロで文章を作成しているようだった。

「陽平おじさん、今日はその辺にしておいたら?」

 麻由香が陽平に近付きながら話しかけた。

「……」

 陽平は振り向いて三人の顔を順に確認したが、何も言わなかった。

「こんにちは、こちらにおられたんですね」

 令子が挨拶した。

「先日はありがとうございました。夕食までご馳走になってしまって……」

 夕子がお礼を言った。

「……」

 陽平は黙ったままだった。

 令子と夕子は陽平が気分を害しているのかと心配になり麻由香の方を見た。

「気にしないで、ワープロの前では陽平おじさんはいつもこの調子だから。そのままにしておくといつまでも黙ったままだから、遠慮しないで話し掛けていいわよ。」

 麻由香は陽平への対応について、何もかも心得ているような話し振りだった。

「お母さんはまだ帰ってないの?」

「病院から帰ってまた何処かへ行った」

 陽平は何かを思い出そうとするように時々首を左右に傾げていた。

「小説書いておられるんですか?」

 夕子が、興味津々なのは表情を見れば明らかだった。

「夢のことを書いてる」

 陽平が答えてくれたので、夕子は有頂天になって「わーい、小説書かれてるんですね、今度の小説にも過去の夢や未来の夢が出て来るんですか?」と質問した。

「僕は過去の夢を書く」

 夕子は陽平が何を言っているのか理解しかねていた。

「私たちも座りましょうよ」

 麻由香が陽平の前にもう一台テーブルを追加し、パイプ椅子を陽平の隣に一脚、向かいに二脚置いて、自分は陽平の隣に腰掛けた。令子たちは、オーディオに背を向けるように腰を下ろした。

「陽平おじさんは、過去の夢を書いてるの」

「じゃあ、未来の夢は?」と夕子が尋ねると「私が小学生の頃から見続けていた夢を、中学生のときにまとめて書いたの」と麻由香は答えた。

「えーっ!」

 令子と夕子は同時に声を上げたが、令子は夕子に借りた「モスラが好き」を読んだときから、陽平以外の者の介在をおぼろげに感じ取っていた。未来の夢を見るのは子供という設定だったので、意図的に幼い文体で書かれているのはあり得ることだが、子供でなければ到底思い付くことの出来ないような、閃きだけで描かれていたのだ。ただ、それがまさか中学生の麻由香であったとは思いもよらないことだった。夕子が「モスラが好き」に出会ったのは、まだ中学生の頃なので、子供にしかあり得ない表現に違和感を覚える方が、むしろ不思議なことだろう。

「じゃあ、その他は?」

 夕子が恐る恐る尋ねると麻由香は「それだけよ」と答えた。

「それだけって……意味が分からないんだけど」

 ほの暗い地下室の照明が、蒼白な夕子の顔に宿った困惑を浮かび上がらせていた。

「陽平おじさんが書いているのは、小説なんかじゃなくて、カウンセリングのためのノートなの。……ちゃんと説明するわね」


 麻由香は少し考え込むようにしていたが、やがてゆっくりとした口調で説明を始めた。

「私が初めて陽平おじさんに会ったのは、中学一年生の頃だった。高校を卒業してからずっと海外で暮らしていた、父の幼馴染で高校時代のサーフィン仲間が、日本へ帰って来たのがきっかけで、父はまたサーフィンを始めたの。そしてもう一人のサーフィン仲間が陽平おじさんだったという訳。初めて会ったときから陽平おじさんとはすごく気が合って、私も一緒にサーフィンするようになったの。

 その頃から陽平おじさんは自分が経験したことのない過去の夢を見るようになっていて、私は小学校二年生の頃から未来の夢に悩まされていたから、よくお互いの夢の話をしたわ。  

今でもだけど、私の見る未来の夢は、眩いばかりの諦念に満ちているの。生き続けるためには夢を客観視する必要があったけど、小学生の私には困難だったので、自宅で父にカウンセリングを受けていたの。それは今でも続いているわ。

 父の勧めで、陽平おじさんも病院の方でカウンセリングを受けることになって、そのとき認知症の兆候が認められたの。MRIで検査した結果、脳細胞の萎縮が確認され、初期の若年性アルツハイマーと診断されたの。陽平おじさんの見る過去の夢と、アルツハイマーの因果関係については今も謎だけど。

 陽平おじさんは、毎週月曜日に、夢についてのカウンセリングと、アルツハイマーの治療を受けるようになったの。カウンセリングのためには、夢の内容を把握していなければいけないけれど、若干の記憶障害があるので、見た夢を毎日ノートするようになったの。 

そんな生活を続けているうちに、程なく経済的に困窮した陽平おじさんは、私の家に同居するようになったの」

「いくら幼馴染でも同居なんて、お母様は納得されたの?」

「陽平おじさんがアルツハイマーだと聞かされた母は、自分の身内でもあるように心配して、それなら一緒に暮らせばいいのにと自分の方から提案していたの。おかしいでしょ。母は陽平おじさんの夢に、私の夢を解き明かす秘密が隠されていると、思っていたのかも知れない。それに母は、陽平おじさんが高校卒業後すぐにご両親を亡くし、天涯孤独だということも知っていたから、多少は同情心もあったのかも。私も兄も父も、誰も反対はしなかったけれど、最初陽平おじさんは固辞していたわ。でもお金がなくなった機会に無理やり同居させたのよ。ちょうどアパートも追い出されるところだったから」

「同居してから『モスラが好き』が出来たってことね」

 やや落ち着きを取り戻した夕子が言った。

「ええ、私もカウンセリングのために、夢をノートしていたから、陽平おじさんの夢と、後は祐介おじさんの海外での話やポンポコリンクラブというサーフィンクラブの活動とか、私の父の勝手な私見とかを、陽平おじさんが一まとめにしたの。私の夢は今も進行形で、新しい知識に比例するように、細部までくっきり再現できるようになって来たわ。

 『モスラが好き』では陽平おじさんの夢に比べて私の夢の表現が、稚拙だし抽象的であることは否めなかったけど、出版社にはその部分が良かったという感想も寄せられたりして、有頂天になったこともあったわ。あなたたちの世代では知られてないけど、大学生や、定年後のおじさん世代の間では、一時期ブームになったのよ。小説が結構売れたので、私が高校へ入学して間もなく、陽平おじさんはマンションを購入して、また一人暮らしを始めたの」

 陽平は三人の話には無関心に、じっと考え込んでいるようだった。

「陽平おじさんは、朝病院にメールした夢を、もっと辻褄の合ったものにしようとしているのよ。でも無理なことなの。もう夢のメモを見たって、ほとんど思い出せないんじゃないかな」

「九条さんが麻由香の家にいるのは、小説を書くためじゃないの?」

 夕子の問い掛けに麻由香は「単に持ち金を使い果たしたからよ。もう、さすがに印税収入は期待できないし。陽平おじさんにとっては、マンションで独りで暮らすより、この家でいる方がいいと思うけど、本人が戻りたいのなら、もう一度作ってもいいとは思っているの」

「少し見せていただいてもいいですか?」

 夕子が陽平のパソコンを覗き込むようにして言った。

「……」

 陽平は黙ったまま、夕子に席を譲った。


 夢の内容は、確かに統一性に欠けていたが、それが病気のせいであるかどうかは、夕子には判断し兼ねた。 

 いきなりオスマン帝国が登場するので、さぞかし過去に遡っているのかと思えば、物語の舞台は日本であり、しかも近未来の出来事のようでもあるのだ。

 オスマン帝国本体の消費活動が、数十年間にわたる異常とも思われるほどの活性化の後、一挙に衰退を辿り、単なる国民国家としての機能しか果たせなくなった。ちょうどその頃、帝国の傘下にあった日本は経済の飽和状態であった。

 新しく傘下になる国を探して、帝国の復興を目指すオスマンは、最早傘下に置く理由も必要性も消滅していた日本を、トカゲの尻尾のように切り捨ててしまった。

 ところが、日本は帝国の傘下にあった時期も、堂々たる国民国家であるとの幻想を抱き続けていて、本来の意味においての国民国家になってしまった現状を把握することが出来ないまま、何ら意識変革を行っていない。

 そのような文章の最後は次のような一考察で締められていた。

 新たに国民国家として歩み出すのであれば、揺らぎない国民性を持って慎ましくすればいい、また飽きもせずに経済発展を目指すのであれば、パトロンを見付けて今までがそうであったように偽装して、国民を騙し仮想自治国の立場を回復すればいい。

選択肢は二つだが、前者を選ぶためには我々は愚か過ぎる。オスマン帝国とその手先により、世界で唯一の国民性喪失国家となった日本国民が、国家というアイデンティティーを取り戻すことは不可能だ。何故なら学校教育とマスコミが、戦後以来現在においても国民性消滅のプロパガンダにより支配されているのだから。

そ れなら後者を選ぶしかないだろう。しかし仮想自治国になるとしても、オスマンに見限られた今、どの帝国の傘下に入れてもらえるのだろうか。今となっては、何の取り柄もない老弱小国を、それなりの尊厳を認めながら、帝国の一構成国として扱ってくれる奇特な国などないように思える。

 早い話が生き残る道などないのだ。あるのはただ衰退と貧困のみ。

しかし、国家としてのアイデンティティーの欠片でも残っている人間なら、裕福でれ貧困であれ、慎ましさの同義語であるので、そんなの関係ねえってことになるのだが……


 インターフォンが鳴って麻由香が取った。

「夕飯の用意出来たって」

四人はエレベーターで二階へ上がった。ダイニングキッチンのテーブルにはご馳走が並べられていて、麻由香の母親が笑顔で迎えてくれた。

「お邪魔してます」

 夕子と令子は母親に挨拶した。

「買い物行ってたのね」

 麻由香が言うと母親は「麻由香が今日、お友達が二人見えるかも知れないと言ってたから。気難しい麻由香に付き合ってくださる奇特な方には、是非ともご馳走しなくちゃと頑張ったわよ」と言って夕子と令子に笑いかけた。

陽平は既に手を洗って食卓に着いていた。夕子と令子も洗面所で手を荒い食卓に着いた。

「お父さんは?」

「少し遅くなるんだって」

「ふうん…」

 麻由香の父親は医者だが、経営者兼院長であったので、普段は家族揃って夕食を取るのが常であった。

「今日は訪ねて来てくださってありがとう。九条さんまで一緒にいるなんて、麻由香も何考えているのかしら、気詰まりだったでしょ、ごめんなさいね」

 麻由香の母親は申し訳なさそうに二人を見た。

「いえ、私たち九条さんのファンなんです。急に連絡が取れなくなって、心配していたところに、麻由香の家におられると聞いて驚きました。あの、私田所令子と言います。こっちは汐屋夕子です」

「そうなの、珍しいこともあるものね。この人一応小説家だけど、住所とかも含めてほとんどマスコミに露出していないから、読者の方にもに知り合いはいないんだけど……。それにしても、しおやさんって物凄く美人ね、ため息出ちゃうくらい」

「困ったことにそうなんです」

 夕子はいつもの調子で応答した。


「いただきまあす」「いただきます」「いただきまっす」……

「夕子は前から九条さんのファンだったんです。でもまさかこの町におられるなんて。夕子も驚いたと思います」

「驚いてなんかいないわよ。まあ確かに初対面の時は心の準備が出来ていなかったから、少し動揺したけど。私は小説の中の場面を繋ぎ合わせ、情報収集してこの町だと確信していたわよ」

 夕子の反論には令子の方が驚かされた。

「ええっ!じゃあ夕子は九条さんに会うために大学を選んだ訳?」

「そうよ」

「まあ、九条さんにまさか追っかけのファンがいるなんて、世の中捨てたものじゃないわね。今度の小説も売れるかしら?私は無理して書かなくてもいいと思っているけど、麻由香も何かと忙しいみたいだし……余計なこと言っちゃったかしら、御免なさいね。だけど、もしかすると次回作を待ってる人もいるのかしら?」

 麻由香の母親は、麻由香が九条陽平の小説の片棒を担いでいることを、いとも簡単に暴露して、平然としていた。

「あのっ、もちろん私は購入しますけど、九条さんの小説にゴーストがいるということは、公になっていることなんですか?」

 他言してもいいものか確かめるように夕子が尋ねた。

「少なくとも麻由香が無理やり売りつけた後輩たちは知っているわよね」

 母親の言葉に麻由香はむっとしたように「無理やりじゃないってば、教材よ教材。殆どの子が読書感想文に感動したって書いていたんだから」と言った。

麻由香は家庭教師のアルバイトでもしていて、教え子に「モスラが好き」を売り付けていたのだろうか?大学での麻由香しか見ていない令子には、意外な側面と思えることも、夕子にとっては何の不思議もないことだった。

 その思いは、麻由香が「モスラが好き」の執筆に関係していたと聞かされて、なお更強いものになった。大学でのうじうじした様子に苛立ちを覚えていたのは、麻由香が内に秘めている何ものかによって、夕子の内面が見透かされているように感じられたからだった。 

夕子の超越的な美しさに怯えるでもなく、媚びるでもなく、平気でうじうじしている麻由香という存在を夕子は警戒し、反動形成として先制攻撃を加えていたとも取れる。

 別の言い方をすれば、麻由香は夕子が畏怖の念を抱く数少ない人間の一人なのだ。しかし、夕子に出会った多くの人間が、否応なしに畏怖の念を抱かされることがあってたとしても、麻由香にそんな感情を抱く者など、他にはいないはずなのに、夕子が麻由香に一目を置いているというのも変な話だ。

 おそらく普通の人間は、自分が何者かに操られたり見透かされていることに、とんでもなく鈍感なのだろう。夕子の突出した感受性あればこそ、初めて麻由香の存在が畏怖すべきものとして捉えられるのだ。


 食卓にはご馳走が用意されているにもかかわらず、麻由香が冷蔵庫から納豆のパックを取り出して、箸でくるくるかき混ぜたと思うと、麻由香の分の野菜サラダの上に乗せて、バジルやパプリカやベーコンまで入っているバルサミコ仕立てのドレッシングを振り掛けて、美味しそうにぱくぱく食べていた。

「あの、お二人は九条さんとよく話をすることがあるの?」

 麻由香の母親が少し興味を持ったように尋ねた。

「はい、私はパチンコ屋さんでアルバイトをしていて知り合ったんですけど、九条さんの負けっぷりの凄さに感動したというか……あの、私は色んな会社の経営者の取材をしているんですけど、九条さんの場合は消費者側の心理を取材させていただこうかと……」

「まあ、それは眼の付け所が良いと言うか、それで何か役に立つデータは収集出来たのかしら?」

「いいえ……」

 麻由香の母親の質問に令子はそう答えるしかなかった。

「パチンコをしている九条さんは、お客様というより、聖職者のようでした」

「それを言うなら反面教師じゃないかしら?」

 麻由香の母親は厳しい意見を言うときも、穏やかに微笑んでいるので、決して悪意を持ってはいないということだけは明らかだった。


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