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第十四章  取材活動

 午後六時少し前に訪問したオフィスには女性社員が一人残っているだけだった。

その人の年齢は三十歳くらいで、清楚な私服を着用していた。

「お待ちしておりました、こちらへどうぞ」

 女性社員は席を立って丁重に挨拶し、飾り気のない笑顔になった。

 洗練された言葉遣いと、立ち居振る舞いの優雅さからおそらく社長秘書であろうと思われた。

 女性社員は「こちらへどうぞ」と、令子を社長室へ案内してくれた。

サインボードに社長室と明記はされているが、そこはオフィスの一角をパーティーションで区切って、応接セットを配置しただけの狭隘なスペースに過ぎなかった。スチール製のドアを開けた女性社員に促され中に入ると「わが社へようこそ」とソファから立ち上がった社長が迎えてくれた。社長の方から手を差し出して来たので、令子は軽く握手しながら「先日は電話での勝手なお願いにもかかわらず、取材にご協力いただけることを感謝しています」と謝辞を述べた。

「どういたしまして、私どもで何かお役に立てるのであれば、喜んで協力させていただきます。どうぞお掛けください」

 令子はテーブルを挟んで社長と向き合った。

「それはそうと、大学から直接来られたのですか?」

「はい。講義が終わってすぐ、こちらへ直行しました」

 令子は、取材の場所は極力会社でとお願いすることにしていた。当然その方が美味しい資料を収集出来る可能性が高いからだ。今回の会社も電車を乗り継がなければならなかったので、訪問するのに一時間近く掛かってしまったが、それは珍しいことでもなかった。

「それはお疲れ様でした。まあ、お茶でも飲んで一息入れてください」

「ありがとうございます」

 令子はお茶を注いでくれた女性社員にも会釈して、改めて社長の顔を見た。

「失礼ですけど、お若いんですね」

「学生さんからしたら、すっかりおじさんになっちゃいました。今年四十歳になるんですが、未だに学生気分が抜けきってないんですよ」

「えっ、四十歳ですか、全然見えませんね」

 令子は驚いたように言った。それは、お世辞ではなく、実際三十歳を少し超えたくらいにしか見えなかったのだ。彼は今まで取材した社長とは、何処か違っていた。

「実は私もあなたと同じ大学へ通っていたんです。院生になった夏に親父が亡くなりましてね。私は父の仕事を継ぐ気などなかったので、しばらくは大学へ通ってましたが、時代の流れというんですか、結局大学を止めて父の会社を継いだ次第です」

「そうなんですか。あの、学生がいきなり会社を継ぐって可能なんですか?」

 令子は、社長の風貌に院生っぽいところが見受けられるのは、途中でリタイアしたことに対する葛藤に起因するトラウマの一種なのかと感じた。

「会社を継ぐと言っても、その頃は町の小さな不動産屋さんというようなものでしたけど……親父の闘病期間が長かったので、亡くなったときにはすっかり左前になっていました……こんな話役に立たないですね」

「いいえ……こちらこそ、そんなことまで話していただいて、恐縮です」

 令子は、目の前にいる院生風の社長が、どのように今の会社を発展させて来たのか、その経緯に興味を持った。

「親父が亡くなった頃がちょうどバブル創成期でした。団塊の世代がそろそろマイホームをと考え始めるタイミングを見計らったように地価が高騰し、そのために投機的な需要が発生しようとしているといった状況でした。見かけは今のアメリカの状況と似通っていたと言えますが、世界を巻き込む金融経済から程遠い実物経済の優先に固執しているだけでは、経済成長など期待できるはずもありませんでしたけれど。私は母と相談して、父から相続した私どもの住居以外の僅かばかりの土地を処分しようと考えました。その金を従業員といっても親父の友人だった営業の人が一人でしたけど、退職金として支払って、余った金で母子二人細々と暮らしながらでも、なんとか修士課程は修了出来るかなと思いまして。それに営業の人は不動産取引の資格を持っていたので、何処でもやって行けると思ったんです」

 そこまで話して社長は「普通はこんなことは話さないんですが」と言って、湯呑み茶碗に手を伸ばした。

「たまに学生が訪ねて来るんですよ、卒業論文や修士論文のデータ収集が目的でね。そんなときはもっと端的に応対しているんですが、相手が美人の女子学生となると、つい余計なことまで話してしまって、申し訳ない」

「いえ、ありがとうございます。大学院生の方も訪ねて来られるんですね」

 令子は、もし相手が夕子だったら社長は両親の馴れ初めから話をするに違いないと考えていた。

「それで、結局修士課程は修了されなかったんですよね?」

「ええ、ある人に店終いの件を話したところ、これから先、大学院なんかへ通っているよりも凄い経験が出来るからと説得されたんです。言うまでもなく、実物経済の最後の切り札とも言うべき、土地バブルによる経済効果のことです。日本国内の土地にはメイドインチャイナなんてないのだから、どれだけ内需が落ち込もうと、取って代わられる心配はないとのことでした。結局は相続した家屋敷を含む全てを担保に借りたお金を元手に、その時点で抱えていた販売物件である土地を、売主の希望価格で買い取ることにしました。購入価格と、その物件を担保に融資を受けれる金額との差額を、相続した不動産で融資を受けたお金で補填して、可能な限りの土地を購入しました。保有期間中は資金繰りに苦労しましたが、土地の価格は青天井かと思うほど上昇しまして、最終的にとてつもない金額で売却することが出来ました」

「本当に凄い時代だったようですね」

 俗っぽく言えば土地成金か、そろそろ佳境に入って来たなと令子は思っていた。

「あなたの大学の山根学長ご存知ですか?」と社長が質問した。

「ええ、なんでも教授時代はすごく変わり者だったとか……」

 令子は社長の唐突な質問に少しとまどっていた。

「私に土地を購入することを勧めてくれたある人というのが山根教授でした。実は、私は四年生のとき、山根教授のゼミだったんですよ。大学院でも山根教授の研究室にいましたが」

「あっ、すみません、よく知りもしないのに」

「いえ、確かに変なところありましたから。本人は経済学の教授だったのですが、英語以外の外国語は必要ないと、その頃の学長に執拗に意見していましたからねえ。おかげで、国際的な経済社会実現へのヴィジョンに欠けるとか言って、学長が政治家にこっぴどく叱責されたそうです。

 その時点での山根教授の言い分は、ビルゲイツがアメリカ人だということでした。グローバル経済が推し進める金融経済の下では、ハードウェア産業よりも、ソフトウェア産業の優位性が絶対的であるから、アメリカより遥かに資源の乏しい日本では、パソコンや液晶ディスプレイ、増してや自動車などという、時代遅れの製品に執着している場合ではない。

 仮に英語を国語とするなら、ソフトウェア産業でアメリカと競合することは十分可能であるというのが、山根教授の考え方でした。学長になってからも、グローバルな分野に関しては、例え相手が母国語至上主義のフランス人であろうと英語でという意見に変わりはありませんが、ビルゲイツの影響力については以前よりも否定的な考え方になっておられるようです。最近は日本発IT革命を大学のスローガンにしているくらいですから」

「よくご存知ですね」と、令子は感心して言った。

 確かに令子の大学では、従来のストラクチャード・データを処理するリレーショナル・データベースよりも、アンストラクチャード・データの処理に適したインデックス・ファブリクスの研究に力を入れていたからだ。


 社長は隅に置かれた小さなオーディオへ歩み寄った。パーティーションだけで仕切られた部屋で、オーディオは無用の長物に思われた。令子がそんなことを考えているうちに、音楽が流れ出した。

「ちょっとの間この音楽を聴いてください」

「はい……」

 令子は意味も分からないまま、音楽に耳を傾けた。モーツァルトの有名な弦楽四重奏曲「狩」だったが、第一楽章も終わってないのに別の音楽が流れ出した。その音楽を令子は初めて聴いたが、響きの端々から現代クラシックの香りを漂わせていた。

「君はどちらを選びますか?」と社長が尋ねた。

 令子はお見合いでもあるまいし、音楽の趣味など聞いてどうするんだろうと思ったが、取材の都合もあるので、少し考えてから、後の方にしますと答えた。

「そうですか、分かりました、変なことを聞いてすみません。先ほど私は、学生時代に現在学長をしておられる山根教授のゼミにいたと言いましたよね」

「はい……」

「当時、様様な問題があったにも拘らず、山根ゼミは希望者が多く、毎年趣向の違う試験があったんです。実は、今聴いていただいた音楽が、私の年の試験だったんです。実際の試験では、後の音楽を選んだ学生の数が教授の予想より上回っていたので、リポート用紙を配られて、その理由を英語で書かされました。要するに英語の重要性を認識しているかどうかのテストだったのですが、最終的には希望者の五分の一くらいになりました。そのとき教授が理論値どおりだと言われたのを聞いて、さすが山根教授だと感心してました。よく考えてみると、教授の一存で選んでるのだから、当たり前のことですが」

「そうだったんですか」と言いながら令子は、頭の中でその音楽を選んだ理由を英語で考えていた。

「私は取材に応じているだけなので、そこまで厳密に線を引こうとは思っていません。

山根教授にしても、高い能力を持った学生を選ぼうとしていたのではなく、自分と同じ切り口で研究に取り組むのに、より適した者を選んでいただけなのです。私は取材に来た全ての院生に情報を提供しています。それでは何故こんな試験のようなことをするのかといえば、これは私の都合でもあるのですが、学生を混乱させることなく短い時間で済ませたいからなのです。だから私は、おおまかではあるんですが、二種類の対応をしています」

「あの、お言葉ですが、私は何も論文を書くために取材している訳ではありません。もちろん、遊び半分ではありませんけど。単刀直入に言いますと、会社を経営する中でのターニングポイントがありますよね。そのときの経営者の心理とそこから導き出された結果が知りたいんです。不動産業ならバブルを助長する要因となった土地転がしという現象の渦中で、大抵の不動産業者なら売却した資金で別の不動産を購入して、結局は損失を被っているのに、社長は何故異業種への転向をされたのかとかですね……」

 令子は、論文のための仮説を理論化するためのデータが欲しい訳ではなかった。そんなものは大手上場企業の会社情報でも参考にすればいいことだった。大企業ともなれば社長個人の心理が会社の経営方針に直結しない、要するにサラリーマンなので、取材する意味がなかった。

令子の取材対象は、株式を上場している企業以外の会社の経営者であった。個個の会社のターニングポイントにおいて、経営方針を決定するに際し、経営者心理がどのように作用していたのかを知りたいのだ。その成果を同時期の同業種平均値と比較し、一般的にこの時期にはこうだったが、こう考えることにより平均値を上回ることとなったという成功例を収集したいのだ。また、中には社長のように、違った事業を展開することにより、利益を得るという方向性もあるだろう。その乖離部分こそが、令子が求める理論なき現実であり、検証不能な仮説である。

 令子が何故そのようなことに興味を抱いたのか。それは、幼い頃からの謎だったパチンコを始めとする、自分の欲望の尻尾を追い駆けて消費し、挙句の果てに人生を消耗するシステムと、それを尻目に成功する者との相関関係を明らかにしてみたい欲望であった。

「ああそうだ、君はまだ大学一年生だと言ってたね」

「統計学で証明出来ないのが、経営心理学の理論だと思うんです」

「山根教授がおっしゃっていたこともそういうことでした。多数決で証明した理論は経済の動向を予想するのに役立っても、発展的経営の指針にはならないと」

 その後社長は、バブル末期に土地を売却して得た利益で、現在の事業を立ち上げたときの状況から将来の展望についてまでを話してくれた。


 バルブ終焉期、都市部の農地の固定資産税は、宅地並み課税により営農利益よりも税金の方が遥かに高額となっていた。また、戦前からの小作地においても、小作料の何倍もの税金が課せられることとなった。地主と小作をしている人の協議により、何割かの離作保障を支払うことで多くの農地が売却され宅地となった。その一方で、先祖から引き継いだ農地を手放すことに抵抗を感じている地主も多数存在した。しかも、農業の担い手が不足している中で、草刈等の維持管理に別途費用が必要となっているケースも多く見受けられた。折も折、世の中は土地の高騰に加えての核家族化により、最早マイホームを持つことを諦めざるを得ない状況となっていた。

 そこで、これもまた山根教授のアドバイスにより、現在の事業、即ち都市計画法で言う市街化区域に農地を所有している地主に、その土地を担保に銀行から融資を受けていただき、アパートを建設し、家賃収入により幾ばくかの利益を得ていただくという事業だった。それによる固定資産税及び相続税の低減が謳い文句であった。社長は、土地を売り払って得た利益を、事業遂行に必要な事務所、営業マン、プロジェクトマネージャー、アパート経営に関するアドバイザー等を整備する資金としたのだった。


「ご存知ないかもしれませんが我が社の特色として、アパートでありながら百年住宅の実現があります。これは山根教授の助言というよりは、命令で取り組んで来たのですが……。そのためには建物の構造自体に関する建築費用が若干高くなっていることが、市場では不利な条件となっています。経営というより理念上の問題ですから、当然のことだと思っています」

 社長は少し寂しそうな顔をした。

「オープンビルディングに取り組んでおられることは、ホームページには掲載してありませんでしたが」

「そんなこと掲載したからって、プラスにはならないからね」

「ですけど、アパートの経営者にとっても、結局そのほうが有利になるのではないのですか?」

「大抵の人は百年も先のこと考えないからねえ。我が社を選んでくれる人の大半は、見えない将来の利益を望んでいる訳じゃないんだ」

 社長の言葉は現実への諦めとも受け取れたが、眼差しに不満の影はなかった。

「サステナビリティーへの無関心ですか」

「今じゃ話にもならないけれど、この会社を始めた一九九五年は、サスティナブルエコノミーが可能な最終期限だったからね。もっとも、これは山根教授と私だけの主張で、世間では今でも可能だと考えているようだけど……」

 一九九五年というのは、令子の祖父が言っていた日本経済のターニング・ポイントと一致している。内需産業の流通部門の労働生産性を向上させることと農業部門の復興が、日本経済の目指すべき方向であるというものであった。にも拘らず日本は、アメリカの用意周到な経済計画に偶然生じた隙間に乗じて、相変わらず輸出中心の経済政策を継続した。京都議定書へのアメリカと中国の反発により、間違った経済政策は一見正解であったかのような様相を呈しながら、近い将来の経済破綻、食糧危機、環境破壊へのシフトを加速したのであった。

「現在は少子化の危機が叫ばれていますが、賃貸住宅の将来の需要予測についてはどのようにお考えですか?」

 令子には、将来日本の人口が減少すれば、土地の価格が下がり、アパートの需要は少なくなると思えた。

「核家族化が一層進展するので、住宅需要は減少しません。その上日本という国は、若年者人口を減らす訳にいかないんです。未開発国で増加した人口が減少するのは国にとってあまり悪影響はないんですが、日本では状況がまるで違っています」

「年金の問題ですか?」と令子が言うと、社長は「年金に関しては少子化以前に制度そのものの問題であると言えます。ちゃんと機能していれば、老後の生活への不安を解消し、現状での内需を拡大させて、景気を良くする方向へ働きますが、最早老後を年金に委ねることに何ら安らぎを求めることが出来ません。バブル崩壊後間もなく山根教授が、どのような方法でかは聞いてませんが、国民年金基金の積立額を試算したところによれば、実際の積立額の方が少なく見積もっても二十兆円程度不足しているというような、面白いことを言っていました。面白いなどと言えば不謹慎ですが、国としてはどのように辻褄を合わせるのでしょうかと質問したところ、データを改ざんした上で、不明金を二十兆円捻出し、その部分については積み立て期間が二十五年に満たない加入者への最低保障として支払うというものでした。もちろん不明金と言っても何処かへ消えてしまって、基金には残っていないのですから、税金を投入するしかないのですが……。日本経済は団塊の世代の人口を基準として発展して来ました。例えば経済の根幹を担う道路網にしても、税の担い手である働き盛りの割合が減ればその機能を維持することは困難になるでしょう。それと土地の価格が下がることも、日本経済にとっては致命的です。経済大国日本の遺物であるインフラストラクチュアを支えるキーワードは少子化対策と核家族化の推進です。出産から義務教育終了までの福祉、教育、税制面での優遇は強化されますが、その後の保障は一切ありません。低賃金、低所得税、高消費税時代への邁進があるばかりです。理解していようが、いまいが、よかれ悪しかれ、政治はその方向にしか向きようがないのです。政治家がいくら討論を重ねようと、マスメディアがいくら問題提起しても、それは予め用意された解答への伏線でしかあり得ないし、私たちは、自分が出した答えという大義名分の下、団塊の世代が築いた経済機構と運命を共にするしかないのです。私には小学四年の子供がいます。孫が出来る頃には海外へ移住するというのが、私の政治であり、日本の政治同様に決定事項です。唯一違っているのは、子供に対して頭ごなしに伝えていること、言わば一党独裁のようなものだということです。ですが、独裁と言っても十分に証拠を与えてますし、子供は全面的に支持してくれています。もちろん正しい意味でのリテラシーによってね。自分の理想を子供が認めないと悩んでいる親は、怒ったり嘆いたりする以前に、まずその理想が間違っているとの仮定へフィードバックすることから始めなければなりません。それが出来ない人は、社会でもリーダーにはなれません」と続けた。

「高齢者対策や、障害を持つ人への対策はどうなるのですか?」

 令子は本題からそれた質問になってしまっているなと感じていた。

「私がとやかく言うべきことではありませんが、あくまで私見であることを念頭に置いて聞いてください。障害を持つ人はマイノリティーですから、保険制度への移行は国民の同意を得ることが困難なので、国の政策は、障害者自立支援法の制定以降、詭弁を弄しながら徐々に負の方向へと向かっています。その立場になってみないと政策の不備を実感出来ないというのも、人間としての悲しい性ですね。

 高齢者医療に関しては、誰しもいずれは我が身という考えを持っているので、税制面での国民の同意は得やすい状況にありました。日本固有の医師会の権力と相まって、高齢者の延命政策が花を咲かせた訳ですが、ここでも当然のことながら税の担い手である労働者世代にしわ寄せが来ています。

 二〇〇〇年に満を持して登場した介護保険制度ですが、三年毎の見直しの都度保険料が上昇し、実質は既に破綻しています。今後介護報酬の際限のない減額に対応するため、事業者としてはサービスの質を低下させるか、賃金を下げるか、誤魔化すか、撤退するかの四者択一を迫られています。撤退を選択しない限り、サービスの質を低下させることや大きな誤魔化しが、個人のモラルとして、或いは社会通念上許されないのであれば、賃金を下げる道しか残されていません。マスメディアで、福祉に従事する人間は高潔な精神を持ち、劣悪な就業環境にも耐えて然るべきだなどと発言する輩がありますが、大変な人権侵害だと言えるでしょう。誰しもが生計を維持することが正に死活問題である状況で、ボランティア精神を高揚する人々には正義のひと欠片も感じられません。もしも、その発言をした輩が、家族のことも犠牲にした上で、ボランティア活動に全身全霊を傾けている人間であるなら、その人の家族を気の毒に思わざるを得ません。

 現行介護保険制度の歪みは、超高齢化社会の進展により、今後地価の安い市や町に集中して、老人ホームやケアハウスの建設が行われるだろうことです。それによる地方公共団体の財政負担の増大、それ以上に、もともと高齢化率が高く、高額な負担をしいられている介護保険被保険者である住民の、更なる負担額の増加を考えると恐ろしいものがあります。もっとも、浅い知識なので、現時点ではもっと深刻な事態が顕在しているでしょうが……」


 その後、社長は女性社員に幾つかの資料を持って来るように言った。女性社員がテーブルの上に置いた資料は会議で使うもののように整然と揃えられていた。

「ありがとうございます。あの、遅くさせてしまってすみません」

 令子は申し訳なさそうに女性社員に頭を下げた。

「いえ、気になさらないでください、仕事も残っていましたから。それよりお役に立てたのでしょうか?」

 女性社員の問いかけに驚いた令子は、返答に窮して社長の顔を見た。


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