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第十二章  バスタイム

「ふうっ」

 バスタブに浸かって手足を伸ばした夕子は、少し窮屈な膝の角度で、また足が長くなっている気がした。困ったものだ……夕子は軽く舌打ちした。何もバスケの選手になりたい訳ではないし、スーパーモデルでもない、ただ、スーパー娼婦でいたいだけだ。おじさん相手に、度を越した武器はむしろマイナスになるだろう。


 夕子は高校生のときすでに、高一のとき担任だった父親と言っていい年齢の教師と、高二から卒業までの二年間月二回の契約で援助交際をしていた。月二十万円にしかならなかったが、大学へ通うための準備資金としては十分で、夕子にしてみれば最も重要な授業だった。

 夕子は相手の方からは離れられないように、また夕子からはいつでも見切りを付けれるように、相手をコントロールする方法を習得することに専念した。そして得た結論の一つは、同じ相手と二年間は長すぎるということだった。

 大学で教授との援助交際は考えものだなと思った。早目に関係を絶ったところで、学内に援助交際相手の教授の威光が蔓延してる状況には、ぞっとさせられるものがある。慌てることはない。大学に入ってから、しばらくはのんびりと学生生活を謳歌しよう。友達もたくさん出来るかも知れない(それはないと、すぐに打ち消した)

 そして、大学四年生になれば、最終標的に向けての活動を開始すればいい。夕子にとって学長に取り入ることなど訳もないことのはずだ。まずは、最高の成績を手土産に、就職の相談とかで近付き、その筋へのアクセスの方法を入手することが、夕子にとっての卒業であった。

夕子にとって令子に巡り会ったことは、予め用意されていたと思えるような幸運だった。夕子には天賦の容姿が備わっているとは言っても、やはりフリーメイスンの重鎮を相手にするためには相応のスキルアップが必要となる。

 そんな折、庶民の最高峰である橋渡し的な人々と係わりを持つ機会を与えられることは、まさに願ったり叶ったりのことであった。それに、何よりも目先の問題として、来年大学へ通うことになるだろう龍之介の分も含めた二人分の学費を稼がなくてはならないのだ。

 夕子は高校のときすでに、美貌を消費財として活用することで、自分自身をプロデュースし、そしてプロモートすることを生業とすると決意していた。しかし、不特定多数の人間にアピールすることは、絶対にしたくはなかった。

 ほんの一握りの特権階級にある人間を標的とし、煩わしい注目を浴びるようなこともなく、三十歳になる前には超個人的プロダクションは、営業を終了する。その後は数少ない友人との係わりを残すだけの半隠遁生活を送るのである。夕子はスーパーフラットに関する才能、例えば美貌や流行を産み出す能力を称賛されることに嫌悪を抱いていた。それがあれば称賛に値し、なくなれば軽蔑じみた嘲笑を浴びせられる。夕子は、そんなくだらない才能など始めから持たない者の平穏な生き方を望んでいた。

 それでも夕子は怠けはしない。幕を下ろす瞬間までは誰よりも努力し続ける。美しくあるため、賢くあるため、流麗であるために。三十歳以降の平穏な生活を夢見ながら。

 愛なんて関係ない。ひとかけらの友情、それがあれば夕子は笑っていられるのだ。夕子が持ち得るたった一つの愛があるとすれば、それは弟の龍之介に対しての思いであろう。

 龍之介にとって夕子は、ありふれた姉以外の何者でもなかった。夕子が親友だと感じている令子にしても、彼女が夕子の特異性を認めた上で、友情が成り立っているといえる。ところが龍之介にしてみれば、夕子なんて苛められて傷付いて、大人に反発していびつな世界観に囚われた、情けない姉でしかない。

 龍之介は間違いなく、夕子を可哀想だと気遣っている、唯一の存在だ。夕子はそんな弟だから愛していると思えるし、これから先もずっと愛し続けていけると断言できるのだ。

 三十歳を過ぎたら凛とした家を建て、スープの冷めない距離に龍之介の為に優しい家を建てる。お互いに一人暮らしで、それぞれに気の合う仲間を呼んだりして、楽しく過ごそう。龍之介が結婚する訳がないと、夕子は勝手に決め付けている。

 今年の夏夕子が実家に帰省したとき、龍之介も夏休みで戻っていた。龍之介は全寮制フリースクールの三年生になって、少しは頼もしく見えた。家庭が貧しい以上に、考え方が貧困である両親は、そんな龍之介を見て肩の荷が下りたという風な様子だった。龍之介は少し華奢な風貌以外は、中学生の頃から何もかもが普通と言える子供だった。両親にしてみれば、龍之介が中学校へ通うようになって間もなく、登校拒否となってしまったことが信じられなかった。実際龍之介は苛められている訳ではなく、自分からクラスメイトや教師との関係を絶ったと夕子は思っていた。中二の姉がクラス中からしかとされているのは、保護者も教師も知らなくて、生徒全員に周知のこととなっていた。

 夕子は、耐えながら中学校というミニチュア社会の中で、いずれ取り込まれることになる社会と渡り合うための爪を磨き始めた。それに対し、龍之介は夕子を苦しめるであろう社会に憎しみと絶望を抱き、登校拒否という結果になったのではないかと。今のところ龍之介は、フリースクールという閉ざされた暖かきミニチュア社会から自分を遠ざける必要はないのだ。そこは欲望に基づく悪意とは無縁の聖地であるからだ。しかし、聖地から一歩踏み出せば、以前と何も変わることのない社会が、ジョーズのごとき口を開け待ち受けているのだ。そんなことなど両親は何も解っていない。

 夕子には、自分以上に龍之介が憎んでいる社会と共存する未来はない。それは、姉への思いやりゆえに傷付いた龍之介への裏切りだと思えるからである。

 夕子の目的はただ一つ、社会の頂点に寄生して搾取し、一刻も早く龍之介が失った世界を、正しい形で返してあげることだ。


 風呂から上がりパジャマに着替えた夕子は、机の上に置かれていた「モスラが好き」をトートバッグに放り込み、本棚から別の本を取り出した。それは夕子が選択した教育論の教授の著書で、メディアリテラシーに関するものであった。夕子はその講義の中で「メディアリテラシーって何の意味があるんですか」と質問して「私の本を読んでリポートするように」と申し渡された。提出期限は次回の講義まで、即ち明日の月曜日までであるが、本棚に収納したまま今日まで放置していた。読むまでもなく内容の見当は付くが、証拠となる固有のキーワードを一つや二つピックアップする必要がある。

 夕子は読み終えた後パソコンを立ち上げ、二千字でメディアリテラシーの必要性を強調したリポートを作成した。それは夕子の考えとはまるで違っていたが、単位を落とす訳にはいかなかったのだ。夕子は本を読みながら、こんな面倒を背負い込むことになるなら、教授に反発しなければよかったと思ったが後の祭りだった。

 夕子は大抵のことは聞き流すが、講義中に教授が自分の著書を自画自賛しながら、メディアリテラシーの必要性に言及したときに、学生が頷いて同意を示すのを見て、大人気ない行動に及んでしまったのだ。夕子はリポートをプリントアウトしながら「それでも人は騙される、真実は残酷だからだ」とつぶやいていた。

ガリレオの言葉と似通ってはいるが、全くことなっている。ガリレオが遭遇した局面の対抗勢力は、法王から一般市民に至るすべての人々の信仰や無知で成り立っていた。夕子の対抗勢力は、一言で言えば社会の仕組みということになる。


 夕子の家庭は、両親と夕子、一歳年下の龍之介の四人家族で、3LDKの賃貸マンションに暮らしていた。二〇〇〇年夕子が中学生になって間もない頃、父親が浮かない顔で帰宅したかと思うと、食事の支度を終えた母に向かって「非正規雇用」になってしまったことを話していた。そのときの夕子は「非正規雇用」の意味するものなど解らなかったが、ただならぬ両親の狼狽振りに、喜ぶべきことではないことが起きてしまったのだということだけは理解出来た。後日母親から聞いた話によれば「非正規雇用」になった理由というのが、アメリカ支店への転勤を断ったからだということだった。

 上司から転勤の辞令を渡された父は、青天の霹靂よろしく人事課に駆け込んだらしいが、人事担当者にアメリカ支店の日本人はエリート社員ばかりだから栄転だといえるのに、仮にも拒絶するようなことでもあれば「正規雇用社員」の身で甚だ遺憾なことである、と切り捨てられたらしい。

 最大の問題は、父がエリート社員ではなかったということだった。高校を卒業して以来その会社で営業マンとして頑張っていた父は、中学一年生の夕子に英語の質問をされてたじたじとなっていたくらいで、アメリカなどという国は父にとっては火星や土星ほどに遠い存在だったのだ。

 結局アメリカ支店への転勤を固辞した父は、それ以来「非正規雇用社員」の立場に甘んじることを余儀なくされ、年一回の契約更新の度に冷遇の度合いを増しながら現在に至っている。

夕子の両親は共に貧しい家庭で育ち、既に亡くなっている親から相続したものなど何もない。夕子の母親もコンビニのパートタイマーとして働いてはいるが、大学の学費などとてもじゃないが捻出出来る訳がない。

 夕子は高校生になった頃から、自分と登校拒否を続けている龍之介、二人分の将来に希望を見出す方法を手探りしていた。龍之介が私設の全寮制フリースクールへ入ると決まってから、それはなお更切実なものとなった。「このままではいけない、何とかしなければ」このままでは、日本という国に生まれた恵まれない私たちの子供たちは、更に底辺へと、日々を生き抜くことさえ困難な状況へと陥ってしまう。


 夕子の高校での一年間は、そんなことを考えているうちに過ぎ去ってしまった。令子がおじいさんから聞いた話によると、一九九九年は日本にとってある種の破滅が現実となった年であったということだ。

 一九八六年に労働者派遣法が制定され、政令で定められた専門性のある業務にのみ、労働者を供給することが認められた。それ以降一九九九年まで派遣社員の増加に比べ、正規雇用社員は暫増に止まった。

 一九九九年に労働者派遣法が改正され、ほとんどの業務での労働者派遣が認められるようになると、派遣労働者の立場は商品化され、正規雇用社員は減少の一途を辿る一方で、派遣社員は止まることなく増え続けている。

 また、労働者派遣の競争が激化するに連れ、派遣社員の最低賃金化が進行している。それに伴い、正規雇用社員の賃金の切り下げ、実行不可能な無理難題を押し付けての、非正規雇用化の動向も年々顕著になっている。

 親の財産や年金を当てにしていると、若者に対しての非難めいた論調もあるが、ワーキングプアである男女が家庭を持ち、子供を産み育てて行くに際し、恵まれた立場にある親が経済的援助を与えることは、当たり前のこととなりつつある。

 親に寄生しなければ生きて行けない若者は、格差社会という表現を用いれば確かに底辺であるに違いない。「格差のない社会」などと政治の中で議論されるのは、こういったケースを指してのことだ。しかし、親に寄生すら出来ない若者が、ワーキングプアの状況のまま放置されているケースについては、メディアは好意的であるとはいえない。ネットカフェに暮らし、自由を謳歌しているように見えても、帰る家もなく、生活保護水準以下の仕事しかない若者は数え切れないほどいるのだ。

年 金で暮らしている甘ちゃんの高齢者が「私も若い頃は同じように苦労したものだ」というのなら、現在の状況に、高校を卒業したばかりの自分を置いて、シミュレートしてみればいい。果たしてあなたは生き抜けますか?

 仮に、頼るべき親もなくアルバイトで生活している貧しい青年が、何処かの政党の思惑で政治家になったとしても、彼はワーキングプアの意見を代表などしてくれないだろう。真に虐げられつつある者の未来を摘み取ることで、民主主義的奴隷制度を構築しなければ、資本主義経済を維持出来ない状況では、ワーキングプアの問題と真剣に取り組む政党などないのである。

スラム街に育って周囲の応援を受けながら、NBAで活躍する選手になるのなら、それはアメリカンドリームだろう。スラム街に育って周囲の応援を受けながら、有力な政治家になったのなら、彼らのために力を尽くさなければ、それは詐欺というものだろう。

 他の国で有効な教育がどの国でも有効とは言えない。(メディアリテラシーなんて教育はカナダとかではさぞかし為になるでしょうよ。植民地などという意識もなく、独立国家であると自負しながらも、世界中で唯一の傀儡国家日本……。傀儡政権なら同じ国の中での覇権争いであるだけ、まだましね)そんなことを思いながら夕子はあくびをしてベッドに潜り込んだ。


「おはよ」

 夕子は開いたドアのすぐ左手の座席に座っている令子に声を掛けた。令子の前に立ち、吊革用のパイプに指を掛けた夕子は、機嫌良さそうな笑顔を浮かべていた。薄い水色のブラウスの袖口から覗いた手首、ステンレスのパイプに絡ませた指、エーゲ海の底に沈む、失われたヴィーナスの片腕のことが令子の頭をよぎった。

「おはよ。昨日はおかしなことになってごめんね、あの後ちゃんと帰った?バイトで遅くなったので電話しなかったけど、夕子の様子いつもと違ってたし」

「デートしてホテルへ戻ってご馳走してもらったよ。」

「それから?」

 令子は声を潜めて言った。

「それから?」と夕子は鸚鵡返しをした。

「その後は?」

「下宿まで送ってもらった」

「ふうん……。良かったじゃない」

 その言葉は令子自身に向かって言っているようでもあった。

「モスラが好きって知ってる?」

「九条さんが?知ってるわよ、当たり前じゃないそんなこと」

「モスラが好きという小説よ、彼は作家でペンネームは六条陽平なの。私が中二の頃ちょいブレイクしたんだけどなあ。モスラフリークの令子が知らないってねえ」

 中二といえば、令子が勉強漬けの日々を送っていた頃だ。

「……ふーん…そうなんだ。知らなかった」

 令子は少し悔しそうに言って、九条陽平さんが作家だと言われても全然ピンとこないなあと思いながら、昨日の夕子の様子を振り返っていた。

「夕子、始めから知っていたのね」

「はい、マイフェイヴァリット小説ですから」

「『モスラが好き』か、不覚……」

 モスラフリークを自認する令子に取っては、少なからずショックな出来事だった。

「今じゃどの店にも置いてないみたいだし、モスラは登場していないよ…。それよりちょっとこれ見てよ」


 夕子がトートバッグから取り出したのは一通の封筒だった。

「なに?」と受け取った令子は「○○助教授様って…変」と夕子を見上げ、声を潜めて「まさか夕子、私に斡旋しろと?」と言った。

「いつも顔を合わさなきゃならない人間は必要ないって言ってるでしょ。それに女だし、リポートよ」

 令子は紙切れ一枚のリポートに目を通し「このお座なりなリポートを、添削しろとでも?」と言った。

「まさか、ただ悪意のようなものが感じられないかと思ってさ。優でなきゃ単位取っても意味ないし」

「その意味では完璧ね」

 令子や夕子にとって、この手のリポートに関しては、決して正論にこだわらないことこそ、優を取るためのセオリーだった。

 令子は紙切れを封筒に入れ、夕子の手に戻した。何のペナルティーかは知らないが、この紙切れ一枚で帳消しになることは間違いなかった。

 電車から降りるとき、夕子は乗り合わせた女子高生の誰にということもなく手を振った。女子高生たちもまるで夕子がクラブの先輩であるかのように笑って手を振っている。令子といる夕子は後輩に慕われる綺麗なお姉さんという感じだが、一人のときはどうしているのだろう。令子にとって興味はあるが、夕子には完璧な処世術が備わっているので心配はしていない。

 

 朝一番の講義が始まった。夕子はリポートを提出するために最前列に席を取っていた。九月から使用しているテキストはやはり教授自身の著書である「恣意的教育論」というタイトルの本だ。初めてタイトルを見て夕子は、恣意的って誰がよと思った。

 ペラペラとページを繰ってみると児童・生徒が恣意的である教育のことらしい。今の時代、最低限学校は抑圧の場であるべきだろう。家庭でさらに抑圧するか、抑圧と解放を与えるか、または、解放のみを与えるか、それは親次第というものだ。

 夕子は最近テレビで見たシーンを思い出していた。それは、たくさんの子供たちが好き勝手に意見を交換する番組でのことだった。そこでは足の不自由な子、目の不自由な子、自閉症の子、苛められていた子、様様な子供たちが、自分の体験談を話してそれについて、意見を述べ合っていた。

 足の不自由な子が、外の世界で不都合と感じていることを話した後で、ある女の子が「私たち健常者には経験がないので分からないことですが……とにかく私たちは、何らかの障害を持つ人たちのことをもっと理解して、共に生きて行くための環境づくりを心がけなければならないと思います」と発言した。

 そこでまた別の男の子が「僕は心身に障害はありませんが、障害のある人たちも、その障害についての自己認識を深め、社会の中で生きていけるように努力するべきだと思います」と発言した。

 それを聞いて夕子は「てめーら、自分のケツのハエを追いやがれ!」と言いたい思いに駆られたが、思考回路に以上を来たしているとしても、出来の悪いコピーである彼らを責めるのは、お門違いだということは自明の理であった。果たして何をもって健常者なのか、夕子は自問していた。

 彼らに健常者などという有り得ない妄想を抱かせているのは誰だ。障害のある子供たちが社会に適応するための教育を受けている間に、自分のことを健常者と言い切る子供たちは何を与えられているというのだ。仮に健常者なる子供が存在するとして、彼らにとって社会はいとも簡単に対応できる生易しいものなのか。社会は生きている、そして健常者などと思い込めるパラノイア的人間は、致命的な程に社会を知らない。

 講義が終了した。夕子は助教授に駆け寄り丁寧にお辞儀してリポートを手渡した。今日の講義は何も聞いていなかったので、新たなリポートを提出する羽目にはならなかった。

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