第三十八章 あたらしい決断
デロス神殿
山の高みにある神殿は、夕凪に包まれていた。
あずまやの香炉の火は燃え尽き、神殿を覆う煙は消えていた。
ユウ・ナギノは目を覚ました。
みんなが、自分の顔を神妙な面持ちになって窺っている。
「ユウが気づいたわ」
エリオ・ソフィーの声が耳に入ってきた。
「ソラナはどこ?」
ユウは寝そべりながら当たりを見回したが、彼女の姿はない。
エリオ・ソフィーは首を横に振った。
「天啓の門は青白い光を発射して消えたわ。残されていたのは、ユウとメイサだけ。ソラナはいなかった」
「ソラナ……」
寝たままユウは、天啓の門があった虚空に顔を向けた。
「メイサはねー。門の先のことは途中までしか覚えていないよ。途中で精霊に憑かれたからねー」
ユウより先に目覚めたダル・メイサが、姉のミリィに寄り添いながら、輪冠を持ってきた。
「天啓のサークレットを残して、ソラナは行ってしまったんだよ」
まだ立ち上がれないユウは、ダル・メイサからそれを受け取った。
「天啓の門よ。ふたたび出現せよ!」
輪冠は彼の頭を通らなかった。
「くそっ」
ユウは床を叩き、あおむけになって寝転んだ。
「ソラナさんが消えたなんて……、ぼくは、受け入れられません」
アルト・プレヴィンが、神殿の床につっぷしてすすり泣いた。
ソラナに寄り添い、彼女の行動に感心し、彼女の言葉に耳を傾けて、天啓を信じるこころを育んできたアルトにとって、この結果は残酷だった。
「消えたのは精霊だよー。ソラナはいるよ。こことは違うところにいるんだよ」
ダル・メイサは、ソラナが消えたという解釈を否定する。
「ああ、消えたのは精霊さ。いままで精霊が支配していた世の中は変わる」
精霊は消えた。
天啓についてはどうか。
天啓は門の番人として、ソラナを選んだのか。
ユウはソラナの最後の表情を思い出した。番人となるのを、彼女はあきらかに拒絶した、とユウは感じた。
「ソラナ……、天啓の門にずっといるなんて嫌だよな。また、俺たちに会いたいよな。この世界で生きたいよな……」
ユウは精霊の言葉から、世界の構造について、だいたいのことは理解した。
天啓の門番は、世界を見渡して、下界に声を届けて人を導く。
それは次の勇者が天啓の門の石扉を開けるまでの間だ。
その期間は、おおよそ一千年の長きに及ぶ。
・・・・・
一人の男が神殿の階段を登ってきた。
「天啓の門が開かれたようだな! 清々しい空気に満ちている。世界は浄化されたのだな!」
銀髪の男は、晴れ晴れとした声を出す。
「キンスロット!」
ユウは立ち上がった。
キンスロットは、ドラゴンスレイヤーと覆面を手にしていた。
「ナンバー9を倒したか」
「あたりまえだ」
勝ち誇った顔のキンスロットは、うやうやしくエリオ・ソフィーのもとにゆき、片膝をついてドラゴンスレイヤーを差し出した。
「エリオ・ソフィー様。ソードスワードの家宝をお持ちしました」
キンスロットはあこがれのお嬢様に紳士的な態度を表している。
「ああ、うん。ありがと」
エリオ・ソフィーは困惑して剣を受け取る。
「おまえ、俺たちに道を譲るフリをして、チズルとの戦いを避けただろ」
ユウはキンスロットに投げかける。
「ああ、私は天啓の剣を持つユウに負けるまでは、一番強かったからな。覆面男なんて私の敵じゃない」
チズル・グラシエンラが、たたみかける。
「いや、だから……、騎士団として、ナンバー9を討たねばと……。あのときは一刻も早く勇者に天啓の門を開けてもらおうと考えたわけだ。あれ、勇者ソラナ・シエナステラのお姿は……」
苦しい弁明の途中でキンスロットは気がついた。
・・・・・
キンスロットもソラナの消失に困惑した。
ただ、キンスロットの表情に顔に悲しみの色はなかった。
天啓の意思が顕現した。
ソラナが、天啓の門番となるのは、喜ばしいことだ。
精霊に代わって、ソラナが我々に声を届けてくれるはずだ。
キンスロットはそう言った。
「勇者ユウ・ナギノ。私の夫の代わりに天啓の門を開いてくれた……。精霊を倒し、よくイグニスのかたきをとってくれた」
チズルがユウをねぎらうように肩を叩く。
「精霊を倒したとは思っていない。あれはとっくに寿命を迎えていた。消え去る運命だったんだ。それに俺たちが立ち会っただけだ」
ユウには、チズルの明るいに態度にも納得いかなかった。
(ソラナは俺の妹だ。チズルよ、血のつながりがなければ、ソラナのことなんてどうでもいいのか? ああ、そうか、チズルは自分が生んだ子をあんなに大切に抱えているものな)
ユウは決断した。
(ソラナをまたこの世界に帰すぞ。
たとえ、天啓の意思に反することになっても、俺はやる。
俺とソラナは、天啓を信じてきたが、これだけは、抗いたい。
天啓の意思ははかりしれない。
天啓はすべてに先立つものであることは認める。
だけど人間に、天啓の意思なんてわかるわけがないんだ。
ならば、俺はちっぽけなひとりの人間として立つ!)
・・・・・
数日後
「おーい、シマデッー。こっちこっちー」
エリオ・ソフィーが、町外れにある岩の上に立って手を振っている。
赤毛のシマデ・ミカの操縦する馬車がやってきた。
ハーシュラームで商売をしていたシマデは、トライアード教皇庁から、勇者の帰還を援助する命令を受けた。
「シマデさん。来てくれると思いましたよ」
「おお、ユウ。物資食糧をたっぷり積んできたぞ。帰りの道は快適だ」
「ええ。シマデさんが扱う品物はいいものばかり。シマデさんから買った馬車は、すっかり自分の家以上にくつろげます」
「はは。馬車の中に住めばいい。でも、みんないい武器を持っているから、剣が売れないわ。なんなら買い取るぞ」
「みんな霊験がある剣を使っています。手放さないでしょ」
「おっと、ソラナは?」
シマデの一言にユウは口をつぐんだ。
デロスを出発する時が来た。
勇者一行は、ハーシュラームを経由して、ソードスワードを目指す。
トライアード教皇庁のヴァルダスティ三世に、勇者事業の結果報告をするのだ。
「ユウお兄ちゃん。みんな。また、デロス神殿に遊びに来てね」
ダル・メイサが挨拶する。
イグニスの娘ではないが、ダル・メイサに妹のような愛着がユウの心に沸いてきた。
一緒に天啓の門をくぐった仲だ。精霊に対峙するにも、巫女のダル・メイサがいたから心強かった。
ユウはツインテールの頭を抱いた。
「ダル・メイサ、西へ行かないか?」
「いきたいよ。でも、まずはミリィと一緒に、デロス神殿を守っていくよ」
ユウはもう一度、ダル・メイサの頭を撫でた。
(この子は、精霊に見初められたんだな)
天啓の門の先にいた精霊への憎しみが和らいだのは、精霊がダル・メイサの姿かたちをしていたからだ。
「わかった。神殿をまかせたぞ」
「うん。ソラナお姉ちゃんがメイサにとり憑くかもしれないし」
「そのときは、まっさきに駆けつけるよ」
それから、ユウは姉のミリィに会釈した。
「姉として、妹のメイサには広い世界を見せたいと思っている。まずはハーシュラームだな」
「いつでもどうぞ。ミリィさん。ハーシュラームは安全に遊べるように俺が悪党を退治しておいた」
「へえ、ハーシュラームといえば」
「カジノ・ハーシュラームだ」
「すみません。あの」
ポニーテールのアンリ・ブリジット・パティが、割り込んできた。
「あの、お願いがあるんす」
「言ってごらん」
「あっしを、ハーシュラームまで送ってくれないっすかね。ミリィとメイサとも話したっす。あっしは、ハーシュラームで働きたいんす」
ポニーテールを揺らして訴えるパティの顔立ちは美しい。田舎臭い言葉使いがギャップになって、ユウは笑いそうになる。
「はは、そんなことか」
「あっしは馬を出します、けれど、寝る場所が……」
「そうだな、エリオに聞いてみろ」
ユウは、エリオ・ソフィーに振った。
「えっ、い、いいわよ。同行しても。私の許可なんていちいち確認しないでよ。バカユウ。パティさんはシマデの馬車で休みなさい。シマデの馬車は女性専用ね。で、ユウはキンスロットの騎士団の馬車で寝なさいね」
「えっ、えっ」
「当たり前でしょ。バカユウ」
「男連中と一緒かよ」
デロスを出発した馬車の中でユウは天啓の剣を軽く振り回した。
自分の手にすっかり馴染んだこの感触……。
天啓の剣を扱えるから、まだ自分は勇者の身分だ。
この剣はソードスワードの洞窟の岩場に刺さっていた。
元の場所に戻せば、そこで自分の勇者としての使命は終わる。でも、その前に、ソラナを取り戻す。
天啓の指輪はユウの左手の薬指にはまっている。
指輪は、チズル・グラシエンラに所有権があることを確認して、借りている。ユウはイグニスの息子だから、親戚として信頼してくれた。
チズルはすでに旅立った。
山道をゆく馬車は小石を轢いて揺れている。
座るユウの胸元には、所有者のいない天啓のサークレットが添えられていた。




