第四十四章 ハルハイベル最後の夜
ハーシュラーム北西部 ハルハイベル
勇者ユウ・ナギノは、統括監察官ベクシンシュタインに論戦で、圧倒的に不利な立場から勝利した。
万事を司る力を急遽失った統括官は、さっそくハルハイベルの部族たちによって、教会にある藍色づくしの例の部屋に押し込められた。
その鉄格子付きの部屋に、今日の朝はユウがいて、その前の日はカラーラ姫が夜を過ごした。宿泊者の入れ替わり模様は、誰も想像できなかっただろうとユウは思った。
その夜、背の低い草がまばらに生える砂漠の地で、大勢の人間が火を囲んで、歌や踊りを楽しんでいた。
腹がでっぷりと出たハルハイベルの部族長が、ベクシンシュタインを倒した祝いとして、宴を開いたのだ。
こんがり焼けた羊の丸焼きと、ヤギの乳酒、貴重な淡水湖のそばで採れたブドウやオレンジ、ナツメヤシの果物類がふんだんにふるまわれた。
宴には、勇者ユウ・ナギノと、エリオ・ソフィー、レーゲン・キンスロット教皇騎士団長と、ハーシュラーム国王のラベラーダ、そして妹のカラーラ姫が参加した。
明日、ハーシュラームから、王と姫を迎える遣いが到着する。
王と姫は南のハーシュラームへ戻り、勇者一行はそのまま北のソードスワードを目指すことになる。
宴の場で、ユウとエリオは並んで座り、羊を焼く火を眺めていた。
砂漠の夜風にさらされ、地面につく尻がひんやりするが、肉を焼く熱い煙が顔面に迫ってくる。
ユウは独特な臭みのある串刺しの肉塊に、香辛料をたっぷりふりかけ、一口齧っては、乳酒で流し込んだ。
「食べづらそうね」
エリオ・ソフィーは、少量の羊肉をはさんだパンと、果実のジュースを口にしている。
「肉も乳酒もご馳走なんだろうけど、どうも後味が慣れないんだよな」
「ユウ、宿屋のおかみの手料理がなつかしいでしょ。やっとソードスワードに帰れる。明日、ハーシュラームから遣いと一緒に来るアルトとシマデと合流できるわ。もう、砂漠の世界はうんざり」
エリオ・ソフィーは、ライトブラウンのくせ毛にこびりついた砂をぱっと払った。
「エリオは今夜、教会に泊まるの?」
「たぶん。でもユウはもう、あの教会には泊まりたくないでしょ。閉じ込められたあの建物はいやでしょ?」
「そうだな、今夜はハルハイベルのテントに泊まらせてもらうよ」
「私もテントに泊まってみようかな……」
「無理するな。教会の綺麗な部屋に泊まりな」
「うん、そうする。やっぱり、教会施設はソードスワードっぽくて安らぐんだよね。もう砂漠はうんざり」
「それ、さっき聞いたよ」
宴もたけなわのなか、肉と酒で腹をふくらませ、赤ら顔になったハルハイベルの部族長が立ち上がり、部族の女たちと酒を酌み交わしていたキンスロットと騎士団員に向かって大声をあげた。
「おい、騎士団のお前ら。言いたいことがある。ベクシンシュタインとナンバー3を我々に引き渡してもらいたい。我々の手で、やつらを八つ裂きにする!」
部族長はオレンジの玉を握り、指先に力を入れて、ぐしゃっと潰した。
ハルハイベルの男たちが手を叩き、声をあげてはやし立てる。
銀髪のキンスロットが、酒のグラスを傍にいた女に手渡して立ち上がる。
「統括監察官は、教皇騎士団が責任をもって、ソードスワード市国のトライアード教皇庁へ護送する。もちろん、ハーシュラーム国の姫を誘拐した罪人としてだ。当然に、統括監察官は裁判を受け、相応の処罰がくだされるだろう」
「いやいやいや、甘っちょろいわあ。逃がしますって白状しているようなものだ。教会であのジジイの影響力ってのは、そう簡単になくなるものじゃないだろ」
酔いがまわった部族長は、ダミ声で不満を表した。
「ベクシンシュタインの部下の騎士たちは、私が長をつとめる教皇騎士団に編入する。ほかに悪さを企む監察官がいても、もう私の騎士団に対抗できません。私は教皇とともに、統括監察官を追及し、厳正に罰します」
レーゲン・キンスロットは、えらく丁寧な口調で説明する。彼は、トライアード教の人間の立場で話している。
「あのジジイは、姫を誘拐した疑惑を我々にかけさせたのだぞ。我々ハルハイベルを侮辱したのだ。万死に値する!」
「教団幹部が起こした事件は、私としても本当に申し訳なく思います。ハルハイベルの部族を汚したことを、裁判でかならず考慮に入れるつもりです」
それからキンスロットはより深く頭を下げて、これ以上にとりようがない誠実な態度を見せた。
「だめだ。よこせー! ベクシンシュタインを引き渡せ!」
部族の男たちが立ち上がり、騎士団長に向かって声を上げる。
トライアード教団によって、いままで抑圧されていた部族たちの怒りが爆発しそうになっている。
「本当に、申し訳ない」
長めの銀髪を前に垂らして、キンスロットはただ頭を下げている。
「腹の虫が治まらん! ふざけるな! 今すぐベクシンシュタインとナンバー3を出せ!」
「いやだ。この流れ」
ジュースのコップを手にするエリオ・ソフィーは、ただ座って傍観するしかない。
そのとき、ユウ・ナギノが立ち上がった。
ふたたび彼の腰に携えられた天啓の剣は、あらゆる者に対する中立性を表していた。
まず、ユウはキンスロットのほうを向いた。
「キンスロット。ベクシンシュタインはどうしている?」
「統括官は、お前が昨晩いた部屋にいる。すっかり意気消沈し、まとめた白髪も振りほどかれて無様なものだ。与えられた食事に手をつけていない。あの老人は観念しているようすだぞ」
「そうか」
ユウはつぎにハルハイベルの部族長のほうを向いた。
「部族長。鉱山を手放すつもりか?」
「鉱山?」
赤い顔の部族長は、怪訝な顔をして聞き返した。
「ハルハイベルの支配域に宝石が採れる鉱山がある。これはベクシンシュタインの技術指導によって開発されたものと聞く。ベクシンシュタインはトライアード教をハルハイベルの部族の土地に広め、ハーシュラーム国を牽制していた」
「よ、よく知っているな」
ユウはハルハイベルに向かう道中で、いくつかの山の谷間を抜けた。
「ラベラーダ王から聞いたのさ。で、長年にわたって、採掘して得た宝石は、ハルハイベルの部族に富をもたらした。ベクシンシュタインも富を得て権力を握った」
「うむ」
「あなたがたは、統括監察官を排除できなかった。排除しようと思わなかった。あなたがたは、その力があるはずなのに、統括官に従って味わう屈辱と、得られる富を天秤にかけていたのでは?」
「むー」
部族長は酒まじりの鼻息を吹かせて、勇者を見据えた。
まったくの正論だった。
「ベクシンシュタインは、この地にもう関与できなくなる。勇者抹殺の企て、ハーシュラーム国の姫の誘拐。そして、あなたがたを侮辱したことは許しがたい。ですよね?」
ユウは淡々と申述する。自然に湧き出る泉のように、よどみなく言葉が紡がれていく。
部族長は、審判の場で統括監察官がされたように、勇者にやりこまれるのではないかと内心ヒヤヒヤし始めた。
「わ、わかった。勇者の言いたいことがわかった。ベクシンシュタインがいなくなった後は、我々自身の足で生活していかなければならない。ということだろう? 我々は鉱山を捨てることもできるぞ。本来の遊牧の暮らしに戻ろうか。そうすれば、失いかけていた部族の誇りを取り戻すことができる」
「鉱山を手放せるのですか?」
ユウが部族長にむかって再度、質問を投げかけた。
「い、いや。それはこれから考えることだ」
「別に、あなたを追い込もうとしているのではない。俺が伝えたいのは、あなたがたは、ハルハイベルの部族であるとともに、ハーシュラーム国の一員だってこと」
「そうだった」
部族長は自分の頭をひっぱたき、ラベラーダ王のもとへ歩み、王の手をとった。
「ラベラーダ国王」
「はい……」
ラベラーダ王は、部族長の豹変に困惑する。
「これから国を治めていくのは大変なことだ。地方の部族、特に我々ハルハイベルが、トライアード教にうつつを抜かし、かなり気を揉ませてしまった」
線が細く心優しい国王は、おだやかな顔をした。
「こうして手を取り合えたではありませんか。僕から、ハルハイベルにかけられた妹の誘拐の疑惑は、ほかの部族にもしっかりと説明をしておきますよ」
「そ、そうか。ありがたい」
「はい。お互い連携して、ハーシュラーム国の民を豊かにするよう知恵をしぼって参りましょう。部族長よろしくお願いします」
「王よ。我々はあなた様の味方です」
・・・・・
「何、さっきの。まるでソラナみたいじゃない?」
宴が終わったあと、ユウとエリオは砂漠の淡水湖のほとりを歩いていた。
エリオ・ソフィーは、ユウが統括監察官を論破し、さらに部族たちが暴れだした場を見事におさめたので、彼をとても頼もしく思った。
一緒に歩いているだけでも胸が高鳴ってくる。
「はは。俺にソラナが乗りうつったのかな。ソラナがあの場に立ったなら、みんなはもっと素直に耳を傾けただろうね」
「ソラナ、ソラナ、ソラナ。はあーあ。やっぱり、ユウはソラナが恋しいみたいね」
「もちろん。妹だからな。俺がソラナに似た振る舞いを見せたのも、血が繋がっているからさ」
「いいわっ。妹だから」
エリオ・ソフィーは含みを持たせて言った、
草原の砂漠の上空にある星星は、はっきりと輝いて綺麗だった。
・・・・・
ユウは、教会に泊まるエリオと別れて、寝る場所に向かった。
厚い布で覆われたテントは、入口で靴を脱ぎ、中はゴザが敷いてあって、居心地が良さそうだ。数人は泊まることができる広さだ。
このテントにキンスロットも泊まるが、彼はまだ騎士たちと飲んでいる。
ハルハイベルの部族長は、勇者と騎士団長に、踊り子たちのテントに泊まらないかと持ちかけたが、二人は断った。
そんなことが、エリオ・ソフィーの知ることになったら、考えるだけでもおそろしい事態が発生する。
ユウは寝転がって、厚い布を裂いてつくった窓から流れる風にあたっていた。すると、獣か何かがひっそりとテントの中に入ってくる気配を感じた。
褐色の肢体に、らんらんと輝く瞳を持つ獣がユウに覆いかぶさってきた。
「にゃー」
「!?」
ユウは意表を突かれ焦ったが、飛びついてきた主の正体を知って腰を抜かしそうになった。
カチューシャおでこのカラーラ姫だった。
「姫?」
ユウの上に乗るカラーラはくすくすと笑っている。
羊の肉と酒がまじった野性的な吐息を感じる。
ノースリーブの露わになった脇と、体にタイトなレースワンピが魅惑的だ。
「勇者さま。わたし、勇者さまの国に行きたい」
ユウはしばらく、驚きで声が出なかった。
ユウはそっと、カラーラの頭に手をやり、カチューシャを外すと、瑞々(みずみず)しい黒髪が舞った。
「姫。酔っているじゃないか」
「ううん。酔ってなんかいないよ。連れて行って勇者さま」
姫はユウの胸に頭をうずめた。
本当に意外だった。
彼女は、兄のラベラーダ王がカジノに明け暮れるなか、王族として代わりに国を仕切っていた。
王宮にすがってくる貧しい人々に施しを与えていた。
ラベラーダ王が政治に戻り、地方の部族とも話をまとめ、いざ、兄と妹で国造りをする手はずが整ったばかりなのに……。
「姫、これから姫はラベラーダ王とともに……」
「面白くない! 面白くないよ。勇者の言うことなんか! あんたのセリフなんか全部わかるわよ!」
カラーラ姫の叫び声の振動が、ユウの胸を貫いた。
「姫」
「ねえ、わたしがソードスワードに行ったら面白いと思わない? 褐色の肌の姫を勇者が連れ帰るの。面白いよね?」
ユウは思った。
カラーラ姫は、自分と同じくらいの年齢なのだ。
こんな娘が国を任され、誘拐されて人質にもなったり、彼女は相当に無理を重ねてきたのだ。
これからさらに、兄を支えて国を治めろと期待されても、荷が重いのは確かだ。
「勇者はもっと、面白いことをしてよ。ソラナさんのマネなんかして、大人を諌めても似合ってないから」
強烈な一言だった。
ユウは剣の戦いでチズルを破り、天啓の門の先で精霊を葬送した。いつのまにか、自分は本物の勇者だと思い込んでいた。
審判の場で統括監察官に口で勝ったが、本当に自分で吟味して発した言葉なのか、疑わしくなってきた。
カラーラ姫はそれを見抜いたのだ。
「ユウ。ただいま」
テントに、キンスロットが帰ってきた。
「ぎえええ」
ユウの上に乗っているカラーラ姫を確認して、キンスロットは声にならない悲鳴を漏らした。
「どいてくれないんだ」
「どかないわよ。ええと、キンスロットさん。踊り子のテントに行ってくれば? とっても可愛がってもらえるんじゃない?」
「無理。俺には立場ってものがある。って、姫? ですよね?」
「あーあ、酔いが醒めちゃった。もうつまんない」
ようやくカラーラはユウの体から離れた。
「姫……」
「ソラナさんをこの世に戻してあげて。このままじゃ、勇者さまは、つまらない男になるから、エリオさんにも振られると思うよ」
カラーラ姫は黒猫のようにテントを去っていった。
「ユウ。びっくりだなー。あの姫から、あんなことをしてくるなんて。俺は邪魔をしたか?」
「いいや。助かった。俺もいろいろとショックだ。秘密にしておいてくれ」
「どうしようか。エリオちゃんに報告しとく」
「てめえ殺す」
ユウは起き上がってキンスロットに飛びついた。
ハルハイベル最後の夜がふけていった。




