第八章 私のイーちゃん
第一試合に勝利した女剣士チズル・グラシエンラは、子どもに乳を飲ませるため、宿泊先の教会に戻った。
部屋のベッドにいるはずの赤ん坊の姿がない。
「イー? イーちゃん! どこ?」
世話役の中年女が連れているのか?
探しに部屋を出ようとしたところ、机の上に一枚の手紙が置いてあった。
宛名はチズル・グラシエンラ殿と記されている。
封筒を破るようにして開けると、中に紙が一枚、筆跡を残さないよう、つぶれた文字が数行あった。
『息子は預かった。
貴女は【天啓の剣】を手に入れることはできない。
貴女の息子は天啓の神器を扱える。
丁重に保護するので心配するな。
息子を返してほしければ【天啓の指輪】をもって、【デロス神殿】に参じよ』
「イーちゃん、【イグニス】!」
黒マントに身を包むチズルは、長椅子が並ぶ礼拝堂へ急いだ。
「私の子どもがいなくなった。息子をどこへやった!」
人気のない聖堂に、彼女の声が響き渡った。
神父と中年女がいた。
「あなたの息子がいなくなっただって? なんということだ」
神父は驚きと心配が入り交じった表情をする。
「……」
チズルは黙って二人を睨みつける。
「ちゃんと面倒をみていました。さっき……、おしめもとりかえました……」
世話役の女はチズルの剣幕におびえている。
「トライアード教会の貴様が企てたのだろう」
チズルはつかつかと神父に詰め寄る。
騎士を軽々と倒す力を持つチズルのオーラに、神父はすこし委縮した。
「誘拐か……。教会がそんなことをするものか。冷静になりたまえ、ここは警吏に連絡して……」
「私の息子をおまえたちトライアードが連れ去ったんだ!」
チズルは黒マントからムチを取り出した。
「おやめください」
女はチズルの片足にすがった。
「わたしの不注意です……、打つなら、このわたしを」
「トライアードが連れ去った。置き手紙があった」
「置き手紙? 何のことを言っているのか、さっぱりわからん。拝見しよう」
「だめだ。知っているくせに。神父よ。あんたは教団の幹部に従うしかないものな」
チズルは神父に、憎しみと軽蔑のまなざしを向けた。
神父のほうも、チズルから言われなき誹謗を受けて、怒りがこみあげてきた。
この悪党女に殺されようとも、教会の名誉を汚す発言に抗議しなければならない。
「侮辱するにもほどがある。私も言わせてもらうが、マントで身をつつみ、武器を持ち込むあんたが、子どもをさらってきたと疑っても不思議じゃない!」
チズルのムチを掴む手に力がはいった。
「おやめください! 神父さまもおやめください」
女は強い力でチズルの両脚を抱きかかえる。
チズルはムチを黒マントの内にしまった。
「……もういい。おばさん。放せ。礼拝堂で取り乱した私が悪かった。神父もおばさんも目を見たらそんなことをしていないとわかった。すまない」
「まったく。神の御前で、何という振る舞いをするのだ。だが、子どもが連れ去られたからには捜索に我々は協力するが」
「もういい! 私だけでなんとかする。おばさん……。世話になった……。すまない」
チズルは手紙を胸の谷間にはさみ、慈善教会を後にした。
外の敷地に出た瞬間、チズルは地べたに座り込み、顔を崩して泣きさけんだ。
「ああ、イーちゃん。私のイーちゃん。勇者イグニスの息子、イグニス……」
しばらくしてチズルはゆっくり立ち上がった。
チズルは晴れた空を見上げた。
青い天空には太陽と雲しかない。
「デロス神殿だな。神殿へ行けばいいんだな」
・・・・・・・・
『会場の皆様にお知らせします。
準決勝進出のチズル・グラシエンラ選手は既定の時間内に姿を現さなかったので、棄権とみなし、エリオ・ソフィー・フォン・ソードスワード選手が決勝進出となります』
係員たちが大声で観客たちに伝えまわっている。
「エリオが先に決勝にいった。いっちまった」
突然の知らせに、ユウは拍子抜けした。
「チズル・グラシエンラ。謎の女だった。戦うのがイヤだったし。変態よりマシだけどさ」
エリオ・ソフィーは、ほっと胸をなでおろす。
「シエナの騎士団長をやっつけたからな」
シマデ・ミカがパンパン手を叩いてユウを鼓舞する。
「さあ、さあ、さあ、ユウ、キンスロットとの一戦に賭けろ」
「はい!」
観客の声援に迎えられて、闘技場にユウ・ナギノとレーゲン・キンスロットが姿を現した。
キンスロットは、藍色の詰襟服姿で、軍帽、いや学帽をかぶっている。
襟足から、銀色のさらさらした髪が覗いている。
すらりとした長身に、トライアードカラーの制服。
純真無垢な身を、神に捧げるかのようなスタイルだ。
そして、両腰にそれぞれ細く長い剣を差している。
「キンスロット様ーっ」
客席から女性の叫び声が飛び交う。
「ドス黒野郎。ずいぶんとコスプレが決まっているな」
普段着のユウは、キンスロットを揶揄した。
キンスロットは、ニヤけた顔をまわりに見られないように、深く学帽を被り直した。
「こみ上げる笑いがとまらないぜ。ユウ・ナギノよ。お前はとことん期待に応えてくれるやつだ。こうやって、俺に負け、俺の優勝に貢献してくれるとは」
「決勝でエリオが待っている。だから俺は負けるわけにはいかない」
「だっはっは。そうだよな。エリオちゃんには可哀相だが、お前を倒し、エリオちゃんにも勝ち、俺が天啓の剣を貰い受ける! 剣を手に入れれば、もれなくエリオちゃんもついてくる」
ユウは思った。
(天啓の剣を身につけられるのは俺だけだ。誰に吹聴されたのか、愚かな男だ)
「キンスロット! 貴様は名誉欲だけだな。地位のある市国長の娘だからエリオを欲しがっている。愛情なんてないだろ」
「だまれ! 下賤な輩め。我々トライアード教の信仰に厚いものは精霊の声を聴くことができる。精霊は言った。『剣術大会で優勝せよ。ユウ・ナギノを倒せ』と」
キンスロットは、細く丈が長い二本の剣を両手に持った。
「それでは決着をつけよう」




